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黄色いレインコート麗子  作者: ジュゲ
41/85

第四十話 激昂

 よく眠れなかった。


 頭の中で何度もシミュレーションをし、ちょい役の舞台俳優が大切な一言を何度も何度も読み込むように僕は自分で考えた台詞を暗記した。

(問題は台詞よりも、声のニュアンスかも)

 覚える頃には途中で意識が変化する。

(どういう感じで言う?)

 サラッと言おうか。

 情熱的に言おうか。

 無関心に言おうか。

 淡々と言おうか。

(やっぱり関心がなさそうに言ったほうがいいんじゃないか?)

 暫くして慣れた気がする。

 念の為に鏡を見てやってみる。

 そこには僕の想像と違った顔があった。

(なんだこれ?下手過ぎてヤヴァイぞ、誰だこれ)

 顔がこれってことは・・・。

(録音してみよう)

 スピーカーから流れた声は表情以上に全く違う自分。

(なんだこれ、誰だおまえ)

 やればやるほど迷走し、次第に何が正解かわからなくなる。

「駄目だ、このままやってても」

 ここで一旦、視点を変えよう。

(アスリートがイメージトレーニングすると違うと言っていた)

 イメージだ。

 状況をイメージしないから言葉だけがうわ滑っているんだ。

(そうだ、それだ!)


「ササキ先生にこれを渡してと頼まれて」


 そこでレイさんの机を見る。

 これだけで「彼女から」と言うことが伝わるだろう。

 もし、先生が「ん?」って顔をしたらレイさんの名前を出す。

 思うとササキ先生のことを良くは知らない。

 鈍いかもしれない。人によっては恐ろしく鈍いのもいる。

(あー・・・あの先生は鈍いかもしれない)

 目を閉じ、充分にイメージしてから台詞。

 何十回も繰り返すと克明にシチュエーションが頭に浮かぶようになる。

 声を録音してみた。

「違う・・・」

 これだよ。

 こんな感じだ。

 こんなにも変わるものなんだ。

(よし!今度は鏡を見ながら)

 これは辛い。

 鏡をみた途端、声が別物になる。

(距離が近すぎるんだ)

 手鏡を机に起き、鏡の顔がササキ先生だと思い語る。

(駄目だ駄目だ、ササキ先生だと思うと表情をチェック出来ない。そもそも遠すぎて見えないじゃないか)

 繰り返す自作自演。 

 終いには何を言っているかすらわからなくなった。

 疲れきり、台詞を確認した所で就寝。

(日本の俳優って下手くそだと思ってきたけど、こんなにも演じるって難しいんだ・・・僕には・・・無理だ・・・)

 夢の中で一人暗唱している自分がいる。


 先生は八時半頃にクラスにくる。

 あまり早く行っても怪しまれるかもしれない。

 不意に、

(自分のクラスに来た時に渡すより二、三クラス前ぐらいの所で渡せたら理想かもしれない)

 そんなことを思い、結局は早めに出る。

 なるべくなら渡している所を目撃されないほうがいい気がした。

 途中も入念にチェック。

(これ、傍から見たら完全な不審者だな・・・ブツクサ独りで喋っている人が時々いるけど、今の僕もそういう状況か)

 学校が見えた段階で僕の緊張はピークに達した。


(いた・・・)

 緊張で朝食は喉を通らなかった。

 促されてバナナとホッとココアだけ飲む。

 母が何やら言っていたけど記憶にない。

 余裕なんて一ミリもないんだ黙っててくれ。

(舞台俳優って凄いなぁ)

 とまるで関係ないことを想起しながら様子を伺っていた。

 心臓は否が応でも高鳴る。

 まるで映画でみたワンシーンのようだ。

 心臓が身体を突き破って、ビヨ~ンって飛び出しているように僕には見えた。

 出来るだけさり気なく、自然に。

(そう、今日この瞬間だけ僕は舞台俳優だ。だから出来る)

 渡す直前、とんでもないことに気づく。

(教室じゃなきゃ、彼女の机に視線を送って合図出来ないじゃないか)

 落ち着きかけた僕の心臓はいよいよ口から飛び出しそうなほど鼓動する。

 あれほど作戦を考えたのにザルだ!穴だらけだ!

(バカが、このバカが)

 でも、もう後にはひけない。


「ササキ先生、これを、渡してっと、頼まれて」


 たった一行の台詞が満足に言えない。

 ガチガチじゃないか。

 ササキは無造作に封筒の口を破る。

 予想外の行動。

(目の前で封を破るってマジかよ)

 封のお金を見ると、少し右上の虚空を見つめ、「ああ」と言った。

 僕も釣られて視線をおう。

 この間、呼吸をしていることすら忘れる。

 緊張でガチガチの僕を見ながら、「アイツか」と言い、横を向くと猫背にし、手をだらんと下げ、俯き口をへの字に曲げる。

 「何やってるんだ?」と一瞬思ったが、レイさんを意味していることを理解する。

「はい」

 僕は短く応えると、何故かササキは満足そうに笑った。

 その笑みに違和感をおぼえる。

 蔑視的なパフォーマンス、嘲笑的な笑み。

(なんだコイツ、なんで笑っているんだ、それでお前は先生と言えるのか)

 ササキは手を上げると茶封筒を懐に終い、いつもの業務に戻る。

 僕は彼を追い越し教室に戻った。


(終わった・・・)


 全身から力が抜ける。

 同時に何処から去来する達成感のようなもの。

 これで全てが解決したと思っていない。

 でも、全てがこれで回り始める。

 しばし、戦士の休息だ・・・。

(戦士ってレベルのことしてねーだろ)

 緊張はまだ解けなかったが、どこかリラックスムード。

 いつものメンバーが登校し他愛もない会話。

 大体いつも通り彼女が十分前になって来た。

(あーレイさん・・・レイさん)

「おはよ」

 声をかける。

 彼女は目線は合わせずペコリと頭を下げる。

 あれ以来彼女は反応してくれるようになった。

(あー彼女が反応してくれる。僕にだけ!こんなに嬉しいなんて・・・)

 全てがうまくいく。

(そうだ、うまくいっているじゃないか)


 ササキが教室に入る。

 手招きをした。

 しかしそれは僕の予想に反して彼女に対して。

 レイさんがササキの元へ行く。


 僕は息ができなかった。


 なんで、どうして、僕を呼ぶんじゃないのかよ。

(どうしよう、言わないよね、え、言わない?何を?何が起きてる)

 どれくらい彼女が席を外していてたのかわからない。

 ただ、授業の開始を告げる予鈴が鳴る前に戻ってきた。

 何時もと変わらぬ様子で戻ってくる。


 でも彼女は僕を真っ直ぐ見据えていた。


 目を見た瞬間に僕は全てを察した。

 学校ではいつも俯いていた彼女が普段のように姿勢よくスッと歩いてくる。

 静かな迫力に氣圧されてかヤスが道を開けた。

 徐ろに僕の机の前に立つ。

 ミツが何故か彼女の目を見てヨロめき後ずった。

 まさかリアルにこんな光景を見ることになるとは、しかも目の前。僕の身に起きている。まるで映画でも観ているかのように、どこか僕は他人事だった。

 蛇に睨まれた蛙のように僕は硬直し瞬きすら出来ない。


 突然、彼女が僕の机を大きく一回両手で叩く。


 大音響。

 教室が一瞬で鎮まり、視線が一点に注がれる。

(手は痛くないだろうか)

 僕はそんなことをボンヤリと思った。

 彼女は身体を震わせることもなく、叩いた痛みで苦痛に顔を歪めることもなく、僕を正視する。

 一呼吸。

 静かに、目を見開いたまま、僕に顔を近づけ言った。

 まるで僕だけに聞こえるように。


「人様に施しを受けるいわれは・・・ありません」


 言葉は尻上がりに強まり激しい憤りを隠せないものがったのに、最後はすぼまった。自制、平静、脱力、何かがそうさせたのだろうか。

 そして踵を返す。手の裏は真っ赤。


「おい、いきなりなんだよお前!」


 マキの一声が僕の目を覚まさせてくれる。

 でもレイさんは気にすることもなく机に座る。

 マキの顔面から怒り溢れ出している。

 僕はマキの腕を掴む。

「いいから」

 辛うじて蚊の鳴くような声でそう言った。

 声が出ない。

「ヤス手伝って」

 おずおずとヤスとミツが手を掴む。

「触るんじゃねー!なんなんだよこのクソ女!」

 僕らの手を振り払ったマキが怒りで震えている。

 情けないかな僕は別な意味で震えていた。


(大変なことをしてしまった)


 そんな感覚が身体を満たしている。

 およそ最も恐れていた事態。

「席についてー」

 ミズシマ先生が入ってくると厳しい顔をしている。

 クラスを見渡しマキに目を留めた。

「どうしました?」

 誰しもが黙りこみ各々の席につく。

「なんでもないです」

 マキが応える。

 先生は少し黙るも、

「そうですか」

 何事もなかったように授業を始めた。


 彼女に対して臆してしまった。

 僕の中で何かが壊れた。

 ガラガラと音をたてて崩れていく。

 夢も、希望も、思いも、努力も、成績も全て。

 僕は何をやっていたんだ。

 母さんと大喧嘩し、成績を落としてまでアルバイトをし、その結果がこれだ。

 駄目だ、終わりだ、全部終わりだ。

 彼女を傷つけた。

 全てを失った。

 全て終わりだ。

 崖が浮かんだ。

 そうだ崖がいい。

 電車はみんなに迷惑がかかる。

 僕は正直あれは迷惑だと思っていた。

 お母さん、お父さん、オジサン、ゴメンね。

 僕は終わった。

 僕は駄目だ。

 もういい。

 もう全部いいや。

 先生の顔が浮かぶ。

 先生すいません。

 そうだ、先生には一言謝っておきたい。

 先生はいつも僕に対して誠心誠意向い合ってくれた。

 その結果がこれでは余りにも申し訳ない。

 教室を辞めてお礼を言ってからその足で行こう。

 

 授業の途中で学校を早退した。

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