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黄色いレインコート麗子  作者: ジュゲ
19/85

第十八話 誤解と理解

 暑い。

 暑い。

 暑い。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 暑い。

 怖い。

 暑い。

 怖い。

 授業の長距離走でもこれほど真剣に走ったことは無い。

 心臓が爆発しそうだ。

 足がもつれる。

 それでも速度を緩めることはなかった。

 足が勝手に動いていく。

(息が、息が、続かない、くそ、もっと真面目に走っていれば・・)


 幼稚園から見える彼女の部屋。


 窓は締め切られている。

(やっぱり!あれは予知夢なんだきっと、くそ息が、しっかりしろよ)

 行くべきか、行かざるべきか。

 自分の彼女でも無い、友人でもないという相手の、男ならともかく女子の一人暮らしの部屋に行くなんて完全にアウトだろ。でもこの残暑厳しい日に部屋を閉めきっているなんて絶対におかしい。考えられない。冷房も扇風機もないのに絶対におかしい。

 太陽は僕を一層照らし”北風と太陽”の話を急に思い出す。

 太陽が笑っているような絵が想起された。

(太陽ニヤけてるんじゃねーぞ!命がかかってるんだ!)

 倒れているのかもしれない。

「熱中症は危ないから」

 彼女の言葉が蘇る。

 きっと経験があるんだ。

 倒れたか、倒れそうになった経験が。

 じゃないと話には聞いていてもあそこまで親身に言えるはずがない。

 あの言葉は真に迫っていた気がする。単に知ってる次元じゃない。

(構わないや・・・通報するなら通報しろだ)

 階段を上がる。

 部屋は上がってすぐの。

 走ってきたせいか、緊張なのか、僕の心臓は口から飛び出しそうだった。

 全身が緊張と疲れで硬直する。

 一瞬 躊躇うも、次の瞬間にはノックしていた。

 戸を叩く音よりドアが軋む音の方が大きい。

 反応がない。

(嘘だろ)

 もう一度、今度は少し強めに叩く。

(倒れているんだ)

 脳裏に彼女が倒れている姿が浮かぶ。

 ダンボールとレジ袋の寒々しい部屋。

 コタツテーブルの所で苦悶の表情をした彼女が見えるかのよう。

 握りこぶしが痛いほど強くなっている。

 この程度の扉なら映画に見るような”蹴破る”ことが出来そうだ。

 右足がピクリと動く。

(いや冷静になれ。ここはきっと大家さんに開けてもらった方がいいんだ。でも、その間にまに合わなかったら・・・いや、探してダメなら蹴破ればいい。一階か?こういう場合って一階だよな・・・でも必ずしも大家が一緒のアパートってことも無いかも。その時はどうすればいいんだ。ああ婆ちゃん。警察か?隣の人か?どうすりゃいんだ。頼む、僕が悪かったから、お願いだから・・・誰か。いや落ち着け、出来ることだ、先生も言ってたじゃないか、人は誰だって自分に出来ることしか出来ないって、自分が出来ること・・・蹴破る?じゃない、大家だ、まずは大家だ!)

 振り向く。

「どうしたの?」 

 レイさんが階段の所に立っていた。

 この前 会った時と同じ格好。

 右手には水の入ったペットボトル。使い古した感があり半分も残っていない。

 彼女はまるで平然としていた。

 この汗まみれの上に酷い形相と息遣いの僕を見ても何ら動揺する様子がない。

「よかった・・・」

 座りこんでしまう。

「え、大丈夫?これ飲んで」

「大丈夫」

 そういう僕の手をとりペットボトルを無理に握らせた。

「いいから早く!」

 促されるまま僕は飲む。

 喉は乾いていないと思っていたが水が胃に染み入った。

 落ち着いてくる。

 でもまだ少し手が震えていた。


 彼女は何も言わずジッと僕を見ている。

 一呼吸おき、

「倒れているかと思った」

「なんで?」

「だって、窓閉まっていたから」

「外、出てたから」

「そと?・・」

「うん」

「外かぁ・・・そうかぁ」

 僕は呆気にとられる。

 外出。

 そういう可能性もある。

 当たり前だ。

「閉めるよねぇ~・・・」

「うん」

 笑いがこみ上げきた。

「ねー本当に大丈夫?歩ける、病院行こう。携帯かして、救急車呼ぶから!」

「携帯ないんだ僕。大丈夫、歩けるから」

「じゃあ、歩いて行こう」

 彼女は僕の肩を担いで立たせようとしているのか。

「あー大丈夫、本当に、大丈夫だから。少し座らせて」

「本当に?本当に大丈夫なの?とりあえず下いこう。ここは陽がさすから」

 彼女が肩をかつぐ。

 なんとも言えない甘い香りが漂う。

(いい匂いだ・・・)

 この辺に香るような草花はないようだけど。

 風に運ばれてきたんだろうか。

 少し意識がハッキリしてきた。

「ああ平気そう」

 僕は立ち上がると一階に下り、彼女に促されるまま幼稚園の向かいにある公園まで歩いた。彼女は僕に寄り添い歩くが様子を伺いつつも無言。集中しているのがわかる。

 僕が木陰にあるベンチに座ると、

 彼女は公園の水道にハンカチを濡らし持ってきてくれ手渡した。

 特に必要じゃなかったけどそれを受け取ると額を濡らす。

 思いの外 頭がスッとする。

(あー・・・生き返る)

 ハンカチは元色もわからず擦り切れてもいた。


 僕はことの経緯を説明する。


 彼女は黙って僕の言葉に耳を傾け、

 あの吸い込まれるような魅力的な瞳で僕を凝視し聞き入った。

「驚いちゃった」

 言葉とは裏腹にまるっきり冷静だった。

 どう考えても愚かな僕の行為に対し、彼女はクスリとも笑わない。

「本当にゴメンね驚かせて。窓閉まってたから、まさか中で倒れているんじゃないかって思ったら心配で。夢のこともあったから。迷惑な話だよね。しかもいい年した高校生が夢を見て『予知夢か!』なんて馬鹿過ぎて我ながら笑える」

「迷惑じゃない」

 彼女はキッパリと言い放った。

 透き通った高い声。

 強い意思を感じる凛々しい声。

 まるでノイズがない。

(声まで綺麗だ・・・)

「寧ろ嬉しい。そこまで”他人”の為に心配してくれたんだから。出来るもんじゃない。私ならしないよ断言できる。それに、本当に倒れたことあるし。無い話じゃないから」

「やっぱり!」

 そう言いながら、彼女の”他人”という言葉が棘のようにチクリと刺す。

「あ、御免ね”他人”って言っちゃって、変な意味じゃなくて自分以外って意味だから。

 レイさんは僕の心が読めるかのように的確に注釈をつけた。

「あ、う、うん」

「動けなくなるんだよアレ。ぐるんぐる天井が回って。それから真夏の日中は出来るだけ外の日陰に出て涼むんだ。部屋の方が暑いから」

「どこいってたの?」

(あ・・・まずい余計な詮索だ)

「どこって、その辺だよ。いつも気分だから」

「そっか」

「でも残念だったね」

「ん?」

「夢のなかの」

「あ~そうだね。もう自分でもどうしていいかわからないよ。彼女は僕のことを嫌ってはいなかった。それは安心したけど、なのに『手をつなごう』って言ったら『いや』ってハッキリ断ったんだよ」

「それって本当に断ったのかな」

「あれは断固拒否って感じだった」

「そっか・・・でも、嬉しいって言ったんだよね」

「そうなんだ。それが余計にわかんない。嫌ってないなら、嬉しかったなら、なんで『いや』なんだ?最後には土下座して頼み込んだのに、あの子は僕の手を握らなかった。わけわかんないよ・・・」

「それはミイちゃんも女の子だからじゃないかな」

「それってどういう意味」

「女の子はね、そういうものなの」

「えー!でもさ、声をかけて、手をつないでって言って、ついていって、頼み込んで、土下座までして、その挙句に『NO』だよ」

「そういうものなの」

「うそ!わけわからないよ。なんで?理屈に合わないよ」

「女はね、理屈じゃないの」

「めんど・・・」

 咳払いした時は手遅れだった。

「面倒くさい?」

「そんな・・・いや、ま~、なんというか・・・」

 柔らかい眼差しで僕を見ている。

 その目が僕を素直にさせる。

「面倒くさいです。すいません・・・」

 真顔な僕に対し彼女はまるで子供をあしらうに笑った。

「面倒くさいよね。自分でも面倒くさいって思うもん。女なんてろくなもんじゃないよ。でも男は男で別な意味でろくなもんじゃないでしょ。二言目にはアレだし。頭の中にはアレしかないのか?って聞きたくなる。単純だし。お互いろくなもんじゃ無い。だから・・・お互いさまかな」

 この暑さの中、全く汗をかかず、夏の空のように爽やかに笑う彼女。

 

「やっぱり付き合ってもらえないかな」


 不意に口走る。

(ちょお前、何を言って、この前言ったばかりだぞ、舌の根も乾かずに、馬鹿じゃねーの!)

 わかってる、わかってるんだ。でも、

「御免ね」

 彼女は目を合わせずポツリと言った。

 その一言だけで僕の勢いは止まった。

「こっちこそゴメン・・・」

 自分でも馬鹿だと思う。

「ううん、嬉しいんだよ」

「え!」

(何なんのそれ、どういうこと?え、どういう意味、嫌いの反対は好き、え、そうじゃなくて、え、何なの)

「付き合えないけどね」

 まるで僕の心中を察したかのように彼女は言葉を加えた。

「友達じゃダメ?」

(あー止めて俺!口を止めろ!誰か止めて!)

「それも御免なさい」

「じゃ~・・・プール行こう!」

 急にオジサンの顔が過った。

 勢い、勢いだ。

「水着もってないから」

「水着は・・・レンタルで!」

「え~水着のレンタルってなんか嫌じゃない?」

「じゃー・・・俺の・・・」

 彼女は吹き出した。

「待ってよ。上どうするの」

(そういう問題?)

「上は・・・その・・・Tシャツで!ほら、パレオって言うのあるじゃない」

 更にお腹を抱えて笑いだす。

「それ違う。それ絶対 違う」

 彼女が僕の水着をきて、手で胸を隠し顔を赤らめている姿が脳裏に浮かんだ。

「ちょっとぉ想像したでしょ」

「してない!何もしてない!」

「もー」

 僕の肩を白くて指の長い手のひらで軽くこづく。

 お互い笑いが止まらない。


 お互いの笑いが落ち着くと神妙な顔になって彼女は僕を見た。


「ごめんね」

「え、なにが?」

「いきなり部屋に連れ込むなんておかしいよね」

「え?あー・・・この前ね。そう・・・かな~?」

「勘違いさせたみたいで」

 チクリと胸が痛む。

「う?う~うん、別に」

「本音 言うとね、君、知り合いに似てたんだ。だからつい、はしゃいじゃって」

「いや、いいんだよ別に。寧ろ嬉しかったし、チャンス到来みたいな」

 照れ隠しで笑っている自分が酷くみっともなく思えた。

「本当にごめんなさい」

 まただ。

 胸が痛い。

 彼女は深々と頭を下げる。

 あの時みたいに。

「あの・・・」

 聞かなくちゃいけない。

 今 聞かないといけない気がする。

 今 聞かないと全てが無かったことになりそうで。

 何事も無かったように他人に戻りそうな、そんな気がした。

 夢のせいか、暑さのせいか、僕は積極的になっている。

 いや、後悔したくないからかもしれない。

「嫌いかな僕のこと」

 女々しい聞き方だとはわかってる。

 でも、

「嫌いじゃないよ」

「じゃあ、またこうして話かけてもいいかな」

 清水の舞台から飛び降りる心境というのはこういうことなのだろうか。

 緊張と覚悟で身を固くする僕に、彼女は驚くほどアッサリと言った。


「関わらないほうがいいよ」


 まるで当然のような答えかた。

「どうして!今 嫌いじゃないって、それも、さっきの女心ってやつ?」

「ちがう。学校の私、わかるでしょ?」

 彼女は穏やかだが遮るように言った。

「・・・」

 返事が出来ない。

 今の彼女からは想像も出来ない学校での様子。

 思い出しただけで胃のあたりが重くなる。

 日常会話のように囁やかれる誹謗中傷。

 そして幽霊のように彷徨う彼女。

「こんな言いかた本当に酷いと思うけど、ハッキリしておいた方がいいと思うから言うね。私は君とシナイよ絶対に。何をシナイかは聞かないでね。だから期待しないで欲しいの。この前は本当に悪かったと思う。あれじゃ期待されても仕方ないから。皆が言うように本当は男好きなのかもしれない。罵られても仕方がないのかもしれない。この前のことも、今のこの言葉も本当にごめんなさい」

 胸が苦しい。

 張り裂けそうだ。

 でも、言わなければいけない。

 じゃないと絶対に後悔する。

 もう頭はグチャグチャで何も考えられない。

 でも心はわかっていた。

「君と話すと楽しいんだ。だからもっと話したいんだ。それだけじゃダメかな。迷惑かな、迷惑だった止めるけど。でも、迷惑じゃなかったら、また君と話したいんだ。楽しいんだワクワクする。ただそれだけなんだ」

 情けないのは百も承知。

 これが正直な気持ち。

 そうさ自分勝手だ。

 でも許されるならまた会いたい。

 そして話したい。

 それだけでいい。


 彼女は俯くと少し黙った。


「知らないよ。私は何もしないし出来ない」

 キツく僕を見る。

 怖いぐらいの迫力。

 こんな華奢な身体からどうしてこんな力が溢れてくるのか。

 まるでさっきとは別人じゃないか。

「世間の人は君みたいに純真じゃないよ。ハッキリ言って世の中の連中なんてロクなもんじゃないから。私と係るときっと後悔する。世の中には知らない方が幸せなことが多いんだから。私は君と違って自分からは関わらないからね。それでもいいの?」

 これはどういう意味なんだろうか。

 何があったんだ。

 彼女に何が起きているんだ。

 わからない。

 でも、今は先のことなんていい。

「もっと、話したい」

 情けないかな声にほとんどなっていない。

 彼女は僕を見つめる。

 僕の中にみるみる味わったことのない失望感が満たしていく。

 でも、それに抗うように反発する力も強まる。

(頼むミイちゃん僕に力をかして・・・出来るだけ夢の中に行くから)



「わかった」



 彼女は学校ではけして見せることのない穏やかな表情に戻っていた。

「それも君の自由だね」

 クモの糸。

 太宰治のクモの糸という小説を想起した。

 でも、あれは違う。

 これは、地獄から天国。

 全身の血が炭酸水の泡ように上昇する。

 なんていう感覚、味わったことがない。


「私も楽しいんだ君と話すと、凄く安らぐよ」


「え!」

「勘違いしないでね」

「あ、はい」

 完全に主従関係は出来てしまった感はある。

 それでも僕の身体は今まで感じたことがないほど幸福に満たされていた。

 彼女の言った言葉の意味など考える余地もないほどに。

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