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黄色いレインコート麗子  作者: ジュゲ
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第十六話 はじめての

(見るな、絶対にキョロキョロはするな、失礼だから)

 それでも一瞬、部屋の奥が見え、彼女の後ろ姿が。

 トイレに入ると和式。

(和式!漫画で見たことある。初めて入った。これどう使うんだっけ、それ以前に出るの?出なかったら出られないじゃん。てか、音は聞こえないようにしないとダメなんだよね、でもそれ女子だけの問題か、それともマナー?)

 酷く混乱していたわりには普通に出た自分に驚いた。人間とはわからないものだ。

(どうやって流すんだ?これ・・・じゃない。あーこれだ。トイレを済ませたら直ぐ部屋を出ないと・・・)

 終わった。ミッション完了。

「ありがとう、お陰で助かった」

「ねー」

「ん?」

 思わず彼女の方を見る。

「お水しかないけど飲んできなよ。熱中症は危ないから」

(えっ!ダメでしょ。えー!部屋に入らないとそっち行けないよ?)

「ん?・・ん~・・はい」

 もう何も考えられない。


 部屋を見た途端、上がりきったテンションが嘘みたいに下がった。

(これが女子の部屋か、というか・・・これが人の住む部屋なのか)

 狭い部屋にテレビはなく、そればかりか机もタンスもない。あるのは冬はコタツであろうテーブル。その周囲にはダンボールが幾つか。そして中身のつまったレジ袋。畳の上に無造作にお盆が置いてあり、そこに僅かな食器とコップが。どれも二人分はありそうに見えた。レジ袋の多くは服らしきものが詰め込まれているのだろう。部屋の壁側に囲むような形で撒かれている。当然のようにエアコンはない。そればかりか扇風機すら視界にはなかった。

 僕はあの噂を思い出した。

 彼女が男を連れ込んで、それで得たお金で暮らしているというもの。

 よくある高校生のふざけ半分のおめでたい話と思って聞いていた。でも、このシチュエーションはまるでそれを示唆するようだ。こ慣れた誘導、男に全く恐れを知らない態度。そして二組の食器。

 それまで歓喜に湧いていた僕の身体と心が嘘みたいに冷めていくのがわかる。熱暴走の果てに考えるのを止めていたはずの頭は、何事も無かったように回転をしだす。

(噂は本当なんだろうか・・・もしそうなら)

「はい」

 何のデザインもない単なる透明なコップ。喫茶店で見かけるようアレ。かなり使い込んでいるようだが、彼女の方より随分と傷が少ない。

「今日も暑いね」

「そうだね」

 何事も無かったように彼女は笑顔を向けた。

 学校の彼女からは想像も出来ない澄み切った夏のような笑顔。

「ウチワあるよ」

「あ、いいよ」

「扇いであげよっか」

 小悪魔のように微笑んでいる。

 この表情の感じ、どこかで見たことがある。

(姪っ子ちゃんだ。マッツンがこんな顔を僕に向けていた)

「いいよ君が暑くなるから」

「いいのいいの」

(こんな顔をする子が、こんないい表情をする人が・・・まさか)

 彼女は十回も仰ぐと手を止め、

「あーもうだめ、疲れた」

 テーブルに突っ伏した。

「あはははは」

 自然と声が出る。

(まるでマッツンだ。あの子もこんな感じ、実に愛らしいんだ)

 僕は急に彼女が大きなマッツンのように思えた。

「じゃ~交代だね」

 あの子に話しかけるようにしていた。

「いいよ」

 そう言って突っ伏したままウチワを握っている。しかし、緩んだスキを逃さず素早くもぎ取る。こうした攻防もマッツンとよくやる。

「あっ」

「は~い風速マックス!す~ず~しぃ~」

 全力で仰ぐ。

「ほ~ぅ~」

 顔を上げ、目をつぶって風を浴びている。

(ははは、本当にまるで大きなマッツンだ・・・にしても美人だ)

「ダメだ~エネルギー切れ~」

 バタリと仰向けに転がる。

「えー」

「フタタビ、キドウスル ニハ、エネルギー ガ ヒツヨウ デス」

 ロボット声真似をする。

 ココまではほとんど姪っ子とのテンプレ的やりとり。

 マッツンなら僕の手を引っ張って起こそうとしたり、お腹の上で暴れたり、水を飲ませたり、時には撒いたり、お菓子を持ってきたり、人形を持って話かけたり何度もなんどもやらせようとする。飽きるまで。それこそ数時間もだから。彼女のお気に入りの遊びだった。

 でも、彼女は違った。

「マーさん、本当にいい人だね」

「えっ?」

 僕は上体を起こす。

 彼女は外を見た。

(なるほど、ココから良く見える)

「普通じゃないかな?」

「君だけだよ、この部屋を見て変な顔しなかったのは」

 一瞬、身体が硬直し心の底を見透かされたようでゾクっとする。

「だって・・・君の部屋なんだから、どうしようが自由じゃない」

「いつだったか言われたんだ。もう名前も忘れちゃったけど。この部屋はまるで君そのものだって。君の人生そのものだって。滅茶苦茶で汚くて何もない」

「酷い人だな。(危うく「クソが」と言いそうになった)その人はよくもそんなことが言えたもんだ。じゃあ、自分はいかほどの人間なんだって僕なら言ってやりたいよ。って御免ね~君の知り合いなのに・・・申し訳ない」

「ううん。私は言い返せなかった。その通りだと思ったから」

「違う。そんなんじゃない」

「君には、マーさんには私はどう見える?」

 彼女はそれまでとは全く異なる表情で僕を正視している。

 穏やかで、でもどこか寂しそうで、何か多くを失ったような、でも希望の光を胸の奥底に秘め、耐えずその明かりに目を向けているような。それでも、どこかすがるような。


「綺麗だね」


 何の気なしに出た。

 ボキャブラリーが絶望的に足りない。

(僕が言いたいのはそういうことじゃないのに)

「ゴメンね~つきなみで・・・」

 ふと彼女を見る。

 呆けたかとように僕を見ている。


「突然だね君って」


(いやいやいや貴方に言われたくないし)

「初めて言われた・・・綺麗だなんて」

 彼女は両手で顔を覆う。

 涙が流れ落ちているのがわかる。

 声を上げずに泣いている。

 それを見ていたら自分でも訳が分からず何かがこみ上げ、僕はいつの間にか彼女以上に泣いていた。汗と言わず涙と言わず流れた。


 日が傾く。


 スマホのヴァイブレーション。

 多分、母さんだろう。

 

「僕と付き合って下さい」


 まるで当然のことのように口をついた。

 彼女は驚いた風もなく、当然のように

「ごめんね」

 と返した。

「ですよね~」

 と言う僕に、鮮やかに笑いかける。

 その笑顔は夏の風鈴を彷彿とさせた。

 熱い心に風が吹き抜けたような爽やかさ。

 そのお陰で僕はスラスラと言葉が出た。

「じゃ~友達で」

「間に合ってます」

 これまた平然と。

「じゃ~僕はどんな位置ならいい?」

「マーさん」

「え?それってどういう?」

「マーさん」

「わかんないなぁ。あ!そういえば、僕のオジサンで僕のことをマジシャンとか魔法使いって呼ぶ人いるんだけど、それに似た感じ?」

「え、何それ違うと思う。そのオジサン面白いね」

「いやいや貴方も大概ですよ」

「そう?」

 笑いあい、とりとめない話をし日が落ちる。

 まるで長年の友人と別れるように彼女のアパートを後にする。

「じゃあね」

 コタツに突っ伏したまま手を振る彼女。

「また」

 手を振る僕。

 扉を閉めて思ったがガタガタで扉として機能しているか疑わしいものだった。

 何もかもが酷く傷んでいる。


 帰宅途中、驚くほどの清々しさが身を満たした一方、胸に穴が空いたような喪失感もある。自分でもわからないけど、涙が溢れてきそうで堪えるのに必死。時折すれ違う人が怪訝そうな顔で僕をみる。不思議と恥ずかしくはない。この涙がどういう意味か僕にはわからないでいる。それよりも彼女と一歩も二歩も近づけた気がして弾んでいる自分がいた。

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