オチホノクニと見通し眼鏡
「女はこの山への立ち入りを許されていない」
オレの前へ割り込んできた細身の男は、インテリな雰囲気を漂わせながら眼鏡を持ち上げた。
パーティメンバー全員で目を丸くする。もちろん、オレも含めて。
なぜバレた。半裸でもバレないオレの性別だぞ。なぜバレた。
総じてえっ?え?と聞き返す。
「どうした、聞こえなかったのか。君と、そこの長い髪の。二人は入山を許されない」
眼鏡はまっすぐオレを見つめる。
間違いなく、バレている。
オチホノクニ。
山に囲まれた土地柄、日の光が当たる時間が非常に短い。
植物の発育は隣のシグレノクニから源泉を運ぶ甲斐あってか、わりと良好でご飯がおいしい地区。
……という設定だったんだが、その源泉は腐りきってしまい、この先どうなるかわからない。
はっきり言おう。夏が奪われた。シグレノクニで湯浴みをしていたオレ達の上に落ちてきたのは、熱湯などではなく、腐った……悪水だった。
崖上から落ちてきた粘度のあるほのかに生温かい水は、段々プールも、小屋も、オレらごと飲み込んで押し流した。粘りけのせいなのか、押し流す速度は遅く圧力こそあったものの体の損傷は少なかったのは救いか。あと、流留華の火柱が一瞬で飲み込まれたのは幸いだ。しかし、相手は腐敗の固まり。
その不快感は筆舌しがたい。特にこの作者には無理だろう。
「ほほほ、次は、秋ですねえ。オチホノクニなんて、いかがでしょう」
薄めたタールのような流れから必死で顔を出すのを待っていたようににんまりとした陰気な顔がオレを挑発する。
「憶えてろよ」
「ええ、モチロン」
背筋に悪寒が走るほどの口元だけの笑み。それを残すように足下から姿をくらました。
その後崖を登って最短距離で山越え、ムライムキのご指名通りオチホノクニに至ったわけだが、奴はまだこのクニで隠顕していない。
せっかく先手をとれたみたいなんで、クニの奴らに秋って何だろうと質問したところ、目の前にいるインテリ眼鏡が山門までオレらを案内してくれたわけだ。
「君たちが言う秋はこの上の社にある」
そうかありがとうと、感謝を述べながら石段に足をかけようとしたところで、この話、出だしに戻る。
オレのことを言ってるんだよな?と自身に人差し指を向けながらもう一度確認する。
「何度言わせる、君は登れない。それとそちらの男、君はその杖をおいていけ」
う、後ろを振り向くのが怖い。
誰一人としてオレの前に出ようとする奴もいない。
眼鏡がふふんと鼻で笑った。
「そうか、君は偽って生きてきたな。どういう理由かは存知得ないが、俺の目はごまかせない。この山門で大人しくしていてもらおう」
そんな大げさに言うなよ恥ずかしい。なぜかなんてオレも知らんし。強いて言えば作者の趣味?
「本当なの?」
混乱から誰より早く立ち直ったのは流留華だ。険しさを含む声が答えを求め責め立てる。
「……まあ、はい。そう、だな」
バラす時を今か今かと待ち続けたもんだったが、いざその時が来ると何も言えない。
気まずい沈黙は未だ流れている。
誰も声をかけてはくれないし、オレも何を言うべきかわからねえ。
ただ、流留華の悲しむような哀れむような蔑むような感情の入り交じった目だけはかろうじて見ることができた。喜んでくれるとは思っちゃいないけどさ、その目はやっぱりショックだ。
「悪い。ジジイと翔真。二人で社とやらに確認しに行ってくれ」
ぎぎぎと固まった首を動かし、手のひらを見つめながらぶつぶつ呟く翔真と目を細めたり丸くしたりを繰り返すジジイをやっとの事で見ることができた。
「あ、ああ。すぐ戻ります」
我に返ったのか呆れたように顔に片手を当てた翔真は杖をその場に置くとふふぉと謎の笑いを残すジジイをつれて階段を上り始めた。
そして、流留華と眼鏡と一緒に階段下に残る。
誰も何にも言わない。気まずい。眼鏡は何で残ってるんだ案内に登れよ。
うわ、この階段長そうだな。途中で折れ曲がってるから先がわからねえや。
現実逃避してみても、視線の圧迫で胸が痛い。クソ、簡単には逃げられないのか。我ながら何という豆腐メンタル。
はぁと一つわざとらしいため息が聞こえた。
「そう、あなたが女の子だったなんてね」
そういえば確かに思い当たる節があったわ、なんて急に言われても嘘をつけそんなはずないだろう。オレの胸見ても女だと気付けなかったくせに。
「お前らが高速で誤解していただけだぞ。オレ、嘘ついてないし」
「あなた自身が”この男”とか言われても否定しなかったからよ」
それならジジイの誤解が大きそうだな。
いや、ジジイを恨んでも仕方がない。恨むなら作者を恨むのがオレの芸風だし。
そうだ、作者だ。どうして今頃こんなモブに気付かせる役を仰せ使いやがりましたか。
「お前はどうして気付いた?今のところ誰にもばれた記憶はないぞ」
水着をくれたお姉さんだって、女と認識していたか怪しい。だってアレは女物ではないだろ。少なくとも、流留華にはかわいいビキニ渡してたんだ。
くいと眼鏡をもちあげる動作をする。
「そういう魔法がある」
小さなレンズの向こうからすり抜けるような強烈な視線を感じ、思わず手で股間を押さえる。いや、隠したいのはそこだけじゃないんだけど。
ニヤリと笑った。今、笑った。眼鏡あげるふりして口元隠してたけど、笑ってた。
クソ。女の敵。そんなにずれる眼鏡ならたたき割ってしまえ。
「流留華」
こいつは敵だという共通認識。名前を呼ぶだけで答えてくれるとは思った。
「みねうち程度ですよ」
でもね、そんな答え期待してなかった。
何をしてくれるんだと思ったら、強化魔法をかけてくれてる。
そんな魔法期待していなかった。
とりあえず、あっ!って大げさに階段のほう指さして眼鏡がそっち向いた瞬間、奴の背中にたたき込んでみた。
悶絶してた。
みたか、これが女同士のチームワーク。
いえーいなどとハイタッチしてみた。楽しい。
「これに懲りたか、むっつりめ」
「俺は仕事でやっているんだ、嫌なら近づくな愚か者」
意識は刈れていなかったが体は起こせないようだ、もう一度たたみかけようとして待ったがかかる。
「どうしてこう理解者がいないのか」
理解者がいてたまるか。
「俺の仕事は山の怒りをかわない為の見張りだ。見張りが侵入者を見ずに何をする」
「そうだとしても!」
「見張りを騙そうとした輩が何を言うか」
ぐっと次の言葉を飲み込まされた。
「やっとわかったか自分の非が」
階段に伏せたままでは何を言われても怖くはない。
こちらを見られるのは癪なので助けを求められたが放置する。ずっとお山とにらめっこしてろ。
「山の怒りって何だ。怒った山が暴れ出すのか?」
あぁそうだと、うつぶせのまま答える。
「この山は怒る。女人を入れたり魔法を込めた石を持ち込んだり、禁忌を犯すと怒りを抱いて山が高くなる」
そうすればただでさえ日の短いオチホノクニはいずれ日が当たらなくなってしまう。
この石段の数は怒りの数だ。などと眉唾物の話を持ち出す。
「本来この魔法は女人の判別ではなく石の持ち込みに対するものだ。女など一目でわかるだろう」
冷静な口調で言うが、説得力はない。
まず、オレの方を見てそういう魔法があるとか口元歪めて言った奴が言っていい台詞じゃねえ!
上の方からふらふらした足取りが降りてきた。
段上に倒れる細身の男を見て、足を止める。
「何だ、早かったな」
なにがどうなったのですかと聞く代わりに翔真は倒れる男とオレらを見比べる。
誰も答えない。仕方なく翔真は口に出す。
「なにかあったんですか?」
「お前には関係なさそうだし、制裁はしたし、もういいんだ」
ここでムライムキを見張ってみるかと提案する。
どう振る舞っていいかわからず相変わらずきょろきょろと見比べを続けていたが、広場状になった山門脇で座り込んだ。
「社はどうだった?」
あえて目をそらし続けていたが、こう、視界の端に熱烈な視線を感じるのもこらえられない。話しかけるふりをして顔を向けると、相手の方が視線を下げた。
「ええ、特に気になったことはありませんでした。手入れの行き届いた綺麗なお社があっただけですね」
「当然だ。俺が毎日様子を見ている」
なんで円陣にこの眼鏡まで参加してるんですかね。こっちみんな。
「ところで、何でソレが秋なのさ」
尋ねるとふふんと気取った様子で眼鏡に手をかける。ずれを直すのかと思いきや外して布で拭き始めた。いちいちうざい。
「秋の表門というのがあの社の名前だ」
光に透かしながら眼鏡の汚れを確認する。
「世界には人の通らない門が存在する。シグレノクニでは源泉が腐ったとお前らは言っていたな。あの場所の名も夏の表門だ」
カチャリと眼鏡をかけなおす。首の動きに合わせて銀縁がきらりと輝いた。
「かなり前になるが変な男がきた」
「そ、その男、灰色の肌で紫の唇で、えっとあまりに異様なひょろりと伸びたまがまがしい存在感発してなかったか?」
「なんだそれ、生ける屍か?確かに背は高かったが、禍々しさとは縁のなさそうなさっぱりした奴だったぞ、貴季とか名乗っていた。世界の門について詳しかったよ」
ムライムキじゃないのか。なんだ。
「ど、どうしたんだよ。急に全員でため息なんて。感じ悪いな」
眼鏡がどう思おうと知ったことか。
まあ、まだこのクニではムライムキは現れていないんだ。期待する方がおかしかったのか。
文句を言いながら眼鏡は続ける。
「もうすでに日、月、春、夏の表門が壊されたらしいじゃないか。このオチホノクニにも影響は出始めている」
といっても日の門からは離れているからまだ夏ほど来ていないがと付け加えた。
「門荒らしを止めることと、壊れた門を修復することは別の作業だ」
火に燃料を足しながら、門番眼鏡はまだ語り続ける。
「その話長そうだな」
「どうした?眠いか」
眠いかっていうか、もう半数が寝てるんだ。
ジジイは体を横たえて軽くいびきかいてるし、流留華も座ったままでこっくりこっくり船をこいではぱっと目覚める。翔真は……心ここにあらずといった様子で手を握ったりまた開いたりしている。起きてはいるが話は聞いてなさそうだ。
やっと現状を理解したのか、眼鏡を持ち上げるとそうだなと一人納得した。
「宿を貸せる所といえばここをまっすぐ行ったオレンジの屋根だ」
ああ、あの目立つ建物か。
また明日出直してこいと火を見ながら言う。
うつらうつらしている流留華を立たせ、翔真にジジイを担がせ広場を離れた。
「君たちの仕事は変な男を追いかける事とはもっと違うところにあると思うぞ」
彼の声は眠気が支配するオレの頭には何でもよすぎる言葉だった。
悪寒がした。
ベッドの質はとてもよく、外部から働きがあったのか疑うほどの強い眠気で心地よく眠りの世界に入ったはずだったのに。
とんでもないものが近寄っていた気がして、急に冷めたベッドから抜け出した。
頃合いを計ったかのように閃光が部屋を照らす。何事かと思うまもなく轟きが耳を破壊する。
雷。
窓の外を見ようとして、叫び声を上げそうになった。
正確には叫んだつもりだったのだが、声が裏返って音声にならなかった。
逆さはりつけにされた面妖な顔が薄明かりに照らされてぼんやり浮かび上がっている。それは他でもなくムライムキの顔で……
いつの間にか尻餅をついていた体を起こし、窓に向かって手近な物を投げた。
一輪挿し、だったと思う。
ソレは高い位置にある窓を割り夜空へ消える。
ぶつかるであろう対象の声も、一輪挿しの割れる音も聞こえなかった。
やっと認識が追いついた。
ムライムキがもうこのクニに来ている。
狙いは……間違いなく社だ。
へっ、秋を襲う前にオレの様子を見に来るとは変わり者だとは思ったが、その余裕は許せねえ。
一人で飛び出しかけたが、山に入るとなると頑固な門番に止められる可能性がある。
雨は降っていないのか、続く静寂の中、先ほどの轟音にも負けずのんきに寝ている奴らを叩き起こすと、山門へ駆けた。
山が、そこにあるはずの山が見あたらなかった。
ただ、見覚えある広場で火が燻っている。その向こうは林に隠れて泥沼が口を開けていた。
ただの泥沼ではなさそうだ。辺りに漂う腐臭。社が奴の手にかかったことは明白。クソ、土まで腐るかバカバカしい。
その口が元々山門であったと気付くまでそんなに時間はかからない。その手前に伏した男の姿が見えたんだ。
「今更来たのか」
満身創痍の男はひび割れどころかねじ曲がった眼鏡を握りしめて顔を上げる。上体を起こす事すらできないほど傷ついているのか。
山が平らになった事は、秋の表門の崩壊によるものだと悔しそうに告げる。
「ムライムキはどこへ?」
「さあ、一度君たちの方へ向かったが、その後また戻ってきたぞ。数秒俺の事を見ていたようだが……後は知り得ない。視界の外だ」
その背中に眼鏡片とは違うガラスの大塊を見つける。一本の立派な葉がその元の姿を物語る。
そうだ、オレの投げた一輪挿しには花などではなく傘のような大振りの葉が差されていた。
あーもう、余裕だなむかつく。なめきったマネしやがって。
サクラノクニで無視されたと思ったときもむかついたが、わざわざアピールして帰られても腹立つ。
しかも待つならもう少し待てよ、こいつの話では奴が待ったのって数秒だぞ、気が短いってレベルじゃねえ。移動時間ぐらい計算しろ。この調子ならどうせサクラノクニでも待ったっつったって数秒から長くて数十秒だったんだろ?
湧き上がる不満から我を取り戻すと、翔真の魔法が効いたのか、門番は立ち上がった。
こいつは簡単に起き上がれなくなるくせに、精神の方はしぶといみたいだな。
ムライムキの行き先は見えなかったらしいが。
「で、君たちはどうするつもりだ。追いかけたいのか?」
無駄だと思うがねなんて微妙に焦点の定まっていない目で言ってくる。しかもソレ、オレじゃありません、雷に打たれた木です。お前そこまで視力悪かったのか。それともギャグか?服透かして人の体見てる場合じゃねえだろ。
「勿論追うぞ。やつを逃がしてはおけん」
見当違いな方を向いていた門番はジジイの声に振り返る。
「何の為に?」
「……なんでもよい。強いて言うならあの輩を止める為じゃ。早く行かねば冬が奪われるぞ」
その回答は非常に機嫌が悪そうだった。
なんだジジイ。最近出番少なすぎてスネてんのか?
その一方で訝しげに細い目をさらに細め、思案中というように眉間に人差し指を添える。
「冬、か。確かに、残すところはそこだけだ。冬の表門だったらここからかなり離れている」
そして告げる。
「フブキノクニ。過酷な旅になりそうだな。健闘を祈るよ」
仕事を失った門番は人気のない夜更けの街へ帰っていく。
きっと普段にましてオチホノクニの夜明けは早そうだ。