必要
「どこに掴まればいいの」
「狩衣を掴め。だが、皺はつけるな」
「絶対無理だよ」
反論した。無理なのは分かっている。
「速走跳力」
体内に霊力が巡る。助走をつけて石塀に上がった。屋根に移動する。
走りと跳ぶ力は強化され、通常より数倍速く、高く跳躍も可能だ。強化術は身体能力を高める。
戦闘に役立つ術はいくつか教えて貰った。
次々と屋根に跳び移り、肌に吹き抜ける風を感じる。髪と袂を踊らせた。
最初は「わぁー。きゃー」と喚いていたが静かになった。
「おい」
気になり久慈が呼びかけた。
「凄い。景色が流れるように過ぎていくよ」
慣れたのか楽しむ。
心配して損をした気分になる。
運良く誰にも見られず地に下り立つ。しゃがみ察して肩から離れた。
腕を回し鈍い痛みを和らげる。温もりが消えた。
「前髪が後ろに逆立ってる」
口元に笑みを含んだ。
「お前も乱れているぞ」
「本当だ」
恥ずかしげに髪を手櫛で直す。
依頼主の家に着き、少女が腕時計を確かめ、3時58分である。ぎりぎり間に合った。
「インターホンを押せ」
頷いてピンポーンと鳴り響く。
足音が近づき、ドアが開いた。
茶髪で薄化粧の女性。依頼主の名は砂原安菜という。専業主婦だ。
「今日も宜しく頼むわね」
「はい、任せて下さい」
愛想よく答えた。人に好感を与える。
久慈には到底真似できない。
安菜は動物好きで外に大型犬を二匹、室内に小型犬を三匹を飼っている。
元々、犬の散歩を夫とやっていた。昨日の朝から出張に行っており、それを一人で熟した。しかし、想像以上に大変だった為、助けを求め、陰陽屋に電話をかけた。
依頼は至って簡単な大型犬の散歩。今日で二日目だ。
小型犬の方は依頼主が自ら散歩に連れて行っている。
「モモ、ピピ」
虹が呼ぶと尻尾を振って寄って来る。ラブラドールの黒色がモモ。薄茶色がピピ。
「よしよし」
「キャン」
「バウ」
「くすぐったいよ」
手をぺろぺろ舐めた。どちらも人懐っこい。
首輪にリードをつけ、安菜に「行ってらっしゃい」と見送られた。
散歩が嬉しいのかモモは走り、少女が引っ張られる。
「速い。待って」
その所為で久慈も急ぐ。ピピは横をキープする。
「お前、昨日も同じ状況じゃなかったか」
どんどん引っ張られていく様子が鮮明に思い出せる。
「止まってぇー!」
自分の事で手一杯なようだ。感情が目まぐるしく変わる、彼女のそばだと退屈しない。
リードを掴み、後ろに引く。黒いラブラドールの進行を止めた。
「はぁ、止まった……」
「俺は昨日も今日も、お前を助けた。この貸しはいつか返せ」
「いつかね」
弾んだ息を整える。
「ゆっくり行こう。モモ」
「キャン。キャン」
ありふれた街並みの中を歩き、散歩は時間をかけて、三十分くらいやった。
そして依頼が終わり、見ていなくても安菜は分かるようで、働きぶりに満足した。
「今日の依頼は全部終わったね。明日も宜しく久慈」
「いちいち言う必要があるのか」
「言う必要があるから言っているの」
感謝、謝罪を必ず伝える。言葉でしか伝わらない事があると教えてくれた。
久慈はそんな所を結構気に入っている。
彼女の話に耳を傾け、仲良く肩を並べて家に帰った。
雨が急に降った日、空を飛んでいた。濡れた翼では飛びにくく、案の定枝にぶつかった。
雨宿り中の少女が助けてくれた。親切にドライヤーで、羽毛を乾かしてくれた。
その日から少女の事が忘れられず、恩返しをしたいと考えた。何をしようか迷って閃く。
飛び回って蚯蚓を集めた。自分が好きなものをあげれば喜ぶ。しかし、予想は外れた。
どうやら困らせてしまったようだ。失敗だった。今度は喜んで欲しい。
今まで自分には名前がなかった。つけて貰えたのは初めてだ。
清々しい朝の大空を雀が翼をはためかせ、移動していた。
仔遊は美味しい木の実がなる場所を知っている。
そこは森で草木が生い茂り緑が豊かだ。
枝に留まった。木の実を一つ食べる。甘酸っぱい。




