蛇と蛙
「えっ、いいの」
遠慮がちに聞き返す。
「はい」
ソファーでうつ伏せになって貰った。
祖父の肩叩きぐらいしかやった覚えはない。痛みを治せる自信がある。
マッサージの真似をして痛む箇所を尋ねた。
声には出せないので心中で言う。
(陽力よ。我に力を貸し給え。彼の者に癒しを齎せ)
手が暖かな黄色い光を帯びる。痛む箇所に光を当て続けた。
「どうですか」
「あら、不思議と楽になったわ。痛みも消えてる。貴方のマッサージは凄いのね」
起き上がって目を見張り驚く。
実の所、マッサージ事態は無効果で微塵も凄くない。陽力の癒しの力が感嘆に値する。
先程から久慈は責める視線を送って無言。
理由は人前で術を使う行いを好ましくないと考えているからだ。
陰陽道の術は奇跡にも思われ、逆に恐怖を感じさせる。一番誰かの欲により悪用される事を懸念していた。
智恵には見られても気づかれてもいない。許して欲しい。
反論の視線を送り、俺が間違ってるのかと睨まれた。現状況は彼が優位に立つ蛇で、少女が劣性に置かれた蛙だ。
あえなく目線を逸らす。うぅー。久慈の意地悪、意地悪!
既に負けが確定。怖すぎる。
「腰を治してくれた分も、依頼料に加算するわね。治してくれてどうも有り難う。これで普段通りに暮らせる」
「いえ、好意でしただけですから、依頼料を加算だなんてと……」
「有り難く頂戴します」
言葉を掻き消された。頂戴する気満々だ。
「機会に恵まれたら必ず頼むわ。今度はぜひお店も見てみたい」
「そう仰って頂けると嬉しいです」
また一人、詞蔵陰陽屋をよく思う人が増えた。
駆け出しで失敗もしたが、不慣れでも自分なりに精一杯やった。もっと頑張りが必要だ。
今日の仕事は終わった。何日もフリーな日を経験して、暇で死にそうな時があった。
明日の予定に依頼が入っている、事実に感謝しなければ――。
「あの婆さん、まあまあ気前がいいな」
封筒から紙幣を少し出し久慈が言った。ゼロが四つある。疑いようもなく一万円だ。
何でも依頼は三千円から。幽霊お祓い依頼は五万円から。妖絡みの依頼は十万円から。
そもそも何でも依頼はなかった。人々の目的が種々雑多の用事ばかりだった為、新しく作って今に至る。
生活するお金を稼ぐ必要がある。それに依頼主の要求に応えたい。その所為で何でも屋じみてしまった。
全ての料金を設定したのは久慈だ。高すぎだと抗議しても『商売は儲けてこそ意味がある』と取り合ってくれず、引き下げを諦めた。
「ゴミ出しと偽のマッサージをやっただけなのに、一万円も頂いて智恵さんに大変申し訳ない」
「依頼は問題なく熟した。確かにお前のマッサージは嘘だが、陽力で癒し治した事実は本当だ。貰える金は貰っておけ」
封筒を渡され懐に仕舞う。お金には感謝の気持ちが籠もっている。
「有り難うの気持ちを忘れず使えばいいよね」
微笑んで見据えた。外方を向いてしまう。
「久慈、前――」
危険を知らせる声が間に合わなかった。
ゴォン!不注意で頭を電信柱にぶつけた音だ。
「……邪魔な電柱だ。斬る」
殺気立って妖刀を手の平から引き抜くように取り出す。
刀身は黒色で不透明に近い。黒水晶と呼ばれる所以は見た目と他にある。
幸い人気がなく目に入れた者はいない。恐怖を与える光景だった。
「ダメ!電柱は電線を支えているの」
「俺が知った事か」
「絶対ダメ!!」
手首を握って止めた。
「離せ」
首を左右に振る。あからさまな舌打ちが聞こえた。
めげそうになって暫くこの状況が続き、黒水晶を体内に戻し虹の手を振り払った。
「見せて」
久慈は無視して大股に進む。
小走りで前方に立ち塞がる。
「どけ」
「見せてくれるまでどかない」
人形をとり実体化する故、怪我を負い、病気になる。治りは早い。一日あれば回復し、食事は香味や刺激を得る嗜好品みたいなもの。食べなくても全然平気だ。
行き成り屈み、顔が間近になった。とっさに体を引く。美麗な顔は心臓に悪い。
「早くしろ」
「あ、うん」
血は滲んでいない。頭を触ると膨れ上がっていた。
「痛い?」
「別に」
「帰ったら氷で冷やそう」
「冷やさなくていい」
頬が赤い不機嫌顔。
「今日はそんなに暑いかな」
「はあ?」
「だって顔が赤い」
おでこを指先で弾かれ押さえる。訳が分からず久慈が一層不機嫌になった。
少女は振り返り、特に怒らせるような事を言った覚えはない。とりあえず機嫌を直すまで放っておこう。
この道は昔ながらの店が軒を連ねる商店街だ。八百屋、魚屋、肉屋。駄菓子屋、雑貨屋、本屋など。
食べ物の店が多く、食べ歩きもできる。
休日は人が集まりにぎやかである。夏には祭りが開催され、所狭しと露店が並ぶ。
五歳の頃、印西と夏祭りに来て迷子になった。捜しても見つからず、心細く道端にうずくまり泣いた。
何故か久慈に発見され、手荒な手の引き方だったが、祖父の所へ連れて行ってくれた。
過去にどうして捜しに現れたか尋ねた。
答えは、『印西がお前を捜せと念で伝えてきた。嫌々動く羽目になった。俺に余分な迷惑かけやがって』と仕方なくだ。
因みに念は声を用いず心中の思い、考えを他者へ伝達する。距離を隔てての会話は難易度が高い。離れた相手の意識を捉え、尚且つ伝え届けるからだ。
通りがかる瞬間、和菓子屋で買い物中の男が偶然おり、大きな声を発し告げた。
「桜餅と草餅を三つずつ下さい」
「お好きなんですか」
にこやかな顔で店員が尋ねた。
「娘の好物なんです」
年輩の男性は哀愁を漂わせる。
その近くに、
「もう桜餅と草餅ばっかりでうんざりよ」
ショートヘアの年若い女性が怒り腕を組む。