5.水戸の隠居
翌日、いつものように竹三郎は、乗平のところに足を運んだ。
乗平は、同学の士とはいえ、御三家の分家筋、将軍家の親戚衆である。乗平の血筋は遡れば、神君家康にたどり着く。そのため、他の家康公の子孫ではない松平家のものよりも幕府から優遇されていた。
それゆえに、竹三郎は天領と御三家や他家の領地のいざこざについて乗平に話すことはなかった。
公私の区別がなくなれば、同学の士とはいえまい。とはいえ、代官所での日々の生活のことは面白おかしく乗平に話した。2人が話をしていると、美雪も自然と混じってくる。
「水戸の徳川光圀公は名君と名高いが」
竹三郎が天領の窮状を訴えるべき名君はいないものかとぼやくと、美雪がにやりと笑う。
「水戸のおじじのところから逃げ出す農民は多いと聞くがな。学問のために農民に負担を強いる君主を名君というのかの」
乗平は苦笑いする。
竹三郎は、美雪のことを尋ねなかったが、御三家の当主であった徳川光圀公をおじじと呼んでも誰も咎めることが出来ぬやんごとなき身分ではあるらしい。水戸藩では、光圀が始めた『大日本史』の編纂で藩の財政が傾いているという噂を評定所で耳にしたことがある。
「美雪殿は賢すぎてな、嫁の貰い手が逃げるのだ」
乗平は軽口を叩く。
江戸時代になると凡庸な君主が増えた。戦国時代は才なきものを淘汰した時代であった。
領地経営の才覚がなき領主は下剋上にあうか、他家に滅ぼされた。織田信長も秀吉も領地経営の才覚のあるものを取り立てた。その反動で、家康は銭を嫌ったのであろう。戦国時代の始まりは応仁の乱である。蓄財のため、日野富子が敵も味方も区別なく両陣営に高利で銭を貸し付けたことで、戦が長引いた。
上杉謙信は塩を売り、武田信玄は金山を採掘した。信長や秀吉は、商業を盛んにし蓄財をした。信長の父親は、熱田港の経営で多額の蓄財をしていたから、銭もうけが得意な一族だったのかもしれない。
家康が目指した100年続く太平の世は、銭を軽んじさせ、武士に金儲けをさせぬ世を作る事であった。最も、家康が幕府の思想の中心とした儒学も中国の戦国時代の教えである。
銭がなければ、戦は出来ない。戦が出来ないだけではなく、領地の経営も出来ない。そのため、銭儲けを推奨はしていないが、孔子は禁止も出来なかった。
竹三郎は、そのことに直感的に気付いていた。というより、幕府の御用学者である朱子学者以外は儒学の矛盾に気付いていた。そうした矛盾を批判して、赤穂藩に配流されたのが、軍学者でもある山鹿素行である。
男が凡庸になれば、美雪のような賢い女性は避けられるのだろうと竹三郎は思った。
美雪は紅色の鮮やかな着物を好み、気さくに竹三郎に話しかけてくる。
美雪の言葉は、学問の知識があるわけではないが、高い教養が感じられたし、何より天性の才覚であろう。言葉の1つ1つが軽口のようで、するどく世の矛盾をついていた。
そして、美雪は乗平のところを訪れると、必ず竹三郎に饅頭等の土産に持たせてくれた。
「お気持ちはありがたいのですが、薄俸の身ですからお礼が出来ません。礼が出来ぬものを受け取るのは気が引けるのです」
土産を竹三郎が固辞すると、
「ならば、一度、天領を見せてくれればよい。屋敷から出られぬゆえ退屈をしていたのじゃ」
乗平を見ると、首を大きく横に振っている。
「美雪殿に何かあれば、乗平殿が切腹させられるのではありませんか」
美雪は拗ねた顔をすると、乗平をちらりと見る。
「花は桜。桜は散り際が美しい。武士も桜も同じではないか」
「美雪殿の冗談は笑えませんよ。美雪殿のわがままにつき合わされて、腹を切って死にません。そんな犬死できるか」
乗平が美雪を睨みつける。竹三郎は思わずふき出し、土産を貰って帰ることにした。
竹三郎は、陣屋に帰ると6つある饅頭を同心達に1つずつ、繭に1つ渡す。
繭は、生まれてはじめて饅頭を食べたらしく、目を丸くして喜んでいた。
竹三郎は、代官になってから麦飯や雑穀を食べることに慣れてきていた。
魚を捕まえに御三家との境にある川に行くと御三家の奉行が竹三郎に声をかける。
「鈴木殿が捕まえる分は黙認できますが、それを見て、領民が真似をすれば御三家と天領の争いになりますぞ」
竹三郎は、魚を捕まえるのを諦めた。代官というのは、不便な身である。最近、団栗の灰汁抜きの方法まで覚えてしまった。
拾ってきた団栗を水につける。虫に食べられたものは軽いので浮いてくる。
それから、団栗を水にさらし、渋みを取り、茹でて団子にする。
一度、乗平と美雪に持っていったことがあるが、乗平は、「顔回の味がする」と極貧生活を送った孔子の弟子の名を出した。
「これはこれで面白い味じゃな」
美雪は、団栗団子を食べきった。
竹三郎は、水梨に赴任して以来、ずっと古い記録を読み続けている。
繭には、古着ではあるが、町に行き、それなりの着物を二着ほど買い与えた。
一着は仕事用に、一着は外着に使えばいい。
「吾郎のところに顔を見せてやると良い」
着物に着替えて嬉しそうにしている繭に言ったが、
「じじ様からは、鈴木様のお手付きになるまで帰って来るなと言われていますから」
「そうですか」
竹三郎は、繭を帰省させるのを諦めた。そのうち、繭も顔を見せに行くであろう。
繭も陣屋の仕事に慣れてくると、打ち解けて竹三郎達と話すようになっていた。
繭は、生まれてから一度も白米を食べたことがないという。
「祭りの日にもですか」
水梨の天領にも、村の鎮守がある。収穫祭りでは、農村でも白米を出すと江戸にいた頃、聞いたことがある。
竹三郎の給金は、幕府から支払われる。150石とはいえ、領地があり、そこからの年貢で生活している。こうした旗本の領地は、名誉職としての領地のため、高禄の旗本も領地に行くことはない。150石程度の領地なら、まとめて幕府が経営しているので、ここからここまでが竹三郎の領地と決まっているわけではない。
石高のおよそ半分、70石程度の給金が竹三郎には支払われている。
竹三郎の石高であれば、水梨でも米を買って食べることは出来る。勘定奉行支配の元勘定方、前評定所留役、1万4千石の代官の竹三郎が米すら食べられない経済状態なら幕府はすでに財政破綻しているであろう。
竹三郎が陣屋で雑穀を食べるのは、慣例である。代官は裕福ではない。裕福ではないから、徒目付や勘定方を同輩の旗本達はやりたがるのだ。
庶民達の評判も代官は悪い。年貢を集める責任者ゆえ、嫌われて当然であろう。
江戸幕府は、旗本や御家人達だけでは運営できない。運営できないから、町民や農民から岡っ引きや代官所の役人を雇う。雇うと言っても、まともな給金を支払えないから賄賂を要求したり、代官所の口米を多めに取ろうとする。
水梨の代官は代々、潔癖な人物が多かったらしく、口米も最低限にしていた。幕府も、御三家や他家と領地が近接する水梨の代官には清廉な人物しか送らなかった。御三家とのもめ事を避けたかったからである。
竹三郎は、繭に白米の飯を食べさせてやりたいと思った。繭だけではなく、領民にも祭りの日ぐらいは、白米を食べさせてあげたいと思った。
小さな川には鰻や鯰がいる。雀も食べることが出来る。竹三郎は、乗平から借りた貴重な書物で学び、領内の食べられそうなものは、領民達と食べることにした。




