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悪代官は憂鬱、江戸時代のブラック中間管理職  作者: 林和志
1章 代官への栄転
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4.美雪と繭 

 さて、いつものように竹三郎が、松平家の屋敷にやってくると、艶やかな紅色に花模様の艶やかな着物姿の女性がいた。年の頃は、20歳前後であろうか。うりざね顔だが、薄く白粉と鮮やかな紅を唇にひいていた。衣服からかなり高い身分と思われたが、気さくに話しかけてきた。

 「お主は松平のものか?」

 竹三郎は静かに首を振る。

「いえ、学問所で乗平殿と同門の鈴木竹三郎。今は水梨の代官をやっております」

 それを聞くと、乗平のように実に愉快そうに無邪気に笑った。

 「イナゴを食うたり、甘藷を探しておる変人とはそなたのことか」

 「美雪殿、失礼ですぞ」

 乗平がやってくると美雪と呼ばれた若い女性に注意する。

 「乗平殿か、そなたも無礼な奴じゃ。もっと、妾を敬ってもよいと思うのだがな」

 「竹三郎殿、気にしないでくれ。美雪殿も我らと同じ、厄介者でな。当家で預かっておるのだ」

 「厄介者とは何事であるか。そなたの父にそっくりじゃ。無礼じゃぞ」

 美雪は口をとがらせて抗議する。 

乗平は、竹三郎に頼まれていた書物を渡した。

 「今日は話していかぬのか」

 竹三郎は、興味深そうに彼の顔を見ている美雪に会釈をすると、

 「また、今度にしましょう」

 書物を借りた礼を乗平に告げると、陣屋に帰っていくのであった。

 「楽しそうなお方じゃ」

 美雪は竹三郎が立ち去ったあと、乗平に告げた。

 竹三郎は、水梨への帰り道、食糧の事を考えていた。

 近隣の野山には山菜もキノコもある。川には魚がいる。ただ、天領内の野山は御三家の鷹狩場に使われるため、農民が立ち入ることは許されていない。

 川も治水や既得権化した漁業権がある。そして、川は天領、他家の領地、御三家の領地の境にあるため、魚を捕まえて食すのも難しい。

 竹三郎は幕府の徒目付格の代官であったし、評定所留役でもあったから、他藩でも家老や奉行が面談してくれるのだが、

 「川で農民に漁をさせると、他の村との争いの火種になりますので、ご容赦願いたい」

 水梨の農民達の食を確保しようにも、その手段がなかった。

 年貢用の米は別にしても、麦や蕎麦、雑穀類を植えれば食べ物は作れるはずである。しかし、雑穀を植えるための土地が水梨にはもうないのだ。ほとんどの土地を開墾しつくしていた。土地がないのだ。どうしろというのだ。

 竹三郎も、陣屋の周辺を耕して、自給自足に近い生活を行っていた。

 そんなある日、下働きの老人の吾郎が孫娘を連れてきた。

 自分も年を取ったので、代わりに住み込みで雇って欲しいという。ボロボロの着物らしき端切れを着ているが、それが娘の一張羅なのだろう。吾郎の孫娘は、美雪よりも少し幼く見える。

 「私は下級武士ですから、料理も掃除も自分で出来ます。私がいうのも何ですが、妙齢の女性を下働きに出すと悪い虫がつきますよ。もっとも、この場合の悪い虫は代官の私なんですが」

吾郎の孫娘は、繭と言うのだが、繭はそれでもかまわないと言った。繭の両親は早くに亡くなり、身寄りは吾郎だけだと吾郎が説明する。

 「お代官様のお手付きになるなら、その方が繭も幸せになれると思いますので」

 竹三郎は頭を抱える。

 毎月、はした金とはいえ給金をくれる職場は少なかったし、口減らしに売られるよりはましだと繭が竹三郎に熱心に頼む。

 「天領に、人買いが来るんですか?」

 竹三郎が驚いて、羽田に確認をすると、

 「人買いは罪になりますから、奉公人の斡旋という形で黙認しておる状態でして、何分、貧しいですから」

 「そうですか、書物だけ読んでいてはわからぬことも多いのですね」

 竹三郎は額に皺を寄せると、

 「わかりました。たいした給金は払えませんが、出来る限りのことをします」

 繭を雇い入れると、竹三郎は、吾郎に一分金を渡した。

 「せめて1両を差し上げられれば良いのですが」

 申し訳なさそうに頭を下げる竹三郎に、吾郎は涙を流して土下座した。

 「もったいない。お代官様、どうか繭のことを頼みます」

 竹三郎は頷く。

「せっかくゆえ、吾郎も繭も陣屋の風呂に入れてあげたいのだが」

 天領の近くには山がある。山に入れば、薪は取れるが御三家の鷹狩場である。山に入れば、死罪になる。薪にする木も買わねばならないのだ。

 竹三郎は、吾郎と繭を陣屋で待たせると、町まで薪を買いに行った。

 陣屋では、週に3回、竹三郎は同心達と交替で風呂に入っていた。

寺院発祥の蒸し風呂は、江戸時代には湯船に入る風呂となり、江戸には銭湯が出来た。江戸の銭湯は、この時代には庶民も入ることが出来るほどに普及していた。天領近くの中山道沿いにある本陣等には、参勤交代の大名や公用で本陣を使う幕府の武士達が入る風呂があった。

 本陣の使用料は幕臣は後払いである。本陣から勘定奉行宛に代金を請求してもらうのだ。代官に左遷された竹三郎が、風呂付の本陣に宿泊することを勘定奉行も咎めなかった。

 勘定奉行の側近であり、老中直属である勘定吟味役の牧高に、水梨への赴任に際し、本陣を使ってよいか尋ねると、

 「何を聞くかと思えば。お主は罪人ではない。公用で代官に赴任するのだ。堂々と本陣を使えばよい。鈴木は学者頭が治れば吟味役も任せられるのだが」

そう言って、竹三郎を送り出してくれた。

 「代官に薪を背負わせるのは」

同心の竹中が竹三郎に同行してくれた。それから、町で薪を買うと半分ずつ、竹三郎と竹中が背負い、陣屋に戻る。

道中、竹中は、躊躇しながらも竹三郎に尋ねた。

 「繭というのは幕府の密偵ではありませんか」

 「そんなお金は、今の幕府にはありませんよ。密偵はいますが、大国にしか派遣していません。天領に密偵を派遣する無駄な予算があるなら、人件費に回して欲しいですよ」

 「竹三郎様は、勘定方出身でしたね」

 「左遷されましたけどね」

竹三郎は自嘲気味に笑う。陣屋に着くと、

 「せっかくだから、吾郎も風呂に入っていくといいですよ」

 竹三郎が井戸から水を汲んで風呂桶に運び始めると、吾郎は顔を青くするが、同心の竹中や羽田達も一緒に水を汲み風呂桶に運んだ。そして、風呂桶に水がたまると、竹三郎は湯を沸かそうとするが、

 「面目ない。風呂はどうやって焚くかわかりますか」

 同心達も首をかしげる。

 吾郎に焚き方を教えてもらい。

「世の中は書物にないことばかりですね」

薪に火が付くと、吾郎から竹筒を受け取り、竹三郎が湯の番を代わる。

 吾郎が恐縮しつつも、感激して湯に入る。

 「極楽でございました。陣屋で10人のお代官様のお世話をしましたが、お代官自らが湯を沸かしてくださったのは、はじめてでございます。良い思い出が出来ました」

 上気させた顔で吾郎がしみじみと言った。

 「残り湯で申し訳ないが」

 竹三郎は、ボロを着た繭も湯に入れる。

 「身体は、ぬか袋で洗ってください」

 湯の番をしながら、竹三郎が繭に伝える。

 繭が湯から上がると、同心達を湯に入れ、最後に竹三郎が湯に入る。

 湯上りの繭の顔を眺め、古着の着物を買ってあげなければなと財布の中の金子の額を確かめた。

 竹三郎が、赴任してきたばかりの頃、同心達は竹三郎より先に湯に入るのを嫌がった。

 「大名家じゃないですから」

 後の方になれば、湯は汚れる。入る順番を交替にすれば、全員が交替で綺麗な湯に入ることが出来る。

 「代官が交替されたときに、問題になりませんか」

 羽田が心配したが、

 「左遷ですから、しばらく交替はないと思いますよ」

 竹三郎は愉快そうに笑った。

 儒教の経典の『礼記』等には、儀礼や食事の順番等が書かれていた。書かれてはいたが、お風呂に入る順番は書かれていない。

 『論語』には、孔子が膾を食す逸話や干し肉の逸話が出てくるが、仏教伝来後の日本では干し肉を食べる文化がなかった。

 「根拠となる典拠がないのであれば、文句を言うのはおかしい」

 竹三郎は、ある意味では社会不適応者であろう。しかし、それを林大学頭が学究の徒と可愛がった。幕閣ですら竹三郎の学才を評価していた。老中の堀田は、朝廷との交渉でも、空気を読まずに公家衆相手に「典拠なき事を言われるのであれば、良き先例となる道理が肝要でござろう」と断言する竹三郎を東の田舎侍と小馬鹿にしてくる摂関家相手に重宝していた。朝廷の公家衆に無理難題を吹っ掛けられることが多い高家の中には、竹三郎を学者として士官させたいと考えるものさえいた。

 「幕臣ではなく大学頭の養子にして、いっそ学者として仕えさせてはどうかとか、寛永寺の貫主、法親王殿下である輪王寺宮様の弟子として出家させてはどうか」

 老中の中にも竹三郎の才を惜しむものは多かった。

 吾郎は風呂から出ると、何度も頭を下げて、繭の事を竹三郎に頼み帰っていった。残された、繭は陣屋に住み込みで働くことになった。

 同心の羽田達には妻子がいたが、婚約者に捨てられた竹三郎は独り身である。

 「男女七歳にして席をと言いますから」

 竹三郎は繭に話しかける。

 「どういう意味ですか」

 きょとんとした顔をして繭が尋ねる。

 「わかりやすく説明すると、住み込みで働くと、私に襲われるから危ないよという意味です」

 「あの、私で良かったら、お手付きにしてもらえたら嬉しいです」

同心達と食事を取っている竹三郎に、繭が答える。

深刻そうな顔で羽田の顔を竹三郎は見つめた。

 「娘が、お手付きになることを望むほど貧しい天領というのは道理に合うのでしょうか」

 「その問いに幕臣である我々が、答えることは出来ません」

 羽田が言葉を濁した。

 こうして、繭は竹三郎と陣屋で一緒に生活することになったのである


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