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悪代官は憂鬱、江戸時代のブラック中間管理職  作者: 林和志
1章 代官への栄転
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3.竹三郎の疑念

 竹三郎は赴任してきてすぐに、一つの疑問を抱いた。疑問を抱いたが証拠がない。


 証拠がなければ、竹三郎の推論は妄想でしかない。

 推論を証明する証拠を得るために、竹三郎は愚直に領内を回り、古い記録を読み漁った。

 羽田や同心達も竹三郎と同じことに気付いていたが、代官である竹三郎に告げることは憚られた。おそらく佐藤や他の代官達も竹三郎と同じ疑問を抱いていたはずである。


 領内を回っても、領民たちは代官である竹三郎に敵意を見せなかった。代官は、好かれてはいないが、嫌われてもいない。そして、皆、一様に飢えている。血色が悪く、老けて見える。水梨の領民は貧しいのだ。水梨は、大平野の一部である。米も取れる。これが東北や山国なら、農民が貧しい理由も理解できる。日の本でも有数の米の産地で、農民が飢えているのが異常なのだ。

 

 水梨の天領は、御三家の直轄領、譜代大名の領地が入り組んだ場所にある。天領は広大な農地しかないが、直轄領に行けば市もあれば、商家もある。

 甘藷は、薩摩藩で栽培されているというが、入手する伝手がない。江戸で見たことがない作物が、御三家の直轄領で売られているとは思えなかった。


 江戸にいた頃は、竹三郎にも金銭的な余裕があり貝原益軒の健康本である『養生訓』や駿河の高名な禅僧である白隠の健康本である『夜船閑話』等も読んでいたが、書物は高価である。高価ゆえに貸本屋が江戸時代に発達した。

 

 林大学頭が可愛がってくれたおかげで、林家や学問所の蔵書を自由に読むことが出来たが、水梨の陣屋には読むべき書物がない。御三家であれば、かなりの蔵書を持っているであろうが、150石の代官ごときが頼んでも閲覧を許してくれるとは思えなかった。

 林家も代替わりをしていたが、竹三郎は師恩を重んじ、林家の現当主にも挨拶をかかさなかった。そのため、竹三郎が引き受け手のいない水梨の代官に赴任したことを当代の林大学頭も案じていた。


 水梨に着いて幾日かした頃、江戸から便りが届いた。林大学頭からである。便りには、先代の門弟が御三家の分家の三男であり、江戸遊学を終えて国元に戻っているから、紹介状を出しておいたから一度、松平乗平殿を訪ねるようにと書いてあった。先代の門弟である自分のことを案じてくれる大学頭に感謝しつつ、竹三郎は松平乗平に訪問をする旨の書状を書いた。書状を書いたが、松平家に届けに行くものがいない。まさか吾郎に届けさせるわけにもいかぬ。けれど、日々、激務の同心達を使いにやるのもしのびなく、自分で松平家の屋敷まで書状を届けることにしたのである。

 

 幸いにも、松平家の屋敷は水梨の近くの領主であったから、歩いて行ける距離にあった。松平乗平は、御三家の領内に領地を持つ親戚衆の領主である。

 

 翌日は、晴天だった。空が青い。絶好の散歩日和と竹筒に水を入れ、書状を懐に松平家の屋敷まで歩いていくことにした。

 汗をかきつつも、松平家に到着した竹三郎が、乗平に書状を取り次いで欲しい旨を伝えると門番は怪訝な顔をした。江戸で同門の水梨の代官と伝えると、中に取り次いでくれた。

幸いにも、乗平は屋敷にいたので、中に入ることが出来た。

 来訪したい旨の書状を自ら届けに来たという話を聞くと乗平は腹を抱えて愉快そうに笑った。

 「大学頭様から噂は聞いていたが、変わり者でござるな。鈴木殿も拙者も同じ厄介者なれば、同門の士、仲良くしてくだされ」

 「いやこれは失礼」と詫びつつも、乗平は笑い顔で話を続ける。

 松平乗平は、1万4千石の領主の三男で竹三郎より少し若い。

 「城にある本をお借りしたいのですが」

 よほど可笑しかったらしく、吹き出しそうな顔をして乗平は応じる。

 「当家のものは、学問所のように多くはござらぬが、ご自由にお読みくだされ。城の書物は、拙者が借りてこよう」

 竹三郎は、本草学の書物と甘藷に関する書物、測量の書物を頼むと乗平に見送られ、松平の屋敷を出た。1万4千石の松平家の家臣数は100人弱である。この100人に中間を加えると200名程度であろう。

 代官所では、口米から手当てを支払い農民や町民を同心の配下に加えることも出来たが、不正や横領の元凶になるので、水梨の代官所では幕府直属の同心だけで仕事をしていた。

 鈴木は領内を見回り、記録を調べる。争いごとや事件が起これば、いちいち、幕府のお伺いで裁く必要があった。奉行や郡代と違い、代官は大きな事件の裁判の決定権はない。

 

 「水梨の代官所の裁きの認可も評定所でござるが、永井様、鈴木から大量の訴状伺いが届かぬとよいですな。鈴木は規則に忠実な男ですからな」

 勘定奉行の坂口は、それほど正義感の強い男ではない。それでも、自分の部下を左遷され面子を潰されたことは愉快に思っていなかったので、永井に嫌味を言った。

 「伺いがこれば、吟味はする」

 永井がそう答えると同席していた三奉行は、「永井殿は決済をしたことがないであろうに」と思ったが口には出さず、評定を続ける。

 「大学殿が気に入るだけあって、なかなかに博識な男であったが、留役から外したのか」

 珍しく評定所に顔を出した月番老中の堀田が、一言呟いた。

 「戻した方がよろしいのでしたら、すぐに戻させますが」

 堀田の顔色を窺うように、永井が尋ねる。

 「いや、一度決めた人事を変えぬ方がよい。すぐに呼び戻すのであろう」

 「ご老中のご高配、鈴木に代わり御礼を申し上げます」

 坂口が堀田に礼を言う。永井は忌々しそうな顔をしているが坂口は無視をした。

 

 その頃、水梨の竹三郎は、陣屋で記録を読み漁っていた。そんな竹三郎にとって、書物を借り、学問を語り合うことが出来る乗平に会いに行くことは大きな楽しみであった。

 乗平は部屋住みである。部屋住みとは居候である。部屋住みとはいえ、将軍家の親戚衆の松平家同士で養子に行くことが多い。三男とはいえ優秀な乗平は他藩の藩主になる可能性が高かった。それゆえ、貧乏旗本や大名の三男、四男よりは大切に扱われていたのである。

 学問所では、旗本と区別せずに教えて欲しいという乗平の父の態度に先代の林大学頭は感服し、乗平を特別扱いしなかったし、「部屋住みは無役でござる」と乗平も旗本の子弟らと親しく接していた。

 家康の在命中はともかく、現在の藩主は江戸生まれ、江戸育ちのものばかりである。幕府も参勤交代は財政的に大変であろうと、参勤交代の廃止を打ち出したことがある。けれど、外様大名達の反対にあい、参勤交代を制度化せざるを得なかったのである。

 大名達にとって心許せる友は、領内の家臣ではなく旗本達だった。

 乗平も同門のよしみと少禄旗本の竹三郎を屋敷に入れ、藩主の父は江戸在住であったから、家老には気を使いつつも自由に振る舞っていた。


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