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悪代官は憂鬱、江戸時代のブラック中間管理職  作者: 林和志
4章 再検地
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10.養蚕を

 「忍べよ」

 徳川中納言は、そう言って個人的に養蚕をはじめるためのお金を少々、貸してくれた。

 美雪の伝手で、蚕を買うと水梨の領内に桑を植えた。

 吾郎も、自分がお役に立てるならと、水梨の農民達に養蚕のやり方を教えた。

 蚕を飼うだけなら、徳川中納言に頼る必要はなかった。竹三郎は、小さな製糸小屋を陣屋の近所に立てた。繭の生産を天領全体で行い、生糸にまで加工することで、付加価値をつけ収入を増やす。

 素人が作った生糸など、買い叩かれそうなものだが、京の西陣の豪商が美雪の着物を仕立ててくれた。絹は貴重である。この時代、絹の輸入で幕府の財政赤字が増大していたから、水梨の天領で作られた絹は、高額で取引された。

 「いっそ、米作りを止めて、養蚕だけをやった方が儲かるのではないのか」

 美雪の提案に竹三郎は顔を曇らす。

 「米が採れる田んぼは、米以外を作れない決まりがあるんです」

家康が目指したのは、米社会である。米が幕府の収入であったから、儲かる作物があっても転作することは禁止されていた。

桑を植えることが出来るのは、米を作れない川の辺や荒れ地ばかりだった。

それでも、しばらくすると水梨産の生糸で着物が何着か作れる程度には桑も蚕も製糸小屋も作ることが出来た。

 竹三郎は、商品としてすぐにでも売りたいと思ったが、美雪に止められた。

 「邪魔をされぬようにするのじゃ」

 美雪は水梨産の反物を上様と大奥に届けさせた。

 将軍は、反物に添えられた書状を読むと微笑んだ。

 「伯母上もお元気そうでなによりじゃ」

 老中の堀田は、

 「左様でございます」

 相槌を打ちつつも、田舎住まいのご落胤が余計なことをと忌々しく思った。

 「生糸に税をかけてきませんかね」

 竹三郎が乗平の屋敷で美雪に相談すると、

 「そんな勇気は幕閣にはないであろうな」

 可笑しそうに笑った。

 「上様に献上してあるからな。あれは幕閣への脅しじゃ」

 「美雪殿は悪人ですね」

 「そなたも領民のために、悪知恵を持たねばな」

 竹三郎は美雪に諭される。

 「そうだ。陣屋で働いている女子がいたであろう。妾の着物をやろうか」

 「繭にですか。美雪殿の着物は高価すぎて農民は着られませんよ」

 「妾が与えたものに、文句を言えるものもおらんと思うが。だったら、竹三郎が買ってやるのだな」

 竹三郎が無言になる。

 「竹三郎。お主、まんざらでもないようだな」

 美雪が愉快そうに笑った。

 竹三郎は、帰りに繭のために新しい小袖を買った。

 綿の小袖ぐらいであれば、買えるだけの余裕が出てきていた。

 繭は高価な贈り物に驚いたが、風呂に入ると小袖に着替えた。

 無邪気な顔で、竹三郎に帯を握らせ、

 「引っ張れば、帯をほどけますよ。お手付きにはしてくださらないのですか」

 上目遣いに繭は竹三郎をじっと見つめたが、竹三郎は静かに微笑むだけであった。

 それから、しばらくして、その年の収穫の検分が行われた。

 年貢の量は、変わらなかったが、収穫祭で白米を食べることが出来る程度には生糸の生産はお金になった。

 繭は嬉しそうに、白い飯をほお張っている。陣屋で竹三郎が同心達と食べる食事も、麦飯になり、白米に代わっていった。

 竹三郎は、絹を売ったお金で再検地を行う許可を勘定吟味役の牧高、勘定奉行の坂口、そして老中の堀田に求めた。

 「もう、再検地を認めればよかろう。美雪様のことで上様も水梨に興味を持っておられる。他の代官が鈴木の真似を出来るとは思えぬ」

 老中の堀田が、勘定奉行の坂口に言った。

閑なのか評定所に出席していた若年寄の永井が不服そうな顔をすると、堀田が睨みつける。

 「永井殿が代官に推薦したと聞くが、大奥では「水梨の代官は、若年寄の永井殿より気が利くようですわね」と評判でござる。美雪様を通じて西陣で加工させた上物の水梨の反物の献上があったのだ。少し自重されよ」

勘定奉行の坂口が堀田に相談する。

 「堀田様。再検地をした後、鈴木をどうされますか。江戸に戻すのか、それとも他の役を探すか」

 「江戸に戻さずに遠国奉行にしたいが、鈴木は加増しても石高が少なすぎる。小普請組頭はどうじゃ。250石に加増すれば良い」

小普請組とは無役の旗本や御家人の無役のものが属する。小普請組頭は、無役の旗本や御家人のいわば就職の斡旋をする仕事である。

 「鈴木から、今度は小普請組の雇用を大量に求められますぞ」

 「では、250石に加増して勘定吟味役にしてはどうか。牧高を佐渡奉行に昇進させ、その後釜にすればよかろう」

 「そのあたりが無難でしょう。ご老中の仰せの通りに」

 こうして、翌年の春を待たずに、竹三郎の勘定吟味役への昇進と水梨の再検地が決まった。

 その話を聞いた美雪は、一言、呟いた。

 「そうか、寂しくなるな」

 竹三郎は心配そうに美雪に声をかける。

 「美雪殿は、江戸には」

 「妾は、空を飛べぬ蝶じゃ」

 美雪は、「達者でな」と松平の屋敷に入っていった。

 淡い雪が降る中、同心達と繭の見送りを受け竹三郎は江戸に向かって中山道を旅立っていく。


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