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第三話

 千秋に蔵まで案内してもらう道中、千里はセンリという人間について尋ねた。

「センリ様を象徴する言葉として最も有名なのが、『万化の巫女』だ。……千変万化という言葉を知っているか?」

「えっと、色んなものに変化するって意味だよね」

「ああ。彼女は、その性質で多くの祓具を生み出したとされている。戦の影響で、現存しているのは先ほど見せた七つだけになってしまったが」

 そしてその祓具を、何故だか自分が扱えてしまうのだ、と千里は腕を組む。故に源太郎は千里を二代目だと認定したが、それにも彼女は首を捻るばかりだ。

「万化の性質っていうのは、今までセンリ様以外に持ってる人はいなかったの?」

「いない。物質の性質を変化させる、という能力であれば千冬が持っているが、祓具を作り出すような真似は不可能だ」

「そこちょっと気になったんだけど、私って祓具を使えはするけど自分で生み出すことはできないんじゃないかなって思うんだよね」

 なにせ、しがない大学受験生である。霊力やら何やらと言われてもピンと来ないし、これまで霊的な現象に遭遇したこともない。何かの偶然で祓具を扱えるだけの一般人という可能性を推している千里に、千秋は真顔で告げた。

「もしそうだとしても、お前が千春の式神の支配権を書き換えたことは事実だ。……千春は、歴代の古泉家の人間の中でも一、二を争う程霊力が高い。必然的に、お前は千春以上の能力を持っているということになる」

「と、言われてもなあ。むーたん、私ってむーたんに何か特別なことしたっけ?」

「むー?」

 千里の足元をとてとてと歩く紙のタヌキは、呑気な顔で主を見上げる。しかしむーたんには細かい言葉の意味は通じないらしく、気ままに散歩を楽しんでいた。

「千春なら、何か知っているかもしれないな。……あそこにいる」

 縁側に出た二人は、蔵の前に立つ千春を見つけた。彼は祓具の一つである団扇をじっと見つめていて、どうやらしばらくそうしていたらしい。千秋は縁の下に草履があると告げると、来た道を戻っていった。         

 有難く草履を借りると、蔵に続く飛び石を渡りながら千里は何と声をかけるべきかと考える。開口一番謝罪から入ってはまずいだろうかと頭を悩ませていると、足音に気づいた千春が振り返った。

「丁度よかった。君に聞きたいことがあったんだ」

「……何ですか?」

 そちらから話を振ってくれるとは有り難い、と千里は立ち止まる。質問に答えた後ならこちらから質問してもぶしつけにはあたらないだろうと彼女が問いを待っていると、千春は持っていた団扇を差し出した。

「これ、何て書いてあると思う?」

「……この、端の文字ですか?」

 千里から見て右端の、千春が掲げた団扇には薄墨色で何かが記されている。しかし千里はそれが文字だと判断するのが精いっぱいで、読めと言われても不可能だった。あまりにも達筆、あるいは乱筆すぎるのだ。だからこそ、彼女は先ほどこの団扇を手にした時にその文字に毛ほどの興味も抱かなかった。

「何でしょう。字間が詰まったのか、それとも元々こういう形の字なのか……」

「つまり、君には読めないってことだね?」

「はい、さっぱりです。もしかして万化の巫女なら読めなきゃおかしいものなんですか?」

 だとしたらやはり自分は巫女でも何でもないのではと千里が疑問を口にすると、千春は首を横に振る。

「ううん、俺の勘だと多分これはセンリ様の自署だと思うんだ。けど、書いた本人が読めないっていうのはちょっとおかしいかなって思って。……もしかしてと思っていたけど、やっぱり君は覚えていないんだね」

 そう話す千春の表情は、どこか寂しげだった。しかし、何故彼がそんな顔をするのかということより、千里は千春の発した言葉の方に意識を向ける。

「あの、その文字を私が書いた、とおっしゃいましたか?」

「うん、そうだよ。自分をセンリだと名乗った君が、俺の為に書いてくれた偽の署名さ」

「……すみません、話が全くわかりません」

 徹頭徹尾、千里には千春の言葉の意味が理解できなかった。怪訝な表情を浮かべる彼女に、千春はうーん、と小さく零す。

「そう、君が全く覚えていなかった時の為に、俺も考えていたんだ。ちょっと昔の話になるけど、いいかな?」

「はい」

 千春の提案に頷き、千里は話の続きを待つ。千春はぱたぱたと団扇を揺らしながら、空を見上げた。

「あれは、俺が5歳になる年の夏だった。千夏が生まれた次の日、七月七日の出来事だ。揺りかごで眠る弟の顔がやけに赤く見えて、子供心に俺は心配になったんだ。それで、なんとか涼しくしてあげられないかと頭を捻った」

 一息にそこまで説明すると、千春は自分に言い聞かせるように小さく頷く。

「そこで、当時の俺は閃いたんだ。古泉家に伝わる祓具、この団扇なら弟の顔の火照りも冷ませるんじゃないかって」

「なるほど、子供らしい発想ですね」

 同様に、千里も理解はできると頷いた。しかし問題は、千春が目を付けたのが事もあろうに家宝だったことだ。まさか何事もなく終わったなどというオチが待っているはずもないだろうと、千里は心して続きを待つ。

「蔵を開ける手順を覚えたばかりの俺は、無断で団扇を持ち出して……。弟が眠る部屋に向かう途中で、転んで地紙を破いてしまった。小さいながらに大変な事をしてしまったと思って、誰にも言えずに縁側で途方に暮れてたんだ。母さんたちが千夏の世話で忙しくしていたのはわかっていたからね」

「うう、想像するだけで心が痛いです」

 良かれと思ってしたことが裏目に出てしまうのは、大人や子供に関わらず誰にでも起こりうることだ。しかし破いてしまったという団扇が目の前にあるのはどういう事だろうと千里が視線で疑問を投げかけると、千春は話の続きを語る。

「けど、そこに突然知らない少女が現れた。彼女は縁側でしょぼくれている俺を見ると、どうかしたかと尋ねてきた。俺は自分の力で地紙を貼り直すことまでは出来たけれど、どうしても元通りにはできない部分があることを彼女に伝えた」

「元通りにできなかったもの?」

「この筆文字だよ。あいにく当時の俺はまだ簡単な字しかわからなかったし、そもそも字だと認識できなかったんだ。だから模様か何かかと思って、破れた地紙を隣に置いて必死に模写した。でも上手くいかなかったんだ」

 千春は、改めて団扇の右端を示した。字だとするならば非常に荒く、絵だとするならば何を表現しているのかわからない。確かに幼い子供には字だと認識するには難しい上に、真似して書くといっても至難の業だろうと千里は頷く。そんな彼女に、千春は不思議そうな顔をしながら告げた。

「そしたら、その少女は『私がやってあげる』と言って筆を取ったんだ。彼女は難しい顔をしながら筆を運んで、終わると自慢げに俺に見せてくれた。本物と見紛うくらいの出来に、俺は自然と尋ねていたんだ。『お姉ちゃんは、センリ様なの?』ってね」

「……」

 一瞬だけ、千里の思考にノイズが走る。それはすぐに消失したが、彼女の中に後遺症のような何かを残した。

 心が、ざわざわと波打っている。鼓動の高鳴りが耳元に響くような感覚の中、千里は黙って千春の言葉を聞くことしかできなかった。

「そうしたら、少女はこう言った。『おっとっと、バレてしまっては仕方ない。でも誰にも言わないでね』って。……今なら、あれが彼女なりの俺への気遣いだってことがわかる。彼女はセンリ様って誰だろうと思いつつ、幼子を安心させるために話に乗っかってくれたんだろう」

 少女がついた善意の嘘に、怒りや失望は無い。千春はそう話すと、穏やかな顔で零すように微笑む。

「それから俺は、兄弟たちにセンリ様の信者って言われるくらいにはセンリ様に憧れてた。何せ、俺のやらかしは今日まで家族の誰にもバレてないんだから。……外観を取り繕ったって、祓具に込められた霊力まではどうにもできない。でも、この団扇は今も祓具であり続けている。それは、あの時これに霊力が宿ったからだ。あの、偽の署名を、君が書いたあの瞬間から」

 耳鳴りが、した気がした。キィンという不愉快な感覚の後に、写真の一部を切りとったような映像が目まぐるしく脳内を駆けまわる。


『君、大丈夫?』

 それは、とある夏の日の出来事だった。友人と七夕祭りに向かう予定だった少女は、近所の公園で年に一度か二度しか袖を通さない浴衣を見下ろしながら、そわそわと友の訪れを待っていた。

 しかし、彼女を出迎えたのは友人ではなく突然の雨粒だった。予想外の天気に慌てた彼女は雨宿りをしようと急いだ結果、鉄棒に額を強打してしまう。

 痛みで悶絶する彼女が涙目になりながら顔を上げた時、そこは知らない場所だった。古い建物の裏手だということ以外、目立つものは何もない。青々とした木々に囲まれ、少し開けた場所には家庭菜園があるが、少女には見覚えのない場所だった。

 公園にいなかったっけ、と少女は不思議に思いながら辺りを散策しはじめる。するとかすかに鼻をすするような音が聞こえ、彼女は気配を感じた縁側の方へ歩を進めた。

『……』

 そこにいたのは、小さな男の子だ。ミルクティーのような色合いのふわふわとした髪の毛はやや跳ねていて、若緑色の瞳は涙に滲んでいる。若草色の浴衣に身を包んだその男の子を見つけた時、少女はとっさに声をかけていた。

『……え?』

 人がいるとは思わなかったのか、少年はびくりと身体を震わせて顔を上げた。

『お祭りで親御さんとはぐれちゃった?』

『……はぐれて、ない。これ、破いちゃって……』

 少女からしてみれば、浴衣を着た男の子は自分と同様に祭りに向かう子供に見えた。しかし少年からして見れば、少女の問いはやや珍妙だった。何せ、この場所こそが彼の生家なのだから。

『団扇? ……でも綺麗に直せてるよ?』

 少年は、縁側に様々なものを置いていた。糊や小筆、墨や硯など慌ててかき集めてきたようなそれらを駆使し、どうやら自力で修復したらしい。この年にして随分器用だなと少女は感心するが、彼はぶんぶんと首を横に振る。

『この模様、うまく書けないんだ……』

 そう言って、少年は破れた地紙を少女に見せる。それを見た少女は、うーむと唇を尖らせた。

『……わかった、お姉ちゃんが書いてあげる。でもこの墨だと少し濃いから、似せるんだったら薄墨が欲しいかな。お水、少しでいいんだけど持ってこられる?』

『うん、ちょっと待ってて!』

 少女は男の子が使っていた硯の中の墨の色を確認すると、破れた地紙とは色合いが異なることを指摘する。少年は勢いよく立ち上がると、一目散に駆けて行った。

 優しく吹き付けた風で、そよそよと木の葉が揺れる。いつの間にか晴れているな、と見上げた空は変わらぬ茜色で、少女は夢なのか幻なのかわからない曖昧な感覚のまま、少年が戻ってくるのを待った。

 少年は、両手で何かを抱えながら戻ってきた。軽く息を切らせて戻ってきた彼は、期待に満ちた眼差しで少女にそれを差し出す。

 すると、少女は強い衝撃を受けたかのようにわなわなと唇を震わせた。

『も、もしかしてこれ、水差し……?』

『うん、そうだよ』

『陶器製の水差しなんてあるんだ……。スポイト式しか知らなかったから軽くカルチャーショック……』

 邪魔になるサイドの髪を耳にかけると、ぶつぶつと呟きながら少女は細かな花柄の装飾が為された水差しを丁寧に持ち上げる。少量の水を硯に垂らして墨の濃さを調整し穂先をつけると、縁にそっと撫でつけて余分な墨を落としてから筆を走らせた。

 幸いにも、少女は幼い頃から書道教室に通っていた。お手本を見ながら書く行為――臨書には慣れているのだ。よくよく観察すれば、書き手がどのような順番で筆を運んだのか、払いやハネの癖が見えてくる。勢いをつけるべき箇所、力を抜くべき部分を前もって把握しておけば筆運びで迷うことは無い。

『……』

 下駄を脱いで縁側に上がり、前のめりになって筆を取っていた少女は、ふうと小さく息を吐いて耳にかけていた髪を元に戻す。少年が不安と期待の入り混じった顔で覗き込むと、そこには本物と見紛う出来の団扇が出来上がっていた。

『うんうん、我ながら良い出来!』

『すごい! 本当に()()()になっちゃった! ……お姉ちゃんは、センリ様なの?』

 少女にとって、それは単純な賞賛の言葉だった。少年が苦戦していた模写を完遂させたことに対する反応にしか思えなかったのだ。しかし、少年にとってはすこし違う。

 その団扇が、ただの団扇ではなかったからだ。地紙が破れたことで霊力を失い祓具としての価値を失ってしまった団扇は、少女が筆を走らせてからその力を取り戻していた。

 だが霊力という概念を知らない少女は、自分が何を為したのかも理解していない。持ち主であるセンリしか扱えなかった祓具に霊力を込めることができた少女を、少年がセンリと誤解するのは至極当然だった。

 少年の問いに、少女はぱちくりと瞬きを繰り返す。そしてやや考える素振りをしてから、額に右手を、腰に左手を当てて息を吐いた。

『おっとっと、バレてしまっては仕方ない。でも誰にも言わないでね』

 内緒だよ、と少女が口元に人差し指を当てる仕草をすると、少年は憧れに満ちた眼差しでこくりと頷く。少女には、純粋な子供の期待を裏切ることができなかった。

 ちょっと疲れたな、と少女は正座を崩して縁柱にもたれかかる。しかし団扇を両手で持ち上げて太陽に翳すようにはしゃいでいた少年が礼を言おうと振り返った時、そこにはもう誰もいなかった。


 驚きに見開かれた、若緑色の瞳。どこか既視感のある風景と、記憶が曖昧な十二歳の夏の日。

 それまで散らばっていた記憶の欠片が、パズルのピーズのように埋まっていく。ハッと意識を取り戻した千里は、目の前の千春と自分の記憶を交互に参照してからぽんと手を叩いた。

「思い出した! 十二歳の七夕祭りの日、額を強打して気が付いたら知らない場所にいたんです。それで、泣いてた男の子と出会って……あれが千春さんだったってことですか!?」

「多分、ね。……時間の流れがおかしいけど、それは多分君が特殊な存在だからだろう」

「確かに、私からすれば六年前の出来事ですけどそれだと千春さんの年齢と合いませんね」

 幼い千春は、弟の千夏が生まれたばかりだと話していた。二人の邂逅は、本来ならばあり得ないのだ。

 そんな疑問を、千里は夢の中だし時間軸のブレなんてよくあることだよなと軽く流す。

「で、俺はそれからしばらく君のことをセンリ様本人だと疑ってなかった。でも、家の古い記録を読んでいたある日、気が付いたんだ。あの時会ったのは、センリ様じゃなかったって」

「……それはいったい何故?」

 幼い頃に本人と出会ったと思い込んだのなら、その誤解を解くことは難解だ。しかしそんな彼の勘違いを正したという情報が何なのかと千里が尋ねると、千春は団扇を千里に向ける。

「君の言葉だよ。あの時君は、祭りで親とはぐれたのかと俺に聞いたよね。けど七夕に祭りを開く風習は千狸浜にはない。今この地に残っている祭りの起源は、全てセンリ様に通ずるんだ。調べた結果、七夕に祭りが行われた記録は一つもなかった。だから、祭囃子が聞こえたわけでもない、家の裏手の縁側で泣いている子供を見て発する言葉としては不自然だろう? 彼女が記録から姿を消した時期も、祭りとは無縁だったしね」

 千春の指摘に、千里は考え込むように顎に手を当てる。

「あー、なるほどです。私がいた所って、浴衣を着るのはお祭りの日くらいだったんですよ。だから、千春さんもてっきりそうなのかと」

 どうやら、古泉家では浴衣が普段着らしい。自分が祭りに出かける為の装いで浴衣を着ていたものだから、当時の彼女は自分と同じ立場だと思い込んでしまったのだ。

「それで、千春さんは私がセンリ様じゃないって言ってたんですね。何やら最初に会った時は私のことが幼い子に見えていたらしいですけど……」

「うん、『センリ様信者』の俺が動揺すると思って母さんたちが隠蔽していたからね。君が境内を去った後、母さんが青い顔して飛んできてあの子はセンリ様の生き写しだって言ったんだ」

「けど、何やらその時あれはセンリ様じゃないって断言してたって灯子さんが言ってましたよ?」

 千春には、千里の本当の姿が見えていなかった。だというのに何故そんな断定ができたのかと千里は首を捻るが、千春はきょとんと目を丸くする。

「だって、本物のセンリ様なら我が家を見て無反応だなんてあり得ないだろう? 仮に俺の事が自分の子孫だとわからないとしても、この境内を忘れるわけがない。この小山も鳥居も石段も、彼女と当時の人々が一から切り開いて作り上げたものなんだから」

 それは、疑いようのない真っすぐな彼の本心だった。センリという人間が、人生をかけて開拓したこの地になんの感慨も示さないなどあり得ないという、確信だ。

「……こういうことを言うから、信者だとかなんとか言われるのかもしれないけど」

「いえ、何となくわかりました。センリ様がこの場所を大事にしていたことも、千春さんがそんなセンリ様だから尊敬してるってことも」

 過去の文献を調べる中で、千春は他の家族よりも深くセンリという人間の事を知り、理解したのだろう。自分も会ってみたかったなとどこか寂しい気持ちになる千里だったが、唐突に疑問が湧いて出る。

「あの、そういえばどうしてさっき私にお玉を届けてくれたんですか? あの時はまだ、千春さんは私の本当の姿が見えてませんでしたよね」

 浜辺で怨霊に囲まれていた時、彼が遣わした式神のおかげで千里は事なきを得た。しかしセンリの祓具が万化の性質を持つ人間にしか扱えないというのなら、あの時千春は千里の能力に気が付いていたということになる。

 一体どういう理由があったのかと千里が問うと、千春はさらりと告げた。

「えっと、ほとんど勘かな。母さんから本当の姿がセンリ様の生き写しって聞いたから、きっと俺が5歳になる年に出会った君の事だろうと思ったんだ。声にも、なんとなく聞き覚えがあったしね」

「けど、家宝をそんなに簡単に持ち出していいんですか?」

「君だっていう確信があったから、無駄骨にはならないだろう?」

 事実こうしてお咎めはないし、と千春は柔らかく微笑む。確かに古泉家の人間からすれば褒められた行為ではないだろうが、結果として千里は危機を脱することができた。咎めようにも咎められない、むしろ良い判断だったと評価されるべきかもしれない。

「それで、どうして君はあの時急に現れたと思ったら消えて、今日また現れたんだい?」

「うーん、それについては私もさっぱりなんです。……そういえば、あの時も今日も派手に頭をぶつけたっけ」

「なるほど、その衝撃で天から落ちてきたってことだね」

 ここは突っ込むべきなのか、と千里は一瞬迷う。しかし千春は本心ではなかったのか、そんな様子を見て不思議そうに首を傾げた。

「その反応を見るに、母さんが推してる天からの遣い説は的外れみたいだね」

「そうですね、普通に地上で受験勉強してましたから」

「受験……。念の為聞くけど、都がある城ケ崎の学校にってわけではないんだね?」

 全く聞き覚えの無い地名に、千里はふるふると首を横に振った。

「以前の事を踏まえると、私って前みたいに突然やってきて突然戻る……って可能性が高くないですか?」

「そうだね、俺もそう思う。けどそう思ってるのは家族では俺だけだろうね」

 何せ、千春だけが過去に千里と出会っている。しかし彼はその出来事を誰にも話していなかった為、家族からしてみれば千里の登場はセンリの再来に等しい大事件だ。

「どうしましょう。私は可能であれば怨霊退治をしたいんですけど、自分の意志とは裏腹に急に元の場所に戻っちゃう可能性があるんですよね」

 端的に言えば、この夢から覚める。しかし覚めるまではこれが現実だ。古泉家の人々の希望通りこの地に平和を取り戻すと豪語したはいいものの、急に消えるようなことになっては申し訳が立たない。

「それはもう、俺たちにも君にもどうしようもないことだろうから考えなくていいんじゃないかな。センリ様と同じ力を持っているからと言って、君が怨霊に立ち向かう必要性もないとさえ俺は思ってる。多分、君の能力には弱点があるから」

「弱点?」

 ここにきて初めて出てきた言葉に、千里はやや前のめりでその言葉の真意を問う。すると、千春は手にしている団扇を軽く振りながら答えた。

「万化の性質は万能の性質、と捉えられがちだけど、だったらそもそも祓具を量産する必要性が無いと思うんだ。センリ様にしか扱えないものがたくさんあったって、人間には二本の腕しかない。そしてこの祓具たちは、それぞれ効果が違う。おそらく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だと俺は考えてる」

「……確かに、どうしてこれを祓具にしたんだろうってものが多いですよね。お玉なんか最たる例ですし、その団扇も破損しやすいですし」

 普通ならば、もっと丈夫で使い勝手の良いものにするものだ。軽さなどに重点を置くにしても、他の選択肢があっただろう。

「もっと言えば、センリ様ってもしかして完全に自分の意志で祓具を作ることまではできなかったんじゃないかな。君も、この団扇を直してくれた時に特別なことをしたという自覚はなかっただろう? けど、実際霊力は宿っていた」

「つまり、必要がある、と感じた時にしか祓具が作れなかったので、その時近くにあった物が結果的に祓具になった……?」

「うん。もしそうだとしたら、万化の巫女……センリ様及び君の弱点は常に祓具を所持していないと怨霊に不覚を取る恐れが高いってことだ。君、自分の霊力について何も自覚がないよね?」

 千春の問いに、千里はこくりと頷く。

「記録ではセンリ様の一騎当千の活躍ばかりが目立って今まであまり気にしていなかったけど、彼女の活躍の傍らには必ず祓具があった。直接霊力を駆使した記述は、覚えてる限り一つもない。それって、駆使しようにもできなかった、という可能性があるんじゃないかと思うんだ」

「……じゃあ、今私が祓具を作ろうとしても多分上手くいきませんよね」

 千里にとっては六年前のあの日、無自覚に修復していたという団扇を見つめながら、彼女は呟く。千狸浜の英雄であるセンリができなかったことが、自分にできるわけがないからだ。

「それはまた別の話かな。……君はセンリ様じゃないから、出来ることと出来ないことが全て同じだとは限らない。仮に君が祓具を生み出せなかったとしても、何も悪くないし劣っているとも思わないよ。そもそも、式神の主を書き換える、なんて芸当はセンリ様にも出来たかどうか危ういんだ」

「あ、そのことについて聞きたかったんです。私、特別なことをした覚えがないんですけど……」

「むー?」

 難しい話に興味が無いのか、むーたんは千里の視線が自分に向いたことを悟ると構ってくれるのかと期待するかのように表情を和らげる。千里がかがんで頭を撫でてやると、むーたんは満足そうに目を閉じた。

「むーたん本人は説明できそうにないしなあ」

「……そのむーたんっていう名前、いつ付けたんだい?」

「えっと、石段を下りて鳥居をくぐったあたりだったと思います。タヌキちゃんって呼ぶのもなんなので、むーむー鳴くからむーたんって呼ぶことにしました」

 千里がそう話すと、むーたんは自慢するかのように身体を持ち上げて胸を張る。千春が元の主であるという認識があるのかないのかよくわからないその態度に、彼は納得したように頷いた。

「ああ、多分それだ、名づけだよ。名前を付けるっていう行為は、祝福……あるいは呪いの一種とされている。無自覚に、君はこの子を自分の眷属にしたんだ。式神っていうのは与えられた霊力によって活動する存在なんだけど、俺が与えた霊力を上回るものを君が提供したことで契約が成立したんだね」

「その霊力を提供っていうのがよくわからないんですけど、団扇の件と一緒ってことですかね?」

 当然、千里に自覚は無い。だが団扇の霊力ごと修復した点とむーたんの件を考慮すると、知らず知らずの内に霊力とやらを使用している線が濃厚だ。

「そうだね。……ところで、あまりにも初歩的なことだから今まで言及する発想が抜けていたんだけど、君って霊力を視認できていないよね?」

「はい」

 むしろ皆見えているのかと千里がむーたんの頬を撫でながら答えると、千春は蔵の中に視線を向けてから口を開いた。

「さっき、単眼鏡を使って掛け軸を覗いた時、描かれていた山が消えて見えたって言ったよね」

「はい。あれ、皆さんにはどう見えてるんですか?」

「基本的には、君と同じだよ。ただ、あの掛け軸には()()()()()()()()()()()霊力で細工をしてある。だから、霊力が見えない君には山がそのまま見えた。あの単眼鏡は、霊力を可視化する為の物なんだ」

 単眼鏡自体が掛け軸に何かしたのではなく、掛け軸に込められていた霊力を可視化した結果、山が消えて見えた。

 そう話す千春の言葉に、千里は難しそうな顔をして首を捻る。

「霊力を可視化、って千春さんたちには霊力が見えるわけですから……。あ」

 必要のないものだ、と言いかけて、千里はそこで言葉を区切った。

「センリ様も、私と同じように霊力が視認できなかった……?」

「その可能性が高いね。けど、だとすると君はますます注意が必要だ。怨霊自体は見えていたようだけど、その源の霊力が見えないとなると、相手の性質によっては苦戦を強いられる」

 砂浜で対峙した怨霊はかなり御しやすい相手だったということらしく、千里は自分の見立てが甘かったことを知る。

「けど単眼鏡って近距離や複数相手には対策として不向きですよね。……それはもう、手当たり次第にぶん殴っていくしかないんじゃないですか? 全身くまなく殴ってればいつかは倒れますよ」

「うん、センリ様も君と同じような考えでいつも最前線に出て愛槍を振り回していたのかなって気がしてきたよ……」

 対策もクソもない力技の発想に、千春は乾いた笑いを浮かべる。それに対し、千里は困ったように腕を組んだ。

「けど、祓具の一つでもあるそのセンリ様愛用の槍、私には重すぎて普段使いは無理なんですよね」

 先ほど祓具全てを扱えることは判明したが、槍に関してはとても実戦で振るえるようなものではなかったのだ。センリのように前線で大立ち回りといったことはできそうもないなと千里が考え込んでいると、千春は苦々しい表情を浮かべる。

「えっと、さっきも言ったけど俺は君が前線に出る必要も、怨霊退治をする必要も無いと思ってるからね? ただ、もしもの時の為に自衛手段として祓具は持っていてほしいなって思っただけで」

「……もしかしなくても、千春さんって私が万化の巫女として千狸浜を立て直すって話、反対ですか?」

 古泉家の人々は、概ね千里の存在に好意的だ。しかし千春だけは、最初から自分に対して態度が違うと千里は感じていた。その理由の一つはかつて自分たちが出会ったことがあることに関係していると彼女は考えているが、それ以外の、別の理由が存在するようにも思える。

「そうだね、賛成か反対かで言うなら反対だ。……多分、君はこの家にいない方がいい。だってここで過ごせば過ごすほど、君は多分この地で起こる出来事を見過ごせなくなる。そして万化の巫女を一度でも名乗ったら、君はもう後には引けなくなるだろう」

 人々の期待を裏切れなくなるはずだ、と千春は述べた。その指摘に、千里は図星を突かれたようにぐぬぬと顔を引きつらせる。

「わ、我がことながら容易に想像できてしまいました……。そうですよね、ここの人たちにとっては怨霊は死活問題なわけですし、ぬか喜びさせるような適当な行動は避けなきゃいけませんよね」

「だから、俺に一つ提案があるんだ。……夜逃げしないかい?」

 至って真面目な顔で、千春は声を潜めて千里の耳元で囁いた。

 内緒話だと察知したらしいむーたんが自分にも聞かせろと千里の足元でうろうろするが、千里は囁かれた言葉の意味が呑み込めず鳩が豆鉄砲を食らったような顔で放心する。

 おかしな夢はこれまでも色々見てきたが、夜逃げする展開は初めてだな、と彼女が意識を取り戻したのは、それからしばらく後の事だった。




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