第二話
「……なつ兄ぃ~、ボク目が悪くなっちゃったかも」
「はー? 千冬ってば何、急に」
竹で出来た籠に野菜を抱えた二人の少年の内、千冬と呼ばれた金髪の少年が片目を擦った。それに対し、紅色の長い髪を一つに結った少年はぞんざいに返事をする。
「だって、はる兄が熊猫に乗った女の子連れてるように見えるんだもん」
「熊猫って、春兄の式神の中でも霊力消費えげつない奴じゃん。その女の子ってのはよっぽど具合が悪そうなワケ?」
「ううん、顔が強張ってるけど元気そうだよ。何でかお玉握りしめてるけど」
裏口から屋内に入ろうとしていた二人は、そこで足を止めた。なつ兄と呼ばれた少年が戸口を塞いだせいで、千冬も立ち止まらざるを得なかったのだ。
「……そういえば、僕もさっき変な光景を見たんだよね。春兄が、血相変えて蔵から家宝のお玉を持ち出してたんだよ。流石にあの品行方正の春兄がそんな奇行に走るわけないと思って、見間違いってコトにしたんだけど」
「二人とも、何をしている? ……通れないが」
立ち止まる二人の後ろから、鶯色の髪の背の高い少年が無表情でそう声をかける。片手に洗濯籠を抱えた彼は、二人が無言で指さした方向に視線を動かすと、数秒考えてから口を開いた。
「千春が、熊猫に乗った少女を連れているな」
「じゃあ見間違いじゃないじゃん」
「あき兄が言うなら確かだね。……どういう状況なんだろ?」
三者はそれぞれ違った面持ちで、荷物を抱えながら首を捻る。
「ていうかさ、あの子どっかで見た顔じゃない?」
「そうそう、ボクもそう思ってた~。けど里にはあんな子住んでないよねー?」
「……センリ様じゃないか? 古泉家の祖先、万化の巫女ことセンリ様にそっくりだと思うが」
建物の陰からひそひそと様子を眺める三人のやりとりは、無表情の少年の言葉でぴたりと途絶える。彼の言葉を脳内で反芻した二人は、改めて熊猫に乗る少女を観察した。
「えっ、ほんとに似てるよ!? ……センリ様って生きてたの!?」
「とても御年数百歳には見えないけどねぇ」
そっと覗き込むようだった彼らの体勢は次第に外側へと流れていき、ついには堂々とお天道様の下へ現れた。上から鶯色、紅色、金色が団子のように頭を並べているのを見て、青年はため息を吐く。
「ええと、あれは気にしないで。俺の弟たちなんだけど、物珍しさで見てるだけだから……」
「はあ」
生返事をして、その物珍しさというのはこの子のことだろうか、と千里は自分が跨る生物を見下ろす。浜辺での騒動の後、青年に神社まで同行するよう求められた彼女だったが、小路を歩く最中唐突に、彼が振り返ったのだ。
『そういえば君、履物は!?』
『さあ……?』
目覚めた時のままの格好で出てきたと言えば、青年は困ったように頭を抱えた。しかし懐から白と黒の折り紙を取り出すと、手早く折り進めて仕上げとばかりに息を吹きかける。
そうして誕生したのが、角ばっている白黒の熊猫だった。乗るように指示をされた千里は黙って頷くしかなく、通り道で駄菓子屋の老婆に神々しい存在を目のあたりにしたかのように見送られたのは彼女の記憶に新しい。
パンダに乗るのなんて硬貨を入れると動く遊具以来だなと何とも言えない心地だった彼女は、きらきらとした瞳で自分を見つめてくる少年たちの視線にむずがゆさを感じながら、案内されるがままに家の中に入った。
古泉という表札の掲げられた玄関の引き戸をくぐると、まず出会ったのは何やら興奮した様子の女性だった。鎖骨まである葡萄茶色の髪はやや乱れていて、頬は赤く染まっている。女性は千里に歩み寄ると、両手で彼女の手を引いた。
「ささ、まずはお風呂場へ行きましょう! 足は大丈夫? 痛くなぁい?」
「だ、大丈夫です。えと、脱いだ方がいいですよね」
あちこち歩き回って汚れてしまった足袋のまま上がっていいのか戸惑う千里だったが、女性はいいのいいのと言ってそのまま廊下の先へ千里を誘導する。家人にそう言われてしまってはそれ以上何も言えず、千里は青年にお玉を預けると申し訳ない気持ちになりながら女性の後についていった。
「ごめんなさいねぇ。貴女が眠っていたから、その間に色々用意しようと思って少し席を外した間に、事情を知らない千春……私の長男が、貴女を迷子だと思い込んでしまったみたいで」
「迷子……というのは、あながち間違いじゃない気がします。私、自分の意志でここに来たわけではないので……」
女性の言葉に不可解な面を覚えながらも、千里は自分が迷子と呼んでも差し支えない状況だと語る。女性は千里の帯を外すと、風呂場の扉を開けて蛇口をひねり、湯桶に湯を注いだ。
「あらまあ、そうなの? じゃあ天が遣わして下さったのね」
「……ただの大学受験生をですか?」
この女性もさきほどの少年たちも、何やら自分を神聖視してやいないか。千里がそんな疑問を口にすると、女性はこてんと首を傾げてから告げた。
「あら、今時は巫女様も大学に通うの?」
「……今、何て?」
「んん? もしかして、この呼び方はイヤだったかしら? そうね、センリ様にはたくさんの別名があるから、悩んでしまうけど……。私のイチオシは『豪槍の戦姫』ね! 力強くてとっても素敵!」
足袋を脱ぎ、風呂椅子に座って湯桶に足を漬けた千里は、女性の言葉にあんぐりと口を開ける。呆然としている間に女性はふんふんと鼻歌を歌いながら石鹸を泡立てて千里の足を取り、丁寧に洗い始めた。
「あの、おそらく皆さん大変な勘違いをしてらっしゃいます」
「勘違い?」
「はい。……私の名前、センリじゃありません」
まっすぐに自分を見つめる瞳にやや戸惑いながらも、千里ははっきりと告げた。そう、それならば合点がいくのだ。駄菓子屋の老婆や少年たちが自分を見る視線に込められた期待や羨望のような感情に、納得がいく。
この地には、センリという名前の英雄がいた。そしてそれは、どうやら自分に似ていたらしい。
例えるならば戦国武将のそっくりさんのようなものだろうか、と千里は思考する。もちろん古い時代の人間が数百歳になって生存しているとは誰も思うまいが、生まれ変わりと捉えたり血縁者ではないかと考える人間が出るのはおかしいことではない。現状はどうやら前者に近しそうだと千里は結論付け、女性の反応を待つ。
落胆や失望、あるいは怒り。どのような感情が向けられるかと息を呑んで待っていた彼女に、女性はこぼすように笑った。
「まあまあ、千春の言う通りじゃない~」
「……千春さんって、紙を生き物に変えられる人のことですか?」
「そうそう。あの子ね、私たちが貴女を探してるって伝えた時に言ったのよ。『彼女は、センリ様じゃない』って」
その声色には、喜びが滲んでいた。自分の息子の言葉通りだったという事に、彼女は純粋に喜んだのだ。
「実は、境内を出るまで貴女の姿は小さな女の子に見えるよう義母さんが降霊術で偽装していたのよ。その状態で、貴女は千春と会ったのよね?」
「はい。やけに子ども扱いされたので、変だと思ってました」
頷きながら、千里はこの夢はこういう世界観なんだなと改めて把握した。昭和の香りが漂う和風な世界が舞台で、そこにファンタジー要素が含まれているようだ。
「それはね、貴女がこの千狸浜の始祖、センリ様にそっくりだったからなのよ。ウチ……古泉家は、センリ様の血を引く一族なの。私は嫁入りだけどね」
「つまり、偉大なご先祖様に私がそっくりだから、騒ぎになるのを防ぐために姿を偽装していたけど……私がいなくなったのでやっぱり騒ぎになってしまったんですね?」
「うふふ、そういうことねぇ。義母さんの降霊術は、離れると効力が切れてしまうから」
確かに幼子扱いされたのは境内を出る前、千春からだけだったなと千里は思い出して納得した。しかし、新たな疑問も浮かび上がる。
「あの、私って何で寝てたんでしょう?」
「それが、わからないのよねぇ。裏山で私が貴女を見つけた時、死んだように倒れているから驚いたのよ。とっても寝不足だったのかしら?」
「……」
女性の言葉に、千里は閉口した。何故自分がここにいたのかという問いをしたつもりだったのだが、女性は言葉通りに受け取ったらしい。しかし、それも仕方ないかと悟る。何せ、彼女は天が千里をこの地に遣わしたと思っているらしいからだ。
「よし、綺麗になったわ。湯浴みは義父さんたちとのお話が終わってからでいいかしら?」
「あ、はい。ありがとうございました」
結局そのまま女性に足を洗ってもらった千里は、ふかふかのタオルで拭かれてすっきりとした両足で立ち上がる。脱衣所には淡藤色の浴衣と菫色の帯、新しい足袋が用意してあって、それを借り受けると案内されるがままに廊下を進んだ。
「義母さんたち、お連れしたわよ~」
「うむ」
心の準備も終わらぬうちに、女性は襖を開けた。
千里の目の前には、『なつかしさ』が広がる。畳の上に置かれた背の低い長方形のちゃぶ台と小豆色の座布団に、焦げ茶色の桐箪笥と木製の掛け時計、それに日めくりカレンダーを一気に視界に入れた彼女は、今はもう他人に貸し出している祖父母の家の昔の有り様を思い出していた。
「さあ、そこにお座り」
「……失礼します」
穏やかな顔つきのお婆さんに促され、千里はおずおずと座布団に腰を下ろす。案内してくれた女性が席につくと、一番奥に座していた老人がこほんと咳ばらいを一つ入れてから切り出した。
「ワシはこの千狸浜神社で現在宮司を務めている古泉源太郎と申す。……そなたの名を聞かせてもらってもよいかな?」
「古川、千里といいます」
千里がそう答えると、紅色と金色の髪の少年の顔色が変わった。二人はどういうことだとでも言いたげに視線を交わしていて、千里の言葉を聞いた山鳩色の髪の男性はちらりと千春を見やる。
「うん、千春の主張と同じだ。……母さんはどう考えてる?」
「本人がこう言うとるしねえ、センリ様ではないのじゃろう。御本人であれば、偽る必要もないじゃろうしの」
男性に話を振られた老婆は、慌てもせずに静かにそう告げた。意外とあっさりと納得してもらえたようだと千里が呆気なく感じていると、彼女は細い指を顎にあてて目を細める。
「じゃが、千春の式神の支配権を書き換えるなど常人には不可能じゃ」
「むー?」
「あ、むーたん」
老婆の疑問の直後、ちゃぶ台の下から紙で出来たタヌキが顔をのぞかせた。むーたんは千里の膝の上によじよじと登ると、そのまま身体を丸める。その様子を見て、金髪の少年は目を丸くした。
「わー、ホントに主人が変わっちゃってる。はる兄の式神、今まで誰にも奪われたことなかったのにね」
少年がつんつんとむーたんの頬を指先でつつくが、むーたんは敵意が無いとわかっているのか片目でちらりと一瞥しただけで何の反応も示さない。そんな光景を眺めていた紅色の髪の少年は、何かに気が付いたように手を叩いた。
「そっか、単純に奪われたってワケじゃなくてこの子が霊力供給もしてるんだ。じゃないとこのタヌキ、もうとっくに紙に戻ってるよね春兄?」
「……千夏の言う通りだね。俺が吹き込んだ霊力は、彼女を境内の外に案内する為に必要とする程度……つまり、どんなに長くても三十分だ」
「……え?」
古泉一家のやりとりを聞きながら、千里は膝の上のむーたんに視線を落とす。彼女がむーたんと出会ってからこの家に来るまで、ざっと見積もって一時間はあった。直線距離で言えば千狸浜神社から浜辺まではそう遠くないのだが、一度石段を下りてぐるっと回り道をしていかねばならぬ都合上、時間がかかるのだ。
「ええと、でも私は一般人でして、そういった特殊能力は持ち合わせていないのですが……」
何かの勘違いだろうと千里が両手を前に出すと、千春がそれに待ったをかける。
「それは違うかな。君の自認はともあれ、俺は君が怨霊を祓除するのをこの目で見た。祓具も使いこなしていたし」
「……そのお玉ですか?」
ちゃぶ台の上には、刀掛け台に宝物のように飾られたお玉が鎮座していた。確かに先刻までの千里は『このまま東の都に乗り込んで悪霊退治だぜ~!』といったノリだったが、何やらそうも言っていられない雰囲気である。
「これはこの千狸浜がまだ死者のはびこる地だったころ、我々の始祖たるセンリ様がおつかいなさった由緒正しき祓具の一つなのじゃよ。しかし、私らには使いこなせないんじゃ」
「どうしてですか?」
「我々は『性質』の合った物にしか霊力を込められぬし、その力を発揮できないのじゃよ。千春が紙を媒体にしておるのは、それが千春の性質に合っているからじゃ。千春は、『息吹』の能力で紙に命を吹き込むことができる」
老婆の言葉に、千里はハッとした。千春が不思議な術を使う時、彼は絶対に紙に息を吹きかけていたのだ。
「して、そのお玉にはセンリ様の霊力が込められているのじゃが……」
「古泉家の皆さんとは性質が合わないので、祓具として活用できない?」
「いかにも。……故に、これを扱えたというそなたはセンリ様にあらずとも、限りなくセンリ様に近しい存在と我々は考えておる」
彼女がそう言い終わるのとほぼ同時に、部屋の奥から鶯色の髪の少年が額縁を抱えて部屋に入ってくる。そこにはやや古ぼけた一枚の肖像画が収められており、それを見た千里は眉間に皺を寄せた。
「えっと、正直あんまり似てないと思います。髪色と髪型は近いですけど、私こんなに柔らかい目元じゃないですし……」
描かれていたのは、確かに千里によく似た雰囲気の少女だった。だが瓜二つかと言えばそうではなく、千里がつり目がちなのに対し絵の少女はたれ目がちだし、髪型も前下がりなのは一致しているものの、毛先に段が入っている千里と比較的切りそろえられている少女と違いがある。
「私が知る限りの先祖にセンリっていう名前の人はいませんし、他人の空似じゃないでしょうか」
「……ふむ、その点はそなたの言う通りやもしれないねぇ。ただ、さっき話した『性質』についてはまだはっきりしとらんのじゃ。……灯子、千種」
「はいはい、千秋が準備してくれたから揃ってるわよ義母さん!」
灯子と呼ばれた女性と千種と呼ばれた男性が、老婆の合図で同時に席を立つ。二人は隣の部屋に移動すると、せっせと何かを運んできた。
「センリ様の残した七つの祓具、勢ぞろいよ~! はい、千里ちゃんこれ持って」
「は、はあ」
灯子に促されるまま、千里は差し出されたものを受け取った。それは古びた手のひらサイズの櫛で、困惑している彼女に千種から別のものが差し出される。
「この人形の髪を梳いてみてくれるかい?」
そう言って、千種は一体の人形を千里の目の前に置いた。顎のあたりで切り揃えられた黒髪と鮮やかな赤い着物が視界に入り、日本人形かと思った千里だったが、全体像を把握してぎょっとする。
髪こそ艶があり美しく整っているが、表情は狂気だった。血走った眼球は今にも飛び出そうで、口元は誰かを罵倒しているかのように歪んでいる。着物もあちこちを端切れで繕った形跡があり、手足には無数の傷がついている。
深夜にこの顔で覗き込まれたら絶叫してしまうかもしれないと考えながら、千里は言われた通りに人形の髪に櫛を通してみる。呪詛を吐かれたり突然飛び回ったりしないだろうかと恐る恐る手を動かす彼女だったが、特に不可解な出来事は起きない。しかし半分ほど梳き終わったところで、彼女は異変に気が付いた。
人形の表情が、変わっている。今にも襲い掛かりそうだった狂気の顔つきは鳴りを潜め、年頃の少女のそれに変わっていたのだ。まだどこか暗い感情を秘めていそうな雰囲気は残っているものの、普通の人形と呼んで遜色のない程度には穏やかな外見になっていた。
「お玉と櫛、これで二つか。次は何を試すの?」
「試しやすいのはこれじゃないかしら?」
千夏の言葉に、灯子は慎重な動作で桐箱を持ち上げる。ちゃぶ台の上に置かれたその箱の蓋を彼女が開けると、千里の視界には筒状の物体が映りこんだ。
「……単眼鏡?」
「千冬、その掛け軸取ってくれる?」
「はーい」
千里が単眼鏡を観察している間に、灯子に千冬と呼ばれた金髪の少年は立ち上がって指定された掛け軸を彼女に手渡した。灯子は掛け軸を広げると、山の描かれた箇所を指で示す。
「千里ちゃん、その単眼鏡でここを覗いてみてくれる?」
「わかりました」
裸眼の状態では山以外何も見えないが、単眼鏡越しならば別の絵柄が見えるのかもしれない。そう考えて千里が片目でレンズを覗き込むと、そこには彼女の想像と違う光景が広がっていた。
「……山が無くなりました」
「ほう? ……では次はこれじゃ」
千里がそう告げた直後、口数の少なかった源太郎が次の祓具をちゃぶ台の上に置く。
そうして同様の事を繰り返し七つ目の祓具である団扇を彼女が振るった時、彼は深く頷いた。
「七つ全ての祓具をそなたは使いこなしてみせた。……これはまさしく、手にするものを悉く祓具に昇華したという万化の巫女にしか為せぬ御業。そなたを、二代目として認めよう」
はあ、と千里が生返事をする前に、灯子と千冬がワッと歓喜の声を上げる。二人は拍手しながらはしゃいでいて、まるでお祭り騒ぎだ。
「えっと、じゃあ私の悪霊退治の旅にこれらの祓具を正式に貸して頂けるという感じでしょうか?」
浜辺で千春にお玉を借りる許可は貰ったものの、神社の主が宮司である源太郎である以上、彼の判断が優先されるだろう。千里の問いに、源太郎はやや考えるように腕を組んだ。
「それなのだが、いかにそなたがセンリ様と同様の能力を有しているとしても、これらは我が古泉家の家宝だ。見知らぬ人間に無条件に貸し出すというわけにもいかん」
「……なるほど、条件があるんですね?」
ありがちな展開だ、と千里は小さく頷く。御神体というわけではないにしろ、古泉家からすればとんでもなく大事な代物なのだろう。その家宝をやけに簡単に貸すと言った千春の態度が少々引っかかった千里だったが、源太郎は真面目な顔で告げた。
「うむ、見知らぬ人間には貸せん。だが身内であれば話は別だ」
「……センリ様が皆さんのご先祖様だってのはさっき聞きましたけど、私はセンリ様とは無関係の人間ですよ?」
「お義父さんってば遠回しよぉ。だからね、千里ちゃんがウチの子になってくれれば祓具も貸せるし私にも可愛い娘が出来て最高ってことよ!」
『母さん天才~!』と千冬は灯子の言葉に賛同し、二人はきゃぴきゃぴと手を繋いで喜びを分かち合う。アイドルのライブチケットに当選した女子中学生でも見ているのかと錯覚を起こした千里は目を擦るが、目の前の光景は何一つ変わらなかった。
「端的に言えばいいんじゃよ源。つまりな、この千狸浜は分岐路に立っておるんじゃ。……里の活気の無さにはそなたも気がついたじゃろう?」
「ええと、確かに人気は少なかったですね」
荒れているというほどではないものの、浜辺までの道中で何軒もの空き家を目にしている。商店らしきものは駄菓子屋しか存在せず、この神社以外では若者も見かけていない。
「それもこれも、古からこの地にはびこる怨霊のせいなんじゃ。奴らの放つ瘴気は人心を狂わせ、自然や農作物にも悪影響を及ぼす。都は神園大社が治めておるから人々の生活も潤っておるが、ここは大陸の西の果て。お上の目の届かぬ辺境の地なのじゃよ」
このままでは廃れる一方だと老婆は語る。他の面々も神妙な面持ちで、小躍りしている灯子と千冬ですらもその表情は暗かった。
「人がいなくては里は成り立たん。幸い祭りの時期になれば多少は賑わうが、それももはや風前の灯火じゃ。……そなたには、この千狸浜再興の一助となってもらいたいのじゃ」
「……この辺りを荒らす怨霊を退治して、里が平和になったってことを人々に喧伝するってことですか?」
話を聞く限り、人々は怨霊を恐れて平和な都へと移住したらしい。しかし都会に越した人々がそう簡単に田舎に戻ってくるだろうかと楽観視できない千里の言葉に、灯子が人差し指を立てる。
「勿論、それだけで里は復興しないわ。けど万化の巫女が再来したとなれば、信心深い千狸浜の民は必ずこの地に戻ってくる」
灯子の言葉に、千里はううむと考え込む。古泉家は長年千狸浜の治安を守ってきたらしいが、おそらく彼らだけでは手が足りないのだろう。だからこそ、里の人々は信仰を後回しにして、生活の為に都に越したのだ。
「いきなりこんなに込み入った話をしても彼女も混乱しているだろうし、結論を急がなくてもいいんじゃないかな」
部屋が沈黙に包まれかけたその時、静かに成り行きを見守っていた千春がそう切り出す。すると誰からともなくこくりと頷き、灯子が真っ先に笑顔を見せた。
「そうね、千春の言う通りだわ! ウチの子になるかどうかはじっくりゆーっくり考えて頂戴! 決まるまでは是非ウチで過ごしてね!」
「あーあ、始まったよ母さんの悪癖が。……着せ替え人形にされるからなんか理由つけて逃げた方がいいよ」
灯子の輝かしい笑顔を見て、千夏がぼそりと千里の耳元で囁く。その表情からして過去に嫌な思いをしたのだろうかと千里が考えていると、いつのまにか斜め横に座っていた千冬がちゃぶ台に両肘をついて前のめりになりながら呟いた。
「なつ兄は中性的な容姿してるから、母さんのおもちゃにされがちなんだ」
「そうなんだ。君は……千冬君だっけ?」
「千冬でいいよさと姉さま~。えへへ、まさか急に姉さまができるなんて思ってなくて嬉しいなあボク~」
あどけない純粋な笑顔でそう告げられ、千里は『まだ古泉家にご厄介になると決めたわけではない』という言葉を飲み込む。歓迎してくれるのはありがたいことだと笑顔を返すと、部屋の準備をすると言って灯子が居間を出ていき、黙って立ち上がった千春は祓具を持って彼女とは別方向へ歩いて行った。
「……」
「さと姉さま、ウチが大家族だから混乱してる? ボクが家族を紹介してあげるね。さっき聞いた通りウチの大黒柱が宮司の源爺さまなんだけど、元々は里で農業をしてたんだ。降霊術が得意な霊媒師であるちづ婆さまに一目惚れして、婆さまの生家であるこの古泉家に婿入りしたんだよ」
「そういえば名乗っていなかったかねえ。私は千鶴、孫たちからはちづ婆と呼ばれとるから、千里もそう呼んでくれてええからのう」
気の強そうな顔立ちの源太郎と対称的に、千鶴は物腰柔らかでゆったりとした雰囲気を纏っている。二人とも今は真っ白な頭髪をしているが、若い頃は容姿端麗で目を引く顔立ちだったのだろうと容易に想像できた。
「それで、のほほんとしてるのがボクたちの父さんで、きゃぴきゃぴしてるのが母さんだよ。母さんは霊力は普通の人と変わらないんだけど、あの通り元気で明るいのが長所なんだ」
「私は千種、この子たちの父だ。妻……灯子が騒いでしまってすまないね。ずっと娘が欲しいと言っていたから興奮が抑えられないみたいで……」
やや眉を下げ、千種は申し訳なさそうに頬を掻く。しかし謝罪の体はとっているがその声色はどこか上ずっていて、口角もわずかに上がっていた。
「で、次はボクたち兄弟の紹介ね! はる兄はー……どっか行っちゃったから飛ばして、次男のなつ兄からにしよう」
「はいはい、僕が次男の千夏ね。って言っても、特に説明することないんだけどな。……あ、待ってキミいくつ?」
「年齢ですか? 満十八歳……の、はずなんですけど……」
千冬が千夏にバトンを渡すと、彼は千里に年齢を尋ねた。千里は素直に答えたが、ちょっと待てと首を捻る。
「実は、私が直前までいた場所は冬まっさかりでして、私の誕生日は夏なんです。でもここは今、春ですよね。この場合、なんと答えるのが正確なのかちょっとわからなくて」
自分がいた季節よりも前の時間軸なのか後の時間軸なのかがわからないのだ。壁にかかっている日めくりカレンダーは四月となっており、彼女の直前の記憶と合致しない。夢とはいえ暦くらい合わせてくれと心の中で愚痴る千里だったが、千夏はそんな悩みを気にした様子も見せない。
「なんか面倒だから僕と同じで、夏になったら十八歳になるってことにしない? 僕は七月六日生まれだけど、そっちは?」
「あ、惜しい。七月五日です」
一日違いだと千里がはにかむと、千夏は何故か悔しそうに眉を跳ね上げる。
「くっ、じゃあそっちが姉ってことでいいよ。それから、同い年なのに敬語とか気持ち悪いからやめてね」
「残念だったねなつ兄。お兄ちゃんぶりたかったのにね」
ふひひ、とからかう様に笑う千冬を、千夏はじろりと睨む。仲の良い兄弟だなと千里が微笑ましく眺めていると、鶯色の髪の背の高い少年が盆を持ってやってきた。
「甘いものは平気か?」
「あ、お気遣いありがとうございます」
湯呑と茶菓子の乗った銘々皿が目の前に置かれ、千里は浅く頭を下げて礼を述べる。
「オレにも、畏まる必要はない。オレは千秋、兄弟の上から三番目だ」
「あき兄、はる兄はどこ行ったの?」
「祓具を蔵に保管するまでは一緒だったが、それからは見ていない」
千秋の返答に、千冬はふーんと不思議そうに返す。同様に、千里も千春の動向はやや気がかりだった。
古泉家の人間は、概ね自分という存在を受け入れている。彼らの態度や言葉からそう感じ取った千里だったが、こと千春においてはその心理が読めないのだ。神社に戻ってからというもの、彼は何かを考え込むように口を閉ざしてしまった。
「さて、私らはそろそろお役目に戻ろうかね。お前さん方はのんびりしておいで」
千鶴がそう言って腰を上げると、源太郎と千種も同じように立ち上がる。彼らが部屋を出ていくと、千冬は首を傾げながら呟いた。
「はる兄、今頃傷心してるんじゃないかなー。はる兄って、センリ様の熱心な信者だったでしょ?」
「千里がセンリ様じゃなくてそっくりさんだったから、ぬか喜びして落ち込んでるってこと?」
ちょっと口を出しにくい話題だな、と千里は甘味を頬張りながら千冬と千夏の雑談に耳を傾ける。確かに、千冬の推測が正しければ千春の態度にも納得がいくというものだ。憧れの英雄にそっくりの人物が現れたというのに、縁もゆかりもない他人の空似だったとなればその落胆は計り知れないだろう。
「流石にそんな子供みたいな感情を抱いてはいないんじゃない? 大体、センリ様って僕らのご先祖様だよ? それじゃまるで、春兄がセンリ様に惚れてるみたいじゃん」
「数百年も前の人なんだし、恋は理屈じゃないって言うよ~?」
ずっと一族に言い伝えられてきた偉業と、彼らに残された祓具、微笑を称える肖像画。知らないからこそ、会ったことがないからこそ幻想は深まるものだ。最初は敬愛だったものが、いつしか恋情に変わっていたとしてもおかしい事ではない。加えて幼い子供時代に強い感銘を受けたのであれば、その想いは大人になっても色褪せず心の奥で咲き誇っていることだろう。
「センリ様って、亡くなっているのに突然現れてもおかしくないって思うくらいにはすごい人だったんだね」
それほどまでに、彼らの意識に深く根付いている。ただの受験生である自分とはかけ離れた存在だなと千里が真面目な顔で語ると、三人はそれぞれ顔を見合わせた。
「あー、その件についてはウチでも意見が分かれるんだよねぇ」
「オレはごく普通に天寿を全うした派だ」
「ボクは神様になって今でも千狸浜を見守ってくれてる説を推してる~」
千夏が難しい問題だと話すと、千秋と千冬はそれぞれ持論を展開した。しかし千里はその意味がわからず、どういうことだと疑問符を浮かべる。
「えっと、もしかしてセンリ様は亡くなってるっていう私の発言に対する解釈だったりする?」
「うん。センリ様って千狸浜神社を創建して孫まで設けた頃、突然歴史から姿を消したんだよ。それが文字通りの意味なのか、誰かの思惑でその後の消息が追えないようにされたのかは僕たち古泉家の人間ですらわからないってワケ」
誰かに看取られたわけではない。センリという存在の最期は後世に伝わっていないのだと千夏は語る。
「要するに、私が千春さんの幻想を粉々に打ち砕いてしまった可能性が高いんだね? ……改めて謝罪してこようかな」
「千里が謝る必要は無いと思うけど、二人きりの方が春兄も話しやすいことはあるかもね」
「まだいるかはわからんが、蔵に案内するか?」
気になるのであれば直接話せばいいという千夏の言葉に頷き、千里は案内すると申し出てくれた千秋と共に、祓具を保管しているという蔵へ向かうことにした。