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第一話

 千里が生まれ育ったのは、雪国の港町だった。夏は海、冬は雪で幼少期を遊び倒した彼女にとって、田畑の広がる目の前の風景は古い漫画で見る懐かしの日本の姿に等しい。舗装などされていないむき出しの地面に、木造の建物が佇んでいる。ややかすれた駄菓子屋という看板に惹かれて覗き込めば、アイスクリームと大きく書かれた什器が彼女を出迎えた。

 駄菓子屋。それは、現代の日本では絶滅危惧種である。千里の父や母の幼い頃は近所にも存在したらしいが、コンビニエンスストアの台頭などで今ではすっかりその姿を拝むことはなくなった。

「おんや、お嬢さん。可愛らしい子を連れとるねぇ。ちょっとばかし毛並みが悪い気がするが……」

 千里がまじまじと外観を眺めていると、かがんで商品を整理していた老婆がむーたんに気が付いて頬を緩める。老眼鏡を傾けてじーっと見つめる彼女に、千里は山の上を指しながら答えた。

「いえ、この子は本物のタヌキじゃなくて、あそこの神社で神職の方が……折り紙から、生み出した? といいますか」

「ああ、古泉さんとこの春坊やだねぇ。昔はこの辺りも、それなりにタヌキがいたらしいんじゃよ。今はもう、千狸浜なんていう地名が寂しくなるくらい、とんと見かけんねぇ」

 めんこいめんこい、と孫を見るような優しい目を浮かべ、老婆はむーたんの頭を撫でた。

「浜……ってことは、海が近いんですか?」

「そうさね、ここからぐるーっと神社の裏手にまわっていけば千狸浜があるのう。……船も、滅多に来いひんくなってしもうたわ。みーんな、東の都さ行きよるでなぁ」

「ありがとうございました」

 老婆に頭を下げ、千里はむーたんと共に駄菓子屋を後にする。軽く見回してみるが周囲にはほかに店舗らしきものは見当たらず、民家だけが点在していた。

「婆さん、誰か来とったが?」

 千里が去った後、店の奥から老人が姿を見せる。誰もいない店先に首を傾げる彼に、老婆は米菓子を並べながら答えた。

「若いお嬢さんとめんこいタヌキじゃよ。……そういえば、誰かに似とった気がするのう。どこかで見た顔のような……」

 はて、と疑問符を浮かべる老婆を、老人は帳簿をめくりながらからからと笑う。

「そりゃおめえさん、この千狸浜でタヌキを連れた若いお嬢さんと言えばセンリ様しかおらんじゃろう。かの方は何百年も前、まだこの地に名前も無い戦乱の時代に降り立ち、悪鬼怨霊を討伐して千狸浜を築いた伝説の巫女様じゃぞ」

「おお、それじゃ爺さん! 確かにセンリ様のお姿にそっくりじゃて!」

 老人の言葉に、老婆は衝撃を受けたように腰を上げる。そして勢いのままに室内に上がると、押し入れから古びた絵姿を引っ張り出した。

 そこには、藍墨茶色の髪を風にたなびかせた、若い女性が描かれている。今しがた別れたばかりの少女と額縁に飾られた絵を脳内に並べた老婆は、確信したように呟いた。

「爺さん、古泉さんとこの宮司を呼んできとくれ。あれは、間違いなくセンリ様ご本人じゃ……!」


 一方。センリでも何でもない大学受験生こと千里は、むーたんと共に人気のない道をてくてくと進んでいた。半ば森のような道は、右側に千狸浜神社を構える小山があり、左側には細い川がある。昼間でもうす暗く、桜の舞う明るい境内とは打って変わった雰囲気だ。

「気を付けて歩かないと、小石を踏みそう」

 目が覚めた時に着ていた白い浴衣のままで出てきた千里は、靴を履いていない。すっかり真っ黒になったであろう足袋で足元を確認しながら進んでいくと、次第に砂浜が見えてくる。

「わぁ、手つかずの海辺って感じ。何にもないや」

「むぅ」

 思わず漏れた言葉に、むーたんは肯定とも否定とも取れない返事をする。見渡す限りの砂浜と水平線は殺風景と言っていいほどで、建物どころか看板の一つも見当たらない。

「でもこんなに長閑な海は今の日本には無いかも。……しばらく船が来てないって駄菓子屋のお祖母ちゃんが言ってたけど、港はあるのかな」

 砂浜に足跡を残しながら、千里は寄せては返す波を眺める。夢にしてはリアルな水の表現だなあと感心していると、むーたんが不意に低く唸りだした。

「どうしたの? ……ハッ! 紙だから水が苦手なの!?」

 海はこの子にとって天敵だったのかと千里は慌てて振り返るが、むーたんは波には目もくれず別の方向を睨んでいる。そしてその視線の先には、ぼんやりとした輪郭の鎧姿の人影があった。

「……」

「こ、こんにちは……?」

 突然現れた落ち武者のようないで立ちの存在に、千里は反射的に挨拶する。夢らしい唐突な展開になってきたなと彼女がしばしそのままでいると、人影がゆっくりと口を開いた。

 しかし、そこから出てきたのは言葉でも声でもなかった。どす黒い、液体のような何かが力ない口元から零れ落ちると、砂浜を染みのように広がって穢していく。

 そう、本能的に理解したのだ。汚れるのでなく、『穢れ』だと。

 そして、その黒い染みからは紫色の煙が湧いて出た。ゆらゆらと揺れるそれに意思などないはずなのに、まるで生き物を捕食するかのように妖しく蠢いてくる。ぞわりと背筋を走る悪寒に、千里は落ち着けと自分に言い聞かせた。

「急にホラー展開になる夢なんて今までごまんと見てきたっての! ……喰らえ、ファイヤー!!」

 悪霊滅ぶべし。そう付け加えて両手で波動を打つ構えをして見せた千里だったが、彼女の手からはそよ風さえも生まれない。無言で眉間に皺を寄せ、千里はおかしいなと首を捻る。

「こういう場合、大抵魔法なり馬鹿力なりで対抗できるものなんだけど……」

 新しいパターンだなと自らの記憶域に刻みつけ、彼女はふと周囲を見渡す。

「……ふーむ?」

「むむ、むー!」

 いつの間にか、二人は囲まれていた。一つだったはずの人影は、まるで分裂したかのように三つに増えていた。むーたんは頭を低くして唸り続けるが、人影は意にも介せずにゆっくりと近寄ってくる。

「まだ何もされてないのに手を出そうとした私が早計だったのかもしれない。けどどうにも好意的は見えないし、明らかに触っちゃまずそうな見た目だなあ……」

 どうにかして正体を探る方法はないかと、千里は思考を巡らせる。殺風景な砂浜には板切れ一つ落ちてやいないとため息を吐きそうになったが、彼女はハッと顔を上げた。

「そうだ、海水! ……塩分たっぷりだし悪霊には効きそう!」

 霊能力者が聞いたら唖然としそうな発想を口にして、彼女は勢いよく海水をすくいあげる。そして回転しながら前後左右に水しぶきを放つと、軸にしていた片足に力を込めて停止した。

「……」

 悪い霊であれば、多少なりとも怯むだろう。そう思っての行動だったが、千里は真顔で口元に手を当てる。肉のない、骨だけになった顔が眼前に迫っているのを見るに、結果は明らかだ。自分はどうやら除霊に失敗したらしいと悟る。つまるところ、行きつく先は死である。

 呪い殺されるのかなあ、と彼女は反射的に目を瞑った。夢の中では何度か死を経験したことがある彼女だったが、流石に悪霊や幽霊といった存在に殺されたことはない。目が覚めた時に覚えていたら友人との話のネタにしようと考えて、彼女は死を待った。

 ああ、意外と苦しくない。痛みもなく、恐怖も無い。本当の死もそんな風に穏やかなのだろうかと思考していた千里だが、あまりにも何も無いことが不自然でそろりと瞼を開けた。

「……え?」

 眼前には、確かにおどろおどろしい骨の亡霊が迫っている。しかしその動きは謎の力で封じられていて、空中には真っ白な紙で出来た鶴が翼をはためかせていた。

 生き物としては不自然なほどに角ばっている鶴は、体から放った光で亡霊を拘束している。だがそれ以上は何もできないのか、事態は好転しない。千里が困惑していると、先ほど通ってきた小路の方角から小さな何かが全速力で駆けてきた。

 その生物は、短い尾に細長いものを巻き付けている。状況からして助けのようだが一体どうするつもりなのかと千里が凝視していると、小さな生物――紙で出来たネズミは、勢いよく身体を反転させた。

 放物線を描き、鼠の持ってきた何かは宙を舞う。腕を伸ばして掴み取った千里は、手にした物を確認すると信じられないように鼠を振り返った。

「ねえ、この場面で届ける物じゃなくない!? 何でお玉なの!?」

 お札とか刀とかじゃないの、と目をかっぴらく千里に、鼠は素知らぬ顔で無言を貫く。念の為にまじまじと観察してみる千里だったが、生憎特別変わったところの無い、ごく普通のお玉だった。

「……悪霊たいさーん」

 しばし逡巡して、千里は投げやりな態度で目の前の亡霊の額をお玉でコツンと叩く。こんなんで悪霊退治が出来るなら今日からその道で生きて行くわと内心馬鹿にしていた彼女は、骨の亡霊がスーッと溶けるように消えていく様をただ黙って見ているしかできなかった。

「……」

 いや、偶然かもしれない。たまたま、亡霊が消える瞬間とタイミングが合っただけだろう。

 そう考えた彼女は、鶴に拘束されていた他の亡霊の元へ歩み寄る。今度は適当な呪文すらも添えず、やや乱暴に斜め上からこめかみを殴った。

 物理的な感触ではなく、空気の波に触れたような不思議な感覚が伝わってくる。二体目の亡霊は、お玉の触れた場所から砂のように崩落していった。

「……」

 彼女は、最後の一体をじとりと睨む。そして鎧越しに腹をこつんと突くと、亡霊はよろよろとふらつき、波打ち際に倒れた。

 海に溶け込むように、その姿は霧散していく。あっけなく平和を取り戻した砂浜で、千里は苦々しい顔を浮かべて額を押さえた。

「訂正しなきゃ。お玉で悪霊退治は、変な夢ランキングトップ10に入るぞ……」

「むー、むー!」

 もしもこの夢がこの後も続くのであれば、トップ5入りも視野に入ってくる。足元で何かを伝えようとしているむーたんに屈んで視線を合わせ、千里は首を傾げた。

「どうしたの?」

「む!」

 鼻先を小路方面に向けたむーたんと同様に、千里は顔を上げる。すると、小路と砂浜の境界線に呆然と佇む男性の姿を確認できた。

 ミルクティー色の髪と若草色の袴姿のその人物が、どんな表情をしているかまではわからない。しかし動揺しているのは確かなようで、その足取りはひどく重い。

「むーたんの親御さんだ。……戻りが遅いから心配したのかな?」

 青年が出した指示は、迷い人を境内の外まで送り届けるという簡素なものだった。むーたんを上から下までぐるりと眺め、怪我が無い事を確認した千里は、ぽんとその背中を押す。

「ありがとう、戻っていいよ」

「む? むむ」

 お玉を運んできた鼠が青年の元へ走っていく様子を指さしながら千里がそう告げると、むーたんは拒否するようにしっぽをぶんと強く振った。その反応に、千里は意表を突かれたように目を丸くする。

「……まだ遊びたいってこと?」

 その呟きに返事はなく、むーたんは静かに千里の足元に佇んでいる。仕方なしに千里が足を動かすと、むーたんは黙ってついてきた。

「すみません、このお玉とむー……タヌキちゃん、お返ししますね。ありがとうございました、おかげで生き延びました」

 状況はさっぱり把握できていなかったが、お玉に命を救われたことだけは理解している。千里がお玉を差し出しながら礼を述べると、青年はゆっくりと首を横に振る。

「道中何があるかわからないから、それは君が持っていてくれ。今は君にしか扱えないものだろうしね」

「……伝説のお玉か何かなんですか?」

 大地に深く突き刺さった剣を抜けるのは伝説の勇者だけ、というのはよくある話だが、自分だけが扱えるお玉とはこれ如何にと千里が疑問符を浮かべると、青年は真顔で頷いた。

「うん。数百年前からウチに伝わる家宝の一つなんだ。でも実際にこれで怨霊を祓除できたのは……多分、君で二人目だと思う」

 まさかの二代目、と千里は心の中で突っ込んだ。しかし、所以があるからこそ伝説である。過去にこのお玉で誰かを救ったであろう人物の功績を称えつつ、彼女は現実へ戻る。

「じゃあ、有難く借り受けますね。これからの怨霊退治の旅に役立たせていただきます」

 ぺこりと頭を下げ、千里は青年の隣を通り抜けた。どうやらこの夢は少々長丁場らしいと判断し、彼女は怨霊とやらが跋扈するこの世界で出来る限りの伝説を残そうと決める。

「とはいえ、どこに行こうか。確か東に都があるんだっけ。大きい街には揉め事や事件があるものだし、まずはそこを目指そうか」

「む!」

 誰に言ったわけでもない独り言に、紙で出来たタヌキの相棒は元気よく頷く。千里がそういえばと立ち止まってむーたんを見下ろすのと同様に、青年もまたむーたんを注視していた。

「むーたん、流石に旅には連れていけないよ。君、紙で出来てるし雨に降られたらぺたんこになっちゃいそうだもん。ほら、親御さんの所に帰りな?」

「むー! むむむー!」

 しゃがみこんで千里がやや強めに青年の方へ押すと、むーたんはイヤイヤとでも言うようにじたんだを踏んだ。駄々っ子だ、と千里が困惑していると、それを見ていた青年が静かにむーたんに歩み寄る。

「……解」

 片膝をついてかがんだ青年は、むーたんの額に二本の指を当てて短くそう呟いた。するとむーたんの身体は淡い光を放ったが、すぐに収束する。むーたん本人もけろっとしていて、見た限りでは何も変化していなかった。

「俺はこの式神の主なんだけど」

「はい」

 立ち上がって振り返りもせずにそう切り出した青年に、千里は反射的に相槌を返す。彼はゆっくりと首を巡らせると、穏やかで柔和な笑みを浮かべた。

「主が君に書き換えられてる。……一体何をしたのかな?」

 笑っているのに、何故か怖い。何も知らないと主張するように千里が顔面を蒼白にして首を振ると、青年は黙って小山の上を指さして歩き出した。

 『ちょっと神社の裏まで来い』というお誘いだと判断した千里は、伝説のお玉を握りしめながらすごすごと彼についていく。

 いつの間にやら本当に相棒になっていたタヌキは、千里の足にすり寄るとむぅ、と小さく鳴いた。




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