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自分がセクシュアルマイノリティと気づくまで

作者: ヒロ

私の名前はヒロ(仮)。

親にも友人にも打ち明けたことが無い事が一つある。

それは私の性がクエスチョニングという事だ。

クエスチョニングだからと言って自分の性が何か分からない状態というわけではない。私は誰に対しても恋愛感情が湧かないこと、そして、誰に対しても性的欲求がわかないことからクエスチョニングなのではないかと思っているだけだ。


そして、私がこの本を執筆しようと思ったのはある一言だった。

「誰も好きにならないのっておかしくない?絶対好きな人いるだろ」

高校の同窓会で友人にこう告げられた。


その瞬間息苦しくなった。

でも、思ったのは自分がそのように発信出来ずにいるし、発信しにくい世の中だからなのではと感じた。

そこで、一人でも多くの人にこのセクシュアルマイノリティについて知ってもらえればと思って執筆することを決めた。


私はごく普通な家庭で生まれ、ごく普通な生活をしていた。

そして、幼稚園、小学校と通っていた。

小学校の頃ではすでに私は誰かのことを好きになって、そしてその誰かと結婚して、今のような家庭を築くのだろうと勝手に思い込んでいた。そして、女性に好かれたいと思い、バレンタインの時は人並みにチョコレートが貰えるのかドキドキしながら過ごしていたことを今でも憶えている。

実際男女が仲良いとカップルだなんだのと小学生高学年の時には揶揄ったりしたこともあった。


中学生になるとやはり、付き合いをする人が増え始めた。

告白の現場を見たり、男女が誰もいない放課後の教室で2人話したり、勉強をしたりする姿を見たものだ。しかし、この時からそうだったのかもしれない。羨ましいと思ったことが一度もなかった。しかし、やはり中学3年生までは結婚するんだろうな。"普通の"家庭を築くんだろうなと信じて止まなかった。


私がセクシュアルマイノリティなのではないかと感じたのは高校生の時だった。

一番初めに述べた言葉とは矛盾してしまうが、私はある一人の男性を好きになった。もし私が女性だったら何もおかしくないのだろう。ただ、私は身体的特徴は男性だった。その時まで自分の性自認に何も疑問を持っていなかった。普通に女性に恋をして、女性と結婚して家庭を築くとばかり思っていた。また、私の高校時代はLGBTという言葉自体ほとんど耳にせず、自分自身もなぜこのような感情を抱いているのかも分からず、また、恋をしたことが無かったため、これが恋愛的な好きなのか知人として好きなのかは全く分からなかった。


私自身これは恋なのだとその時に思ってしまった。

理由が好きという言葉が恋愛対象に向けたものだという認識しかなかったからだ。

言葉の未熟さというのはこのような勘違いを引き起こすのだろうと今執筆をしながらも私は感じている。


しかし、これを周囲に話すことは無理だった。私の男友達はは女性を好きになるのが一般的で周囲はAV女優の話や好きな女性アイドル、女優の話。さらには学校でどの女性が好きかや、誰と付き合ったなど話をしていた。

しかし、一人の男性に気が向いてしまった私はこの話に対して、何も言えなかった。そして、いつも話をするのは小学生の時いいなと思った女性の特徴を言ってその話題に加わるか、聞くだけといった状態で青春らしい青春はできなかった。そして、この時男性が男性を好きになるのは「ゲイ」だと書いてあったため、私は「ゲイなのかな?」と思い始めた。


知識が無いという事はとても恐ろしく、また、高校生の私にとってまず、LGBTという言葉自体あまり分かっていなかったため、このような錯覚を起こしてしまった。錯覚が錯覚を引き起こしてしまい、高校3年間は私にとって無の時間だったのだろうと今振り返ると思う。


実際、高校3年間この胸に秘めた思いは幻想だと思うようにして必死になって友達とうわべだけの青春を楽しんだ。はずだ。今では何をして3年間過ごしたのか全く思い出が残っていない。思い出が無いのが思い出なのかもしれないと今では思っているが、それは単なる自己満足にしか過ぎないのであろう。


時が変わり大学生になった私は未だに「ゲイ」だと思っていたため、自分自身の気持ちを秘めるために没頭できるものを探した。そして、ドラマ等の映像作品を作るようになった。

映像制作は時に辛く、仲間と上手くいかないこともあったけど楽しかった。そして、高校生の時とは打って変わって青春らしい時間を過ごすことも出来た。しかし、やはりふとした瞬間に私の性について疑問を抱くようになった。それは親からの一言だ。

「彼女出来た?」

私にとってこの一言が悪魔だった。そして、私が放った言葉は

「結婚願望はない。」

だった。それは親から聞かれたくない一心で放った私なりの言い訳だったが、なぜか腑に落ちてしまった。そして、再び私は自分の性についてしっかり知るべきなのではないかと感じた。


そして、高校の時の恋心が恋愛ではないと思うようになった。

理由として、大学では一度も誰かを好きになったことが無かったからだ。そして、アニメを観て推しになったとしても恋愛とは違う応援したいという気持ちの“好き”のみだった。

一体これは何なのか。初めは知るのが怖かった。知ってしまえば自分が自分で無くなるのではないかと、この社会では不適合者としてのレッテルを貼られてしまうのではないかと。そう感じたからだ。


これがアメリカだったら違うのだろうと思った。

アメリカだったら自分の性をはっきりと伝える文化があり、そして、それを受け入れてくれる文化がある。その象徴が虹色の旗だ。今思い返すと高校の修学旅行でアメリカに行ったときこの虹色の旗を見て、こんなに自由な国があるのだなと思ってしまい、いつかアメリカに暮らしたいと思うようになってしまった。


私は一時期、自分の性からは目を逸らしていた。

やはり、他の人に知られて、友達から揶揄われてしまい、自殺した大学生の話などを親がしていたのを聞いて、自分が他の人と違うことを親が知ったら悲しむだろうと思ったからだ。

そして、その気持ちの逃げ場としてBLや百合漫画といった普通の恋愛ではないものを読み漁るようになった。親に見つかったときはどのジャンルも好きなんだの一点張りで通し、今は見つからないようにして隠れて読んでいる。この隠す作業もとても疲れはした。友人は一切家に呼ばず、そして、BL漫画だと分からないようなタイトルの漫画を買うようにし、BLとばれてしまうタイトルのものはピッコマ等の電子版でこっそりと読む等、徹底的に隠した。

しかし、一人で楽しむというのは楽ではある一方孤独ではあった。その時救いになったのが腐女子と呼ばれている女性の存在だ。実際私は様々な大学の方と交友関係を結ぶことが出来、その中にBLを好んで読んでいる人たちもいた。そういった人たちとたまに映画に行ったり、漫画を買いに行ったり、話したりすることによって、やっとある程度隠さずに済むことが出来た。


それでもやはり、私が男性であることには変わらなかった。やはり、腐女子という言葉は一般的になってきても、腐男子という言葉はまだまだ知られていない。そのため、大学の男友達にBL読んでいることがバレた時は心臓が持たなかった。


「お前、ゲイだったのか?」


と、当時の私には心をえぐるような言葉も出たからだ。しかし、幸いなことに様々なジャンルのアニメを観ていた私は


「雑食だからBLも百合も行けるんだ」


と話したら納得をしてもらえた。私のアニメ知識万歳とこの時心の中で思った。

ただ、この言葉を境に自分が本当は何なのか知る必要があるのではないかと思った。

それが大学3年生の時である。

それまではゲイ(仮)という曖昧な立ち位置だったため、自分は男性であり、男性に対して恋愛対象を持つことがたまにある(今までで一度しかなく、またそれも恋愛対象としての好きではないと気づいていたにも関わらず)。という私自身でもフワフワとした存在となっていてこのままではヒロと言う私の存在も消えてしまうのではないかと思うようになった。


そして、恐る恐るパソコンで

「自分の性 分からない 診断」

と検索を掛けた。


勿論誰にも知られたくなかったので、

深夜に調べた。そして、この執筆も実は深夜に書いている。

やはり、深夜という時間は誰にも見られていないという安心感が私にあるからなのだろう。


診断を様々な系統だった。分からないという選択肢があることに感銘を受け、本当に分からないものは分からないと選択をした。

そして出た結果がクエスチョニングだった。

しかし、初めて聞く言葉に私は文字通り頭の上にクエスチョンマークが大量に浮かんだ。


そして、好奇心に駆られるがままに

「クエスチョニング」

と検索を掛けた。


そこに乗っていたのはこんな文面だった。

クエスチョニング(Questioning)とは、「自身の性自認(自分の抱く性)・性指向(好きになる性)が決まっていないセクシュアリティ」を意味します。

「自分は男性なのか、または女性なのか、さらにはそのいずれでもないのか中間地点か……」

と、性自認が決まっていなかったり、

「自分が好きな性は男性なのか、女性なのか、そのいずれなのか、すべての性なのか、どの性でもないのか、そもそもその感情を抱かないか……」

という、性的指向が決まっていない人もいます。

そういった人のことを、クエスチョニングといいます。

人によっては、性自認・性指向のいずれかが決まっていないこともありますし、または、その両方で性が決まっていない人もいるでしょう。


また、他のサイトではその他に自分の性を決めたくない人や、自分の性的思考が2次元や、人ではなく、物体になっている等、様々な意味合いが乗っていた。


私はすぐさまこの性なのではないかと思うようになった。

理由は先に述べた通り、誰にも恋愛対象が向かず、誰にも性的感情が湧かないからだ。


ここまで決まったら心が楽になるだろう。

そう勝手に思い込んでいた。


そして、事件が起こってしまう。

それはある日の高校の同窓会だった。

一人の男性がある女性とお付き合いをするのか迷っているという話になった。実際、その子の話を聞いて自分なりの意見も言った。そうこうするうちにいつの間にか話は中高の好きな人の話になった。

そして男性陣が一斉に好きだった子の名前を挙げた。実際、近くに女性陣もいたため、その人たちからも「マジ!?」という反応や「やっぱり!」といった様々な反応があった。

そして悪魔の言葉が私に向けられた。


「ヒロは誰が好きだった?」


私は好きな人がいなくてもいいんじゃないかと思ってこう答えた。


「いないよ」

と、そしたら続けてこう聞かれた。


「彼女とか作んないの?結婚とかは?」

私はこの質問が一番嫌いだった。なぜなら、いつどんな時でも聞きやすい一言のように皆聞いてくるからだ。


「作んないよ。そもそも結婚したくないし。」


その一言に女性陣から言われたのは

「ヒロはモテないからそう言って強がってるんでしょ?」

そして、男性陣から言われたのは

「結婚願望が無い男性とかいるの?」

と。私にとっては最悪な瞬間だった。嘘をついてまで結婚したいと言えない自分を憎んだ。


私は苦し紛れに言った一言は

「好きって感情がわかんないんだよね」

だった。そして、学年で好きだと言われそうないわゆるマドンナ的存在の女性から

「私のことも好きじゃないの?」

と聞かれた。私はなぜこんなことを聞くのか全くわかんなかったが、正直に

「女性としては魅力的だと思うし、友達としての好きはあるかもしれないけど、恋愛的な好きじゃないよ」

と言った。


私に対しての言及はここまでだったが、本当に嫌な瞬間だった。

そして、場の空気を和ませたいという一心からカラオケなどでよく歌われる曲や皆の聞いたことある曲を入れて、場を盛り上げることに徹底した。


皆本当に盛り上がってくれたし、帰り際にその子から盛り上げてくれてありがとうとも言われたが、今でも私は思っている。

高校の同級生に変な目で見られていないかなと。

もし、この時セクシュアルマイノリティについて言っていたらどうなってたのだろうと。


多分私はその言葉を発した瞬間に全ての人と縁を切るのかもしれない。

この空間に言えるのは自分が何者か言及することもなく、そして、誰かに読まれるまでは分からないと感じているからだろう。


しかし、知ってほしいことが一つある。

それはセクシュアルマイノリティとは、病気でもなく、精神障害でもないという事だ。

ただ、自分の性について他の人と少しだけ異なる価値観を持っているという事。そして、その価値観は恋愛対象や性的指向かもしれないし、自分自身の性自認かもしれない。

それでも、その人がそう感じ、そうだと思うようになるには私のように苦労している人もいるという事。そして、相談がしづらいという事だ。

そのことだけをこの本を手に取ってくれたあなたに知ってほしい。


そして、私と同じように苦しんだ人には

あなたと同じように苦しんだ人がここにもいるという事。私自身の言葉がすべてではないが、今も苦しい思いをしている人は多いのではないかと感じている。そして、その人たちには私のようにとは言わないが、前を向いて歩く勇気を持ってほしいと思っている。


まだ30年も生きていない短い私の人生だが、この小説がいつの日か多くの人を救うことを夢見てこの小説のあとがきとする。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ご自身に嘘をついてない点が素晴らしいと思います。自分に正直でいるのが、一番難しいと思うので。 [気になる点] 「結婚願望が無い男性とかいるの?」 いるに決まってんじゃん! 逆になんで全員に…
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