こんなに人を殺したいと思ったのは人生で初めてかもしれない
多くの方が不快になるであろう表現がありますので、読む際は心臓に毛を生やしてお読みください。
先日、葬儀に出ました。死んでもいい人の葬儀だったので、私はものすごく冷静に参列していました。
冒頭からこんなことを言っていると「死んでいい人間なんているわけないだろ!」とお叱りを受けるかもしれないので予め言っておきますが、全然います。
でもこの話は今回のメインではないので、「とりあえずパニックとかにはなってないんだな」とだけ覚えておいていただければ大丈夫です。
さて、スムーズに葬儀が終わって出棺です。喪主だけ霊柩車で、我々はバスで火葬場へ向かいました。
で、死んでもいい人を炉に入れてからけっこう待ち時間があったので、その火葬場がやってる待合所みたいな所に行きました。
ここの待合所には無料で食べ物を注文出来るサービスがあり、過去にクロワッサンとおでんを食べたことがありました。
ここから今回のエッセイの本題に入るんですけど、このクロワッサンがとんでもなく美味しいのです。それこそ不謹慎ですが、死ぬほど美味しいのです。なので、葬儀の前日は楽しみすぎて眠れませんでした。
で、数年ぶりに食べたんです!
神クロワッサンを!
もうね、泣いちゃいました。美味すぎて⋯⋯
私、これまでいろんな美味しいパンを食べてきました。高級なパンも、普通のそのへんのパンも、自分で焼いたパンも、本当にいろんなパンを食べて生きてきました。
その全てを軽く凌駕するレベルです。
パンにはあまり詳しくないので、なぜこんなに美味しいのかは分かりません。でも、他にないレベルで美味しいパンを焼くのです。ここのおじさんは。
もちろんおかわりをします。みんな10個単位で頼んでいました。火葬が終わる時間まで、狂ったように食べました。
その様子はまるで、タヌキに化かされた旅人のようで、見た人全員が感心してしまうような食いっぷりでした。ガツガツという擬音が聞こえてくるほどです。
火葬が終わると、あいつの骨を拾いに火葬場に戻りました。この時、私は「次クロワッサンを食べられるのは何年後だろうか」という喪失感をひしひしと感じ、今にも泣き出しそうな心境でした。
恐らくあの店は火葬場の利用者しか入ることができないので、人が死んだ時しか機会がないのです。
(親族の誰かが死ねば、またクロワッサンが食べられる)
食い意地が殺意に変わった瞬間でした。
今はクロワッサンの感動が薄れてきていて殺意もなくなったのですが、この時は本当に「誰を殺してやろうか」と考えていました。
まだまだ若輩の私ですが、それなりに辛い経験をして生きてきました。人に殺意を覚えたのは1度や2度ではありません。
そんな中で、今回の殺意が1番強かったと思います。
理不尽なことで虐げられたり、折れた腕を弄り回されたり、言いがかりをつけられたことよりも、クロワッサンの方が強い⋯⋯
こんなことあります?
これに気づいて「ヤバいだろ」って冷静になったんですけど、本当にヤバくないですか。自分が怖いです。こんな変な動機で人を殺したくないです。
「また会えるから」で有名なサイコパス診断ありますよね。あいつよりサイコパスじゃないですか。
食べ物の恨みは恐ろしいって言いますけど、これはなんて言うんでしょうね。特殊すぎてないかもしれませんね。これを表す言葉。
でも多分、こういう事件も世の中にはあるんでしょうね。美味しいものが食べたくて人を殺したっていう事件。
人間の欲ってすごいですね。