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最終話です。
やっと到着したダジェロ辺境の邸に、ルーナの姿はなかった。ランベルトが問い詰めた門番から、ルーナが一人で訪った事実が分かった。
「アリーチェが悪戯したんだろう。官舎を確認しようぜ」
追いついたレオナルドに促され、ランベルトは官舎に向かった。
門の近くにはアウローラとスプリウスの姿もあった。
事態を聞いたのだろう。血相を変えたアウローラが、ランベルトに詰め寄る。
「ルーナをデュメルジに連れて帰るわ。元々、無理があった結婚だったのよ。ルーナを巻き込んだ責任は、私にある」
歯を喰いしばって、ランベルトは向き合った。
「夫婦のことを外野が勝手に決めるな。ルーナは俺の妻だ。寄るな。とっととデュメルジに帰ってくれ。スプリウス国王も、婚約を早く発表してくれよ。俺たち夫婦を巻き込むな」
「元々の原因は私よ。ああ、ルーナに申し訳ない。私が結婚を諦めれば良かったのよ」
スプリウスが後ろから肩を掴むが、アウローラの嗚咽が収まらない。
「落ち着くんだ、アウローラ。ルーナのことは、ランベルトに任せるべきだ。妹だからって、アウローラがしゃしゃり出るのは、変だよ」
スプリウスに遠慮しながらも、堪え切れないとばかりにレオナルドが吐き出した。
「僭越ながら、アウローラは出しゃばりじゃん」
レオナルドの声に、アウローラが拳を振り上げた。
「ルーナを蔑ろにしたのは、ランベルトでしょう? ルーナを一人にした。妻に対する屈辱だわ」
アウローラを睥睨した。デュメルジに居たら、分からないのだろう。夫婦の在り方も、土地に縛られる。常に一緒に居られない。ダジェロ辺境を知らない貴族の考え方が、アウローラから透けて見えた。
「ダジェロ辺境を甘く見るな。トゥスクル王国の平穏は、此処から生まれている。ルーナとの生活を守るために、ルーナと共に居られない時はある」
そっぽを向いたまま、アウローラが言い募る。
「そもそもあのアリーチェを信用してルーナを任せる気が知れない」
「アリーチェは任務は果たしたよ。斥候だから文句を言いたかったら、第二砦に行きなよ」
レオナルドがアウローラに眉を顰めて見せた。
「新婚なのよ。可哀想だわ。頭では分かるわ。心が辛いのよ。もっと時間を一緒に過ごしてあげて」
アウローラの言葉は、そのままルーナが感じた思いだろう。悔やむ気持ちもあるが、ランベルトは毅然と顔を上げた。
「そう思うなら、俺を開放しろ。スプリウス国王とアウローラの婚約を進めるために、ルーナとの結婚を急いだわけじゃあない。俺は、一刻も早くルーナを娶りたかったんだ」
「ランベルトはルーナを大切にできないのよ。ダジェロ辺境は、ルーナには厳しすぎる。ダメだわ。本当にルーナを望んだのかしら?」
喚き散らしているアウローラを、後ろからスプリウスが押さえつけ、口付た。やっと黙ったアウローラに目を据えた。
「俺は最初から伝えている。浮かれたアウローラが聞いてなかっただけだ。俺の気持ちが歪んで伝わっている。俺の妻は、ルーナだけだ」
言い合いながら進むと、魔法騎士団の官舎に着いた。
ルーナがいた。
一歩早く、アウローラが駆け寄り、ランベルトを追い越した所で転んだ。
手を伸ばし、アウローラを助ける。
目を見開いたルーナが、身を翻した。また、伸ばした手から零れる。ランベルトは、手繰るように手を伸ばした。赤銅色の髪が、指の間から逃れて行く。
「違う。黙れ、道を開けろ」
「新婚だからって、浮かれてますねえ。積極的な新妻だ」
「顔を寄せあってる」
「どういうことよ。ルーナが官舎に居て、騎士服で、洗濯している。ダジェロ辺境伯夫人を、蔑ろにしている」
腕の中で、アウローラが襟を絞め上げる。
後ろから駆け寄ったレオナルドに視線を流す。アウローラを後ろから羽交い絞めして、引き離した。
「アウローラの相手はできない」
スプリウスの胸にアウローラを押し付けた。
サミュエルが立ち上がった。
「早速、夫婦喧嘩ですか? ルルがいなくなっちゃった。探しに行くわ」
「夫婦ではない。アウローラを知っているサミュエルなら間違えないだろう。わざと煽っている。おい、サミュエルがルルと呼ぶのは、赤銅色の髪に、紫水晶の瞳の騎士服を着た女性だろうか?」
ルーナの進んだほうに、走り出す。サミュエルの後ろから、若い騎士が連なって来た。
「そうなのです。ルルは、騎士団の官舎を瞬く間に掃除したんです。洗濯も食事の支度も、得意で、実は、私のお気に入りです」
頬を染めて告げるサミュエルを睨みつける。
「抜け駆けなしっすよ。ルルちゃんは、官舎の可愛いアイドルだ」
「マスコットじゃん。剣の相手も楽しくって、笑うと紫水晶の瞳が輝くんだよ」
「料理が上手で、嫁にしたい一押しのルルちゃん」
若い騎士が、肩を叩き合っている。
信じたくない思いだった。
「うかうかしていると、取られてしまう。ルルって名前で呼ぶな」
「初対面の時に、可愛くどもっちゃったのよ。ルルルッナ? ルルナナール? だから、ルルって呼んでいます」
「勝手に可愛がりやがって、気安く相手をするな」
「へ? 怖いんですけど、ランベルト様が怒っているようです。早く子猿を身に連れて行ってあげなさいよね」
サミュエルが部下を引き留める。
安全を考えてダジェロ辺境伯の邸に送ったルーナは、無事でいた。姿は確認できた。
「ルーナが気に入る場所なら、分かる」
官舎の裏手に、プラムの畑がある。満開のプラムが、白い波のように見える。赤銅色が枝の上で揺れた。見上げる。手を差し伸べた。
―――☆彡☆彡☆彡―――
結局、夫婦の時間を持つこともできなかった。
ルーナは、眼下に広がるプラムの花に手を伸ばした。自家不結実のプラムは、蜂の媒体によって他の木から運ばれる花粉によって実を成す。より確実にプラムを実らせるためには、人の手で受粉をする必要がある。プラムの花から花粉を採取すると、収穫量が減る。花粉の収穫を目的とする花桃や桜を近くに植えて、鳥の羽や筆を使って花粉をプラムに着ける。あらかじめ花粉を集めて、プラムに受粉する場合もある。今も、遠くでプラムの花の間を動く鳥の羽が見えた。
「受粉の邪魔になるけど、でも、動きたくない」
夫婦どころか、ルーナは恋をするのも叶わなかったと思い知った。自分に、沢山の言い訳した。だが、本当はランベルトへの想いが断ちきれなかっただけだ。それももう終わり。いい加減、ランベルトに対する恋心を消さなくてはならない。今度こそ、想いを必死に消そうとルーナは決めた。
「お似合いの二人の姿を、ダジェロ辺境で見るのは辛いです。私の居場所がなくなっていきます」
ダジェロ辺境伯の邸にも、入れなかった。官舎からも逃げ出した。何をやっても、アウローラには敵わない。光り輝く姿で、アウローラはルーナを圧倒していく。
「無事でよかった」
ランベルトの声に、ルーナは返事をする。
「一人では何もできません。月は、自らは光りません。ランベルト様は、結婚を納得していないのですね」
強張った声が出た。
「ルーナと結婚したんだ」
「ダジェロ辺境では誰も、私のことを知りません。アウローラ姉様を妻だと思っているのです。お似合いの二人です。私は、ランベルト様の横に並べません」
拗ねた声が、恥ずかしたっか。出会った時の子供のようだ。
「ルーナは、それでいいのか? 俺との結婚を決めたのは、ルーナ自身だ。魔獣が出る場所だから、一緒に居られない時もある。砦からの斥候も来る。俺も砦に行く。斥候として女を使うのは、早く馬を走られられるからだ。他にまだ疑問はあるかな?」
沢山の疑念がルーナの中で連なっていた。信じたいが、信じ切らないほどたくさんの話を聞いた。ランベルトとは話ができていない。
「ランベルト様を追いかけて、多くの女性が来ると聞きました」
「追い返しているはずだ。門番がルーナを追い返したと聞いて、焦った。アリーチェの嫌がらせだ。手違いがあって、悪かった。謝罪する」
アリーチェの嫌がらせは感じていた。防げなかったのが、ルーナの度量が足りないせいでもあった。だがルーナは、疑り深くなっていた。
「アリーチェ様の思いを、知っている騎士は多くいました。許しません」
応じるルーナに他の使用な声が返って来た。
「そうだよな。許せないだろう。なら、下りて来て、剣のけいこを再開しよう。他の光を反射するのだって、月の美しさだよ」
幼い時に、ランベルトがかけてくれた言葉だった
「覚えていたんですか?」
「忘れない」
ランベルトが笑んでいた。
笑顔が悔しくて、一番胸に詰まっていた懸念をぶつける。枝の上で立ち上がり、空を向いた。
「私は愛人にも愛妾にも側妃にも、なりたくありません!」
大声が出た。
「物騒だ。ルーナは、アウローラの恋人を知らなかったんだな。スプリウス国王とアウローラは、恋人同士だよ。年上の王妃はクントト大陸でもいないから、揉めたんだ」
驚き過ぎて、返事が出来なかった。
伯爵家の令嬢は、王妃になるには物足りない。年上で、華やか過ぎる。アウローラが王妃となるための障りを、ランベルトは淡々と説明していった。
「ルーナを王妃にって話を押さえ込むためにも、早く結婚したかったんだ。新婚生活には不向きのダジェロ辺境に連れて行くと決めたんだ」
プラムの枝に向かって、ランベルトが懸命に話しかけてくれている。打怖じる返事が出せないルーナの姿に苦笑した。
「十六歳になったルーナに結婚を申し込んで、二年もかかったと。待っていたんだ。美しい花嫁になってくれて嬉しかった」
信じたいが、ルーナの中にはまだ疑念があった。おずおずと言葉を紡ぎ出す。
「ダジェロ辺境だからこそ、愛妾を囲えるとも考えられます」
一番の懸念だった。
「断固、拒否する。何を聞いたのかな? アウローラだって黙ってないよ」
「スプリウス国王を、アウローラ姉様は慕っているんですね」
「それだけじゃあない。可愛いルーナをダジェロ辺境に送るほどに案じていたんだよ。ルーナでいいのかって、何度もしつこく確認された」
聞いていた。一番、失望した言葉だった。
「ルーナでいいんですよね」
「勘違いするな。不承不承じゃあない。魔法騎士団の事情も、スプリウス国王の結婚も、ルーナの関係ない所で俺には関わって来る。ルーナの負担になる。告げていないことも多かった。誤解させた」
「知りたかったです。周囲には多くの女の人がいるようだし、砦の女とか、邸に押しかける女とか、愛人とか愛妾とか、辛かったです」
ランベルトの語気が、荒くなる。
「ルーナだけだ。誰もいないのに噂だけがある。それでも、結婚相手はルーナでとお願いした。好きなルーナを、何としても娶りたかった」
「そこは、ルーナが良いって言ってください」
「全くだ」
ランベルトの手の中に、汚れたマリアベールがあった。
「マリアベールを割いてしまいました」
懐から、ずるずると引き出す。家政魔法を使って綺麗に繕ったが、随分と短くなってしまった。
「持っている」
ランベルトの手の中に、汚れたマリアベールがあった。
「魔獣を斬り倒したのは、ルーナにとって正しい判断だ。斥候なら逃げる。ダジェロ辺境は忙しい。夜まで待っていたら、何もできない。なあ、デュメルジに戻るとは言ってくれるな。此処にいてくれ」
枝の上から、ルーナは舞い降りた。
「子猿を見せてください」
ランベルトの腕がルーナを受け止め、抱き上げた。
【了】
お読みいただきまして、ありがとうございます。
完結することが出来てました。読んでくださる皆様の存在が、とてもうれしかったです。
とても沢山の方々が読みに来てくださって、本当に感謝申し上げます。PVの多さに、嬉しくも慄いています。