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もう少し・・・
野営地を出て、五日が過ぎた。ランベルトは冥闇の中に潜む魔獣を殲滅していった。
「辺りをもう少し探ったら、第一砦まで引き返す。一度、ダジェロ辺境伯の騎士団まで戻る」
言葉にしなかったが、ダジェロ辺境伯の邸が気になった。送り出したルーナが気掛かりだった。ルーナは元騎士だったとのレオナルドの助言を思い出す。確かに、第一砦にいたほうが、近くに留めて置けたはずだ。
考えるほどに、気が焦った。馬を止めることなく、ランベルトは移動を続けた。砦と砦の間は、互いに半日は掛かるほど離れている。
「何かありやすよ。魔獣の血が付いてる。元々は綺麗な布でやしょうか?」
木の枝に、結ばれたレースに見覚えがあった。
「この臭いの血は、ホーンラビットでやすよ。第二砦に向かう道にはいないはずだ、はて? 何があったんでやすかね」
差し出されたレースは、魔獣の血が付いていた。
「レースに血が擦りつけてある。変だ。ルーナがこの奥地まで来たはずはない。此処に来るのは、アリーチェだけだ」
「酷い阿婆擦れで、話すのも難儀でやす。ルーナ様のマリアベールを奪ったんでやしょうか?」
アリーチェは優秀な斥候だった。索敵を得意とし、回復魔法も使う。ダジェロ辺境で得手を活かしているようにランベルトには見えた。異性関係の奔放さもあるが、任務には熱心に取り組んでいた。アリーチェの悪癖とルーナのマリアベールがランベルトの中では繋がらない。
「意図が分からん」
ランベルトの答えに呆れたような部下が、呆れた様子で何度も首を振るった。
「ランベルト様は、御自身に向けられる好意に無頓着でやす。ダジェロ辺境伯の邸に入り込みたがる女が多いって、知ってやすでしょう? 門番が嘆いてるでやす」
「女って、斥候の希望者だろう」
全員の部下の首が、激しく左右に振られた。
「砦で、ランベルト様をお慰めする役目を持ちたいって、アリーチェは豪語するでやす。砦なら、その、離れているから奔放になるとか、淫乱にするとか、噂です」
「戯言だ」
ランベルトが、身の潔白を示す激しい視線で見返した。
怯まなかった一人が、おずおずと言葉を続ける。
「家鴨の肉の恩義を感じて、申し上げます。ルーナ様は、如何聞くでしょうか? アリーチェと二人きりだと、心配です」
ダジェロ辺境での砦には、確かに女がいる。斥候の役割を持たせているだけだ。魔獣の出現を管理するために、砦は厳しく管理されている。
「そもそも砦は忙しい。誰もが女にかまけてはおられない場所だ。これからは、噂の対処もする。マリアベールは持って帰る」
このマリアベールからは、アリーチェの揶揄いが透ける。ダジェロ辺境に慣れないルーナが、ホーンラビットを斬ったのだろう。剣なら、アリーチェより優れている。
「アリーチェなら、馬で逃げると言い放つんだろうよ」
「危ない賭けでやすね。斬るか射るか、街道にホーンラビットが出たなら始末が鉄則でやす」
斥候と冥闇の巡回監視する騎士は役割が違う。アリーチェの言分も正しく、騎士の主張も正しい。
「ツーハンドソードの切れ味を見たかった。急ぐぞ。早くルーナの元に行く」
今は、攻撃魔法を常時展開し、回復魔法を使い続けて、二時間弱で移動をしていた。共に馬を走らせる二人の騎士にも疲労が見える。
「直ぐに飛び出しそうな魔獣は、押さえましたね」
冥闇の瘴気を食らって、魔獣は肥大すると考えられていた。魔獣が小さく、数も少ないうちから討伐する必要がある。
「しばらく時間は稼げただろう。急ぎたい。斥候はデュメルジにも向かった。援軍が来るかもしれない。予定より遅くなった」
ダジェロ辺境伯の邸で、ルーナと生活を始めている予定だった。
「新婚でからね。ほら、第一砦が見えて来ましたよ。焦らなくても、荷物もちゃんとあるようです」
第一砦は賑やかだった。
レオナルドが駆け寄って来た。
「ランベルト、拙い事態だ。ダジェロ辺境の騎士からの話を聞け」
顔を顰め、手を振り回すレオナルドは移動の準備も万端だった。
魔獣が迫っているのだろうか? 冥闇の様子は、第五砦の辺りまで平穏だった。アリーチェが知らせた第二砦の付近も、今は問題がない。必要な処置は滞りなく済ませた。
「緊急に何か、あったのか?」
「何もないから、困っているんだ。ランベルトが戻らないから、ダジェロ辺境の騎士隊から捜索隊が出た。第二十三隊のサミュエルは官舎に残っている。問題は、ダジェロ辺境伯の邸に、誰も来ていないって事実だ」
「その話は、余にも詳しく聞かせよ」
ランベルトの肩に手が置かれた。ダジェロ辺境伯でもあるランベルトの身体に気安く触れられる人間は限られる。
重々しい言い方で、若さを押し隠す声音だった。
「スプリウス国王陛下が、随分と急いだ出陣だ」
言葉に滲む険が隠せなかった。
第一砦でランベルトを出迎えたのは、スプリウスが率いるデュメルジからの援軍だった。
第一部隊の隊長となっているスプリウスは、騎士王とも呼ばれる。国王自らが騎士となって魔獣に立ち向かう姿を、国の内外に示している。
スプリウスの横に、波打つ金髪が見える。
「アウローラまで、何でいるんだ?」
「斥候がデュメルジにも来たのよ。嫁いだばかりのルーナが心配で駆けつけたの。ルーナの荷物だけが、第一砦にある。新妻のルーナは何処なの?」
スプリウスは振り乱れる金髪を宥めるように、アウローラの頭を撫でる。
「何度も翻意を促したが聞き届けられず、余も無念だ」
斥候がデュメルジに届けば、必ず援軍が出る。スプリウスが自ら出る場合もあるが、今回はアウローラと一緒に遠乗りの心算のような気楽さが見えた。
「遠征を、デートと勘違いしているのか? スプリウス国王は、既に尻に敷かれている。アウローラの手綱を引き締めろよ」
アウローラは、スプリウスより三歳年上だ。クントト大陸の多くの国で、王より年上の王妃はいない。歴史を紐解いても、年若い王妃を喜ぶ場合ばかりが目に付く。騎士団の中で出会ったスプリウスとアウローラは、互いに思いを伝えあって三年が過ぎた。だが、結婚を認められない風潮があった。ルーナは知らなかったようだが、アウローラより、ルーナを王妃に推す声が強かった。
ルーナの結婚を急いだのは、ランベルトだった。だが、スプリウスの意向もあったのは事実だ。アウローラだけを王妃に望んでいるとの強い意志を、スプリウスは明確に示した。
今回の援軍も、スプリウスとアウローラの寄り添う姿を誇示する狙いだろう。
「スプリウス国王がそうやって甘やかすから、アウローラがつけあがる。やっとルーナから鬱陶しい姉を引き離したんだ。新婚の邪魔は、控えて貰いたい」
一度も馬を下りずに、ランベルトは報告を受けた。
アリーチェは騎士団の官舎に三日前に顔を出し、連れはいなかった。直ぐにまた第二砦に戻ったらしい。ルーナを邸に案内したのなら、同行者は官舎に来ない。だが、ルーナは邸にも官舎にもいない。
轡を並べたレオナルドは、後ろを気にしながら言葉を続けた。
「アリーチェがいない。ランベルトとの結婚を、やっぱり狙っていたんだろうか? ルーナ様を――」
「斥候の役割は、果たしたはずだ。ダジェロ辺境には入った」
マリアベールを握り締めた。ホーンラビットの血が臭い。
「おい、ルーナ様は何処にいるのかなあ? 無事だよね。ランベルト、いきなりそんな激しいも法を使うな、止めろ」
レオナルドの言葉を否定したくて、強い攻撃魔法を展開した。レオナルドを引き離し、ダジェロ辺境伯の邸に向かったランベルトは一人になっていた。
―――☆彡☆彡☆彡―――
洗濯を終えたルーナがプラムの木によじ登ろうとした時に、サミュエルの声が飛んで来た。
「ルル。少し休みましょう。働き過ぎよ。毎日、洗濯に掃除に食事の支度って、動き通しで、おまけに剣の鍛錬までしている」
くるりと一回転をして、プラムの木から下りた。
「子猿みたいね」
また木登りと子猿と聞いて。ランベルトを思う。子猿を一緒に見に行こうとの約束は、果たされるだろうか。
「ダジェロ辺境で、子猿が見たいです」
願望が口から零れた。
慌てたようなサミュエルが、ルーナの両肩を掴んで向き合った。
「子猿って、本気にして良いの? ルルは子猿を見たいの?」
真剣な様子に身体が竦む、何か突拍子もない発言をしたのだろうか? 子猿の話はランベルトに聞いただけだ。
「以前、ダジェロ辺境の子猿の話をしてくれた人がいたんです。可愛い子猿がいるって教えてくれました」
「まあ、悪い男だわ。ダジェロ辺境の子猿は、特別なのよ」
意味深に笑うサミュエルは、ルーナから離れて座った。
「危険が迫った時に幼い子猿を、母猿が抱いて移動する。父猿は一緒に居られない時が多い。ダジェロ辺境で子を守り、家を守るのは母親よ。子猿を見るって言うのは『家庭を作ろう』って口説き文句なのよ」
ランベルトの思いは、あの言葉に詰まっていたのだろうか? 信じたいとルーナは強く思った。夫婦が共に居られないのが、ダジェロ辺境の日常だ。ランベルトが戻れば、ルーナは邸に迎えられるとの希望もある。
「ルルに口説かれたかと思って、舞い上がっちゃったわ」
ルーナは結婚している。親しく夫以外の男性と子猿を見に行くわけにはいかない。サミュエルが呼ぶルルがルーナとは分かっていないようだが、嘘はつきたくない。
「すみません。迂闊な発言でした。子猿は、別の女の人と見に行ってください」
ツーハンドソードに手を掛けて、深く頭を下げる。騎士が示す謝罪の姿だ。
「あらら、振られちゃった。ルルの剣は、ランベルト様の剣筋に似ているわね。憧れて、ダジェロ辺境まで来ちゃったのかしら?」
確かに、憧れはあった。小さく微笑んで、サミュエルに応じた。
「最初に剣を教えてくださったのが、ランベルト様でした。十二年前です」
「へえ、古くからの知り合いなのね。自ら剣を教えたって話は、聞いた記憶がなかったわ」
ランベルトも、めったに剣筋を開示はしないと言っていた。
「プラムの木の上で泣いていたんです」
出会ったのは、デュメルジの魔法騎士団の官舎だった。あれ以来、ルーナがよじ登るのはプラムの木と決めていた。いつかまた、ランベルトが来てくれるような気がしていた。枝の上からランベルトの姿を何度も探した。
「嫌なことがあったのを、放っておけなかったのね。罪作りな男だわ」
ランベルトは厳しくも、面倒見が良いのだとサミュエルが続ける。どんな人にも強みとなる力が備わっていると、言い聞かせてダジェロ辺境の騎士団を纏め上げている。
「優しくて、ランベルト様は厳しいです」
第一砦に同行を許可しなかった毅然として物言いが、ルーナの胸を締め付けた。分かっている。危険な地域では、経験が重要だ。ホーンラビットの影に反応して、ツーハンドソードを振り回したルーナは、経験値が足りない。ランベルトの判断は正しい。
だが、ルーナはどうしようもなく寂しかった。
一緒に居たいと思うのは、我が儘だと分かっている。新婚だからとの甘えが許されないのも、理解した。子供っぽい行いだと思っても、魔法騎士団の官舎で拗ねている自分が情けなかった。自分がダジェロ辺境伯夫人だ主張して、堂々と邸に赴くことは到底考えられなかった。このまま魔法騎士団の官舎で埋もれていたかった。
ランベルトが褒めてくれた剣筋を辿ることしか、二人の繋がりを感じられないほどに辛い。
ルーナの体幹がぶれずに、剣の切っ先が鋭いと見極めてくれた。相手の懐に飛び込み、接近戦に打って出ると見せかけて、近づく前に両手で渾身の力で剣を打ち込む。人間相手なら、負けない剣筋をルーナは会得していた。
「ツーハンドソードが使えると、教えてくれました。それから、私はずっとツーハンドソードを愛用しています」
「でも結婚しちゃったわ。もう直ぐ新妻を連れて御帰還よ。ランベルト様も結婚を急いでいたから、残念に思う女の子も多い」
重装備の門番の言葉が蘇ってきた。アリーチェも、グレタも、多くの女がランベルトの周囲にいると警告していた。
「皆の憧れです。ダジェロ辺境まで追いかける女性も多いし、砦に女の人がいるとも聞きました」
サミュエルが首を傾げた。銀髪が風を孕んで艶めく。
「砦の女って、まあ、そんな噂もある。さっきも言ったでしょう。ランベルト様は、長所を最大限に生かす。だから、スプリウス国王陛下からの信頼も得ている。結婚だって相談していたのよ」
初めて聞いた話だった。確かにダジェロ辺境は、トゥスクル王国の要衝だ。誰を妻にするのかは、トゥスクル王国の政治と密接に関わるらしい。魔法騎士団の在り方にも影響が出ると力説するサミュエルの声が、遠く聞こえた。
「スプリウス国王陛下が、ランベルト様の結婚と関わっているのですね。深刻な事態だったんですか?」
ルーナ個人にとって、勿論、結婚は重要だったが、トゥスクル王国に関わると部分は他人事に思っていた。
「あら、内緒の話よ。ビアンキ伯爵家の姉妹を望んでいたのは、スプリウス国王陛下なの。妹なら年がスプリウス国王陛下に合うでしょう? でも、色々拙い。姉はあのアウローラ様で、言い難いけど想い人って感じよね。だから、まずは妹を辺境に送ったのよ」
身体が震え出しそうだった。ルーナの結婚を語るサミュエルに気取られないように、声の震えを懸命に隠す。小さくそっと声を出した。
「妹を、砦の女にするっていうことですか? 騎乗は下手です。それに魔法だって使えないって――」
話過ぎて、慌てて口を押えた。
「良く知っているのね。そっか、デュメルジの魔法騎士団でも噂なのね。可愛らしい妹なんでしょう?」
スプリウスの側妃とするために、まずはルーナをデュメルジから追い出したのだろうか? 側妃にもならない。愛妾と呼ぶのだろうか?
「マリアベールが――」
声にならなかった。マリアベールを纏った新妻にルーナはなれない。ランベルトは初夜を過ごさなかった。スプリウスの意向を受け、ルーナをダジェロ辺境に囲ったのだろう。
「ルルは初心なのね。声を震わせちゃっていじらしい。恋人だから姉を望んでいるのよね」
誰がと聞くのが怖かった。アウローラを妻に迎えたい男は多いはずだ。
「ランベルト様が受け入れたんでしょうか? その、妹を娶って、姉をデュメルジに残すという決断をしたんですね?」
「喜んで浮かれていたと思うわ。誠実なランベルト様は新妻を大切にするはずよ。あら、ランベルト様が戻って来た。ああ、美しい人が寄り添っている。おめでこうございます」
サミュエルの大声に顔を上げると、ランベルトとアウローラが肩を並べて歩いいた。ルーナを見つけて、アウローラが駆け寄る。焦ったのだろうか、アウローラが躓きき、身体が傾いだ。
ランベルトがアウローラを抱き寄せる。
「まあ、見せつけるわ。新妻を抱き締めてる」
ランベルトの後ろから、騎士が見えた。身体の陰に隠れていたのだろう、その姿にルーナは震えあがった。スプリウスだ。
官舎から駆け出した騎士たちが、囃し立て始めた。
「美しい方だ。お似合いだ」
「目も眩むようなお二人じゃん」
ランベルトの胸に抱かれたアウローラが、腕を伸ばしてランベルトに顔を寄せた。
居た堪れなくなったルーナは、駆け出した。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
次回、最終話です。