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連載物です。よろしくお願いいたします。
トゥスクル王国の四月初旬は白い。王都のデュメルジに、プラムの白い花が溢れるが、今はまだ蕾の先が僅かに綻んだだけだ。
プラムの花は一つ一つが小さく、自家不結実の性質を持っていた。花は互いに寄り添い塊になって、枝に纏わりつくように咲いた。誰も足を止める美しさがないのが、プラムの花だ。
プラムの木の上で休憩中だったルーナ・ビアンキは、見下ろした先に揺れる金髪を見つけて立ち上がった。
「ランベルトは、ルーナでもいいって。十八歳にもなって、また木に登っている」
姉のアウローラ・ビアンキの発した言葉で、ルーナは地上から数メートルの高さの枝から足を踏み外した。プラムの蕾が顔に当たって、身体が傾ぐ。頭に枝が刺さった。咄嗟に掴んだ剣のグリップでプラムの幹を打ち付け、受け身の体勢を作る。両足を開き腰を落として、地面に着地した。高い位置で一つに結んだ赤銅色の髪が、肩で揺れた。
淡い光がアウローラの手の中に浮かぶ。回復魔法の光がルーナの身体を包む前に、身を起こした。
「当然、怪我はないわね。ルーナは魔法騎士団で、体術に任せた剣だけは得意だもんね。顔に擦り傷がある。話は聞こえたでしょう?」
頷きながらも、ルーナは聞こえた内容が信じられなかった。耳に不具合が生じたのだろうか? いつもの癖で、ルーナは腰に携えたツーハンドソードのグリップに手を添えて、片足でケンケンッと跳ねた。
「耳に水は入っていません。信じられない話が聞こえました」
「疑っている。何事も最初に飛びつかず慎重に考えるのは、ルーナの美徳の一つよ。でも、子供のような動きになっているわ。ルーナが花嫁になるの。もっと淑やかに動く必要があるわ。さあ、深呼吸よ」
勢いよく息を吸い込むと、げぼごほと咽た。
「うぐっ、はあ。苦しい。アウローラ姉様の聞き間違いでは、ないのでしょうか?」
ゆっくりとアウローラの首が横に動く。波打つ金髪が煌めいた。そこにいるだけで、アウローラは辺りに輝きを振り撒いていく。
「勘違いでもない。そもそも私は常に正しい。疑心の塊でそそっかしい妹のルーナは、可愛くって手が掛かる。ランベルトとの結婚の話よ」
長年、焦がれていた人の名前を聞いて、ルーナは心が跳ねるほどの喜びを感じた。
同時にアウローラの言い方には、衝撃を受けていた。名前を呼び捨てるほどに、やはり二人は親しい。ランベルトの結婚は、アウローラにとっても重要な関心事なのだろう。
「上手い話には、裏があります」
「裏なんかないわよ。話が上手いって思うなら、ルーナはランベルトに思いは持っているのね。安心したわ」
アウローラは黄玉の瞳を揺らして、安堵したように小さく笑む。縁取る金髪が、四月の柔らかなの陽光を孕んだ。
「ルーナなら色々問題がない。王立魔法騎士団団長を務めるビアンキ伯爵家と、王立魔法騎士団の部隊長を擁しているダジェロ家の結婚は、皆が望んでいるわ」
幼子に言い聞かせるように、アウローラが言葉を重ねていく。
告げられた言葉から、アウローラは結婚を断ったのだろう。結婚の一般的な条件だけを見て判断をされたルーナは、明らかに二番手で、アウローラの代わりだ。
その上、ランベルトが残り物で妥協したと聞こえた。
爵位と歴史を踏まえた身分や、各々の家の関わる魔法騎士と言う職業は、姉妹が共に同じ条件だ。だが年齢は、二十六歳のアウローラが適齢期だ。十八歳のルーナは若すぎる。おまけに、見目も随分と姉妹で異なっていた。
柔らかく波うつ金髪のアウローラは、黄玉で一重の涼やかな瞳を持つ。誰もが羨む美貌で、百六十七センチの肢体は伸びやかだ。人目を惹き美しく聡明な伯爵令嬢で、優秀な魔法騎士と評判だった。
一方、妹のルーナは、焔の色の赤銅色の髪が奇妙なほど真っ直ぐで、二重で零れるほど大きい紫水晶の瞳は冷たい。百五十三センチの背は、伯爵令嬢としてはドレスが映えず、魔法騎士では物足りなかった。
プラムの枝を押さえて、ルーナは小さな白い蕾を見た。微かに綻んでも、見どころのない花だ。
「ダジェロ辺境ですね」
ランベルト・ダジェロは辺境伯だ。ダジェロ辺境は王都より寒く、まだプラムの花が咲くまでに時間が掛かるだろう。
「噂になっていたわ。『いよいよランベルトが結婚相手を決める』って。ルーナも聞いていたよね」
アウローラに頷く。
噂は、プラムの蕾がまだ硬い頃にデュメルジに流れ、ルーナは密かに衝撃を受けた。日に日に具体的になっていくランベルトの嫁探しの話は、魔法騎士団でも多くの鞘当が行われた。ほどなくしてビアンキ伯爵家へ、婚約の打診が来た。
花嫁はアウローラで決まりだと、魔法騎士団でも聞いていた。どんなに耳を塞いでも、進言は絶えなかった。釣り合いが取れ、お似合いだと噂話は広がっていた。
ランベルトへの憧れを押さえ込み、アウローラとの結婚を祝福する心づもりをしてみた。義兄と呼ぶのだと言い聞かせ、軋んだ思いをルーナは持て余した。
だが、今の話ではランベルトとルーナが結婚する。信じ難い。
「魔物が多い辺境に行くのも、私には勿体ないわ。いけない、こんな時間だ。父様が団長室でルーナを待ってる。迷惑を掛けないように、早く行きなさい。大丈夫よ、ルーナにも取り柄はある。さあ、前を向いて、髪に刺さった枝は取りなさいよ」
言い放って、アウローラは走り去った。王立魔法騎士団の毎日は忙しい。第十部隊までわざわざ出向いたアウローラに手を振って、髪を梳かした。指の間から白い蕾が落ちる。
気が利いて、愛想が良くて如才なく動くアウローラはルーナの自慢の姉だった。言葉が詰まり、剣を振るうだけのルーナを気遣ってくれる。
だが、今日のアウローラは少し言葉が多くて、苛立ちがあった。
「結婚を断ったのを、気にしていらっしゃるんだろうな。アウローラ姉様は、人気があるから辛いでしょうね」
トゥスクル王国では、王立魔法騎士団がある。三十部隊で成り立っていて、第一部隊から第十部隊までが王都の治安維持を担当した。王族の警護や王宮での仕事も多く、華やかな騎士が多かった。部隊につけられた数が少ないほうが優秀とみなされ、貴族籍の隊員が多く所属していた。
第二十部隊までは領主の要請に応じて、各領地に遠征していた。豊かな領地も多く、遠征を望む騎士も多かった。
残りの第二十一から第三十部隊が、辺境を警護した。
アウローラは第二部隊に所属し、回復魔法の遣い手だ。王宮の警護を担当する貴族の多い第二部隊で、アウローラは名前の通りに曙光の明るさを周りに与える。確かに、辺境には勿体ない存在だ。
ルーナは第十部隊に所属していた。剣劇を得意としていて、攻撃魔法はからきし使えない。使えるのは、掃除と洗濯や調理に特化した家政魔法だ。同じ部隊には、王都に住む平民が多く所属していた。月は自らは光らない。形も不安定に変化する月の名前を持つのがルーナだ。
ルーナは息を整えて、団長室を訪った。
聞きなれない声が、誰何した。名乗ると、扉が開いた。
「第十部隊に所属する、ビアンキ伯爵令嬢だな。相変わらずに小さくて、赤銅色の髪だ。覚えているぞ。その紫水晶の瞳のルーナ」
ルーナは扉の前から動けなかった。
サラサラと流れるような艶のある黒髪は、ルーナの記憶のままだった。切れ長の蒼玉の瞳に、すっと通った鼻筋と薄い唇。清潔感が溢れて、凛とした雰囲気は昔から変わらない。百九十センチはある美丈夫のランベルトだ。吸い込まれそうな蒼玉の瞳が、ルーナを捉えていた。
「ダジェロ辺境伯様は、あの、本当に結婚相手が私で納得しているのでしょうか?」
姉のアウローラを望んでいるはずだとまでは、言えなかった。誰もが羨むアウローラを、ルーナまでランベルトには薦めたくなかった。
ルーナの開口一番の問いかけに、ランベルトは目を瞬かせた。
「ランベルトと呼べ。俺に不足はない。ルーナが俺でかまわないなら、結婚だ」
落ち着いた様子で返され、慌てた。低い声には、微かな凄味もあった。ランベルトに不満を持っていると思われるのは、ルーナの本意ではない。だが、如何に伝えれば正しく伝わるのか、言葉は浮かばない。ルーナが魔法騎士団で関わるのは平民の男性が多い。貴族で優秀な攻撃魔法を操るランベルトには、気後れする。ランベルトは、遠くから見上げていた憧れの存在だ。
何度も口を開けて息を吸い込んだ。肩と胸が大きく上下するが、言葉は出ない。息が苦しくなってきた。
「おい、落ち着け。息を吸い過ぎだ。一度、長く息を吐け。本当に手が掛かる。アウローラが案じていた通りだ。髪にプラムの枝が刺さっている。木に登ったんだな」
手を伸ばしたランベルトが、ルーナに触れる前に拳を固めた。
身体に触れたく様子に、ルーナは肝が冷えた。息を詰めた。ランベルトにとっては、不本意な結婚なのだろう。望まないが、避けられない結婚だ。ならばルーナは、ランベルトの意向を組んで、受け入れるだけだ。息を長く吐くと、言葉が零れる。
「ランベルト様がお相手で、嬉しく思っています」
答えながら、段々とルーナの目線は下がってしまった。握られた拳から目を背けた。
「俺は、一緒に暮らすのを楽しみにしている。準備は恙なく行っている」
アウローラが断ったから、他に選択肢がなかったから、ランベルトはルーナを結婚相手にしただけだ。
「一緒に暮らして良かったと思われるように、頑張ります」
ルーナがランベルトに憧れを抱いているのは間違いない。ランベルトがデュメルジに凱旋するのを、ルーナはいつも心待ちにしていた。
運が良ければ、討伐魔法の試技を見ることもあった。ランベルトは氷魔法が得意で、魔獣をたちどころに氷結する。ランベルトの試技を後方から支えるアウローラの回復魔法も、見事だった。
思い浮かんだ二人の姿を、何とか掻き消す。
政略結婚に、恋愛感情は付いてこない。結婚生活の中で、いつか互いを尊重し合うかもしれない。少なくとも、ルーナはランベルトを好ましく思っている。
だから好意を示されなくとも大丈夫だと、ルーナは何度も呪いのように言い聞かせて、溢れ出そうになる思いに蓋をした。
ロレンツィオが団長室に戻って来た時には、ルーナは落ち着いて息をしていた。婚約がその場で成立して、ルーナは魔法騎士団の第十部隊に戻った。
お読みいただきまして、ありがとうございました。