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序章 ~ ◆十月三日 ~

人間の心に潜む闇の部分を表現したいと思って書いた作品ですので

時に残酷な描写があるかもしれません。その点、ご了承ください。


鈍い衝撃音が早朝のキャンパスに響き渡った。 誰かの悲鳴と叫び声が交差する。

ひと際大きな叫び声をあげながら、打ち捨てられた人形のように

不自然な姿で倒れている人影に木島良一は駆け寄り、取り縋った。

「多恵子、多恵子っ! 」

何度も名前を呼び、ゆっくりと血に染まり行く若い女の傍らでうずくまる。

「リョウちゃん……、リョウちゃん、痛い……」

朦朧としながらハッキリと聞き取れない弱々しい声で若い女が呻く。

「多恵子しっかりしろ! 大丈夫だから、大丈夫だから」

「痛いよぉ、痛い。痛……」

若い女はそこまで言うと、激しい痙攣を起しながらゴフッと血を吐き

「ごめ……、ごめん……ね。リョ……」

と目を閉じた。木島は涙声で

「もういいから、何も言わなくていいから、だから生きてくれ!」

多恵子と呼んだ若い女に懇願するように振り絞った。

だが若い女の意識はすでになく、呼吸すらしていないようだった。

「多恵子死ぬな! お願いだから」

木島の悲痛な叫びがキャンパスにこだまする。

まだ登校する者も少ない学内で騒ぎを聞きつけた学生たちが遠巻きに見つめる中、

木島は必死で若い女に呼びかけていた。


恋人の渋谷多恵子から木島良一が別れを告げられたのは、ほんの一週間前の事だった。

他に好きな人が出来たのだと打ち明けられた木島は、割り切れないながらも

多恵子の気持ちを汲んで何も言わずに別れた。

本当は言いたいことは山ほどあったのだ。多恵子が好きになった相手、多々良健介が、

どれほど女にだらしなく残酷な男なのか……

実際、多々良健介という男の評判はろくなものではなかった。

あやしげなインターネットサイトに出入りし、不当な金を稼いでいるとも噂があった。

次から次へと女に手を出し、すぐに飽きてしまう。移り気な多々良に泣かされた女子学生は多かった。飽きた女にはどこまでも残酷になれる男だと、同じゼミの学生の間では評判だった。

その悪名高い多々良と渋谷多恵子が、どういうめぐり合わせで付き合うようになったのか

木島には知る由もなかったが、心から多恵子の事を心配し、一人の友人として

忠告したいとも思った。

しかし結局、多恵子に多々良の評判を教える事は出来なかった。

生まれて初めて恋した女性である多恵子を木島は愛しすぎていたのだ。

不用意に多々良の評判を多恵子に告げて、陰口を叩く男だと軽蔑されたくはなかった。

今、多々良と居て多恵子が幸せなら身を引いたほうが男として潔いと木島は考えたのである。

だが自分の考えは、ただの自己満足だったと木島はすぐに思い知らされた。

木島と別れてから多恵子の痛々しい噂は、すぐに広まったのだ。


「渋谷という女が多々良にすぐに飽きられて捨てられた」

「多々良に甘い言葉で誘われて、すぐに体を許したらしいぜ」

「バージンは面倒臭いって本当なんだって、多々良が笑ってた」

「結局、利用されるだけ利用されて捨てられたオンナ」

「多々良が捨てた多恵子という女の全裸の写真がインターネットで晒されてい

るらしい」


どの噂も木島にとっては、信じ難い耳を塞ぐものばかりだった。噂が本当なら

たとえ彼女に軽蔑されようと、未練がましい男と嘲笑われようと彼女から身を引くべきではなかった。あんなにもあっさりと別れるんじゃなかった。

木島は後悔の泥沼に身を浸していた。もがけばもがくほど、後悔の泥は木島に重たくへばり付いた。

そんな時に多恵子からメールが届いた。

『話を聞いて欲しいの』

一言だけ書かれていたメールに、木島は飛びつくように返信した。

再び多恵子から届いたメールには朝の7時に、文学部がある校舎の屋上に来て欲しいと

書かれてあった。

朝7時の大学構内は静寂に包まれ、まるで時間が止まっているかのように木島には思えた。

「何故、こんな朝早くから多恵子は僕をここに呼び出したのだろう」

木島は少しは不信感を抱いたものの、その不信感より多恵子に逢いたい気持ちが勝っていた。

彼女が話したいというのなら何でも黙って聞いていてやる。

もしも助けてくれというのなら、何が何でも救ってやる。

そんな気持ちで木島はいっぱいだった。


逸る気持ちを抑えて薄暗い校舎の階段を昇りつめ屋上の扉を開け彼女の姿が見えた時、

木島は多恵子を抱きしめたい衝動に駆られた。

一人、佇む多恵子に向かって駆け寄ろうとした瞬間

「来ないで!」

多恵子が叫んだ。

そのあまりに悲痛な叫び声に、木島の体が固まる。

「多恵子……?」

弱々しく呼びかける木島に多恵子は顔を歪め首を振りながら

「リョウちゃん、お願い。そのままそこにいて」

泣き声で言うと

「私、本当はリョウちゃんにやさしくしてもらえる女じゃないから」

両手で顔を覆いながらしゃがみ込んだ。

「何を言うんだ。僕は君のためなら何だって出来るし、どんなことでも耐えられる。

僕がやさしいというのなら、それは多恵子を本当に好きだから!」

多恵子に近づくことも出来ないまま、木島はその場で立ちすくんで大声をあげた。

「ごめんね、リョウちゃん。私が馬鹿だった。リョウちゃんに愛されてたのに・・・・」

顔を隠したまま多恵子が呟く。

「いいんだ、もういいんだ。多恵子」

なだめるように言葉をかける木島に

「私、私、あいつに騙されて……、リョウちゃんを裏切った罰なの」

「もういいんだよ、多恵子!」

木島が強い口調で叫ぶ。

「何があっても、どんな君でも僕が守るから」

その言葉に、多恵子が顔をあげ木島に一瞬やわらかく微笑みかけた。

「さあ、そこは寒いだろう? こっちへ、こっちへおいで」

手を差し伸べて、木島が近づこうとした瞬間の出来事だった。

「ごめんね。ありがとう、リョウちゃん。 最期に逢えて良かった……」

多恵子が突然、屋上の柵を乗り越え身を投げた。

フワリと宙に浮いた多恵子の体が、ゆっくりとスローモーションのように落ちていく。

まるで命短い蝶がひらひらと頼りなく風に乗るように最愛の女性が長い髪を風になびかせ

地面に吸い込まれていく様を木島は叫び声をあげながら目の当たりにしていた。


もともと、随分前に書いた短編小説ですが時間の流れとともに

ストーリーが膨らみ始め、新しく加筆中の作品です。

物語の核となるのは、人間の心に潜む闇が生む新たな闇。

最後までお付き合いいただければ幸いです。

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