東京ベイ・ブルース
チバのアパートの窓からは、灰色の空が見えた。
ユーチューブを開いた。
昼間なのにやっているVチューバーのライブをクリックした。
ゴミが散らばっているデスクの上の27インチモニターにどこかで見たことのあるアニメの少女ような女が現れた。
俺は冷蔵庫から缶ビールを取り出すとプルトップを引いた。
缶から直接飲むビールは炭酸がきつく、ゲップがすぐに出た。
ライブの同接の数は一桁だ。
見るも無惨な状態だ。
話は何を言っているのかよくわからず、面白くない。
彼女が何を目的に昼間からこんなことをしているのかわからない。
だが、声は合成ではなく地声のようで、その声からは本物の女だとわかる。
メタバースとやらが最近また話題になっているようだが、男がアバターを着ると7割は女性の姿になりたがるという。マイナーなVチューバーの大半はネカマのたぐいで、自分と同じようなオッサンがやっていると思うと見る気がしない。
だが、彼女は違うようだ。
俺は、500円のスパチャをした。
コメントは「元気?」だけだ。
スーパーチャットが流れると彼女が俺の名前を呼んだ。
「マサトさん、こんにちは、いつもありがとう。私は元気よ。マサトさんは」
「元気だ」
「ねぇ、いま、何しているの」
「酒を飲んでいる」
「何のお酒?」
「キリンだ」
画面で俺に語りかけてくるプラチナブロンドのショートカットの女に、俺はチャットのコメントで返す。
「私も何か飲んでいい」
俺は1000円のスーパーチャットを送った。
「うわー、ありがとう!」
画面の向こうで彼女がはしゃぐ。
俺との会話しか内容がないライブ配信にあいそをつかし、接続数はさらに減る。
「ねぇ、マサトさん、仕事は何をしているの」
今の俺は無職だ。
だが、ほとんど利益は出てないが、俺のすぐ横で何機ものグラボが働き、マイニングをし続けている。
「ネットで稼いでいる」
嘘ではない。
「すごい! もしかして有名なユーチューバーさんとか?」
「違う」
「きっと、すごい人なんだろうね」
彼女の声は可愛かった。
現実に会ったらどうなのかは分からない。
だが、俺は彼女に恋していた。
30過ぎてマイナーなVにガチ恋など、頭の弱い童貞野郎の気の迷いとネットでの仲間には馬鹿にされまくる。
だが、そんなことはどうでもいい。
ネットにつながっていれば、視覚、聴覚を通じて頭は満たされる。だが身体だけが取り残される。脳や神経をディバイスと接続して身体もネットの世界に連れて行けたらと、酔った頭が考える。
彼女がずっと何かを話し続けている。
俺は、それを聞きながら、アルコールがゆっくりと脳内に浸透してゆき、気分が高揚してゆくのを待つ。
窓の外の東京ベイの空は晩夏の垂れ込めた暑さでどんよりとしていて、雨雲がガンメタルに空を塗り替えてゆく。
メンテに手間と金がかかる自分の身体がうとましい。
このまま、ネットの空間に同化して、彼女を抱きしめることを想像する。
電脳空間のマトリックスが俺の網膜に映し出される。
棺桶のような殺風景な部屋に彼女の声がただ響いていた。
作者としては思い入れのある作品です。
こうしたくすぶった空間と時間の中、サイバー空間に埋もれてゆくダメなモブは作者の分身でもあり、人生の後ろ姿です。
本作品は、こんな内容なので、当然ながら☆も、ブクマもまったく期待していませんが、もし、読んでなんとなく共感してもらえる人が、この世に一人でもいれば僥倖です。