file.35 現魔王 ダフティリーズⅡ
私、ダフティリーズ=レフティスは弱くて怖がりだ。
小さな頃からお父さんに聞かされていたクインの話はどれも滅茶苦茶で、幼い私はクインに会いたくないと我儘を言って、ひたすらに遠ざけた。
だけど、破茶滅茶なクインだけど、それでもやはり魔王の言葉にはとても従順。
お父さんが適当な理由を付けて接触を禁じたお陰で、私は二十歳を超えて魔王に就任するまで、クインと顔を合わせる事なく成長することが出来た。
第一印象は──初めてクインと会った時は、そのあまりの美貌にカッコイイ人だなと思ってしまって、とても変な人には見えなかった事を覚えている。
それでも、それも一瞬で──。
『いいかい、リズ? クインの魔王一族に対する忠誠は絶対で、これが揺らぐことはまずないと考えていい。あまりにも危ない子だから、魔王城から出ないようにはさせているけど、クインがリズに危害を加えるようなことは絶対にない。それは保証する。リズはただ椅子に座って偉そうに頷いているだけで大丈夫なように、お父さんもお祖父ちゃんも頑張ったからね。でもね──』
全身甲冑を身に着けた私が兜越しにクインと目が合った、その時。
『魔王様あああァ! お初にお目にかかります!! 私の名はクイン=アドウェルサ! 魔王様の秘書として! 命をかけて職務を全うする所存です!』
クインは豪快に床に寝転び、五体投地の状態で話しかけてきた。
『──でもね、クインはとても馬鹿でね。ああ、いや、頭はとても良いんだけど。でも、魔王が絡むととても馬鹿になってしまってね。もちろん、悪い子ではないのだけど、どうにもおかしいと言うか、狂信的と言うか……』
クインと初めて会ったその日。
『下手なことを言えば、いつの間にか勝手に解釈して色々とおかしな方向に進んでしまうこともあってね。お父さんも子供の頃はその辺の事がよくわからなくて、冒険が知りたいって言ったら、いつの間にか何故かとんでもなく強い街が出来ていたり』
お父さんが話してくれた言葉の意味が、すぐに理解出来た。
『押し合いで力比べをしたいと言ったら、二百メートル以上地面を転がされる事になったり。恋人─リズのお母さんと付き合う事になった時も、安全の為とか言ってずっと後ろに付いて回ったりして──』
一瞬普通にカッコイイ人だと思ってしまったけれど、目の前の地面で五体投地している人がとんでもなく危ない人だと言う事を、すぐに思い出した。
毎日部屋の中でゴロゴロと過ごしては面白い本を読んで、可愛い洋服とぬいぐるみに囲まれている瞬間が何よりも大好き。
当然ながら、アウトドア派ではなくて、インドア派に属している。
体型こそ可愛い洋服のために頑張って絞っているけど、無駄な筋肉は付けたくなくて、魔術も使う事がないだろうと思って殆ど勉強もしないで、好きな事ばかりして過ごしていた私は、とても弱い。
うっかりクインとぶつかるだけで死んでしまうかもしれない。
そう思って、全身を鎧で固めたり、威厳を保つ為に声色を変たり、色々な理由をつけて自分自身を大きく見せようとした。
まさしく、かつて酔っ払って適当な事ばかり言って苦労したヘリクテール様のように、私は曾祖父と全く同じ馬鹿な事をやってしまっている事に気が付いていなかった。
変に隠したりせずに最初から正直に話していれば、少しは何かが変わっていたのかもしれない。
張りぼてなんかじゃなくて、しっかり努力をしていれば、もう少し違った展開もありえたのかもしれない。
そんな事はわかっていたけれど、私はたぶん……。クインに、かっこよく思われたかったのかもしれない。
『お仕事お疲れ様です! 魔王様!』
『流石は魔王様です! 見事な判子でございます!』
『本日の紅茶もお気に召したようでなによりでございます!』
『丸みを帯びたこの字! なんと独特な美しさでしょうか!』
お父さんやお母さんからは、いつもあれをやれこれをやれと言われて。
頑張っても、中々上手に出来なくて。
その度に楽な方に逃げ回っていた私が、クインの前でならなんとか頑張ることが出来た。
殆どの時間を魔王城の中で過ごしているせいで友達の居ない私にとって、クインと言うイケメンは少々刺激が強かったのかもしれない。
ことあるごとに、本当に些細な事をする度に、クインは全身で喜びを表現して、凄い凄いと褒めてくれたから。
それが気持ちよくて、その期待を裏切りたくなくて、嘘に嘘を塗り固めたのが良くなかった。
だから、必要以上に自分を大きく見せようとした事の罰なのか──。
『勇者が魔族領域に侵攻! 死者も出ておらず、被害はたいした事ないようですが、地域管理者が数名捕虜として捉えられました! 勇者は魔王様との謁見を望んでおられます! 如何いたしましょうか!』
謎の超生物。勇者とやらが人族の中に突如として現れた。
勇者が現われるまでは全てが順調だったのに、そこから全てがおかしくなってしまったと思う。
……初期対応を間違えた、と言うのもあるかもしれない。
魔族と人族との戦争はずっと続いている事になっているけど、それでもこの数十年はその規模をかなり縮小していた。
お父さんが頑張ってくれたお陰で、お互いに『無理に戦うような事は良くないよね』みたいな感じになった。
平和とまではいかなくても、そろそろ戦争やめたほういいよねー、国交正常化して技術共有とかしちゃおうよー、と言う段階には来ていたと思う。
そんな良い感じの時。
私はただ座って、全部クインに任せていれば良かった時代に。
これまで何百年も何も言ってこなかって神々が、戦争を終わらせる調停者として人族に遣いを寄越してきた。冗談ではなかった。
お祖父ちゃんとお父さんが頑張ってくれたお陰で、魔族優位の条約が締結されるのも時間の問題と言う所まで来ていたのに……。
神だか何だかが人族に肩入れしたせいで、折角落ち着きかけていた人族が強気に出始めてしまった。
『ふっふっふっ。勇者など蹴散らしてくれるわ』
そんな事をクインの前で言っちゃったのもよくなかったと思う。
何があるかわからないから、クインは私のボディーガードとして魔王城に置いておきたかったし。
仕事の事もクインがいないとよくわからないし。
それにそもそも、外に出したらよくわからない事になるから気をつけるようにとお父さんに言われていたから。
人族との争いに彼を参加させないようにしていて、勇者の対応も任せないようにしていたけど、今となってはその判断も間違いだったかなと思う。
ここ最近は戦争らしい戦争が殆なくなっていて、少なくとも私が魔王になってからは小小競り合いがポツポツとある程度。
だから、あんまり深く考えていなかった私は、お父さんに言われた通り軍縮路線に舵をきっていたわけで……。
そんな小さくなってしまった軍隊で、神から派遣されて勇者と言う未知の生物を相手にする事が間違いだったのかもしれない。
人族同様にこちらが抱えている謎の生物クイン=アドウェルサをさっさと戦場に投入していれば、もう少し被害を抑えられてかもしれない。
次々に侵略されていく魔族領域に、魔族の中には魔王の資質を疑う者まで現れだして、そんな連中をクインが放置しておくはずもなくて……。
こっちはこっちでそんなクインを抑えなければならなくて、人族との戦争どころではなくなってしまっていた。
どうにかしないといけないと思いながらも戦況はどんどん悪化。
幸いにも死者は殆ど出ていなくて、占領された魔族領域も比較的平和に統治されているとは聞いている。
でも、占領された領域の悉くから『魔王出て来い』と言う勇者からのメッセージが届けられたりもしていて、結局、怖がりな私にはどうすることも出来なかった。
そして、ついに──。
『魔王様! 四天王が──炎滅のアナフレクシが勇者に討ち取られました!』
クインが育て上げた四天王。
その中で最強と名高いアナフレクシ。
クインに次いで強いと評される兵士までもが、勇者に破れてしまった。
その報せを聞いたとき、私の思考は完全に停止。
少しの間だけ仕事から離れることに決めた。