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美味しいスイカの作り方

作者: 青歯Y

あなたが差しのべてくれた手を払い除けたこともあった。その場の気持ちで。

そんなことが出来たのは、明日も明後日もずっとあなたがいると思っていたから。

拝啓、山口真希様

初めてお手紙を書きます。









「真希ねえ!」


俺がそう高らかに叫ぶと、どこからとも無く「はーい」と返事が聞こえる。


どこにいたって、どんな声量だって、必ず―夜中布団の中でやったら流石に帰ってこなかったから、どこでもは嘘かもしれない―返事をしてくれる。


外国人みたいな茶色い髪で、眉毛が細い。真っピンクの口紅をして、毎日よく怪我をしている。


俺は、真希ねえが大好きだった。



真希ねえはなんでも知っている。

「真希ねえ、虹ってなんでできるの?」

「向かいの豊原のジジイが作ってるのよ」


俺より十歳も早く生まれてて、

「真希ねえ、山口のおじちゃんが妖怪ってほんと?」

「ホント。頭の後ろにも目があるバケモンだよ」


頭が良くて、

「真希ねえ、海ってなんで青いの?」

「青くなきゃ海じゃないからよ」





「真希ねえ、死んだらどうなるの?」



「幸せになれるよ」

いつも笑ってた。







「真希ねえ!あけましておめでとう!」

年が明けた頃だった。ちっちゃい郡に住んでいた俺は、ひょろっひょろの字で、くっしゃくしゃの紙に書いた「年賀状」を真希ねえに渡しに行った。


「竜也、アンタ早起きだね」


誰よりも早く俺が「あけましておめでとう」をするんだ。そういって朝八時に真希ねえの家に行った。


「これ!年賀状!ど、う、ぞ!」


「はい、どうも」


受け取った真希ねえの右手には、似たようなはがきが二、三枚握られていた。


「真希ねえ、何それ?」


「え?ああ、年賀状だけど」


「え!俺より先!誰?豊原のじいちゃん?隣のみづ子さん?」


「いや、兄貴から」


真希ねえが「兄貴」と呼ぶのは、真希ねえのお父さんのお兄さん、つまり叔父さんである。真希ねえはお父さんと二人暮しだが、真希ねえが小さい頃は一緒に暮らしていたらしい。俺は、お盆か年明けにしか会わないし、怖くてちゃんと話したことがない。


「でも母ちゃんが、トキョウに住んでるって言ってたよ。トキョウから走ってきたの?」


「トキョウじゃなくて東京。郵便できたんだよ」


「ユウビン?」


まだ当時七つの俺は、真希ねえと父母、山口のおじちゃんと豊原のばあちゃんと、とにかく、小さい世界が全てだった。

遠くに行くとしても、隣町のスーパーか、海岸でカニ釣りくらい。学校にも同級生は八人ほどしかいなかった。


「そう。郵便。どんなに離れてても住所さえわかってれば繋がれるんだよ。竜也のは手渡しだけどね」


笑いながらしわっしわの年賀状をポケットに入れた。俺はなんだかすごい恥ずかしくなって声を荒あげた。


「じゃあ俺も真希ねえんちに手紙出す!!大きくなったら、兄貴のおじさんよりきれいな字で書いて!ちゃんと、しわくちゃじゃないやつ出す!!」


「はいはい、おおきくなったらねー」




俺は鼻息を荒くして家に帰った。大人になるまで忘れないようにマジックで顔に書いてやった。でも次の日落書きはやめなさいと母に消された。



でも忘れない。絶対真希ねえに手紙を出すんだ。


それが俺の、初めての夢だった。







「あ」


ある猛暑の日、川で水浴びをしていると、山口のおじちゃんちから真希ねえが出てくるのが見えた。



こんなに暑いのに日陰みたいな顔をしていた。



昨日までなかったはずの傷を、青い頬を、撫でながら、




「真希ねえ!!」


「…竜也、どしたの」


そう笑いかけてくれるが、左の口角は痙攣して上がっていなかった。


「これ、た、食べて!」


「スイカ、…なんで?」


「い、家にあるの持ってきた!ほんとは、えと、金曜日にみんなで食べ、た、食べる予定だったんだけど、もっも、も、もってきちゃった」


口が上手く回らない。真希ねえは不思議な顔をして左太もものあせもをボリボリとかいていた。


「今年のスイカは、美味しいんだって、すごい、甘くて、すごい美味しい!すごい、すごい赤いから…」


鼻の奥がツンとした。声がひっくりかえって喉が勝手に息を吸う。



「真希ねえのも、赤くなるよ…」




一瞬肩を震わせた。けど、すぐまた笑って、「そんなに美味しいなら、誰も来ないようなとこで食べようか」って、手を引っ張られた。左口角はもう痙攣してなかった。




「ああほんとだ。甘いねこれね」


「ん…」


村の端っこにある廃墟でスイカを食べていた。家の形はもうなくて、石のような、岩のような。木が丁度日陰になっていて涼しかった。初めて来た場所だった。


真希ねえの前で泣いてしまったのが恥ずかしくて、しばらく俯いていた。たまにちらと真希ねえを見るけど、まだ頬は青かった。


「なんでこんなに甘いんだろうねえ、うちで作るスイカはこんなんじゃないよ…作るやつが下手くそなのかな」


「山口のおじちゃんが教えてくれたんだよ。ひとっつに栄養がいくように、他のやつは切っちゃうんだって。そしたら一つが大きくて、甘くて、美味しくなるんだって」


「へえ……そうなのね」


そこから真希ねえは黙り込んでしまった。なにか良くないことを言ったしまっただろうかと不安になったが、なんだか声をかける気にもなれなくて2人でずっと黙っていた。


「じゃあ、その一つのために周りは死ぬんだね」


「しっ…」


「そうでしょ。その一つを大事に大事にするために、他のやつは犠牲になるんだ。自分も大事にされるはずだったのに、たまたま大事にされるやつが出来たから他のはいらないってされる…」


「…でも真希ねえはいつも言うよ。死んだら幸せになれるって、…スイカもきっと幸せだよ」


「…そうね……………………………」


サァ、と木々の間を風が通り抜けた。少し汗臭い真希ねえは「あのさ、」と話し始めた。


「私さ、東京に行こうと思うんだ」


「えっ、トキョ…と、トウキョウ?」


「うん、もう少ししたら」


「なんで」


真希ねえが東京に行くということは、二度と会えないということである。二度と、ではないのだが、その時の俺にとっては永遠の別れだった。


「…兄貴がさ、来ないかって。今の家を出てさ、東京で一緒に住もうって言うんだ」


「今の……。山口のおじちゃんと離れるってこと?」


「そう」


俺も真希ねえの母親は見た事がない。唯一の肉親から離れる、ということが俺には想像できなかった。この村から出ることも、東京がどんな町かも想像できなかった。


「早くて今年中、…九月ぐらいかな」


「九月…」


九月、九月とは、九月とはまだちょっと暑くて、カニ釣りがちょうど良くて、ナスが美味しくて、あとカボチャも、美味しい、真希ねえはカボチャの煮付けが好きで、九月は長月で、九月って九月って、九月九月九月九月九月

「もう、一ヶ月しかない」




「好き」なんて幼かった俺には分からなかったかもしれない。でも一丁前に、真希ねえを守るのは俺だと、きっと、笑わせられるのも。真希ねえと仲がいいのも俺だと。この後もずっとずっと、父母と豊原のばあちゃんと、山口のおじちゃんと、


真希ねえと。


ずっとこの世界で生きていくんだと思っていた。


その日の夜俺は晩御飯も食べずに寝た。スイカはどうしたのと聞かれたけど。頭が痛いと言って布団にくるまって寝た。夜中少し腹が鳴ってゲップをしたらスイカの味がした。美味しかったのにな…



それから真希ねえとはあまり「あわ」なかった。遠くで歩いているとか、窓から見えるとか、名前を耳にするとか、そんな「会い」方で、以前のようにきちんと目を見て、お互いの名前を呼んで、「逢う」ことはなかった。良かったことといえば、いつもあった真希ねえの怪我は段々と無くなっていった。


真希ねえが引っ越すことは村中に広まっていた。真希ねえの叔父さんが村を捨てた、という認識の一部の人からは後ろ指を指されていたが、大きく止めるものはいなかった。

一方、山口のおじちゃんは急に元気になり始めた。真希ねえが出ていくことを知った日ぐらいからだと思う。近所に釣った魚を頻繁に配って、日中から酒を飲んでいた。


真希ねえがいなくなる世界に慣れて行った辺りのある朝、いつもは酔っ払って寝っ転がっている山口のおじちゃんが家に来た。息を荒らげて、汗だくで、


「真希がいなくなった」と叫んで。


真希ねえが引っ越すまであと三日くらいだった。





俺は走った。村の外れに走った。いつかに食べたスイカの匂いを追って、廃墟に走った。

真希ねえはきっとあそこにいる。きっと。



「真希ねえ!」


そう叫んだつもりが、唾液と血の味が混じって出てなかったと思う。けれど、廃墟の屋根に昇って村を見渡す真希ねえが振り返った。


「竜也、どうしたの」


久しぶりに話すはずなのに真希ねえは相変わらず笑っていた。みんな探してるよ、そんなところにたったら危ないよ、なんでいなくなったの、言いたいことは沢山あったはずなのに何も出てこなかった。


「ま、真希ねえ…」


「みんな探してるんでしょ、いなくなったって」


「…うん…」


廃墟といっても足元は石と岩だらけで、屋根の上に登るにはやっとの思いだった。多分、五、六メートルはあると思う。そのギリギリに立った真希ねえは左足のあせもをかいていた。


「今更になって…。前だったら絶対誰も騒がなかったよ。特に父さんはね」


「…そんな、」


「ううん。まあ、竜也にはきっとわからないよ。郵便も東京も知らないアンタには何も」


「…」


不思議と腹が立たなかった。全部事実だからだろうか。ぼーっと立って、真希ねえから見た俺はどんなやつだったんだろうなと考えていた。


「もうすぐね、弟ができるんだって」


「え?」


「私んちに。子供が生まれるんだって」


「え、でも、真希ねえんちは、」


「そう。お母さんは昔に死んだよ。アンタが産まれる前に。でも、弟ができるんだってさ」


その言葉がどういうことかぐらい俺にもわかった。


「もう服も買っててさ、超ちっちゃいよ。人間が入るのかよってくらい。部屋も用意されて、和尚さんに名前も決めてもらってるんだってさ」


「うん…」


「だから、

だから私は邪魔なんだって」




「邪魔なんだって。新しい子が産まれるのに。アクエイキョウってさ。新しい子を立派に育てるために、私は犠牲になるんだよ」


―じゃあ、その一つのために周りは死ぬんだねー


―自分も大事にされるはずだったのに、たまたま大事にされるやつが出来たから他のはいらないってされるー


「早く死ねって、邪魔だって叩かれて殴られて。おかしくない?ちょっと前までアイツの手は…、父さんの手は、私を抱きしめるためにあったのに」


「だから私、兄貴に助けを求めたの。こんな村で生きていけない、助けて欲しいって。こっそり手紙でさ、兄貴忙しいのに頻繁に手紙返してくれて、父さんにバレないようにって宛先も全然知らない名前にしてくれたりしてさ…」


「でもバレちゃった。嘘付いてるのが気に入らなかったらしくて、ココ最近で一番でかいの食らったよ」


俺は真希ねえの青い頬を思い出していた。そうか、真希ねえがいつも怪我してるのはそういうことだったんだ。村は狭い世界だから、近所に噂されないように手当して、また治ったら殴って…。


「アンタとスイカ食った帰り、父さんが優しかった。何でも、兄貴と電話したんだって。そしたら人が変わったみたいに私に優しくなって、………兄貴が言いくるめてくれたんだって思ったの。兄貴頭のいい人だから……。どんなことを話したかしらないけど、父さんも昔みたいに優しくなって、私はこんな村を出て、広い世界に行ける。私には希望しか無かったよ。……竜也には悪いことしたと思うけどね…あからさまに避けられちゃったしさ」


「………そしたら昨日さ、父さんが兄貴と電話してるの、聞いちゃったんだ」


真希ねえは後ろ姿のまま肩を震わせ始めた。強く拳を握って、でも声には出さないようにプツプツと話した。


「…東京に出たら、わたし…フーゾクで働くんだって。…わかる?風俗。…知らない男の人、若い人もいれば、父さんより年上の人と、セッ…、セックスしてさ、お金を貰うんだよ」


「ばがみたい、じゃない?兄貴がさ、私を、東京に呼ぶのは…稼げるからって、こんな村に…置いておくのは勿体ないんだってさ………………」


声が出なかった。ショックだったからか、真希ねえが泣いているのを初めて見たからか分からない。知らない単語ばかりだったけど、きっと、俺には想像することも、代わることも、どうにかすることもできないことだ。



「…………はあ、竜也に話してもどうにもならないのにね…ごめんね」


「俺、…」


「いいの」


やっと出た言葉もかき消されてしまった。


「私ね、幸せになろうと思う」


じゃり、とサンダルで石ころを蹴る。カツンと地面に当たる音がした。


「なんでこんな場所に生まれちゃったかなあ…なんで弟なんてできちゃうんだろうなあ…」


「真希ねえ」


かき消される前に全部話さなきゃ。


「俺はガキだし、真希ねえから教わるまで東京も郵便も知らなかった。馬鹿だから。学校でもテストはいっつも最下位で、馬鹿だからさ、ずっとこの村で真希ねえと暮らしてくんだなって、全然想像つかないけど、来年も再来年も真希ねえと一緒に、」



そうだ、俺には夢があるんだよ。




「俺、まだ真希ねえに手紙出してないよ……」


そう言った時真希ねえがどんな顔をしていたかわからない。







「アハ、」


「まだ覚えてたのそんなこと、


馬鹿ねえ」



俺が顔を上げた時には、もういなかったから。





真希ねえの葬式はすぐ行われた。山口のおじちゃんの姿はなくて、お坊さんも呼ばず、ただ村の誰も来ないような乾いた日陰の土の中に埋められた。


スイカのように、埋められた。







拝啓、山口真希様

初めてお手紙を書きます。




何年か経ち、古臭い村の風習が無くなった頃、高校卒業と同時に俺は村を出た。



俺は来年から東京で仕事を始めます。


村にいた時は想像がつかなかったような騒がしさとキラキラしたもの達。母さんと父さんの援助のおかげで、割と中心の方に住めている。


借りてる部屋だけでいったら実家のほうが大きそう。

家具も何もありません


真希ねえが一生かけて夢見た世界はこんな感じなのだろうか。


出来ることならあなたにスーツ姿を見せたかった。

きっと笑うんでしょ?


いくら書いても届くことが無い手紙。あの時手渡しできた事がどれだけ幸せだったろうか。


書きかけの便箋を封筒に入れ、箱の中にしまう。同じようなものがもう箱いっぱいに入って蓋が閉まるかすら怪しい。


俺にはもう、あのときのスイカの味も、あなたの手の感覚も思い出せないけれど、




せめてこの手紙の重さくらいは、あなたが幸せであったらいい。



そうだと、いい。

敬具 畠山竜也

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