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第15話  終章~種は旅立つ~

 少女は暗闇の中で目を開く。


 体を包み込むような弾力のある豪奢な椅子に座っていた。


 ここは何処だろう。


 それが少女のこの世界で初めて意識したことだ。


 そして――それと同時に自分がダンジョンの主であることを理解する。


 相棒はダンジョンの核であり管理者であるヌクレオ。


 何の知識もないがダンジョンを管理運営する方法だけは初めから知っていた。


 少女はその仕組みの中で生きる。


 少しずつ力を付けて階層を増やし人間に襲われることなく長い時を過ごした。


 目覚めて三万五千年。


 風変わりな少年にこの世界での生活がどうやって始まったかを聞かれその瞬間を思い出していた。


 少女がそれを話すと誰が仕組んだか知りませんがいい迷惑ですよねそう言って少年は笑った。


 このところ週に一度料理を教えてもらうようになった少年だ。


 少女に食事は必要ないが料理を食べると今までとは違う何かが満たされる気がした。


 この頃度々入るようになった温泉への入浴もそうだ。


 温泉に浸かっているときは体に血が巡っていることを感じられた。


 今までの長い生涯で感じた事の無い”生きる”という現実を意識できる。


 神武(かみたけ)は少女を慈しみ見守る。


 様々な質問を少年に投げかける少女に少年はある日一つの提案をした。


 それは身長も伸びてもう青年と呼ばないといけないくらい彼が成長した頃だった。


 少女は逡巡し――ゆっくりと頷いた。



§



 なんて輝かしくて美しい場所なんだろう。


 エミリアは椅子に座って目の前の料理を見つめる。


 職業が料理人の父は公共事業の一環で行なわれている王国領の畑で農業を仕事にしていた。


 職業が芸術家の母は針子の仕事をしている。


 シェア層の両親は家にいることも多いが長女のエミリアは二人の弟妹の面倒をよく見ていた。


 貧しくはないが裕福でもない家で質素な食事を作っていたエミリアにとって目の前の見た事の無い料理はご馳走に見えた。


 父が働く畑の管理者であるケィンリッドの計らいで父が栽培し収穫した野菜が家族に振舞われたのだ。


 光あふれる場所の名はネスリングス。


 弟も妹もキラキラした瞳で料理に釘付けだ。


 ケィンリッドの短い挨拶の後に食事会は開催される。


 エミリアはどれを食べても美味しい料理に目を丸くしながら食べこぼす弟の世話をする。


 飲んだことのないシュワシュワ音を立てて泡がはじけるジュースに後を引いて病みつきになるポテチと呼ばれるスナック。


 中でもコロッケという小麦色の料理に添えられたシャクシャクと歯切れのよい白く甘い食べ物に心が躍った。


 たまらずに各テーブルを回って飲み物を注いでいる少年に話しかけた。


「すみません。この甘い食べ物はお菓子なんですか?」


 エミリアは菓子を食べたことが無い。


 そして――それがエミリアの大きな悩みだった。


「っん? それはトウモロコシもやしの炒め物だね。私も好きなんだ。気に入った?」


 エミリアはお菓子が甘いものだと聞いていた。


「お菓子じゃないんだ……」


「――お菓子が食べたいの?」


「はい。……あのっ! あたし職業が菓子職人なんですけど。菓子がなにか分からなくて……近くで知っている人も居なくて。甘くて美味しいからてっきり……」


「へぇ。菓子職人なんだ?」


「はい。神様から頂いた職業なのに諦めなきゃいけないかと思ってたんです」


 少年はどこからともなくバスケットに入った小麦色の薄い板状のものを少女に差しだす。


 それが菓子だという言葉を聞いてエミリアは驚く。


「そう。クッキーというお菓子だよ。試作品だけどね。食べてみる?」


 見た目は堅そうなのに口にするとさっくりと崩れ上品な甘さと香ばしい風味が口に広がった。


「このクッキーはあの()が作ったんだ。クローエッ! ちょっとこの娘とお菓子のこと話してて」


 少年はそう言うと瞬く間に両親に説明をして、あくる日からエミリアがネスリングスに通う事が決まった。


 エミリアは年上のクローエの手伝いをしながらお菓子を作り始める。


 高級な卵をふんだんに使ったお菓子に目眩を感じながら目まぐるしい日々が続く。


 そんなある日。王宮から彼女の召喚を伝える使者が訪れる。


 エミリアは突然の事態に断る間もなく召し上げられた。


 王宮に連れてこられたエミリアが豪華な待合室で縮こまって座っていると。


 不意にドアがノックされる。


「どっ。どうぞ」


 恐る恐る声をかけると現れたのはレオカディオ。


「エミリア。すまないな。少し手が遅れた」


「えっと。どういう事でしょうか?」


「エルフの方々に作っている菓子があるだろう? パオラも融通してもらっているんだが。それが手違いで王宮に流れてね」


(正確には、こそこそ食べているパオラが王妃様に見つけられてしまったんだが……)


「はぁー」


「君を王宮で召し抱えたいという話が出たんだ」


「へぇ。……えっ! ――えっ! ……えぇぇっ!!」


「君も望むまいと思って差し止めておいた。もう店に戻れるから送ろう」


(エルフの方々との争奪戦なんてシャレにならない。菓子に熱を上げてるジージェッジリオン師なら起こしかねないからな)


 レオカディオはため息交じりの苦笑いでエミリアを待合室から連れ出す。


(王妃様の分も融通してもらうようエルフの方々と交渉だな。作る量を増やせば問題あるまい)


 レオカディオが弁明と状況報告をエルフに行った時に確かにリオンはピリッとしたが一番冷汗をかいたのがウェンの一言だった。


 彼女はこう言った。


「自由な鳥を籠に囲うならそれは監禁ね。それに弟子の一門に手を出したら報復するのが師匠の権利よ」


 にこやかな笑顔だったが目が笑っていなかった。


(王宮で召し抱えることは本来名誉なことだが、今回は相手が悪かったな)


 王都の平穏を守れたことにレオカディオは安堵した。


 時が流れケィンリッドの鶏舎で卵が順調に獲得できるようになると徐々にエミリアの活躍の場は増えてゆく。


 そんな彼女の元に一通の招待状が届く。



§



 メイリンに店番を頼まれたリラは店を気にしつつ応接室のお客様へお茶を出す。


 ノックをして中に入ると甘いような美味しそうな匂いが漂っている。


 メイリンとガンソ。


 そしてパオラが美味しそうにそれを飲んでいる。


 リラはそれが何か興味深々に見ていると少年から声をかけられる。


「リラさんも宜しければ店番の合間に召し上がって下さい」


 そう言ってアイテムボックスからカップに入ったスープを差し出される。


(ジロジロ見てはしたなかったかな?)


 頬に血がのぼるのが分かった。


 リラはそそくさと部屋を出てゆく。


 そしてバックヤードでカップに口を付けてスープを飲む。


 食べた事の無い甘味と塩味が口の中に広がりふくよかな風味が鼻から抜ける。


(おいしいぃ~♪ キッチンにパンがあったはず。どうせお客も来ないし良いわよね)


 楽し気にキッチンへと向かった。


 メイリンとリラは従妹だ。年はメイリンが二つ上だが小さいころから姉妹のように育った。


 神から啓示された職業も錬金術師と同じだった事もありこの店の手伝いを始めた。


 だが、メイリンの店は来店客も少なく経営は上手くいっていないようだ。


 たまに思いつめた表情をしていることが多くなってきた。


 腕はいいのに営業が苦手で今回のお客も心配した大学の教授が紹介してくれたらしい。


 リラも店に住まわせてもらっているから店が軌道にのるまで給料はいらないといっているが真面目なメイリンはガンとして聞き入れてくれない。


 今日の商談が決まると良いなそう思いながらリラは店番をしていた。


 そして――この日メイリンの運命が変わる。


「っらっしゃいっ!」


 来店客に威勢の良い声をかける。


 呆れたようにリラは聞く。


「……メイリンそれ続けるの?」


 少し頬を赤くしたメイリンが言う。


「だってこの掛け声をかけたときにしか魔道具が売れないんだもん」


 始まりはメイリンの兄が心配して店を見に来た時。


「威勢良く声かけないと売れる物も売れねぇっ!」


 そう言って入って来たお客へ声を掛けた。


「っらっしゃいっ!」


 兄の仕事は魚屋だ。


 だがその日初めてメイリンの店の魔道具が売れた。


 普通に声をかけても売れない日々に物は試しと半ば自棄になって声を掛けたのがノアだった。


 毎日のように来店して何かを買って行く。


 見積りをと言われて作ってしまった魔道具も苦笑いしながら全部買い上げてくれた。


 ノアのおかげで今月はなんとか乗り切れそうだ。


 もはや「っらっしゃいっ!」はメイリンのジンクスになった。


 ノアが来るようになってからは魔道式脱穀機の王都からの受注に始まり。


 数々の料理魔道具の注文が入るようになる。


 極めつけは上部冷却式の冷蔵魔道具の大ヒット。目が回るほどの忙しさだ。


 ある日ノアが提案する。


「メイリンさんが真面目に全部作る必要はありません。特許(パテント)料を払えばどこでも買える魔道具がこの店に集中するのは、発明王メイリンの店だからです」


「……考えたのはノアさんですが」


「細かい事はいいんです。これから”紋”の習得に巻き込む――協力してもらうために時間を取ってもらわないといけません」


「今……巻き込むって言いましたよね?」


「気のせいです。心の声が聞こえたのでしょう」


「……」


「今のメイリンさんに必要な事はブランド化です。クオリティを維持して名前で売るんです」


 そう言ってノアは手始めに年季の入った重たい色のレンガと暗い色の重厚なドア。


 そしてペラッペラでポップな看板というアンバランスな外観の入りがたい店舗から手直しした。


 そうして出来上がったのは純白の漆喰の壁に角だけオレンジのレンガが見えるおしゃれな外観。


 看板は厚みが足されて、扉は明るい木目に変えられてカフェのような印象だ。


 小さかった窓も大きく広げられ通りから商品をディスプレイする。


 それは瞬く間にそしてパオラの叫び声とともに行われた。


 その後に王都の魔道具錬金術師と専属契約を行い商品を卸させ。


 メイリンのブランドロゴを作り商品に取り付ける。


 従業員を雇って商品の検品と納品を任せるようになると目も回る忙しさだったメイリンは時間が取れるようになった。


 もっともその時間は”紋”の習得に始まり、習得後は王民事業体イーディセルの講師としてとられてしまうのだが。


 リラはノアに振り回されるメイリンを気の毒そうに眺めていた。


 ――その日までは。


 ある日リラはノアに話しかけられる。


「リラさんに錬金召喚してもらいたい物質があります。触って味を見て良く知って下さい」


 そう言われて舐めたのはとんでもなく苦い粉。


「っ! うぐっ。何なのこれ?」


「塩化マグネシウムです。その隣が炭酸水素ナトリウム。その隣がリン酸カルシウムです。この物質を良く知って理解して召喚出来るようになって下さい」


「塩化マグネシウムはにがりの原料で豆腐作りに必要です。炭酸水素ナトリウムは苦しょっぱい味。リン酸カルシウムは無味です。味覚は人間の分析器官でも随一です。しっかりと覚えて下さいね」


 またある時は。


「リラさん。ニカワを見つけました。精製すればゼラチンが獲得できます。精製の練習をしましょう」


 更に。


「リラさん。ローカストビ-ンガムと同系の植物を発見しました。アガーが出来ますよ。精製に協力して下さい」


 ノアが王都を旅立つ前にリラは特務宮廷錬金術師になっていた。


 しかも王宮が守秘管理する部門の長を兼ねる。


 主に作っているのはベーキングパウダー。


 そしてにがりやゼラチンなどの各種のあらたな料理材料だ。


 ベーキングパウダーの内容物は炭酸水素ナトリウムとリン酸カリウムにコーンスターチの混合物である。


 その原材料と混合率は王族を含め数人しか知らない国家機密だ。


 人生何が起こるか分からないがリラの格言になった。


 ベーキングパウダーは王宮専売品としてネスリングスのレシピと共に海を渡る。



§



 神武(かみたけ)は自分が望み夢見た光景がいま目の前にある。


 ノアが少女に語り掛ける。


「そんなに興味があるなら街を案内しますよ。サイネさん。出られるんですよね?」


「出られるのかな?」


 神武(かみたけ)は出すなと命じる本能をこらえ事実のみを伝える。


「出られますよ」


 非推奨と警告する管理者としての指示を押しとどめる。


「じゃぁ。ノアが嫌じゃなければ。行ってみたい」


 神武はヌクレ(コア)オだ。


 自身がダンジョンから出ることもマスターであるサイネにダンジョンから出るように促す事も出来ない。


 自分の意志と関係なくこのダンジョンに閉じこもった少女は今自分の意志で外へと足を向ける。


 少女に風の匂いと太陽のぬくもり。


 光の世界を見てもらいたい。


 ただそう願った神武(かみたけ)の想いはノアによって叶えられる。


「じゃあ。思い立ったが吉日といいます。これから行きましょう」


 三万五千年動かなかった針は一瞬で動き出す。


「えっ! ちょっと待って」


 サイネの肩をグイグイ押してノアが歩き出す。


 動き出す時は怒涛の如く。それがノアという青年だ。



§



 エミリアは目の前の光景を呆然と見つめる。


 友人として招待したいと書いてあったはずだが船でたどり着いた隣国の港には赤い絨毯が敷かれていた。


 彼女の周りには二〇名を超える王国の騎士が仕える。


 彼等が万全の警備でエミリアを守る。


 エルフの庇護下にある者を万が一にも傷つけない配慮だ。


 始まりは鶏の卵が出回り出した頃だった。


 沢山の人にお菓子を食べさせたいと。思い出のお菓子。クッキーをネスリングスで販売をした。


 それは好評を博し作っても作っても連日売り切れた。


 そんなある日に王宮から食事のデザートを作ってほしいと依頼を受ける。


 作るだけならと承諾しデザートを提供すると感激したので挨拶をしたいと会場に呼ばれる。


 慌てて断るが押し切られて食事会場に連れ出された。


 すると良くクッキーを買って行く常連の少女が座っている。


 その少女は隣国の王女だった。


 王女から是非我が国でもお菓子を広めてほしいと懇願される。


 エミリアは迷ったが王国にはないお菓子もあると聞き好奇心が疼いた。


 何より食材は料理と共にと言っていたオーナーの言葉を思い出し招待を受ける事にした。


 自分に活躍の場を与えてくれた恩人が外貨獲得の為に生み出したのがベーキングパウダーだ。


 旅立つにあたりウェンがエミリアの元を訪れ数々の道具を渡してくれた。


 船が沈んでも安心なようにと言って。


「ようこそ。いらっしゃいませ。エミリア様。どうぞこちらへ」


 純白の騎獣車に金の細工が施された豪華な乗り物だ。


「あのぉ。大げさ過ぎはしませんかね?」


「いえいえ。申し付けにより国賓待遇の友人としてお迎えするようにとの指示です。ささっ。こちらへ」


 この日より三ヶ月間の滞在で王国の専売品ベーキングパウダーはその価値を何倍にも高める。


 隣国の王族を虜にして。


 アガーで固めた鮮やかで色とりどりのプルっとしたゼリー。


 口にすると溶けるようにほどける輝くゼラチンのゼリー。


 ケーキにカステラ、クレープシュゼットと全てが王国で産まれたお菓子だ。


 隣国が欲したのはもはやベーキングパウダーだけではなくなった。


 エミリアは新たな種を隣国に撒いたのだ。


 彼女が王国に戻るときお供の数は倍に増えていた。


「私のことは師匠と呼ばないで下さい。まだ修行中の身です。それに私にはクローエさんという師匠がいますのでついて来られても教えてあげる許可が下りるか分かりません」


 増えたのはお菓子作りの志願者だ。


 エミリアは深く長い溜息をついた。



§



 屋台連合のネストをまとめるネビルは広場の騒ぎを耳にして事情を聞く。


「どうかしたか?」


「あっ! 代表。このお客さんがすいとんの味が違うって言うんです。味は具と味付けで変わるって説明したんですけど。納得してくれなくて」


 商人風の男がバツが悪そうに言い訳をする。


「何もいちゃもん付けるつもりはないんだ。前に食べたのと噛み応えが違うからこれしかないのか聞いただけだよ」


「へぇ? どう違うんだ」


「もっともっちりとして腹にたまった。スタンピードで商売道具がおシャカになって命からがら辿り着いた村で振る舞ってもらったんだ。やけになってた俺を立ち直らせてくれた思い出の味だ。すいとんと聞いて懐かしくなってな」


「すいとんに違いがあるとは思わねぇが……ほかに何か特徴はあったか?」


「ん~。ジャーマンポテトってやつも一緒にでてきたな」


「ジャーマンポテト……その意味の分からないネーミングには心当たりがあるな」


 ネビルは少し思案するとスープを取り出す。


「もしかしてこれか?」


 男は受け取りそれを食べる。


「そうそうこれだっ! これこそすいとんっ! 思い出のより旨い位だな。魂の味だっ!」


「代表っ! それって?」


「っん? ――ニョッキだな」


「あっ? すいとんだろ」


 ネビルはあいまいに笑って問いかける。


「他にも何か面白い話はなかったか?」


「おぉ。何でも土地神様の使いがお伝えになった料理だと言っていたな。さすが王都。何でもあるな」


 思わず吹き出すネビル。


(――神様の使いって……何だよっ!)


「その村はほとんど壊滅していたのに、少ない食料を俺に分けてくれたんだ。そしてこう言われた――」


 男が語ったそれはネビルの良く知る(まじな)い。


 勝手に広がりうつる幸せな(まじな)いだ。


 小麦を焼き出された村でかき集めた残り少ない小麦を有効利用しようと、ノアはジャガイモを加えて腹にたまるニョッキに仕立てた。


 ネビルはノアの言葉を思い出していた。


 ジャガイモを蒸かすだけでニョッキとジャーマンポテトとポテトサラダとコロッケが出来る。


 ノアが言うネビルには意味は分からないジャーマンポテトのヒントがあればニョッキに思い至れる。


 今はノルトライブにいると聞く恩人は知らない場所で騒動を起こしながら変わらずやっているようだ。


(ノアくん。あんたの撒いた種が一粒また王都に届いたよ)


 王国でこれから長く論じられるニョッキとすいとんのどちらが本家の具か論争は騒動にひょっこり顔を出すあの男が火付け役だ。


 あの村を中心にニョッキのすいとんは優しさと共に広がる。



§



 ――――城楯都市ドゥブロベルク


「嬢ちゃん。あんたの基礎能力はいいところB級に引っかかるくらいだ。過信はするなよ」


 バルサタールは苦笑いしながら問いかける。


「分かってる。先生。過信するほどの実力はない」


 二年ほどの訓練で純度を増した強い眼差しでエステラは言う。


「あら? おかしいわね。十分にノアから弓の志を折れるくらいにはしたつもりだけど」


「錬金術師さんよ。さすがにやり過ぎだ。もう少し手心を加えられなかったのか?」


「まさか。十分にダウングレードしたものよ。もとは神器と呼ばれたものだもの」


 バルサタールの苦笑いは深くなる。


(他門に口出しは無粋か。あの坊主の隣に立つなら必要なことなんだろうが……)


「嬢ちゃん。訓練以外で本気は出すなよ。だが、道具に振り回されないように訓練では本気を出せ」


 エステラは訓練と同時に伸ばし始めた金髪を邪魔にならないように編み込みうなじで束ねている。


「うん。わかった。先生。そうする」


 彼女の眼前には表面を削り取られた広大な平原が見える。


 少し前に弓を手にしたエステラが作り出した光景だ。


「訓練用の戦闘領域も作っておいたからその中でやると良いわ。ダンジョンの構造を模しているから広くて空も高いしね」


「はい。ウェン師。いろいろとありがとう」


 背中を見上げて羽ばたく準備をしていた少女はもうすぐ旅立つ。





 俺はゆっくりと目を開ける。


 最初に目に入ったのは心配そうに見つめるモルトの顔だ。


 そして俺と目が合うと安心したようににっこりと微笑んだ。


 上体を起こして辺りを見渡すとありましたよ錬金召喚したものが。


 俺が日本から呼び寄せたもの。


 それは――



 動力:純水還元水素エンジン搭載


 区分:AIフルオートトラクター

 品番:W-00D

 出力:85馬力

 仕様:フロントローダー装備


 これはシルバーと黒で構成された最新の高性能トラクターだ。


 前輪が小さく後輪が大きいタイヤにはオーバーフェンダーがその半分を覆い隠して保護している。


 車体の前方にはブルドーザーを思わせる黒いフロントローダーが装備されていた。


 メーカーはその品番からウッドという愛称を広めようとしたがさすが農業業界だロボトラで確定した。


 軽トラの流れだね。


 このトラクターは環境保全型農業に則して完全無公害の水素エンジン仕様。


 純水へ特許触媒を撹拌することで電気分解を可能とし水素と酸素を発生させてエネルギー源としている。


 廃棄のない完全循環の水素エンジンだ。


 高度化した現代の農業に則り乗車には特殊な免許がいる。


 農車両操舵一級免許だ。


 もちろん俺は持っていた。


 この資格の中にはドローンの操縦資格も内在されている。


 ちなみにこのトラクターには複数のドローンを管理操縦する機能が付いている。


 さっそく俺はトラクターに乗り込み設定する。


「はじめまして。ノアさん。これからもよろしくお願いします」


 滑らかな女性の声で語り掛けてくる。


 ピーというエラー音のあとAIが発する。


「通信障害とGPS障害が確認されました。電波状況を確認して下さい」


「通信もGPSも回線切っといて使えないから、エリア確認機能で周辺をチェックして」


「はい。開始します」


 四台の小型ドローンが飛び立ち周縁の地域を地図のようにデジタル化して映し出す。


 過疎地の増えた現代で道路も整備されていないへき地でも問題なく作業出来るように。


 また廃村の農地利用化を進めたい政府の思惑で開発された機能だ。


 今までいろいろ試してきたが俺がトラクターで耕すと俺の支配領域になる。


 だが、俺が乗っていても指示するだけなら支配領域にはならない。


 また、種を撒いただけでも支配領域にはならなかったんだ。


 現代日本の農業は作業管理を人間がして耕耘から播種まで全てトラクターで自動で行える。


 つまり、このトラクターがあれば面積縛りを気にせずにいくらでも俺が畑を耕せるってことさ。


 面積を増やすと鳴るかもしれないあの不愉快な鈴の音。


 あいつへの俺なりのカウンターアンサーがこれだ。


 これで気にせず農地を増やせるぞ。ニッシシ。

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