表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/219

第15話  終章~種は広がる~

 ――――王都


 王民事業体イ-ディセルの銀行部門を束ねるエーギルはノルトライブの支社の設立完了にほっと息を吐く。


(これでイ-ディセル様とレオカディオ様に良い報告が出来る)


 エーギルは1年半ほどの付き合いになった、年上のような少年との目まぐるしい日々を思い出す。


 エーギルが少年と会ったのはケィンリッドの管理する圃場でだ。


 しっかりと話をしたのはジャガイモという野菜を収穫した後のネスリングスでの夕食会だ。


 酒を振舞われ遠慮がちに職業を聞かれた。


 エーギルが数学者だと学も無いのにと皮肉に笑うと。


 少年はにっこりと微笑みお願いしたいことがあると言ってきた。


 なんでも、ネスリングスの経理を一緒にやってほしいとの依頼だった。


「エーギルさん。BSとPL――賃貸対照表と損益計算書は、企業の経営を見える化するために必要なことです。決算期は7月として毎年作成し、複数年の長期動向で健全な体質企業を目指しましょう」


「ポイントは『資産』『負債』『純資産』『収益』『費用』です」


「売上総利益から販管費を引いた営業利益を確保して、利益積立を行い内部留保の蓄積を行って下さい」


「ただし”利は元にあり”です。売り手よし、買い手よし、世間よしの精神で利益の社会還元も並行して行いましよう」


 一緒にやってほしいと言われた割に、一方的に教わる方が多かった。


 暗算と呼ばれる瞬間計算とインド式と呼ばれる計算法。


 20歳を迎えた数学者エーギルが今まで触れることのなかった知識が空っぽだった体に吸い込むようにたまって行く。


 そうこうする内に王民事業体イ-ディセルで簿記と計算を教えてほしいとお願いされる。


 世話になりっぱなしのエーギルに否やはない。


 王都でも珍しい職業の研究者や文官などが集められ、希望する職業市民も揃えられた。


 その中にもう一人の数学者イェルダがいた。


 同じ数学者ということで気にかけていたが、彼女もエーギルと同じように知識をどんどん吸収する。


 王民事業体イ-ディセルの1期の卒業生がでる頃、少年はエーギルに設立したばかりのメイリン&ガンソ社の経理会計と依頼してきた。


 エーギルは苦笑いしながらその要望も受けた。


 王民事業体イ-ディセルの授業は知識を吸収したイェルダに任せ。


 経営管理課の1期生を連れてメイリン&ガンソ社で経理会計の基盤を作る。


「エーギルさん。粉飾決算は信用を失墜させます。優良企業ですら一発で飛びますから、明朗潔白な決算をお願いします」


 どこか達観したよな含蓄ある言葉にエーギルは深く頷く。


 そしてエーギルは一つの計画を企てる。


 計画が実るのは少年が旅立つ3ヶ月前。


 少年がエーギルに会いに来る。


 いつも振り回される恩人の少年に言ってやるのだ。


「ノアさん。――次は何を手伝えば良いんですか?」


 初めて見るきょとんとした少年の顔を今でも忘れない。


 エーギルはメイリン&ガンソ社の会計経理をいつでも手放せるように準備していた。


 次なる少年の計画は投資と回収だ。


 王民事業体イーディセルに戻ったエーギルは銀行の概念を少年から聞く。


「銀行はお金を王都中に運ぶ血液の役割です。大金をリスクを冒さず保管し好きな時に引き出せる。利子という配当をつけることで一般人からお金が集めやすくなります。商店や飲食店の設備投資に資金を提供して利息をとることで利益を得ます」


「農家には収穫期払いの提案をし、収入のない時期を無理なく乗り越えてもらえるようにします。飲食もろもろの新たに商売を始めたい人達の資金確保にも利用できます」


「与信は後ろ盾が王国である以上問題ないでしょう。踏み倒せばお尋ね者です」


「貸付金額の大きい場合は賃借対照表と損益計算書の開示を条件にしてください」


 賃借対照表と損益計算書という概念は先見の明のある商店で受け入れられ、王民事業体の経理会計部門の卒業生は引く手数多の人気となり、王都で広がりを見せる。


(本当はノルトライブの銀行には自分が行きたかったんだが)


 残念ながら許可が下りなかった。


 代わりに一番弟子のイェルダを向かわせた。


(イェルダ。私が君に教えたことは全部ノアさんから頂いたものだ。宜しく頼むよ)


「銀行も同じです。エーギルさん”利は元にあり”です」

 

 真面目な表情でそう言ったノアの顔を思い出しエーギルは銀行の基盤整備に精をだす。



§



 どうしてこうなった?


 ネビルは自分の立場に途方に暮れる。


 まだ正式開店前のネスリングスで彼は衝撃的な出会いを果たした。


 ある日練習も兼ねて孤児院向けに料理が振舞われた時のことだ。


 店に向かう前に漂う嗅がずにはいられない匂い。


 魚の発酵調味料を塗られ焦げ目のついた黄色い物体。


 ――焼きトウモロコシ。


 噛むと弾ける甘さと歯ごたえで、こんなに旨い物があったのかと思った。


 頼りになる兄貴分のアルバロからそれを焼く手伝いを探していると聞いて一も二もなく立候補した。


 オーナーは同い年の少年。


 好きに呼べというので柄ではないが礼儀としてノア君と呼んだ。


 ずっとトウモロコシを焼いて売り、ネスリングスの旨い賄いを食べて余った焼きトウモロコシを貰って帰る。


 そんなある日ノアがいつも同じで飽きるだろうと焼き鳥のタレと鳥を持ってきた。


 タレの作り方を教わり、継ぎ足しながら塩とタレの焼き鳥を部位ごとに串に刺し売る日々に変わる。


「肉は縮む方向が同じだから串に刺すときは肉の筋は同じ方向で、肉は大きさの違いは串差しの配置で調整しろよ。薄い肉から刺して、一番上の肉は大きいのにしろよ。一口目にガツンとインパクトを与えるのが粋ってものだ。串差し三年焼き一生っていうぐらいだからな。刺した串は手で押さえて厚みを薄くする。火入りが良くなる為だ」


 ある時は肉の串焼きを売ってくれと頼まれ、いつの間にか少しずつ作れる料理が増えていった。


 冬の寒い時期はおでんやすいとんなど汁物を日替わりで提供し、変り種だとロールキャベツっていうのもあった。


 夏にはかき氷やシャーベット。


 雨の日も風の日も冬も夏も外で販売し続けた。


 王民事業体でネスリングスのメンバーが教えた料理人。その1期生の卒業が間近に近づくとレンタル方式の屋台を売り出すと説明を受ける。


 屋号は巣を意味するネスト。


 ネスリングスのセカンドブランドだという。


「ネビル。ネストの一号屋台はお前にやってもらいたい。屋台の事はお前が一番知っている。頼めるか?」


 ノアの言葉に否やはなかった。


 ネストの代表にはレオカディオが就くという。


 あと1年で成人を迎える頃に同い年の少年が言い出した。


 大体騒動の中心には少年がいる。


「このままじゃ。王都の住居が足りなくなります。集合住宅を作りましょう。ついでに文化と食事のテーマパークを王都に建てますよ」


 王都内の土地は王国のものだ。王国の許可が下りれば国民に拒否権はない。


 手伝いに行ったネビルが見たのは、ノアによってとんでもない速さで解体される住宅。


 目立つでしょ! としかるパオラと不服そうなノア。


 解体業者以外は人払いがなされて緘口令の敷かれた現場で自重をしないノア。


 壁が一瞬で消え、レンガが舞い飛び5階建ての集合住宅が1日で出来る。


 あきれるパオラを尻目に今日中にある程度仕上げないと寝る場所に困るでしょうと真顔のノア。


 更地に成った場所に建設業者が建物を建ててゆく。


 たまにノアが手伝いに行くと異常に進む建造物。


 出来上がったのはフードコートと屋台専用の広場。開放的なショッピングモール。


 ウォータースライダー付きの屋内温泉プール。


 演劇やコンサートが可能な演芸場の建っている複合施設だ。


 受理されなかったフードコートをノアは自費で作り出した。


 フードコートの目玉料理にはラーメンが提供される。


 そして風呂文化への一歩としてわざわざ開発した温泉の魔道具を設置する。


 ノアは地球の有名な演劇の筋を本に起こし、あぶれていた演出家や声楽家、役者への舞台を用意した。


 そして、ネビルが成人を迎えるとネストの代表がいつの間にか自分になっていた。


(ノア君。無茶ぶりにも程があるよ。ケンさんは良く平気な顔で受けきるよね)


「代表! 味のチェックお願いします」

 

 ネストのメンバーのすいとんの味チェックでネビルの腹はもうタプンタプンだ。


 ネビルはノアの言葉を思い出す。


「屋台の全てをお前に伝えた。ネストの事は頼んだぞ」


(師匠で恩人の言いつけだからな。やるだけやるさ)




§



 師匠のおっさんと呼ばれたバルサタールは孫からのお願いに困惑する。


 自分の弟子もどきが作り出した演劇場で『終戦の英雄』の劇が人気のようでせがまれてる。


 孫は主役の絶界が誰か知らず、息子は苦笑いで助け船を出してくれない。


 嫁も笑うだけで状況を楽しんでる。


 若き日の体の弱い細君は子供を2人産むと肝っ玉が太くなり今では尻に敷かれてる。


(まぁ。こっちから潜り込んでやったんだが、男親は大事な時だけ発言すればいい。その方が家が回るからな)


 若き日の絶界が単身で20万の帝国兵にケンカを売った理由。


 体の弱い嫁がやっと授かった子供にストレスで悪影響を及ぼさないように。


 唯それだけだ。


 愛する嫁と授かった我が子の為に辺境伯の治める境界都市の城壁を飛び降り20万の兵に喧嘩を売り2000人近い兵を食い破った。


 「終戦の英雄」の演劇は特に女性に人気の演目だという。


 絶界の名を世に知らしめた逸話であり最後の闘いの物語でもある。


 子が生まれ先天的な病気が見つかり、即座に王都へ引っ越し引退したからだ。


 それゆえに絶界の名は剣聖に届いたはずの男。未完の大器と称される。


 だが、――それは事実とは異なる。


(嫁も息子も自分のせいで俺が何かを諦めたなんて思わせられないからな)


 お父さんは大変だ。


 王都でも研鑽を積み、人類の頂点にのみ許されるその頂きに手が届いた。


 バルサタール。


 その男の職業は――――剣聖だ。



§



 少女にとって父は憧れだった。


 父の職業は料理人でよく自慢げに師匠の話をしていた。


 師匠に教えてもらったあれこれを嬉しそうに、そして自慢気に話すのだ。


 そのキラキラした瞳が羨ましくて話を何度もせがんだ。


 そんな父が営む料理店の経営が傾き潰れる。


 父は母のいない少女を思い。


 なるべく側にいられるように稼ぎのいい岩塩鉱山への出稼ぎに出かけて、あっけなく事故に遭い帰って来なかった。


 少女が5歳の時だ。


 孤児院に引き取られた少女は父の死のショックが抜けず気が塞ぎがちだった。


 同い年で同じ職業のビビアナが励ましてくれて、クローエはなにかれと世話を焼いてくれた。


 孤児院の生活になれる頃、少し甘えん坊な少女は2人を同い年の姉のように思っていた。


 慎ましくも穏やかな孤児院の生活が過ぎ、少女が成人を迎える頃。


 王都の不況で勤め先が見つからない。


 いつまでも続くと思っていた親友2人との関係も終わり。


 別れなければならなくなるという時。


 一人の少年が現れる。


 一つ年下の大人びた少年は飲食店を始めるという。


 新たな食材で新たな料理を売り出す。


 その料理方法を教えてくれると説明された。


 料理を教えてくれる人――それが師匠。


 少女は父の笑顔が頭に浮かび年下の少年を師匠と呼んだ。


 もっとも少し恥ずかしくて、いつも目線を反らして頬を染めていたが。


 始まりは父への憧憬を重ねたものだった。


 フラフラしているようで頼りがいのある少年に父性を感じ寄りかかっただけなのかもしれない。


 少女が師匠と呼ぶことに慣れるころ、見た事もない数々の美味しい料理を生み出す少年への気持ちは尊敬が多く含まれるようになった。


 おおらかで笑顔を絶やさないビビアナは少年を年下の弟分として可愛がり。


 真面目なクローエはビジネスパートナーのオーナーとして重んじた。


 そして少女にとって少年は本当の意味で師匠となった。


 ある日のヒラメキですりおろしたショウガに塩を混ぜ、豆腐に盛り付けて少年に出した。


 調味料の発明だと少年に絶賛を受けたとき、少女は天にも昇るほど嬉しかった。


 表情の乏しい少女には珍しく思い出してニマニマ笑った。


 部屋で枕に顔を押し付け身もだえし、足をバタバタさせていたらビビアナに見られて、それから何度もからかわれた。


 そんな少年が成人になるとともに王都を出てゆくという。


 いつも笑顔のビビアナはおおらかに笑い。


 真面目なクローエは後の事は任せてと言った。


 少女だけが引き留めた。


 行かないでほしいと。


 少年は困ったように笑うともう決めたことだからと告げた。


 ――旅立ちの前夜。


 少女は最後のお別れ会で泣きながら少年の胸を叩いた。


 師匠のくせに勝手にいなくなるなんてと。


 一気に身長も伸び自分より背も高く大きくなった少年は手紙を書くよと申し訳なさそうに言葉を零した。


 少年が旅立って一ヶ月程したある日。気落ちしている少女にネスリングスに来たウェンが話しかける。


「エステラ。ノアはたぶん。世界の広さと美しさを知っている。でも、この世界の広さと美しさを知らないの。あの子はそれを自分の目で見に行かないと気が済まないのよ。あの子はきっと何処までも走って行くわ。そのスピードについていける人だけが近くにいられるの」


 話が見えず困惑する少女にウェンは更に続ける。


「あなたがここに留まりたいなら、ノアのことは諦めなさい。その方が幸せよ。でも、その近くに寄り添いたいなら協力するわ」


「――あたしに出来るかな?」


 料理人の少女は迷いつぶやく。


「そういう時は心に聞くの。あなたはどうしたい?」


 少女は目をつぶり心に問いかける。


「師匠がいないと寂しい。一緒に同じ景色が見たい。でも――」


 少女は言いかけて黙る。


 ウェンはにっこりと微笑む。


「今はそれでいいわ。不安は少しづつ自信に変えてゆきましょう」


 少女は自分の気持ちに問いかける。少女の少年への気持ちは恋ではない。


 尊敬はあるがその気持ちの名前は少女には分からない。


 恋と言うにはまだ瑞々しく、好きという言葉では彩りが足らない。


 少女の気持ちに名をつけるなら、それは――いとおしさ。


 尊敬と慕う心が主成分だ。


 ウェンはバルサタールに話を通し、少女への稽古を頼む。


 雛鳥は飛びたつ準備を始める。



§



 昼も下がりきった準備中のネスリングスで野菜の配達がてら休憩するケィンリッド。


 そこにウェンが訪れる。


「あれっ? ウェン師。珍しいっすね。こんな時間にどうしたんですか?」


「みんな聞いて。ノアが3日前から行方不明と連絡があったわ」


 いつも能天気なケィンリッドが息を呑む。


 笑顔を絶やさないビビアナですら表情を無くし、しっかり者のクローエは顔色を変えた。


 そんな中で声を上げる人物がいる。


「師匠なら絶対に大丈夫。すぐケロッと出てくる。ごめん。みんな。あたし訓練行ってくる」


 真っ直ぐに前を見て少女は走り出す。


 少し甘えん坊な少女は上を見つめ、ずっと先を走る少年を目指す決意を固めた。


 そして、そこに続く階段を1段登った。


 小さな1段だがそれ以前とは確かに違う高さにしっかりと両足で立つ。


 その先にいる少年の背中を見上げ見失わないよう確実に1段ずつ上がって行く。


 今――少女の物語が動き出す。

お読み頂きありがとうございます。

”ブックマーク“や”評価“を宜しくお願いします。

物語の続きを書く原動力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ