第15話-2 最悪Ⅱ
「マスター。どうですか? 異常はありましたか?」
パオラさんが、現状では一番この場を把握しているギルマスへ確認する。春の柔らかい陽色の声で彼がそれに答える。
「今のところは、平常との差はありません。ですが、ここは擬態することで有名なダンジョンです。オリヴェル様の持ちかえった情報と精査する必要があります。予定の通り、定刻の休憩の後に更に奥を調査しましょう」
擬態。そう擬態だ。通常のダンジョンは、スタンピードの予兆が現れる。モンスターの数が増えるとか、下層の強力なモンスターが上層部に姿を現すとかが分かりやすい兆だ。だが、このダンジョンはその前触れもなくいきなりスタンピードを起こす事で有名だ。それを冒険者は擬態と呼び警戒する。
いつもと変わらないダンジョンである日突然スタンピードに巻き込まれる。事故というより災害に近い。かといって、危険を冒さずダンジョンでの間引きを控えると、途端にスタンピードの回数が増える。市民には“最悪”と呼び知られるこのダンジョンを、冒険者は“クソったれ”と隠語で表す。自らが被った被害に対して、友が受けた不幸に対して、死を産み出す畏怖と憎悪を込めて、笑い飛ばすように敢えて明るくそう表すのだ。
「――じゃあ。休憩の用意をしますね」
そう言うとパオラさんは魔道具を取り出す。五個で一対となる道具だ。マスターとなるのは、一番大きな青い手の平サイズの涙型のもの。それを腰から下げて、四方の地面へ緑の半球体の魔道具を設置する。
雫型のマスターが青く明滅すると、四方から目に見えない三角錐が空間を囲い、その中を清涼な空気へと変化させた。この魔道具はつい最近発売された物だ。それまでは、この場で食事や水を飲むのも憚るほどの異臭の中で、冒険者は無理やり飲食をしていた。主に水分補給だね。何かを食べる剛の者は極少数だ。
いやぁ。便利な世の中になったもんだ。これで少なくとも臭いは気にせずお茶位は飲める。もっとも、モンスターを除ける効果はないので警戒は必要なんだけど。
この魔道具も今を時めく発明王メイリン製だ。そのブランド力もあり、この都市で爆発的ヒット商品になっている。まぁ。特許料はいつも通り折半だが、ボロ儲けだ。ニッシッシ。
クランマスターが俺に水を向ける。
「ノアさんは何か感じるものはありませんか? いつもとの違いとか」
俺は少し思案する。違いは感じている。そう、観察されている視線のようなものをいつもより強く意識する。あちら側が俺達を観れる事を知っているからこその勘違いだといいが、多分そうではない。この感覚にはなんのエビデンスもない、そんな話を伝えて良い物かの思案だ。
「――いつもより、探られている気配がするね。気のせいかもしれないけど」
俺は忌憚のない意見を伝えた。
「探られている? ダンジョンに意思があると結論付けているようだね」
クランマスはそう言うと俺を観察するように見つめた。やだね。頭のいい人は一を聞いて十を想像して結論に直結する。
「そうだね。ここは他と比べて異常過ぎる。だがら、違う何かがあるのかもと思っていてね。考え過ぎだといいけど」
俺の言葉を受けて、今度はクランマスが思案顔をする。
――――と。
一瞬、空間が軋んだ。振動や音を伴うことはなく、何故そう感じたのかは感覚的過ぎて説明が出来ない。
「今、変じゃなかった?」そう俺はみんなに問いかけた。俺は警戒を強めて辺りを窺う。クランマスの探知に何かかかれば教えてくれるはずだ。
――――っ!
やばいっ! やばいっ! やばいっ!
「クランマス。緊急脱出だ。早くっ! ……ダメだ。囲まれた」
怪訝なクランマスターは言葉にする。
「私には察せられないが危険。……なのだね?」
そうか、分からないか。だが、俺は理解した。擬態という手品のタネがなにか。これは狙われたか? この階層は上にも下にも一〇層移動しないと転移柱に辿り着かない中間層だ。つまり、一番遠い場所で仕掛けられた。
「戦闘準備。――前衛は意味がない。囲まれた。八方からのスタンピードだ。閉じこもることもできるが、それでは、解決にならない。階段まで突っ切るぞ」
今一番状況を把握している俺が指示をだす。このパーティーなら何とかなるだろう。
このダンジョンの擬態のネタ。フェイクのタネは本来通路に溢れるはずのモンスターを壁の中に作った部屋に溜め込む事だったらしい。要は沢山のモンスターハウスを作れるってこと。そして、その部屋は任意で移動できるようだ。既に俺達を囲うように数百のモンスターが配置についている。
負けることは無いが、気を抜けば足元を掬われる。それに、ちゃんとあるのかね? いつもの階層に転移柱? もし、既にスタンピードが外へと出ていたら? オリヴェルさんを始め、クランマス含めた高ランカーが今ダンジョンの調査に入っていた。足止めされると防衛戦線にも影響が出て厄介だぞ。
俺は気炎を吐く。この場からの速攻攻略に向けて。




