第20話-5 ~終章~ 種は移るⅤ
シェリルは一ヶ月前の英断を評価する。優秀なノアをこの地に縛り付けることはないと滞在期限を区切ったことをだ。
彼が王都から許可を得ると王民事業体イーディセルが素早く立ち上がり。代官が治めるこの地が改変されてゆく。
職業農民が集められ。瞬く間に切り開かれてゆく大地。職業市民の希望者も募り眼を放した束の間で建物が建設された。
街の城壁が無くなり、追加されるいくつもの建造物。街の広さは1.5倍になっていた。
それはシルビニオンの一言から始まった。
「――ん? 治療法を学びたい?」
ノアが聞き返す。
「はい。――父は身体を患っていました。治癒魔法も効かず。そして、母は光を失っていました。ノアさんのように、それを治療する術を学びたいと思います。幸い僕の職業はそれに向いています」
ノアはそうかとだけ言い。シルビニオンの頭を優しく撫でた。
この世界は傷の治療が容易いが、先天的なハンディキャップは対処法が確立されていない。また、病気に対しても、それの原因を具体的に理解しないと治癒魔法が効果を及ぼさない。
一人の貴族の少女がいた。彼女は先天的に眼が見えず。メイドの読み聞かせで閑暇を紛らせ過ごしていた。
彼女の職業は錬金術師。自分の住むノルトライブに王民事業体イーディセルが立ち上がり。その様子を風の噂には聞き及んでいた。
ある日。その事業体で医療部門の立ち上げの計画を耳にする。詳しく尋ねると自分のように眼の見えない者や耳の聞こえない者へと光をもたらす取り組みだという。
縋る思いで親のコネすら使いその責任者に会いに行った。
穏やかな声のまだ若そうな青年はその日彼女に光を与えた。その時の感動を。止めどない涙を忘れたことはない。
彼女は、はしたなくも生まれて初めて走った。自分の生み出した風がこんなにも心地良いなんて。世界がこんなにも彩に溢れているなんて。
彼女は青年から錬金を学ぶことを決意する。基礎は既に学んでいたが古代真聖語だという紋を一から学んだ。その理念に感銘を受けた彼女は苦も無くそれを修めてゆく。
彼の青年はそれに留まらない。古代真聖紀から発掘されたというエルフの書物の写本。彼によって寄贈された医学書と書かれた人体と病気のその教本により、治癒師は新たな路を進む。そして、不治と呼ばれていた病すら克服する。
王国最先端の医療はノルトライブで発足した。逆輸入する形で王都へ移管する目前に件の青年から一報が入る。
東の街。グエディンで最高峰の医療部門を発足させたい。準備はしておく。
職業が医工錬金術師になった少女は薫陶を受けた恩を返すべくそこを目指した。
ノアが去って数か月。引きも切らずに馬車が街にやって来る。医療に関しては最先端の設備を整えた立派な学術研究病棟。街の中央に建設さていた。
その入り口には壮麗な立像がある。
ある者が特権だと宣い開演させた、王都の劇場で人気に火が付いた英雄の像だ。その者は病と災いをその身に封じた黒狼からの願いで身を賭して狼を討ち取った。そして身命を果たし尽きた。救国の狩人。
狼を従え大弓を引く英雄だ。名をジョシュア・バルデラス。
命日にはその偉業に感謝して蜂蜜酒を塗った丸鳥が食べられる。ネスリングス。ネスト。チックス。それにイーディセルの食堂でせっせと布教活動が行われて広がりを見せていた。
シェリルは見送った青年を思い出し、それを仰ぎ見て微笑む。東の果てグエディンを現す旗はその大弓と狼だ。
バルデラスの聖弓旗。この街は、後の世に医療の都と呼ばれる。狼と大弓は医療のシンボルとなった。
§
ホブゴブリンの長は――オーガへと格が上がった。ツノは伸び体格も大きくなる。
そしてベルントに連れられてやって来たギィとレィもホブゴブリンへと進化した。
聖地でとれる蜂蜜は甘露と呼ばれエルフからも珍重される高級品だ。エルフの森のゴブリンにも提供されて経過観察がなされている。
§
レオカディオは手元の嘆願書を見つめる。差出人はエーギル。内容は辺境都市への出向伺いだ。彼は王都の銀行の基盤を作り上げると部下を育て権限を委譲してその準備を為した。
始まりに集う。そうレオカディオが呟いた理由だ。
そして――それがもう一通。イェルダからも同様の嘆願書が届いている。
王都に来るはずだった医療錬金の第一人者は遠い東を目指した。そして、同じく不治の病を治癒させた学術治癒師の職業を得た人物もだ。
ままならないなとレオカディオは呟いた。そして偉大な弟分を思う。
嘆願書に許可のサインを入れて承認書類へと回す。
あいつは、のんびり旅をしながら王都から一番遠い都市へ向かうという。レオカディオは、これから辺境領で巻き起こる騒動を想像し楽し気に笑った。




