第10話-2 笑者Ⅱ
――――時間が少し遡る。
シルビニオンは薄暗い森の中を走る。鬱蒼と生茂った巨木は光を遮り、陰性の背の低い植物が僅かな光を求めて疎らに生えている。
こんなに奥地へ来たのも初めてだ。その瞳には必死さが表れ、口は一文字に結ばれていた。
すると静かになった森に閃光と轟音。続く地響きが起こる。
静寂が訪れる前に聞こえていた爆音が再び鳴り響いた。
そこからの僅かな空白と耳を覆いたくなる音と光が弾ける。
――近い。
シルビニオンは走る。何故か分からない焦燥を抱えて。
前方の森が開けているのか明るい。少年はその光の中へ躍り出た。
眩む視界が慣れると青年が血塗れで倒れていた。
そして、眼に映る見慣れぬ鎧を纏った父の姿。少年の知る父はいつも狩人の格好をしていた。それは、自身も憧れた職業だ。
「お父様。ご無事でしたか」
その声にシルビニオンの姿をジョシュアが捉える。口元は穏やかな微笑みだが、眼元は険しく血走らせていた。整合の取れない歪んだ表情だ。
ノアは一瞬意識を失い動かない。
「怪我はありませんか? お父様?」
答えの無い父へ言葉を繋げる。
「お父様。どうしたのですか?」
ノアが意識を取り戻す。
「ぐっ! モルト」
絞り出されたのは、空気が漏れたような声だった。
それに、呼応するように何処からか現れた蔦がジョシュアを繋ぎとめる。だが、二度目のそれから簡単に抜け出した。
そして、シールドバッシュと凶刃がその最愛へと放たれた。
――少年は吹き飛んだ。
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タールの中からゆっくりと水面へと浮かび上がる感覚だ。逃がすまいと粘り絡みつく。
だが、彼は白く輝く世界へ意識を覚醒させた。
そして、同時に理解する。自分が今何をしようとしているのかを。
――焦燥。
その一撃を全霊で止めにかかるが、知覚するのが遅すぎた。
眼前へと迫る息子を殺傷する攻撃は放たれた。彼の最愛へと。
§
「逃がさんぞ。――聖騎士」
悪意は呟いた。一度見つけて狙いを付けていた者をとうとう取り込んだ。それが、今は自我を取り戻し、身体の主導権を奪い勝手に動き出した。
ありえない状況だが、ラインは切れていない。再度手に入れるのも時間の問題だ。
聖騎士。人類最高の素材の一つ。それを手駒として利用するのだ。
突然、悪意の領域を切り裂き一筋の線が引かれる。そして、それが開き単眼が現れた。そして、皮肉気に語りかける。
「よう。なり損ない。まだ、惨めにしがみついているのかい?」
「……我らは不干渉であろう。何も為さない成れの果て」
「僕達の闘いではなく。今は彼らの闘いさ。だから干渉にはあたらない。今の彼はお前の影響下にいないだろう?」
「――直ぐにそうなるのだ。邪魔だ。何処へともゆけ」
「ふふふふ。あまり人を見くびらない方が良いよ。いずれは、君を滅ぼす者なのだからね」
そう言うと単眼はゆっくりと閉じられた。
ジョシュアは自我を取り戻した。故に、滑らかに動いた身体には呪いの効果が纏わり禍つ。
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豪華な花の形のリクライニングチェアーに横たわり男は微笑む。
「僕の人形はいつも予想以上の事をする。そして、あいつの正統利権者。なり損ないの唾付きの三つ巴だ」
「あの子供へ声を届け導いたのではないですか?」
静かな声で女性が確認する。
「唾付きが意識を取り戻す条件が、三つ巴というバグ。三竦みによって起こるフリーズだ。業免疫が隠し味かな。僕は場を整えたまでだよ。なり損ないの玩具が増えても面白くないしね。だが、手出しはここまでだ。結末は黙って見ていようか。エムザラ」
面倒そうにため息をつき続ける。
「いつも思うが、あいつも見捨てる世界に盟約の縛りを残すなよ。僕の人形が壊れちゃうところだよ」
「あちら側との闘争でも聖魔法が使えるように真化を促しますか?」
「ん? いいよ。一局目はもう直ぐ終わる。あるがままにだよ」
男は楽し気に言葉を発すると微笑みを深くした。
◇
俺は霊薬を飲むのも忘れて思考する。
少年は何て言った? お父様だ。ジョシュアさんに息子を攻撃させるなんて最悪だ。
その一撃を凝視する。
そして、――少年は吹き飛んだ。
――――だが、そこにはアンキーレの楯。
不安定な楯を操作して、何とかギリギリ捩じ込んだ。それがジョシュアさんのバッシュを受けて少年を守り余波で吹き飛んだのだ。
バキンと硬質な音が響き。ジョシュアさんの右腕が肘から落ちた。
俺は霊薬をあおり立ち上がる。
こちらを向いたジョシュアさんの表情は険が取れ、晴れやかに見えた。
残りカスの燃料で燻り煤けた最後の炎。震える身体から残りの力を振り絞り槍杖を構える。
すると――この闘いで初めて訪れる直観の映像。
その未来視に俺は驚愕する。
手が竦む思いがするが、それより早く未来は現実となった。
右腕と共に剣を落としたジョシュアさんが瞬間移動で俺に突っ込んでくる。
そして――。
槍杖で自分の心臓を貫いた。壊乱で罅の入った個所だ。人間を貫く生々しさはなく、鉱物を突き通す感覚。
ドス黒い血がジョシュアさんの口から溢れた。
間近で見つめると瞳は、理性と狂気を行き来していた。
「すまん。次に囚われたら逃れられるか分からない。戦士として死なせてくれ……」
ジョシュアさんが覚悟の言葉を伝えてくる。
俺はありったけの霊薬をぶちまける。だが、その一切が効果を及ぼさない。すかさず、体内検査魔法でスキャンした。黒い澱を思わせる淀みは全身を覆っていた。
おらっ! 出て来いよ。クソ蝶! 右手を頭にかざして業免疫を乱打する。
「ノアです。死の草原で助けて頂いた、あの時の子供です」
「――そうか。大きくなったな」
余計な時ばかり仕事しやがって、働け! リング! おらぁぁ!
恩人だぞ! 頼むから力を貸してくれ! なぁ。頼むよ! 俺の何かを捧げてもいいからさぁ!
「あなたのお陰で生きる事が出来ました。エルフの里のゴブリンにも恩を返したんですよ」
あなたに褒めてもらいたくて。あなたの分も返したくて。あなたとお揃いの自慢の呪いだから。
「――っ。お父様」
少年がやって来て縋り付く。
「シルビィー。彼を恨むな。母さんを頼んだぞ。――愛している」
俺は全力のミドルヒールをかけまくった。そして、何か方法が無いか思考を巡らせる。
「ノア。俺は自分の人生を選び取った。だがら、背負うなよ。ありがとう」
そう言うとジョシュアさんは息を引き取った。その顔には満ち足りた笑顔。少年が泣きながら縋る。
背負いますよ。ジョシュアさん。一生。
器用貧乏の俺は立ち尽くす。泣く権利さえない。悲しむ事など論外だ。
満身創痍で脳は焼き切れそうだ。だから、気づかなかった。
その時、柔らかいものにそっと背中から包まれた。




