怒り
カラオケ店に入ったケースケは、、とりあえずドリンクバーで渇いた喉を潤した。マイクは持って行った方が良いかと一瞬迷ったが、そのままドリンクを継ぎ足して、部屋へ向かった。
店内には音楽が流れていた。適当に空いてる部屋に入ろうと店の奥に進もうとして、一番入口に近いボックスの扉の前に人影が見えた。
女性客らしく、どんな人か確めたい衝動にかられ、そのドアノブに手を掛けようとして伸ばしたケースケの手が、ドアノブをすり抜けた。『うわぁー』と驚いた声が不本意に出てしまい、ケースケは周りをキョロキョロと伺ったが、誰も見ているはずはなかった。
後ろめたい気持ちを抱きながら『失礼しまーす』とボリュームを下げた少し高いトーンの声で言って、ドアをすり抜けると、目の前に恐らくノブに手を伸ばして部屋の外に出ようとしていたのであろう、
制服姿の女子高生らしき、女の子がいた。
『おわぁっ』と声が漏れたケースケは、すぐ目の前にいる髪を染め、制服をお洒落に着こなしているギャルっぽい活き活きとした女子高生を見つめた。雑誌の表紙や写真で見掛けても可笑しくないような、目鼻立ちのはっきりした女子高生で、ケースケはどぎまぎとしてその場でもじもじしがら突っ立ていた。
化粧やメイクを施しているのだろが、元が可愛らしい顔立ちなのだと分かる。其れでいて気が少し強そうで、ケースケの好みの顔だった。その健康そうな腕やスカートの下から伸びる足を見つめて、その生命力溢れる若々しさにくらっときてケースケは、抱きつきたい衝動に駆られたが、理性を何とか保ち、そもそも抱き付けないんだと云うことを思い出し、悔しがった。
鼻の下を伸ばしながら、その女子高生の体をすり抜けて、周りを見回した。その子は、友達2人とカラオケに来ていたようだ。テーブルには、ピザやフライドポテトやパフェといった食べ物等が並んでいた。タンバリンが学校のバックと一緒にソファーに置いてあるのに、ケースケは驚いた。(めっちゃ、盛り上がってんじゃん、其れどうやって使うの)ケースケは、カラオケでタンバリンを叩いたことなど無かった。
ケースケは、カラオケの画面を見つめてマイクを握っている女子高生と、スマートフォンの画面を見つめている女子高生の間に入って座った。
緊張で汗が冷えてくるのを感じ、飲み物飲んだ。落ち着こうとソファーにもたれかかり、両手をソファーの上に置き、両隣の女子高生をキョロキョロ眺めたり、口笛を吹く真似(ケースケは口笛を吹けなかった)をしたりしながら無言の空間にじっと座っており、其れに飽きたケースケは、曲を入れて十八番の曲を流すのだか、恥ずかしがって歌わず音楽だけが流れた。
今度は、マイクを持った子をじっと眺め回し、体をその子の方によじってキスをしようと顔を相手の顔に近付けて、引っ込めた。
反対側の子に体を向けて、『何見てんの』と声を掛ける。返事は無い。『おーい、答えろよ』とちょっかいを出して手がすり抜ける。
そんなこんなで、その子の持っているスマートフォンの画面を覗こうと身を乗り出そうとしたとき、スマートフォンを持つその子の口から『キモいんだよ』という声が聞こえてきた。ケースケは一瞬ドキッとして身を乗り出し掛けていた体を離し、その子を見つめる。やはり、さっきと同じ姿勢でスマートフォンを見ているだけである。
安堵しかけたその時、『うけるー』という声と笑い声がケースケの耳に入ってきた。ケースケは、バッと体を起こして急いでその場を後にしようと逃げ出すようにソファーから出ようとして躓いた。
『ださ』『死ねよ』という声がケースケの耳に入ってきて、嘲るような笑い声が響いた。
ケースケが他県に働きに出ていた頃の事だが、休日ふらふらと電車に乗ってパチンコでも打ちに行った帰りの電車に乗って最寄り駅に着いて降りようとした時の事である。
『気持ちわる』という声と笑い声が聞こえた。乗客は疎らで中年の男性や夫婦らしき男女やお年寄りが乗っていたと記憶している。余り気にしない方が良いなと最初は思っていたのだが、其れが小さい声ではなく、抑えていないトーンで繰り返し続くものだから、(何考えてんだ)と思い一瞥しようと思い、向かい合わせになった電車の長いシートの私が座っているシートの扉を挟んで一つ向こうのシートを見ると、制服姿の女子高生であろ2人組が座っていた。
主に1人がその言葉を繰り返し、ずっと笑っているのである。
最初は、誰に向けて発しているのか分からず、私ではないと思っていた。彼女らの向かいには、困惑気味の男性もいたような覚えもある。
私は、電車を降りるまで、ずっと彼女らに意識がいき、降りる時も彼女らを見た。あの嘲るような笑い声と楽しそうなその顔はとても醜かった。
嫌な気分のまま駅を出た私は、彼女らが私の事を言っているのだと思っていた。駅前で佇みながら、言いようも無い悲しみと怒りが込み上げてきて頬を涙が伝わった。この世にあんな醜い悪魔が存在しているという怒り、殺意と、あんなものが存在する筈が無い、遂に幻聴はおろか幻覚まで見えてきてしまったのだという悲しみが沸いた。
ケースケは、身を起こしてスマートフォンを弄っている女子高生を見ると、其処にいつぞやの悪魔がいた。此方を見て楽しそうに笑うその顔はとても醜かった。一気に怒りのボルテージが上がったケースケの体は、わなわなと戦慄いていて、震えていた。込み上げてくる怒りを抑えようとは思わなかった。
その女子高生の目の前まで顔を歪ませてケースケは近づき、『うん、こういう奴は一回死んだ方が良い』静かに言った。
『俺が殺らなきゃだめなんだ、存在しちゃ駄目なんだ、誰かが分からせなきゃ、俺がやらなきゃ駄目なんだ、俺の使命なんだ、こういう奴がいるから俺らみたいなのが苦しむんだ、分かんないんだよ!こういう奴には、人の傷みが分かんないんだよ!こんな奴が人を傷つけちゃ駄目なんだよ!許せないんだよ!お前らみたいな奴を!』
ケースケは、呪詛のように唱えて拳を振り上げた。拳に全身全霊を込めて振り落とそうとしたケースケの手を誰かの両手が止めた。
ケースケが後ろを振り向くと、月に変わってお仕置きよと言いそうな格好したケースケより2つ下位の女が立っていた。
ケースケは、やり場の失くなった怒りを抑えられないまま、手を降ろして女性の方に向き直ると、
『被り坂36チーム7、かぶらよしこ参上つかまつりました』
満面の笑みで女は言った。
『今、忙しいんだけど、これから悪魔殺すから邪魔しないでくれる』
『ケースケ』女はケースケの名前を呼んだ。相変わらず満面の笑みで。
自分の殺意が萎みきらないように、(俺の気持ちはこんなんじゃねぇぞ、俺の傷みはこんなんじゃねぇぞ)と心のなかで唱えながら、
『いや、誰だよお前、気持ちわりぃな。何だその格好』
『ケースケ』女が言う。
『だから誰だって聞いてんだよ!答えろよ!頭おかしいのか』
女はグッとケースケに近付いてきた。
『何だよ!殺されたいのかよ』一瞬ビンタされるのではと思いが過ったケースケの声は段々弱々しくなってしまった。
一瞬間女は顔をぎゅっとさせてケースケを抱きしめた。
『何だよ!何なんだよお前は』ケースケは戸惑った声を出した。
『泣いて良いんだよ、ケースケ』もう泣いているはずなのに泣き方が分からなかった。只、『何だこれ』という戸惑いと可笑しさで笑えてきた。
結局、ケースケを抱いたまま彼女が泣いていた。
家でのんびりしているのに飽きたケースケは、スターバックスにいた。お洒落な店内に映画のワンシーンのように静止した人々がいた。
とりあえず、珈琲をいれて空いている席に腰をかける。周りをチラチラ確認して、店内の様子を探る。若いカップルや一人で本を読んでいる女性や高校生らしき若者が一生懸命勉強をしている様子で静止している。
一人で本を読んでいる女性に目星を付けて、向かいの席に座る。
『本好きなんですか』と言って、覗くように本の表紙を見るが、ブックカバーが付いていて何の本を読んでいるか分からない。
『僕も小説とか良く読むんですよー』ケースケは一人で話し続ける。『最近読んだ小説で『孤独の舟』という小説を読んだんですけど、中々面白かったですよ。分かり合うためには変なプライドは持ってちゃ駄目なんですよねー』うーんなんか違うな
ケースケは居直して、ちょっと考え込む感じで、
『小説って、読んだ字が映像として頭の中に残っていて、其れがフラッシュバックされるのが良いんですよね、分かります』
『え、分かります、本当ですか、気が合うな』照れたように言う。
『そっか、貴方となら何時間でも話しが出来そうだな。今度食事でもどうですか』『美味しいイタリアン知ってるんですよー』(知らねぇよ、サイゼリアで良いよ、サイゼリアで)心の中で毒づく。其れにしても貴方みたいな綺麗な女性が本を読んでいるのを見ると、何か素敵ですね。やだー照れないで下さいよ。本当ですから、本を読んでいる人に悪い人はいませんから。(何じゃそりゃ、きしょいなー)。
何かおすすめの本ってありますか?(しつこいわ!とっと去れ)
うわぁー気になるメモしときますね。(何だこの不毛なやりとりは)
『ふぅ、こんなもんかな』
ケースケは満足して次の席に移る。若いカップルが座っている席に向かうと、大きな屁をしそうな逞しい男が座っている席に座り、遠慮なく大きな声で笑ってそうな女に話しかける。
『其れでよー、ミキの、奴が二股でも三股でも良いから付き合って、何でもするからって言うんだぜ』
『うわぁードン引き』
『だろ、俺も怖くなちゃって』
『それで、何て言ったの』
『ごめん、ムリって』
『えーひどい』
『しょうがねぇだろ、何て言えば良かったんだよ』
『そんなこと言ったら後々面倒だろ』
『確かに』笑笑笑笑
『何やってんの?』
ケースケが一人盛り上がっているところに、急に声を掛けられたので、ケースケは跳び跳ねるように驚いた。
カラオケ店でケースケに抱き付いてきた女が其処にいた。
ニヤニヤ笑っている。
『別に』ケースケは答えた。
『面白い、それ』
『別に』
『だよねー。全然楽しそうじゃ無かったもん』女は笑った。
『誰にも言うなよ』恥ずかしそうにしながらケースケは言った。
『二人だけの秘密だね』女は笑いながらそう言った。
ケースケは少しドキッとして、その女を良く見た。性格の良さそうな人の悪口を決して言わない子がそのまま大人になったような無邪気で明るい笑顔だ。只、こういう子に限って暗い部分が必ずあって其れを表に出してないだけなんだとケースケは思った。
『何見てるの?』女はケースケの顔を覗き込むようにして聞いてくる。『別に』急に近くに来た女の顔にドキッとしながら答える。
(お前は沢尻エリカかよ)心の中で呟く。
『お腹空いたなー、何か食べ行こっか』明るい声で女が言った。
そう言われると、お腹が空いているような気がして、渋々といった程で『良いよ』と答える。
スターバックスを出た二人は、歩いてマクドナルドに向かった。
と言っても、前を歩く女の後に付いていったらマクドナルドにたどり着いたという訳である。途中で、女は何度か振り返り笑いかけてくる。ケースケはどぎまぎしてその度に目を反らす。
『ナンパ?』
『は?』
『向いてないよ、ケースには。大体ケースケはそんなことしなくても良いんだよ』向いてないと言われて腹が立ったが、嬉しい気もした。『うるせぇ』小さくそう答えた。
歩きながら、ケースケは、何故か聞いてみたくなったことを聞いた。
『あのさぁ、随分前の事なんだけど、日雇いのバイトしてた時に、目の前で女の人が道端に倒れ込んじゃったんだよね、寝転がるように』
『何それ』女は歩調を緩め、ケースケの隣に立って聞いていた。
『周りにさ、朝方だから人があんまりいなくて、でも俺の他にも同じようにバイト先に向かう人は何人かいて、皆見て見ぬフリだったの、俺も含めて』
『うん』女は相槌をうった。
『君ならどうした』唾を飲んでから、恐る恐るケースケは聞いた。
女は一瞬黙って考え込んでから、
『私なら声を掛けた。大丈夫ですかって』ハッキリとそう答える女の顔をケースケは、まじまじと見て、嬉しそうに『そっか』と言った。
すると、女は
『大丈夫だよ。ケースケは。だってその事を何時までも覚えてるじゃん。きっと次は声を掛けてるよ。』
女は笑ってそう言った。ケースケにはその笑顔がとても暖かく、眩しく映って、涙が出そうになった。(君は太陽なんだね)心の中でそう呟いて、
『君の名は』とケースケは聞いた。
『かぶらよしこでやんす』女はケースケの前に回り込んで名乗った。
ケースケは、ボケなのか良くわからず、
『かぶらよしこ……よろしく』とだけ答えた。二人は並んで歩いていた。