12章 今を生きる
『一番大切な想い出』ケースケは声に出してみるが、見当もつかない。俺にそんなものあっただろうか。ケースケは記憶力に自信が無かった。両親や兄弟との想い出、恐らくケースケが思い出さないだけで、良い想い出は沢山ある。そんな両親だった。ただ、嫌な想い出がそれに蓋をしてしまっている。一番仲が良かった親友との思い出。それは、ケースケにとって宝物のような物だ。恋の思い出。確かにあるが、恋愛にまで発展しなかったケースケにとってそれほど大切だとも…。
『しょうがないなぁ、ズバリ教えてあげようか。それが何なのかを』マコは、イタズラっぽく言った。
『えっ』ケースケはドキリとした。ケースケが思い出せ無いだけで聞かされると赤面するようなエピソードがあっただろうか。恐らくいっぱいあるであろう。
(いっぱいあるだろうな)ケースケはそう思った。
『分かった。教えてくれよ、マコ』息を飲んでそう言った。
『初恋の思い出』マコは笑って言った。
『えっ』ケースケは驚きと共にヒヤッとするものが伝わった。
『君の初恋の思い出を僕に聞かしてくれ。そしたら、君はその思い出を忘れる事に成るから』
『俺の初恋…冗談でしょ!』自嘲気味に言った。
『冗談じゃないよ、本気さ』
『そんな…何で?』
『確かに、君にとってその思い出はそんなに大事じゃない気がするだろう。でも、それはねケースケ。君がその思い出はを何遍となく思い出していたからなんだよね。言い方が悪くなるけど、君の歳で初恋の思い出をそんなに大事そうに抱えてる男を僕は知らない。』
『俺は別に大事だなんて…』
『ケースケ、僕が言いたいのは、君がどう思ってるかじゃあ無いんだ。思い出という物は、思い出せば思い出すほど強く成っていく。
だって、そうだろう?君は何時だって初恋を語る事が出来るくらいに思い出し、言語化してしまってるんだから。』
『確かに、でもそれは昔の事で。今は全然思い出して何かいないし』
『そう、昔の事だね。でもその昔に君は何べんとなく思い出に浸っていた時期があったよね?ケースケ。』
他県の工場で働いていた時のことだ。あの猛烈に忙しく体を動かしていた中で、ケースケは何故だかボーッとしていた。
恐らく親元を離れ、地元を離れ、知り合いの居ない土地に働きに出てた為と言っては簡単に片付いてしまうが。あの時のケースケは、猛烈に体を動かしながら、思い出に浸るのを止められ無かった。
恐らく、脳みその回路が結び付いてしまったのだろう、その繰り返される動作と。
記憶が幾つも幾つも溢れては去るを波のように繰り返していた。
それでしっかりと仕事も出来ていれば、果たして俺は天才か!と成るのだが、全然そうじゃ無かった。
オカシイんじゃないかという位に、体を動かしているのに頭がボーッとしていた。
恋をしていない時のケースケは腑抜けであり、恋をしている時のケースケはアホだった。
『確かに、何度も思い出した。記憶を舐めるように。もっと忘れていないことないか、思い出せることはないかって。』
『君は、あの時あの場所に確かに居たのに、君は居なかったんだよ、君は脱け殻だったんだよ。君という一部が。君はあそこで沢山の人に出会ったし良くして貰った。それは君が一番知ってるだろう?』
『あぁ』声がもれた。
『君という一部がちゃんとあそこにいたら、今君はこうして無かったのかも知れないんだよ、ケースケ。それを良しとするか悔やむかは君次第さ。ただね、此れからはそれじゃいけない。思い出というぬるま湯に浸かっていちゃイケないんだよ。
君にはまだ沢山の時間があるけど、そんなに甘い程沢山は無いんだよ、ケースケ。君は今を生きる必要があるんだ!』
一旦其処で話しを区切りケースケの顔を優しく見つめてマコは続けた。
『思い出は綺麗だよ、確かに。キラキラしている。でもね、そのキラキラだけを掬い取って、それを大事そうにずっと眺めている姿はね、ケースケ。歪だよ。』
『…良く分かったよ。マコ、本当にありがとう。君が俺のことを凄い思ってくれてるのが鈍感な俺でも分かったよ。本当に』
『君に僕の初恋の想い出を捧げる』ケースケは朗らかな顔で言った。