10章(出会いと思い)
ケースケはその時、勿論宇宙は感じなかった。だけれど、
『ケースケ』そう呼ぶ声が聞こえた。
一瞬かぶらよしこの顔が浮かんだが、その声はかぶらよしこの声とは違っていて、初めて聞く声だった。
辺りをキョロキョロ見回すと、以前と同じように停まっている車や疎らな動かない人の中で、丁度反対側の橋の欄干から何かが地面に降りるのを見た。遠くてハッキリとは分からないが、それは白い猫のようだった。
(まさか、あの猫がおれを呼んだのか)心の中でそう思い、その猫を注視していると、その猫は優雅にケースケが元来た道の方へ歩きだした。見失うまいとケースケは猫を目で追いながら来た道を戻る。
(妙に存在感のある猫だな)ケースケはそう思った。
野良猫にしては、真っ白な綺麗な猫である。
猫は、歩道をやはり優雅にスタスタて歩いていく。
(信号すら待ちそうだな)ケースケは思った。
猫に気を捕られて前方に人が停まっているのを忘れて思わずすり抜けてしまい、相も変わらずヒヤッとしていると、いつの間にやら猫の姿がないことに気付いた。
キョロキョロと辺りを探していると、いきなりケースケの目の前に猫が現れ『ニャー』と鳴いた。
『わぁ』ケースケは驚いて尻餅を着いた。
(転んでやがんの、だせえなぁ、ケースケ)心の中で声がした。
『え、私に話し掛けて来たのは貴方ですか?』ケースケが聞くと、
『ニャー』猫が答えた。なぜ敬語か?猫だけに。
何故か目上の方のように猫と接してしまい、ケースケは己を恥じながらも眼前の猫をただならぬ者を見るように見ていた。
クルッと向きを変えて猫は歩き出した。ケースケは、このままでは舐められると思い猫の前を歩いた。猫はケースケの後を追って来るかと思って後ろを振り向いたらいなく、いつの間にやら自分の前にいた。ケースケ負けじと前に出る。猫前に出る。
そんなやりとりを3回程繰り返して、猫が毛を逆立てて『シャー』と怒ってきそうな予感を感じて、とりあえず真横に並んで歩くことにケースケはした。
『どちらさんですか?』ケースケは聞いてみた。
猫は見向きもしない。
驚いたことにケースケの家までついて来てしまった。気品ある猫に失礼がないように慌てて散らかっている部屋を片付けて、とりあえず台所の窓を猫が入れるくらいに開けた。
ケースケがそわそわしていると猫がスルッと窓から入って来た。
(ケースケ)中性的な穏やかな声がケースケの耳に届いた。
『はい』と返事してから台所の上に立つ猫に
『呼んだ?』とケースケは聞いた。
『ニャー』とだけ猫は鳴いた。
マコが家に上がり込んで来てから、ケースケは不馴れながらも猫との共同生活をすることになった。マコというのは、ケースケがこの白い猫に付けた名前である。一応気位の高い雌猫だとケースケは判断している。
最初はそわそわしていたケースケだが、マコは猫だけに気分屋で直ぐにどっかをほっつき歩いて来て、夜遅くケースケの家に窓から帰って来ることもあれば、そのまま帰らないこともあったり、のんびりと日がな一日ケースケの家にいることもあった。
何を考えているのか、懐いているのか不安だったケースケは、マコにちょっかいを出しては様子を窺った。あまりしつこいとマコは怒って噛みついて来て、
『すみません』と最初の内はつい口に出てしまっていた。
それでもマコはケースケの家に顔を出すことを辞めなかったし、ケースケの側に来てちょこんと座ったりする。そっとその背中を撫でると喜んだような声を出す。調子に乗って触り過ぎると、プイッとどこかに行ってしまう。
(誰かさんみたいだなぁ)ケースケは思った。