第二部 9章(君は宇宙を感じたことはあるか?)
いつか書くのかい?
今、書くよ。夢を観れなく為った今だから、書くよ。
あの頃、玄関先で酒を飲んで聞いて泣いていた僕に、私に、俺に、捧ぐよ。
鎮魂歌を。もう泣けないんだ。酒を飲んで聞いても左目からうっすら何かがこばれるだけなんだ。やっと泣けそうだよ。此れを書きながら。
此れは、レクイエム。過ぎ去りし時へのレクイエム。過ぎ去りし自分へのレクイエム。誰も泣いてくれない自分へのレクイエム。
あの時、泣いていた自分へのレクイエム。君を好きだった自分へのレクイエム。傷付けた貴方へのレクイエム。傷付いた貴方へのレクイエム。
今、やっと涙が両目から滴り落ちた。
声の出ない声が、息が出た。此れから、何度泣けるだろう。何度うちしがれるだろう。
もう、夢も妄想も語りたくない僕だけど、震える胸が、息苦しい息遣いが止んでくれる頃、ノートにしたためたあの頃みたいに、冷たい風が空っぽの胸に去来してくれるのかな。
すがり付けると思っていた夢は、僕の胸の中にしかなかった。
この世界は、ケースケのみを残して静止している。ケースケ以外の人々は、ある瞬間から時間が停まっている。それがどんな理由であるのかはケースケにもまだ分からなかった。只、同じ1週間が繰り返され、決して春が明けて、夏に成ることも冬が訪れることが無いことは、ケースケがこの静止した時の中で長いこと過ごしていくうちに気付いた。
なぜ、俺だけなのか、どうやったらもとに戻るのか、主にその2つがケースケが考えるべき事でいつも頭の中を巡る事だった。果たして、元に戻したいと自分が望んでいるのかという事を含めて。
かぶらよしこなる者が何だったのか、自分が作り出した妄想だったのか、ハッキリとしたことはケースケには分からないが、彼女とは以前に会っていたと、今だからこそケースケにも分かった。其れがかぶらよしことしてではなくとも。
彼女から貰った物が一つだけあるのは確かだ。勿論一つ何かじゃ収まらないだろうが。それは、愛情だったり、優しさだったりするのだろうが、そのどれよりも彼女からケースケは勇気を貰った。確信をもってケースケはそう信じている。
と言って、果たして俺は何をしているのだろうと、復ケースケは考える。ぶらぶらと歩いて人々が静止している様を眺めて。
以前のようにアホなナンパ紛いの行為をする気など流石に無いが。
人々を眺める事は飽きない。その人の人となりを想像するのは存外楽しい。普段ならじっと眺めることは気が引けて出来ないが、こういった事態なのでしたい放題だ。
このじいさんは、好好じいやな感じがするが、存外怒りっぽっかたり、結構遊んでいたりしそうだな。
このお姉さんは、上司と不倫なんてしちゃったりするのかもな。とか。
この前、近所で見かけた自転車に乗った高校生位の年頃の女の子は、育ちが伺えるような荒々しさがあり、ざっくばらんな性格で、果たしてあの子はどう自分の自意識と折り合いをつけているのだろうと、俺みたいな自意識の塊からしたら疑問である。漁師にでも成りそうな勢いを感じた。ああいう姿は少し羨ましい。
何でこんな自意識過剰に為ってしまったんだろうと己を恨む。
自分の黒い部分が顔を出すので、集団の塊は避けるよう気を付けている。
3人以上でいる奴等を視ると、こいつ、こいつの事嫌いだなとか考えてしまう自分が嫌になる。スクールカーストや格差社会。自分がどれだけ否定しようが、人を優劣で見てしまう己がいるし、それは大人になればなるほど顕著になっているかもしれない。ケースケはそういったことを考えた。
こいつは、俺より金稼いでいるなとか、いい彼女持ってるなとか、そういった事を考えてしまう時や考えそうになる自分が惨めで低俗なものに感じた。だからこそ、人々は努力するのだろうが。
若い奴等より中年やお年寄りを見る方が楽しい。人間歳を取れば人と成りや人生が顔に出てくるし、味がある。お年寄りなんかは皆人が良さそうに見えてしまう。
あまり人々を見ていると疲れてしまうケースケは、ぶらぶらと川沿いを歩いていた。其処は、彼女が住んでいたアパート沿いにある小川だったのだろうか。その小川を眺めながらぼーっとしていると不意にかぶらよしこの事を思い出して切なくなった。
彼女は、ケースケにとってソウルメイトであり、師のような存在だった。師の意味するところは、教えさとす者である。そして、師に教え諭された者は、自ら師となって新たな者に教え諭さなければならない。
ケースケは、心のフタを空けようとしてそっと閉じ、もう一度彼女の余韻に浸ろうかと考え、あの橋へと足を運んだ。
イオンタウンの前の橋、警察署が大型商業施設と橋の間にある。
時刻は、丁度夕暮れ時であった。
橋の中央のちょっと広くなった歩道で欄干にもたれながら、大きな川と夕陽を見つめる。警察署が右手に見えて、あそこで拳銃を手に入れて死んでしまった方が良いのかなと、うすぼんやり考えながら夕日を見つめていると、かぶらよしこが、
『夕日は笑ってるんだよ』という声が聞こえてきて、可笑しくて笑ってしまう。
『何やってるんだろう、俺』口から出た声が間延びした情けない声だったので、ケースケは泣きそうになった。
『どこ行ったんだよ、君は』かぶらよしこを思って嗚咽しそうになった。
ケースケは、目を閉じた。
私が高校を何とか留年せずに卒業する間際に、急に哲学を勉強したいと思い立ち、予備校に少し遅れる形で入学した頃の話しである。
知り合いは皆無に等しい中で、その頃から回りの視線や声に一種の恐怖心を感じていた私は、何気ない人の会話や話し声が自分を攻撃するようなものに感じる事があった。誰しも少なからずそう感じることはあるだろうが。
内心ビクビクしながら毎日をやり過ごし、講師の話しに集中せんと気を張っていたが、ある日参ってしまったことがある。
もう無理だ!
そんなような思いで私は座ったまま目を瞑った。
すると、そこには宇宙があった。
私は、球体の中にいて見渡す限り真っ暗な空間の真ん中にぽつりと浮かんでいるのである。すると、高校生の時の友人から始まり時を遡るように小学校の頃の友人の顔まで一人一人浮かんできたのである。
孤独な私は、記憶を浮遊しながら、時間を遡りながら、孤独じゃないことを知った。
『君は宇宙を感じたことがあるか』