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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鯖みそミルクソーダデラックス

「お前が犯人なんだろう! いい加減白状したらどうなんだ!」


 静寂に満ちていた取調室に警察官、佐山恒人の怒号が響く。佐山の裾を掴んで諌めるのは彼の後輩刑事、濱田由良。そして佐山の怒りに満ちた顔を目先数十センチほどで見せられてもいまだ飄々とした姿勢を崩さない男こそ今回の事件の容疑者候補、蔵島光留である。


「だぁかぁらぁ、俺が殺したって証拠はあるの?」

「……被害者が殺される前後1時間、近くの監視カメラに写っているのは被害者とお前しかいないんだ!」

「で? そこに殺人の決定的証拠がーって? そんなことないよね? あったらこんな取り調べなんかしないで、とっくの昔に逮捕しちゃってるもんねー?」

「っ……」

 わざと佐山を馬鹿にするような蔵島の態度に気の短い佐山の怒りは早くも頂点へと昇っていく。手のひらに爪を立てて必死で感情を抑えようとは努力するものの、それはあまり意味をなしていない。

「先輩落ち着いてください。取調室での暴行は処罰の対象になります」

 そればかりか濱田に身体を抑えられなければ殴り掛かりそうな勢いでもある。

「だが、こいつが!」

「蔵島さん」

 濱田は幼いころから武道に親しみ、体得した力で何とか身体の大きい佐山を椅子に座らせてから、落ち着いた声で蔵島に話しかける。


「なぁに? はまちん」

「はまちん、それは私のことでしょうか?」

「うんそう」

「そうですか……。あの日、あなたはなぜあの場にいたのでしょうか?」

 蔵島のことを理解できそうにないとそうそうに彼を理解することを諦め、怒りに感情を支配されつつある佐山ではできなかったアリバイを蔵島から聞き出すことにした。

 開いたノートにはほとんど何も書かれておらず、まともな記述は蔵島の名前と年齢だけであった。

 これは随分と気合を入れて聞かなければならないなとボールペンを握る手に少しだけ力が入る。


「え、言わなかったっけ? ジュースだよ、ジュース」

 すると濱田の予想は大きく外れ、蔵島は簡単に口を割った。顎に人差し指を当てて話す彼の姿はとぼけているのか、忘れていたのかは全くもって検討がつかない。


「いつも買ってるジュースがあるんだけど……マイナーっていうかぶっちゃけあんま人気ないらしくてさ、いつもの自販機から撤退しちゃってたんだよね。で、探し歩いてたってわけ」

「……参考までにそのことジュースのことをお聞きしても?」

「鯖味噌ミルクソーダデラックス。この前出来たばっかの高層マンションから少し離れたところにガソリンスタンドあるでしょ? そこの横の自販機で昨日まで売ってたんだよ」

「……はぁ? んなもんあるわけないだろ! ふざけてんのか?」

 そんな流通ルートに一瞬でも乗ることがなさそうな味のジュースに佐山の怒りは再び爆発する。固く握った拳でデスクの机を叩き、怒りを蔵島に表すが、それもどこ吹く風で「あるよぉ? なんなら調べてくるといいよ?」と濱田に提案した。

「調べてきます」

 たかだかジュースのことではあるが、少ない情報の中でそれは大きな一歩になると濱田は取調室を後にした。

「あ、おい!」

 残された佐山は一人だけでは蔵島を締め上げてしまいそうで、ならば自分がその役目を担おうと濱田に提案しようとした時にはすでに彼は部屋から出ていってしまっていた。蔵島を一人で残すわけにもいかず、濱田が一刻も早く帰ってきてくれることを祈りながら再び席に着く。

 怒りを鎮めるにはタバコが一番だと考える佐山であったが生憎取調室は禁煙だ。タバコを咥えることすら禁じられている。やがて苛立ちは佐山の癖である貧乏ゆすりによって外に出される。

 これも濱田が帰ってくるまでの我慢だと自身に言い聞かせ、余計なことを言ってしまいそうな口は真一文字に結んで、目はしっかりと蔵島を見据えた。

 すると蔵島は濱田がいなくなったことで話し相手を失くしたと思ったのか、あと一か月ほど伸ばせば肩につくであろう髪を指でいじり始めた。そして佐山でもいいかと妥協をし、例の飲み物、『鯖味噌ミルクソーダデラックス』について語り始めた。



「美味しいわけじゃないんだけど……っていうか、ぶっちゃけまずいんだけどね。バツゲームで飲まされてからというもの癖になっちゃってさぁあ……あ、俺帰っていい?」

「は? いいわけ……「こういうのってあくまで任意だから帰りたいって言ったら帰っていいんだよね?」

 取り調べにはもう飽きたらしい蔵島はカバンを手に取り、すでに帰る準備は万端だ。佐山は震えるこぶしを開き、太ももに爪を立てる。蔵島の言う通り、これはあくまで任意同行だ。警察は事件解決に協力をしてもらっているという形になる。よって取り調べの相手が帰りたいと言ったらそれを妨げる行為はしてはならないのだ。



「これから用事あるんだよね。じゃあね刑事さん」

 ヒラヒラと手を振って去りゆく蔵島の背中を穴が開くほど見ることしかできない自身を不甲斐なく思い、佐山はデスクに怒りのこもった拳をぶつけた。



「先輩」

「どうだった?」

「業者に問い合わせたところその製品は製造を中止しており、自動販売機の中に入っている分で終わりにするそうです。先日その製品の売り切れが確認された、蔵島の証言する自動販売機には3日ほど前からは違う商品が入っているそうです」

「……そうか」

「彼は確かに監視カメラに映ってはいますが、それ以外の確たる証拠はありません。被害者との顔見知りでもありませんし……なにより動機がわかりません」

「なぁ、濱田。殺人犯にまともな動機が必ずあるとは限らないんだ。実際に殺しをしてみたかった。という理由で十数人の命を奪ったものだっている」

「ですがせめて証拠がなければ逮捕することもできません。カメラに映っていただけでは証拠にはなりません」

「それ……なんだよな」



 ** *

 殺人の動機は?と聞かれてしまうとはっきりいって返答に困る。


 ただ相手が気に食わなかった。


 それだけだ。



 蔵島は好物の『鯖味噌ミルクソーダデラックス』の製造中止が発表されてからというもの、いろんな種類の鯖を求めて回っていた。勿論行く先々で自動販売機を見て回ってはいたもののそれらだっていつなくなってしまうかわからない。だったら自分で作ればいいと考えたからだ。

 実際にそう考えたのは俺だけではないのだろう。

 生鮮コーナーや冷凍鯖が大量入荷される大型業務用スーパー、どこへ行っても見知った顔のやつらがいて、彼らのカゴには俺と同様に数種類の鯖が入っていた。

 その日もいつものように冷凍鯖と生の鯖、そしてスーパーで解凍された鯖を二尾ずつ買ってその店を後にした。それらを保冷バッグに入れてからチャックを閉めた。それは蔵島が買い物に行く際には必ず持って行くものであった。家に帰るまでに少しでも鮮度をよく保ちたいからであって、バックの中にはたくさんの保冷剤も入れてあった。

 そして行きとは違う道を通って駅へ向かう。

 まだどこかの自動販売機に『鯖味噌ミルクソーダデラックス』が残っているかもしれないと淡い期待を込めて。

 キョロキョロと不審者に間違われない程度に通り道の自動販売機を覗く。一つ、また一つ。ただでさえ探しているメーカーの自動販売機は少ない。やっと見つけてもやはり鯖味噌ミルクソーダの居場所はどこにもない。

 予想通りの結果ではあったがやはり気は沈むというもの。駅の近くまで差し掛かったころ強い風が吹いた。その風は砂埃を巻き上げ、蔵島はすぐに目を閉じた。びゅうびゅうと耳の奥に響いてまだ終わらないのかと苛立ちもした。その時だった。蔵島の耳はからんからんという音を拾った。空っぽになった缶が転がる音だ。蔵島はとたんにそう判断して目を恐る恐る開ける。するとそこには真っ赤なラベルの缶があった。蔵島の探している自動販売機にしか売っていないものだった。蔵島が最後にそのメーカーの自動販売機を見つけたのはもう200mほど手前。駅に向かって歩いていた、行儀の悪い奴がポイ捨てをした可能性はある。だが反対にこの辺りにまだ自動販売機があるという可能性も捨てきれない。


 どこだ、どこだ。


 まるで飢えたケモノが獲物を探しているように目をひん剥いていて辺りを見回した。

 もし近くに警察でもいたら蔵島は職務質問を受けていただろうし、幼い子どもがいたらまだ高い声できゃーっと叫んで逃げ出すかもしれない。けれど蔵島の視界には誰もいなかった。いたのかもしれないが肩を叩かれることも大きな声をだされることもなかったので蔵島は自動販売機を探すことを続行した。


 どこだ、どこだ。


 研ぎ澄まされた蔵島の耳にははぁっと息を吐き出す音が聞こえた。その音がする方角へ首をぐるんと回す。そしてその方角へと足を進めて行く。

 するとそこには音を発したと思われる学生服を着た男の側に蔵島の探していた深緑色の自動販売機があった。

 蔵島は男と入れ替わるように自動販売機の前に立ち、隅から隅まで目を移す。中段の一番右。そこには鯖味噌ミルクソーダデラックスがあった。

 が、ランプはお金を入れていないのに光っていた。蔵島は落胆した。きっと自分よりも先に買った、幸運なやつがいるのだ、と。

 そしてその反面でここにも同士がいたのだと嬉しい気持ちになった。

 仕方ない、帰ろう。

 振り返ると学生の手に鯖味噌ミルクソーダデラックスの缶が握られているのが目に入った。

 唾液が通ったことによって膨れ上がった喉には汗が伝う。

 彼こそ同士だったのか。

 蔵島はこの自動販売機の最後の一本の行く末を見てから去ろうと心に決め、自動販売機に寄りかかった。

 すると学生はある場所で足を止め、しゃがみこんだ。

 具合でも悪いのだろうか。

 蔵島がそう思ったのは排水管に続いている網の上でしゃがみこんだからだった。

 同士には手を貸すべきだろう。

 そう思い背中を自動販売機から離した時のことだった。

 あろうことか学生はプルタブを開けて中身を下水に流し始めたのだ。しかも学生が持っていたのはその一本だけではなく、カバンから取り出したものも次々に流して行く。

 蔵島は目を疑った。

 あんなに自分が求めていたものは飲まれずして捨てられていったのだ。

 蔵島はランチバックにいれた、買ったばかりの冷凍鯖に手を伸ばした。

 本当は鯖味噌ミルクソーダデラックスの容器で殴ってやりたかったが蔵島の手元にはそれがなかった。だから供養の意味を込めて鯖で。

 冷凍されてカチンコチンになった鯖を思い切り男の頭をめがけて振り下ろす。男の呻く声がしてもう一度、そしてもう一度。

 気づけば蔵島の手の中の鯖は柔らかくなっていて、手から滑り落ちた。

「あ……」

 地面に落ちてしまった鯖が血と砂で汚れてしまっていた。それを拾い上げ、他の鯖が入っているのと別のビニール袋、もとい鯖味噌ミルクソーダデラックスが見つかった時用に入れる袋を上着の内ポケットから取り出し、その中にいれた。

 そして蔵島は何事もなかったかのようにその場を立ち去った。





 そしてそれから数日が経った日。

 その日も日課である鯖の買い出しを終えて家に帰った。そしてキッチンへ直行してからまな板と包丁を取り出す。

 鯖を水で軽く洗ってから下ろしていった。そして味噌、みりん、酒とともに煮込んで行く。この時につい習慣で鯖に包丁でばつ印を入れないように心がける。そんなことをしてしまえば鯖味噌ミルクソーダの魅力である魚独特の生臭さが飛んでしまうからだ。

 味見をしてうまくできていることを確認し、冷蔵庫で6時間ほど寝かす。


 鯖を入れるために冷蔵庫を開けてはたと気づいた。炭酸が各メーカー、残り一本ずつしかないと。これでは十分な量とは言えない。

 外は暑いが仕方ない。どうせしばらくは暇なのだ。すぐに蔵島はエプロンを外して財布と携帯をポケットに突っ込む。近所のスーパーへの道には鯖味噌ミルクソーダデラックスは売ってないのでビニール袋は不要だ。

 ドアを開けて戸締りができているか確認したところで警察に任意同行されたのだ。だが蔵島はその時間さえも鯖味噌ミルクソーダデラックスを味わうための時間つぶしだと考えていた。だから彼は5時間と少しの取り調べに快く応じたのだ。蔵島の計算に狂いがなければ、警察署から自宅への帰り道にあるスーパーで牛乳と炭酸水を買えばきっちり家を出てから6時間で鯖味噌をミキサーの中に入れられる。

 蔵島は心を躍らせながら署を後にした。



 再現できたら、自首してもいい――そう思いながら。


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