表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この灰紅の世界の底より、あの光の瀑布の向こう側へ  作者: 白井鴉
第8章 リーチェ・レントゥス
19/27

18

 貨物艇のブリッジは、コンソールや端末のモニターが発する淡い光によって、うっすらとそのシルエットを浮かび上がらせていた。


 三メートル四方ほどの空間であり、しかも操艇用機器で埋め尽くされているので、モナルキア号のブリッジに比べると、かなり狭苦しい感じがする。


 ブリッジ内に、座席は三つ。ただしふたつは空席だ。乗員は通常三名だが、いちばん奥にある艇長席は、非常時に備えて操艇を一手に引き受けられるようになっており、ひとりで操艇することも可能である。


 リーチェは、ひとり艇長席にすわり、半眼のまま黙想していた。

 モナルキア号を離れて、すでに四時間。初めに航路設定をしたあとは、することもなく、静かに時が流れるのを待っていた。


 誰もいない艇のなか、ひとりきりですわっていると、むかし親しかった人々の顔が、つぎつぎと脳裏をよぎっていく。


 部下や上官、友人、両親。

 気弱で美しい心配性の妹、甘えん坊だった二歳の甥。

 若くて姦しい、いつも楽しげだった従妹たち。軍のチャリティー訪問のさい、愛らしい嬌声で迎えてくれた、幼年学校の子供たち。

 勝利を信じ、王宮前広場につどって歓呼の声をあげてくれた百万もの群衆。


 みんな、すでに亡い。


 突然、ブリッジに無線の呼びだし音がひびいた。

 リーチェはまぶたをあけた。右手のソナーに、艦影が映っている。大きな粒子流が近くにあるせいか、反応はひどく鈍かった。

 リーチェは、億劫そうにコンソールへ手をのばし、回線を開いた。


『接近中の船、所属を報せよ』


 通信機から事務的な声が聞こえ、リーチェは口を開いた。


「こちらは、私掠軍船モナルキア号所属、連絡貨物艇ネフリート。あたしはリーチェ・レントゥス、モナルキア号のキャプテンだ」


 しばしの沈黙のあと、返事がかえってきた。


『船籍、および声紋照合、リーチェ・レントゥスと確認。接近を許可する』


 それだけいって、通信は切れた。

 リーチェは、ふたたびシートにもたれた。


「ようやく、このときがきたね……」


 腕を組み、コンソールに両脚を放りだして、感慨深げにつぶやく。

 ブリッジの前窓を見ると、漆黒の空間に、一隻の艦が浮かんでいるのが見えた。


 アルブクーク。私掠軍の首領、ベスティアの乗艦。そして私掠軍の旗艦である。全長三四〇メートル。モナルキア号のざっと三・八倍、容積では約五四倍。地球の原子力空母並の大きさだ。


 だが、この艦を初めて見るものは、おそらくそれが粒子海洋を走る船と聞いても信じられないであろう。超科学の集積体であるはずの粒子海洋艦にしては、あまりにも前時代的なフォルムをしている。


 それは、まるで地球の大航海時代の帆船のようだった。

 いや、ほんの些細なちがい――艦尾両舷から、操舵用の重力制御ラダーが六本のびていた――をのぞけば、そのものといってもよかった。

 粒子流をとらえて推進力に加えるための、三本のマストから翻る大きな帆。表面が木製に見えるよう注意ぶかく削られ、塗料を塗られて、特殊にコーティングされた巨大な艦体。


 その舷側には、ハッチがずらりと並んでいる。エアロックなどではない。あのなかには、大小数十門の荷電粒子砲や、位相震動魚雷の発射管が収められているはずだ。


 そして、艦首からのびるバウスプリット。

 それこそが、数多くの『世界』を破滅に追いやった最悪の兵器、空間破砕砲だった。


 空間位相に干渉し、時空連続体を破壊して、ひとつの空間とそれが内包する物質すべてを縮退、消滅させるシステム。

 その空間破砕攻撃に晒されて、無事にすむ空間は存在しない。狙われた世界は、ただのひとつの例外もなく、撃ち滅ぼされてきたのだ。


 あの破片世界、リーチェの故郷……かつて、『モナルキア』と呼ばれていた世界も。






 五年前――理想郷というほどではなかったが、それでもモナルキアの文明は、進んだ科学と発展した経済とで繁栄の極みにあった。王室は国民議会とうまく連携し、善政を敷くことで国民の敬愛と圧倒的支持を集め、人々は平和と安寧のうちに暮らしていた。


 そのモナルキアに私掠軍は突如来襲し、「奴隷か死か」を通告してきたのだ。


 王室近衛軍団の要職にあったリーチェは、そのときの御前会議の様子を今でもよく覚えている。大きな円卓についた主たる軍団の長は、みなモナルキアの先端科学と軍事力を信頼しており、異口同音に「一撃で返り討ちにしてみせる」と息巻いた。近衛軍団長は、玉座にすわる王に、破れることなど百パーセントありえない、と豪語したものだ。発言権こそなかったが、オブザーバーとして出席を許されていたリーチェ自身、そう思っていた。


 だが、モナルキアの科学力は、粒子海洋の存在は探知していても、空間破砕兵器の理論的可能性を指摘するまでには到っていなかったのである。


 その後の戦況は、私掠軍側の空間破砕砲の使用により、一方的にモナルキアの完全敗北へと追い込まれていった。徹底抗戦を叫ぶ軍部は、なまじ粒子海洋へと進出できる科学力を有していたがゆえに、けっして敗北を認めようとはせず、粒子海洋艦の建造を急いだが、ただ一隻をのぞいては、ついに完成しなかった。


 もっとも、それさえも、艤装にかかる前にモナルキア王室軍は戦うどころではなくなってしまっていた。累計二万発もの空間破砕砲を撃ち込まれたモナルキアの空間は、もはや完全に時空連続体を破壊され、正常な物理法則が成り立たなくなってしまったのだ。


 大地は、惑星半球が揺らぐほどの激烈な地殻変動を起こし、人間が造った地上の建造物ごときは根こそぎ粉微塵に粉砕した。吹き上がったマグマは大河のように各地で氾濫し、一千万都市を住民ごと無慈悲に焼き尽くした。

 海や大気は激しく逆巻き、局所的な重力変動と気圧の大幅低下により高さ一キロにも達する津波と風速三百メートルを越える暴風が発生、地形的気象学的にありえないコースを取って縦横無尽に荒れ狂った。それらは山脈を突き崩し、大陸を海に沈め、席巻する足元の何もかもを呑み込み、分解して流し去った。


 猛悪な邪神そのものと化した自然界の滅尽攻撃に、人間の持つわずかばかりの科学力がはたして何の役に立ったろうか? 誰も想像しなかった一大天変地異が、モナルキア全土を襲った。国家はまたたくまに滅び去り、民は死に絶え、軍団は全滅した。


 そしてついには、世界空間がほうぼうで断裂し、大地はつぎつぎとマントルごと異次元の果てに吹き飛ばされていったのだ。


 すでに王室は亡く、精鋭だったはずの近衛軍団は壊滅していた。想像を絶する大破壊のなかで、リーチェは軍の造船ドックへむかう途中、たったひとり見つけることのできた戦災孤児をつれ、完成していたただ一隻の粒子海洋艦を操り、モナルキアを脱出した。


 そして、ベスティアに投降したのである。

 いつの日か、自らの手で私掠軍を倒すために――


 リーチェは、腰のポーチから記憶素子を取りだした。

 このなかに、いまは亡きモナルキアの全ての叡知がこめられている。モナルキア王室軍直属・無限次元研究所が開発した最重要極秘プログラム“スクード”。


 リーチェに、そしてモナルキアに残された、たったひとつの武器だ。


「頼むよ、うまく動いとくれ……」


 リーチェは静かにつぶやくと、記憶素子をていねいにポーチのなかへ戻した。






「なんてこった……」


 嘉一は、たった今レアーレによって語られた『モナルキア』の真実に、茫然とつぶやいた。


「それじゃあ……結局、“スクード”ってなんなの?」

「“スクード”は、空間破砕攻撃に対する防御システムのメインプログラムなんだ」


 せかす結衣に、レアーレはうつむいたまま応えた。


「空間破砕のエネルギーを取り込んで、そっくり反対の波動を発生させて、打ち消すプログラムさ。空間破砕攻撃から国土を守る盾として開発されたって、姐さんはいってた……姐さんは、そいつを空間破砕砲に干渉できるプログラムに書き変えたんだよ。

 空間破砕砲は、ある空間座標を設定して、そこにエネルギーを直接転移させることで、相手を攻撃する兵器なんだ。けど、そいつは自分自身の空間座標……つまり、0・0・0に攻撃することは、システム上できない。そいつが安全装置代わりになってる。

 ……でも、あのプログラムは、空間破砕を生み出すエネルギーを利用して、攻撃座標上に、位相転移のチャンネルを別に作りだせるんだ。そうして、エネルギーを全く別のところに(・・・・・・・・)送り込むことができる(・・・・・・・・・・)んだよ。……もちろん、送り込めるったって、全体からすればわずかなもんさ。空間破砕攻撃で消費されるエネルギーってのは、ものすごい量なんだ。それをぜんぶ方向転換させるなんて、できやしない……」


 レアーレは、いったん言葉を切り、全員の顔を見まわした。


「……だけど、全体量が凄いから、わずかでも充分なんだ。……アルブクークを自爆させるには……!」

「アルブクークを自爆!?」


 嘉一は、我知らず大声で叫んだ。

 しかし、咎めるものは誰もいなかった。


「そうさ! 姐さんは“スクード”をアルブクークのコンピュータに放りこんで、艦自体を標的にする気なんだ! 空間破砕砲を動かして、木っ端微塵に自爆させちまう気なんだよ! だけど、そんなのひとりじゃ無理だよ、できるわけねえよ!」


 レアーレは、哲夫にすがりついた。


「なあ、頼むよ、おれと一緒に、アルブクークへいってくれよ! このまんまじゃ、姐さんきっと殺されちまう! おれ、むかし姐さんに助けてもらったんだ。親父もお袋も死んじまって、誰も頼るやつがいなくて、おれも死にそうになってたとき、姐さんが拾ってくれたんだよ。姐さんが、おれのたったひとりの家族なんだ! だけどおれひとりじゃ、どうにもできねえよ……姐さんを助けてやってくれよぉ、お願いだよぉ……」


 ふたたび泣きだしたレアーレは、床に膝をついて哲夫の胸に倒れこんだ。

 哲夫は、あわててレアーレの体を支えてやった。彼の腕のなかで、レアーレの小さな体が震えていた。

 寝ぐせ頭を撫でてやりながら、哲夫は貴音の顔を見あげた。


 貴音は、表情を硬くこわばわせ、まばたきひとつしないまま、その場に立ち尽くしていた。


 まるで、泣きだしたいのを必死に堪えているかのように。


 数瞬の沈黙がブリッジに降りたあと、貴音は静かに口を開いた。


「遊佐さん。エンジンの修理の進捗状況は?」

「今の状態でも、巡航速度までは上げられる。……たぶん、それ以上にも」


 丈昭は、即座に答えた。


「急げば、なんとかなるだろう」


 しかし、貴音はそれを聞いても動かなかった。

 あいかわらず立ち尽くしたままだ。

 彼女の心のなかで、それまで味わったこともないような激しい葛藤が、渦を巻いていた。


 貴音は、リーチェを憎んでいた。私掠軍を憎んでいた。彼らは、自分のささやかな幸せを踏みにじり、いちばん大事なものを無残にも奪い取ったのだ。たとえ何があろうと、絶対に許せるものではない。


 だが、今ならわかる。なぜリーチェが、装甲車のなかで何の抵抗もしなかったのか。なぜ研究所の地下で、自分を助けようとあれほど必死になったのか。


 リーチェは、たぶん貴音の気持ちをいちばんよくわかっていたのだ。


 しかし、この五年間は、リーチェも私掠軍の一員だった。私掠軍として、数多くの『世界』の侵略に加担したのではないのか。自分と同じ思いを、多くのものに味わわせてきたのではないのか。


「貴姉」


 不安げに貴音の表情を見つめていた結衣が、貴音の腕を、すがりつくようにして揺さぶった。

 貴音は、びくっと身を震わせ、かたい表情のまま、結衣にふりむいた。

 結衣は、貴音の緊張した眼差しに一瞬身を固くしたが、すぐに笑ってみせた。


「助けにいきましょう。貴姉も、助けたいって思ってるんでしょう?」


 貴音は応えなかった。


「わたしなら平気よ。……わたしは、いつまでもお荷物じゃない。どんなに小さくったって、少しでも勝てる可能性があるなら、わたしは戦うわ」


 毅然と言いきってから、結衣は息を呑んで、彼女の姉代わりである女性の言葉を待った。

 貴音は眉根を寄せ、苦しげに顔を歪ませて目をつむった。

 しばらくして、ふたたび顔をあげたとき、もう彼女の面に迷いはなかった。


「いきましょう……アルブクークへ」


 貴音は、宣言した。


「防護服の動作支援システムと、返された武器があれば、何とかなるかもしれない。あの人を……リーチェを助けだす。そして、できれば――」

「できれば彼女の行動を支援し、アルブクークを爆破する、だな」


 丈昭があとを引き受け、にやりと笑った。

 貴音は、丈昭にふりむき、かすかに口元を歪めた。泣き笑いだった。ほんの小さな。

 それから、周りを見まわしたが、異を唱えるものはいなかった。

 いつしか見慣れた仲間たちの顔は、奇妙な期待感に晴ればれとしていた。


 還っても……と、誰もが思った……このままの状況がつづくなら、地球には、未来はないかもしれない。

 彼らは、それを知っていた。口には出さずとも、彼らにはわかっていた。


 それでも――お互い、まったく役割は異なっていたにせよ、彼らは常に、彼らなりの戦いをつづけてきた。甲斐なき戦いであったとしても。彼らなりの明日を思い描いて。


 そして、その「明日」を本当に描けるのは、いま、彼らしかいなかった。


 我々だけが――奇妙な運命だ。私掠軍のひとりに異空間へ吹き飛ばされ、別の私掠軍に救助され、我々のものとは違う世界(!)へ行き、荒野を走り、地下へ潜り、『世界』消滅に巻き込まれ、……だが、我々だけが、『我々の世界』を救うことができる。


 彼らは、バラックに住む被災民の疲れた顔を思いだした。子供たちの、怯えきった表情を思いだした。不安そうな母親の腕のなかで、何も知らぬげに眠っていた赤ん坊の顔を思いだした。


 これが、彼らに与えられた、最初で最後のチャンスかもしれないのだ。


「こいつはすごいな。帰ったら、俺たち歴史の教科書に載るぜ」


 慶太は笑った。

 あるいはもしかしたら、あの懐かしい故郷へは、二度とふたたび還ることはできないのかもしれない。彼らの見知った、あの懐かしい人々とは……生きているかどうかもわからない、彼らの友人たちとは、本当に、二度と逢えないのかもしれない。


 だが、この瞬間、彼らは「自分たちの運命」を選びとったのだ。

 彼らにしか変えられない「運命」を――未来をつくるための戦いを。


「い……行ってくれるのかい!?」


 顔を輝かせて叫んだレアーレに、貴音はうなずいてみせた。


「アルブクークの位置はわかってるのね?」

「もちろんさ! ああ、ありがとうみんな、感謝するぜ!」


 涙のひりついた頬を、作業服の袖でごしごしこすると、レアーレは立ち上がった。


「まだ、ほかにも武器があるんだ。案内するよ!」


 そういって、レアーレはブリッジを抜けて走りだした。


「貴音ちゃん」


 あとにつづこうとする貴音の肩に、哲夫が手をかけた。


「きっと、そういうって信じてた……信じてたぜ」


 心なしか嬉しそうに、哲夫はいった。

 貴音は、むっとした表情で、その手を跳ねのけた。


「勘違いしないで、わたしは借りを返したいだけよ!」


 つよい光を放つ瞳で、貴音は一瞬哲夫をにらむ。しかしすぐにふと目をそらすと、そのままブリッジを飛びだしていった。


「あいかわらず、おっかない女だな」


 ふたりの出ていったハッチを見やったまま、丈昭は呆れたようにつぶやいた。


「嫁の貰い手がないぜ、あれは」

「素直じゃねえだけさ」


 哲夫は、丈昭の言葉に苦笑して応えた。


「ほら、結衣ちゃんもいかなきゃ。防護服がいちばん必要なのは、たぶん結衣ちゃんのはずだぜ」

「あ……う、うん!」

「ブリッジまわり、よろしく頼むぜ、遊佐の旦那。残りの防護服と、『武器』とやらも確認してくる」


 丈昭たちにかるく敬礼してみせてから、哲夫は結衣とともに貴音のあとを追った。


「ああ。……ようし、葉山、川内! エンジンに火を入れろ、敵さんに殴り込みをかけるぞ!」

「了解!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ