当たり前のこと
お題:ねじれた善意 制限時間:30分
「お席をどうぞ」
佐々木瑞穂は座っていた座席を目の前に立つおばあさんに譲った。
なにも特別なことをしたという気持ちはない。自分は若く健康であり、目の前のおばあさんは杖を付いている。足が不自由なのだろうから彼女に席を譲ることは当然のことだと思った。
「どうもありがとうございます。しかしもう次の駅で降りるので結構ですよ」
おばあさんはそう言い瑞穂の誘いを断った。
瑞穂は断られたことに気を悪くするでもなく、素直に座り直した。
高校の最寄り駅につき、瑞穂は電車から降りようとドアへと身体を移した。
同じ高校の生徒が多く車外へと流れ出ていく。
瑞穂がドアの前にたどり着いたときにひとりの男性が走りこんできた。瑞穂と男性は危うくぶつかりそうになる。
チッと男性が舌打ちをしながら電車に乗り込んだ。
男性はきっとこの電車に乗らなければ遅刻しそうだったのだろう。慌てていたところ、阻むように立っていた瑞穂に腹が立って舌打ちをしたのだろう。そう瑞穂は考えながら乱れたスカートを手で払い歩き出した。
隣から「今の人感じ悪いね」なんてことを言い合っているのが聞こえた。
そちらを見ると同じクラスの女生徒たちであった。
別にその女生徒がぶつかられたわけでもないのに、先ほどの男性のことを悪く言うことに瑞穂はなんとも言えない気持ちになった。
「なにか?」
女生徒が瑞穂に話しかけてきた。女生徒は瑞穂に睨まれているように感じたのであろう。
「別になにも。ただ事情も知らないのに悪く言うのはどうかと思います。感じ悪いと思ってもそれを口に出していいことはありませんので」
瑞穂の言葉に女生徒はあからさまに顔をしかめた。
「佐々木さんはいい子ちゃんなのね。私とは違うわ」
「いい子ちゃんぶっているのではないわ。ただひとに善意を向ける。悪意を出さない。それだけの、当たり前のことをしているだけです。あなたはどうしてそうしないのですか」
その言葉に女生徒は不愉快よと吐き捨て去っていった。
瑞穂は彼女がなにに怒ったのかわからなかった。当たり前のことを当たり前に指摘した。それだけのことである。感謝されこそすれ怒ることではないだろう。
クラスについたら謝ったほうがいいかしら。いいえ、正しいことを言ったのだから彼女もわかってくれるでしょう。
そう考えながら瑞穂は高校へと足を早めた。