第5話 対戦ーヘルガー
「待たせたな。始めようか」
「いつでもいいわ」
待たされた不快も無くヘルガは返してきた。
瞬間、抜刀したカズヤが躊躇う事も無く、長剣を振り落とす。長杖を横にして受け止めたヘルガは笑みを浮かべていた。
「最弱……ね」
受ける剣圧が軽い事に気がついて呟いていた。
並みの剣士の剣圧には重さがある。受ける手ごたえが違う事が、カズヤを最弱と言わせているのだとわかった。
右に左にと長剣を振るうカズヤの動きは、ヘルガには遅く見えている。身体強化をしていても、この程度とは笑うどころか嘲りさえ浮かんでしまった。しかし、自分と組むような剣士は誰もいなく、残る一人がカズヤであり、最弱でも試すしかなかった。
長杖で長剣を受け止め、くるりと回すとカズヤの体勢が少し崩れる。整える前に長杖で突くと、妙な手ごたえとともにカズヤが大きく飛ばされた。
(何……今の手ごたえ?)
思う事とは違い、身体はカズヤの追撃に掛かっている。カズヤが立ち上がるよりも早く追いついたヘルガは、長杖を叩きつけるように振り下ろしていた。
転がって避けるカズヤの向こうで、アマネが術式を組み上げるために、歌い始めている事に気がついた。組み上げる速度は決して早くはないが、手本と言えるほど正確無比であり、質の高さをうかがわせる。
アマネが術式『雷』を組み上げるまでに、ヘルガは単式術式―詠唱が最短の術式―『気弾』を組み上げて、アマネに向けて発動させていた。
反応したのはカズヤである。
術式を止められないと即断して、身体を翻していた。
(今からでは間に合わないわ)
アマネを『気弾』で吹き飛ばして、カズヤにも『気弾』を打ち込めばそれで終わり。そう思っていた。
再びヘルガが、単式術式を組み上げようとした時、アマネの手前で『気弾』が地面で爆ぜる。
「なっ……」
驚愕がヘルガの術式を止めた。
爆ぜた地面のすぐ横に、カズヤが長剣を振り切った姿が見える。
(間に合ったとでも……いうの? バカな……)
間に合うような距離ではない事を、ヘルガは知っていた。それ以前に、術技を長剣で止めた事が信じられない。そして、何が起きたのか正確に理解した者は、この場にはいなかった。カズヤ自身でさえ、間に合って良かったとしか思っていない。
そのカズヤはすでに、ヘルガに向かって駆けていた。
一拍の遅れがヘルガの術式の組み上げを妨げてしまう。
駆ける勢いのままカズヤが長剣を突き出し、ヘルガは受けるよりも距離を取るようにとんぼを切って離れた。間合は広がったが、更に離れるようにヘルガは後方へ飛んでいる。
一瞬後に『雷』が降って来た。
その間にカズヤは、再び間合を詰めている。
カズヤとアマネの連携が取れ始めていた。今までの彼らの鍛錬では見られなかった事である。カズヤがヘルガの術式を妨げ、術式をアマネが組み上げる時間を作っていた。
二人とも決して強い方ではないと、誰もが知っているにもかかわらず、ヘルガを抑え込もうとしている。
言うなれば、連携の見本のようなものだった。
「チッ」
舌打ちがヘルガから洩れる。自分よりも明らかに劣る二人に、抑え込まれるとは思ってもいなかった。
カズヤの長剣を受け流し、下から掬い上げるように長杖をまわす。上体を逸らして避けるカズヤに向けて、ヘルガは手の中の長杖を滑らせて突き入れた。
再び妙な手ごたえと共に、大きくカズヤが飛ばされて行く。
(また……?)
追撃に向かうヘルガの足を止めたのは、アマネの『雷』だった。足を止めたヘルガはすぐに頭を切り替え、広域術技『雷嵐』を組み上げる。
術技が発動すると『雷』が広範囲に落ちて行くが、その一つとしてカズヤに当たる事は無かった。
(ずれた……?)
一瞬、そんな考えが浮かんでくるが、カズヤとの距離がまだ開いている事を見て取ると、ヘルガはすかさず術式『火球』を組み上げて発動させる。
連続で放たれる術式の速度に、見物人達から呻くような声が漏れていた。
「速いな……」
「ええ。私達よりも詠唱が、とんでもなくね」
感心するハヤトとサヤカの二人である。
「?」
ハヤトが首を傾げた。カズヤの横方向で『火球』が、爆ぜるのを見たからである。
「遊んでいるのか、あの女は?」
憤るのはタケシだった。
広域術技でも単式術技でも、カズヤの前後左右にずれていた。見ている者には、力量の差を見せ付けているようにしか見えない。
ふいに、ハヤトの腕がつかまれた。
「ハヤト……」
擦れるようなサヤカの声に、ハヤトは驚いてしまう。
「結城カズヤは……」
驚愕が顔に張り付いていた。
「本当に最弱の剣士なの……」
「今まで一勝もした事が無いのは確かだが……どうした?」
「信じられないけど……カズヤは術技を避けているわ」
ハヤトは声も無く、サヤカを見てしまう。
その顔はまさかと言っていた。ハヤトでさえ、術技を避ける事はできない。また、出来るとは思ってもいなかった。
術技は発動する基点というものがあるが、それは目に見えるものではなく、見えた時は術技が発動している。たまに運良く動いたと同時に、術技が発動して避ける事ができるが、それは稀どころか、天文学的数字の確率でしかなかった。
つまり、意識的に、術技を避ける事など不可能である。
それをカズヤは、やってのけているとサヤカは言っていた。最弱の剣士に、出来る事ではないはずである。
「そんな事が、可能なのか?」
「不可能よ。術技を詠唱する本人以外は、どこにどのタイミングで、術技が発動するかなんてわかるはずがないわ」
「それをカズヤはやっている……のか?」
「そうでなければ、ヘルガが術技を外すわけがない。いいえ、ヘルガだけでなくどんな術士でも外す事はないわ。それは、ヘルガの顔色を見ればわかるわ」
サヤカと同じ結論に達したヘルガは、焦りと混乱に囚われていた。
不可能を可能にする剣士。それもたいした事の無い剣士が、やってのけている事が信じられなかった。
(そんな……なぜ……どうして……)
幾度、術技を組み上げようと避けられるのでは、術士には打つ手が無くなる。体術は剣士並みと言っても、長期戦になれば術士であるヘルガには不利であった。
戸惑いと焦りが、ヘルガの足枷になっていた。
あっと思った時には、闘技場の地面に背中を付けていたのである。
「俺達の……勝ち……だな……」
荒い呼吸の間に言うカズヤに、ヘルガは長杖から手を離して両手を上げていた。
訳が判らなくなってしまう。最弱と言われているにもかかわらず、とんでもない事をしでかす剣士だと思えた。
「認めるわ。私の負け」
カズヤは長剣を納めると、右手をヘルガに差し出して引き起こしている。
「あなたは、何者?」
手を離したヘルガはカズヤに尋ねていた。
返ってきた答えにヘルガは、呆気に取られて笑い出す。ヘルガの笑い声を聞いたのは、この時が始めてだった。
カズヤは一言『騎士』と答えていたのである。
ヘルガの笑い声が響く闘技場の外では、その光景をぽかんと見ている者が多かった。
「勝っちゃったよ……カズヤ達……」
まだ信じていないようなサツキが呟くと、タケシは憮然としたまま言う。
「まぐれだ。二度とない」
「私達がやろうとしてた事、先に越されちゃったね」
だから面白くないのだとは、言えないタケシだった。それが分かっているのかサツキは、タケシの肩を慰めるように叩いている。
番狂わせが起こった闘技場は、一気に興奮の坩堝と化し、誰もが勝つと思っていなかったカズヤ達に、惜しみない拍手を送っていた。逆にヘルガを見る目は、ざまぁみろとでも言うようである。
そして、候補生達は剣士と術士の連携が上手く行くと、その力はとてつもなく大きくなると理解した。
「見ていた者にとっては、いい教練だな」
まったくね、とサヤカは笑って頷いている。
「それにしても、不可能を可能にする剣士……か」
「この分じゃ、結城カズヤにも何かあるわね」
「そうだな……術士としては知りたいか?」
「もちろんよ。魔獣達の中に術技を避けるものがいれば、その対抗策を考えないといけなくなる。同じとは言えないけど、参考になるはずだから」
「いるのか、そんな魔獣が?」
思わずハヤトはサヤカを見てしまった。
「今はまだ、出てきていなけど。私達は、まだ魔獣の事も魔力の事も、全てわかったとはいえないでしょう?」
最後は問いかけるように、ハヤトを見上げている。
なるほど、魔獣が発見されてから五十年しか経っていなかった。術技に関しては体系が整えられたのは、ほんの二十数年前である。
新たな術技が今のなお、組み上げられているのも事実で、魔獣に関しても、新たな生物が発見されていた。