第2話 アカツキの涙
眼を開けたカズヤは、見慣れた白い天井に苦笑を浮かべる。
体力も気力も限界まで使い果たしても、他の候補生達に対抗する事が、できなくなっているとわかっていた。それでも、諦める気はまったくない。
「まだ、足りないか……」
あらためて思っていた。
限界を超えなければ『騎士』としては生きていけない。この六年というもの、鍛錬を続けてきたが、まだ先は見えなかった。
体力はすでに回復している。
三年ほど前、ある事情から体力の回復は早くなっていた。どれほど無茶をやっても、しばらくすると動けるようになる。
それも続けられる理由の一つだった。
カズヤの起きる気配を感じたのか、カーテンの向こうから呼びかける声がする。
「気が付いたか。結城カズヤ」
救護室の主、白川カズミだった。
「お手数をかけました。白川教官」
カーテンを開けてカズヤは、その向こうに立つカズミに頭を下げる。
「ま、おまえは常連だ。気にする事はない」
ニカッと笑っている。
このニカッが曲者なのは、最近知ったカズヤだった。
「おまえ、隠している事があるだろう」
「何もありません」
「ほう。そうか?」
さっさっと白状しろと、言いたそうな瞳が返ってくる。
「治癒術技、効果かあったとは思えないんだが?」
「は?」
「おまえが意識を失っている間、何度も試してみたんだが、効果が現れたようには見えないんだが、どうしてだろうな?」
ニカッと笑ったまま、カズミはカズヤを見ていた。
「そうですか。初めて聞きました」
「ま、だから昔ながらの手当てを、しているのさ」
「では、教官。教練に戻ります」
頭を下げたカズヤは、踵を返すと扉に手を掛ける。その背にカズミが声をかけていた。
「限界を超えた先は、破滅しかない」
カズヤの足が止まり、カズミを振り返る。
「だから?」
問い返すカズヤに、カズミは溜め息を付いた。
「それが、おまえの本当の顔か……」
感心したような声である。
覚悟を決めた者だけが持つ、揺るぎない瞳。それは、少年とは呼べない男の顔だった。
「これから先、他の者との差は開く一方になる……」
笑みを消したカズミは言う。
「術技を使えないのなら、限界を超えるしかない……辛い道だな」
カズヤの軽く瞳を見張った。
「どうして、それを……」
「長年のカン。それと術技を受け付けない事でわかるさ」
「……知っているのは、間宮教官だけです」
「誰にも言うな、と?」
「好きしていだだいても構いません」
口元に笑みを浮かべたカズヤである。
「なんと言われようと、俺がやる事は変わりませんので」
「ほう。やるべき事、な」
「だから、俺は立ち止まっていられない。足りないなら、足りるように鍛えるだけです」
「そうか……」
吐息を吐いたカズミは、デスクに戻り引き出しを開けて、中から小箱を取り出した。
「持って行け。おまえには必要だろう」
カズヤは首を傾げながら、小箱を受け取るとカズミを見返す。
「これは?」
「護符だ」
「護符?」
「ああ。それは私の友が、ある男のために生成した物だ。私が預かって……そのままになってしまった……」
少し眼を伏せたカズミだったが、すぐにカズヤに視線を戻していた。
「おまえのような奴にしか役に立たない護符。術技を使えない者が『身体強化』と同じ効果を得る事ができる。と言っても、剣士術技の『身体強化』よりも劣るそうだ。ほんの少し、身体能力を向上させるだけの代物だ」
つまりな、とカズミは吐息らしきものをついている。
「おまえにしか役に立たない。と言う事だ」
「俺が持って行ってもいいんですか? これは教官の……」
「いいさ。他の奴には意味が無いからな。そして、もう一つ伝えておく事がある」
「何でしょう?」
「その護符には『アカツキの涙』と銘が付いている」
「『アカツキの涙』……」
小箱の中には、夕焼け空色の涙滴形のペンダントがあった。
「見たまんまなんだがな」
カズミは笑っている。
「使わせてもらいます。では」
頭を下げてから救護室から出て行くカズヤを、見送ったカズミは息を吐いていた。
(これでいいのか……おまえの剣士ではないが……あいつでよかったのか……『アカツキの涙』は……アキエ……)
六年前、死の直前に『アカツキの涙』を自分に託した友に、問いかけずにはいられなかった。思い出すのは『アカツキの涙』を受け取った時の事である。
「いつか出会う術技が使えない私の剣士のために、少しでも役に立てるように『アカツキの涙』を生成したの」
「そんな奴がいるのか?」
「うん。私の剣士は、術技が使えないの」
「まさか……」
当時のカズミには信じられなかった。
術技が使えないのなら『騎士』にはなれないはずで、そんな者が剣士として現れるはずが無いと思っていたからである。
「忘れてしまいそうだから、カズミが預かっていて」
微笑みながら言うアキエに、カズミは不思議な透明感を受けてしまった。
だから、預かったのかもしれない。
剣士と出会う前に死んだアキエは、十八才にもかかわらず、実力は『賢者―セージ―』クラスと呼ばれて、同期生や上期生に一目置かれる存在だった。多くの剣士がペアを組みたがっていたが、誰ともペアを組む事はなかったのである。
護符の生成などは『上級魔術士―ハイソーサーリー―』クラスでも、至難の業と言えるほど、難易度の高い術技であり、一八才のメイジクラスが生成出来る物ではない。
そして、アキエの言う術技を使えない剣士が、今になって現れた。
こうなる事を見越して、自分に『アカツキの涙』を託したのか。
それとも単に忘れそうだったから、友である自分に託したのか。今となってはわからなかった。
言えるのは『アカツキの涙』を必要とする剣士がいる、と言う事である。
そのカズヤは、救護室から教練室に戻る途中で間宮と会った。間宮は、カズヤを推薦で学院入学させた本人である。
「結城。調子はどうだ?」
「まだまだです。俺はまた、救護室行きでした」
「まあ、まだ三ヶ月だ。これからだな」
励ますように間宮は、カズヤの肩を軽く叩いた。
「はい。まだ三ヶ月です」
「今はまだ、剣士のみの鍛錬だが、術士を含めたペア戦になれば変わるだろう」
「そんなものですか?」
「ああ、剣士として強くても、騎士の基本はペアだからな。術士と組んだ時に、弱くなる者もいる」
「連携を取るのが難しいんですか?」
「簡単に行くようなら、鍛錬は必要が無いだろう」
「それもそうですね」
カズヤは一礼して、間宮から離れて行く。
(まだ足りない。もっと苦しめ……絶望するがいい……おまえは……)
その後姿を見送る間宮の顔が、奇妙に歪んでいる事には気が付かなかった。
教練室に戻ったカズヤを出迎えたのは、候補生達の温かい励ましである。
「カズヤ。またやったな」
「記録更新じゃん」
「諦めた方がいいんじゃない」
悪気があって言っている訳でなく、全員がカズヤの肩を叩き、中には豪快に背中を叩いて行く者までいた。
全員が言いたいのは、まだまだこれからだ、と言う事である。成長期であり、何かの拍子で飛躍的に伸びる事を全員が知っている。
それにカズヤは、剣士術技『身体強化』を使わない鍛錬では、群を抜いて強い事は誰もが知っていた。
騎士学院では、初めの一ヶ月で各人の適正を見られた後、剣士あるいは術士に分けられる。二ヶ月目からは、力量によってAからFまでのクラスに編成され、それぞれ剣士と術士の専門的な鍛錬が始まる。
カズヤの所属はFクラスで、人数は男女含めて十五人と一番少ないクラスだった。
カズヤの双子の弟タケシと幼なじみのサツキは、幼い頃からの鍛錬により、優秀な力量を示して揃ってAクラスに所属している。
幼少の頃より三人で鍛錬をしてきたが、差が出たのは六年前の事件の後からで、表面化したのは騎士学院に入ってからであった。結果的にはカズヤ一人が、置いていかれたようなものである。
六年前、カズヤは母親と一緒にサカツキにある術技研究所を訪れ、サカツキ市を消滅させた魔力の暴走爆発事故に巻き込まれた。
魔力の暴走爆発は、中心点より半径二キロを消滅させ、十キロ圏内を吹き飛ばしたのである。サカツキ市十万人が巻き込まれ、生存者はほんの一握りだった。
その中にカズヤが含まれていたのである。
爆心地に近い場所で発見されたカズヤは『奇跡の生還』と言われ、一時期『騎士院』で事情聴取を受けていた。
何が原因なのか、なぜ暴走爆発がおきたのか、把握していなかった騎士院でも、手懸かりが欲しかったのである。
だが、十才の子供に話を聞いても、有力な情報は出で来なかった。
発見されて一ヶ月ほど、カズヤは意識が戻らず、戻った時は混乱していて言動があやふやだった。半年が経っても、カズヤの症状は目立った変化はなく、騎士院は証言不能と判断し、地元に戻させたのである。
事故から一年が経つ頃、双子の弟と幼馴染の少女は、カズヤを鍛錬に半ば強引に連れ出し、二人掛かりでカズヤを攻め立てて叩きのめした。
周りがいくら止めようと二人は、頑として聞かずに毎日連れ出し、気を失うまで叩きのめす事を止めなかったのである。
呆けていても、身体は鍛えておくべきだと二人は考えていた。
三人で『騎士』になると誓った事を、忘れてはいなかったのである。回復した時に、他の者と遅れがないようにと、考えていたのだった。
周りの者が、カズヤは回復したと思うようになったのは、事故から二年が経とうとしていた。その頃には、弟と幼馴染の少女の二人を相手に、互角の戦いが出きるまでになっていたのである。
同時にカズヤ自身が気付いた事は、術技が全く使えなくなっている事だった。
日常的な術技『光―ライトー』さえ、術技は組み上げられても術技が発動しない。騎士を目指していたカズヤには、衝撃的な出来事だった。つまり、騎士の使う剣士術技も、使えないと言う事だった。騎士にとっては、致命的と言ってもいいほどである。
それでもカズヤは、諦める訳にはいかない理由があった。だから、限界を超える道を選び、よりいっそう過酷な鍛錬を自分に課したのである。
しかし、現実はそんなに甘いものではなかった。
騎士学院には入れたものの、術技が使えないカズヤは、他の候補生達に叩きのめされる日々になったのである。
今のまま、変われなければいずれ遠くない時期に、辞める事にやる事はわかっていた。限界を超えて身体が壊れるのが先か、それとも限界を超えてもなお身体が持つのか、それは誰にも、カズヤ自身ですらわからない事ある。
それまでカズヤは、足掻き続けると誓っていた。
あの日、託されたものは、己の命だけではない。
次回『魔導術士ヘルガ・オルディス』
ではまたー