第21話 候補生の長い一日5
「させるか。全てを救う!」
カズヤが吼えた。
「候補生が出来る事ではない」
「不可能だから、無理だから、それで見捨てる事が『騎士』のやる事なら、俺は『騎士』にはならない」
低い抑えた声でカズヤは言う。
思い出すのは、六年前のあの人の微笑。不可能な状況下でありながら、何も諦めない、ただ救う事を考えていたあの人の事だった。
「不可能な状況下で、俺を救ってくれた術士が託したのは、そんなに軽いものじゃない。俺が受け継ぐべきものは、不可能だから諦めるような事じゃない」
はふと、溜め息がハヤトの口から洩れた。
そして、長剣を引き抜くとカズヤの隣に陣取っている。
「カズミさん。ちょっと詰めて」
口元に笑みを浮かべたサヤカは、カズミの隣に立った。
「紫村、紫堂。おまえ達まで、何をやっている」
「わるいな、教官。どうやら俺も『騎士』には向かないらしい」
「本当ね。仲間を見捨てる事が『騎士』なら、私には無理だわ」
笑い出して大剣を引き抜いたのはアキラで、メグミも隣で笑いながら長杖をくるりと回している。
「カズヤ。付き合うぜ」
「あたしもね」
無言でヘルガを護る位置に付いたのは、マヤとアヤの二人だった。
「タケシ……」
「わかっている。気に食わないが、カズヤの言う事は、騎士の心得だ」
一言多いタケルに、サヤカは笑ってしまう。
「結城くん……」
アマネは、静に長丈を構えていた。
カズミやハヤトの加勢で、教官達は動けなくなる。
カズミはハイソーサリークラスの術士であり、他の面々も候補生とはいえ、ナイトやソーサリークラスに匹敵する実力を持つ。
膠着状態に陥った状況を無視して、カズヤはカズミに尋ねていた。
「カズミさん。『硬二重障壁』は?」
「出来る」
驚きながらもカズミは答える。
カズヤの言う『硬二重障壁』は、アキエのオリジナル術技であり、知っているのは、もう自分ぐらいだった。それがカズヤの口から出てきたのである。
驚かない方がおかしいと言えた。なぜだ、とカズミが尋ねる前に、カズヤはサヤカを見ている。
「サヤカさんは?」
「知らないわ」
「障壁は、どこまで?」
「二重までよ」
「アヤさんは?」
「同じ。二重」
「サツキ、アマネ」
呼ばれた二人は、顔を見合わせて同時に首を振っていた。
「俺に任せてくれるか?」
カズヤは振り返って、仲間達を見る。
「できるのか?」
代表するようにカズミが問いかけていた。
「全てを救う」
断言するカズヤにカズミは、剣士達に教官達の動きを見るように告げると、術士達を集める。一人、尋ねられなかったメグミは、長杖を肩に担いでいた。
「カズヤ、あたしには聞かないの?」
「出来る事が当たり前では?」
「言ってくれる」
楽しそうにメグミは笑う。
「サツキ、アマネ。今から二重障壁を組み上げる。読み解いてくれ」
「えっ?」
驚いた顔がカズヤを見てくる。それにかまわずカズヤは、詠唱を始めていた。
眼の前に組み上がっていく術式を、サツキとアマネは驚きながらも、必死になって読み解こうとしていた。
考えるのは後でいい、今は術式を読み解かなければならないと、サツキもアマネも理解している。
術士ではないカズヤが術技を、それもソーサリークラスの術技を、組み上げている事が信じられずに、カズミ達はぽかんと見ていた。
「なぜカズヤに、術技が組み上げられる……」
誰もが思う事である。
「カズヤ、間に合うのか?」
術技を組み上げ終わったカズヤに、ハヤトは尋ねていた。振り返ったカズヤの瞳を見て、ハヤトは息を呑んでしまう。
それは人の瞳とは思えないほど、深く強い光が宿っている。
「まだ、ヘルガの術式は三分の一だ」
「なっ……」
そんなバカな、そんなに長い詠唱があるのかと、カズミは絶句してしまった。
「カズミさん。始めてくれ」
「…………」
「カズミさん?」
「あっ、ああ……」
絶句していたカズミは、頭を振って頷く。
「始めるのはいいが、基点はどこにすれば?」
問われたカズヤは、十歩ほど離れた場所に長丈を突き立てた。
「ここだ」
そして、サツキとアマネを見て尋ねる。
「読み解けたか?」
「前半が……自身が無い」
「後半が不確かなの……」
返ってきた答えにカズヤは、少し考えてから言った。
「前半をアマネが主導し、後半はサツキが主導してやればいい」
「いや、ちょっと、カズヤ?」
珍しくサツキが慌てる。
「二人で一つの術式を組み上げる」
「だから、カズヤ……出来るの?」
信じないサツキに、カズヤは笑う。
「サツキとアマネなら、出来る。出来ない訳がない」
「その自信、どこから来るのよ」
疑わしそうな瞳で、サツキとアマネはカズヤを見てしまった。そんな話は聞いた事も、試した事もなかった。
「おまえ達だから出来る事もある。やってみろよ。失敗しても価値はあるぜ」
「まったく。簡単に言ってくれるわ」
半ば呆れ気味のサツキと、真剣な顔で頷くアマネである。
カズミ達術士の詠唱が始まると、カズヤはヘルガの傍まで戻っていた。
この時点では、ハヤト達剣士に出来る事は、教官達を牽制する事しかなかった。成り行きを見守りつつも、警戒は怠らなかったのである。
「出来るものか。サカツキを消滅させるほどの術技を、障壁などで防げるものか」
「黙っていろ。俺は救うと言った」
涙を流しながら詠唱するヘルガに、カズヤは頷いていた。
「六年前は、あの人が救った。今度は俺が、おまえを救う」
カズヤは小指を立てて笑う。
「約束……だったな。俺がすごい剣士になったら、ペアを組む術士をヘルガに頼むと」
託されたもの。
それは命であり、想いでもあった。
だから、カズヤは諦めずに行動する。それが答えになると知っていた。
「俺は、おまえが認めるすごい剣士になったか?」
(カズヤ……死ぬ気……なの……)
微笑むカズヤの姿が、あの人の姿と重なる。
(だめ……死なないで……)
思い強くなるが、詠唱は止められなかった。
「障壁を発動させたら、全員、離れろ」
指示を出したカズヤはヘルガに背を向けて、障壁の基点となる地面に突き立てた長杖に向かう。
「カズヤ、何をするつもりだ?」
長杖に近づくカズヤに、嫌な予感がしたハヤトが尋ねていた。答える前に、障壁が発動し長杖を囲んで行く。
そして、ヘルガの『バニッシュ』が発動した。
全てを消しさるそのとてつもない威力に、幾重にも張られた障壁が次々に崩壊して行く。
「無駄だ」
せせら笑う間宮に、誰も取り合わなかった。
最後の障壁が崩壊する寸前、カズヤが右手を障壁に押し付けて握り込んでいる。
(ディア、力を貸してくれ)
初めてカズヤは願う。
刹那、閃光が辺り一面を覆い尽くした。
「いやぁぁ―――!」
ヘルガの絶叫がこだまする。
閃光に眩んだ目が回復した時、そこには立ったままのカズヤの後姿があった。が、少し違和感がある。
「……カズ……ヤ……」
ヘルガがカズヤの姿を認めて呟いた。
ゆっくりと振り返ったカズヤの姿に、全員が息を呑んでしまう。
「ああ……あぁ……あぁ……」
右腕の肘から先が消滅し、右上半身は消し炭のように黒ずんでいた。が、カズヤの口元には笑みが浮かび、その双眸には強い光が宿っている。
「カズヤ……」
「死んではいない」
静かな声がカズヤの口から出ていた。
カズミやサヤカ、サツキ達術士が一斉に治癒術技を詠唱し始める。
重傷者さえ癒してしまうほどの治癒術技が、カズヤに降り注いで行くが、何一つ変化はなかった。
「どうして?」
「なぜ……」
術士達は、信じられないように呟いていた。
「少しぐらいは、影響を受けてもいいものを……」
ギリッと奥歯を噛み締めたカズミである。
「悪いな、みんな」
「私なら!」
ヘルガの詠唱をカズヤは止めて、ゆっくりと首を振っていた。
「無駄だ、ヘルガ」
「無駄でも、何度でも!」
「俺は術技が使えない。使えないと言う事は、影響も受けない」
だから、勝算があったのである。そうでなければ、どうする事もできずに、ヘルガを見殺しにしていたはずだった。力を託してくれた者達に感謝するしかない。自分一人では、決して出来なかった事だった。
「カズヤ……」
「それにな。俺は三年前に、右腕と右眼を失っている」
「どう言う事なの?」
蒼く震えそうなヘルガに、カズヤは安心させるように笑う。それが一層、ヘルガの顔色を蒼くさせている事に気が付かない。
「俺の右腕と右眼は、貰い物だ」
「あなたは、いつもボロボロですね」
温かく優しい声が、苦笑を帯びているように聞こえてきた。
振り返ったヘルガ達の前に、深緑のドレスを纏った美しい女性が立っている。いつの間に現れたのかと驚いて、目を見張ってしまった。
「ディア……悪い。せっかく癒してくれた腕を……」
「気にしなくても、いいですよ。あなたはそう言う人です」
苦笑がカズヤの顔に浮かぶ。
「で、情けない事にな。身体が動かない……」
「人の限界を超えて、それ以上の事をしたからですよ」
ディアは滑るようにカズヤに近づくと、優しく抱きしめていた。
「ほどほどにしないと、身体が崩壊しますよ」
膝が崩れたカズヤを、ディア地面に横たえると頭を膝の上において、溜め息らしいものをついてしまう。
「無駄、でしたね」
「ああ……」
「そうであるから、あなたはボロボロになりながらも、私を救えたのでしたね」
「何者だ?」
立ち直ったカズミが尋ねていた。
顔を上げてカズミを見ると、ディアは微笑を浮かべて言う。
「私の名は、あなたがたには発音ができないでしょうから、カズヤが呼ぶ『ディア』と呼んで下さい」
「悪い、ディア。少し休んでいいか?」
瞳を閉じたカズヤの呟きは小さかった。
「あなたには休息が必要です。安心してお休みなさい、カズヤ」
ディアは、カズヤの髪を優しく撫ぜている。
「どういう知り合いなの?」
カズヤの様子を見るため片膝をついたヘルガは、デイアに視線を向けていた。深緑の瞳を持つ不思議な女性、若いのか年を経ているのか判断が付けられなかった。
「安心しなさい。カズヤは死にませんよ」
「…………」
図星をつかれて固まったヘルガの代わりに、カズミが尋ねていた。
「なぜ、そう言える。カズヤには、治癒術技がまったく効果がない。術技で癒せる怪我も、カズヤには効果が……」
「そうですね。カズヤは、あなた方の言う魔力の影響は受けない人です。不思議な事に。ですがカズヤは、大地の加護を受けた唯一人の人。大地がカズヤを癒しますよ」
微笑みながら言うディアに、カズミ達は首を傾げてしまう。意味が理解できなかったのである。
「本当に無茶をする人ですね……だから、あなたは風に乗る事も出来たのです……」
優しい風が、カズヤの頬を撫ぜて行く。
「何者だ。あなたは……」
真っ直ぐディアを見たカズミに瞳は鋭くなっていた。そればかりか、ヘルガやハヤトまで険のある眼差しになっている。
「私はカズヤに救われました。そう言いましたよ」
「いつだ?」
慈しむような眼差しで、ディアはカズヤに視線を落としていた。
「人の年にして三年ほど前になります。それまで私は、長い時を囚われていました」
この言葉に驚いたのは、タケシとサツキである。
「まさか……」
「三年前、ボロボロになってまで魔獣と戦ったのは、あなたを救うためだったのか」
「そうです。今以上ボロボロになりました」
優しくカズヤの髪を撫ぜていたディアは、ヘルガやカズミに視線を戻した。
「逃げて、と何度言っても聞いてくれませんでした」
思い出したのか、ディアの顔は悲しそうである。
「そればかりか、片腕と片眼を失っても、戦う事を止めませんでした。私を解放するために。ただそれだけのために……」
「あなたのために、カズヤは右腕と右眼を……」
なぜかヘルガは、唇を噛み締めていた。
ええ、と頷いたディアは微笑む。
「カズヤは、強い人ですね」
「そうじゃない」
眼を開けてカズヤは、上体を起こして立ち上がる。つられるように、ディアやヘルガ達も立ち上がっていた。
そして固まる。
カズヤの消失していた右腕が再生していた。そればかりか、消し炭のようだった右上半身も癒されている。
「ディアを解放しないと、逃げられなかったからだ」
「それをやり通したのは?」
笑うディアは、なぜか嬉しそうだった。
「だが結局、ディアに救われた。あのままだったら俺は、確実に死んでいた。今も俺を救ってくれた」
「あなたが救うに値する人だからですよ。そうでなければ、私は何もしませんでした。あなた自身が、その行動と言葉で私を動かしたのです」
「俺は、そんなに価値のある人間じゃない」
「もう、遅いですよ。私はあなたを祝福しましたから」
くすくすとディアは笑う。
「忘れましたか?」
ディアを見るカズヤは、いいやと首を振っていた。
「あなたが願えば、大地は力になります」
言葉と共にディアの姿は、大気に溶けるように消える。
忘れたわけでないと、カズヤの顔に苦笑が浮かんでいた。そのカズヤの胸倉をカズミがつかみ上げる。
「何が、どう言う事か、説明しろ」
「説明と言われても……」
「ディアは何者だ? おまえの身体を癒し、右腕まで再生させたのはなんだ?」
「ちょ、ちょっと待て」
「何を待つ?」
剣呑ならない瞳が見返してきた。周りのハヤトやヘルガ達までが、同じような瞳でカズヤを見ている。
学院長までもが、説明を求めるような顔であった。
諸手を挙げる前にカズヤは、ヘルガを呼んで近くに越させている。
右手をヘルガの額にあててカズヤは、言葉を紡ぎ始めた。
「世界に連なる母なる大地……」
術士達は、魔力とは違う不思議な力が集まるのを感じる。
「世界を渡る風……」
柔らかな風が流れてきた。
「俺は願う……」
不思議な力は混ざり、ヘルガを包み込む。
「この者に掛けられし、偽りの枷を外せ」
「あっ……」
「わかったか?」
「ええ。ありがとう、カズヤ」
ヘルガは微笑むと、カズミの腕をカズヤの胸倉から外していた。手を離す気などなかったカズミは驚いてしまう。なぜ、離したのかわからなかった。
カズヤとヘルガの二人は、呪縛されたままの間宮に近づいて行く。
「あんたの浅はかな考えで、ヘルガを利用するな。俺とヘルガは、あんたが思っている以上の事をやらなくてはならない」
間宮は憎しみを帯びた瞳で、カズヤとヘルガを見ているだけで何も言わなかった。
「俺達に課せられているのは、命が尽きるまで誰かを救い続ける事だ。義務や責任感じゃない。俺達はそうする事でしか、あの人に答えられないと知っているからだ」
「おためごかしを……」
せせら笑って間宮は、再び言う。
「ヘルガ・オルディス。コマンド実行『バニッシュ』全てを消してしまえ」
「無駄よ。私にかけられた枷は、全て外れたわ」
静にヘルガは、間宮に近づいた。
「私が望んだ事ではなかったけど、私は数十万という人の命を奪った。その事実は、幼い私の心を壊しかけた。でも私に知識を託し、私を生かした人がいる」
少し顔を伏せたヘルガだったが、すぐに顔を上げている。
「思い出すのが遅くなったけど。私は、もう二度と逃げない」
「俺はあんたに感謝している。騎士学院に入る事が出来ない俺を、あんたは推薦で入れてくれた。どんな目的だったにせよ、俺に道を作ってくれたからな」
「勝手に死ね。罪深き者どもめ」