第20話 候補生の長い一日4
静まり返った本陣の中で『爆縮』を詠唱した術士、仮面を付け鍔の広い帽子を被った術士を誰もがぽかんと見ている。長いコート身に纏っていたが、その上からでも、体型がわかり女性だと見て取れた。
本陣に戻ったカズヤは、仮面の術士を見て足を止める。少し遅れてカズミ達も戻ってきたが、仮面の術士を見て足を止めていた。
隣に立つ間宮は、カズヤを認めて驚いた顔で言った。
「まだ、生きていたのか。結城カズヤ」
まるで生きている事が、信じられないような物言いである。
聞き捨てならなかったカズミが、剣呑ならない瞳で間宮に近づいていた。
「どう言う事だ」
「どうもこうもない。身体強化を使えない結城カズヤが、この戦闘で生き残る事が信じられなかっただけだ。死んでなかったとは、いったいどんな魔法を使った?」
「カズヤの実力だ。カズヤは……」
「やめろ!」
静止の声が聞えて来る。
振り返ったカズミは、カズヤが仮面の術士の肩を揺さぶっているのが見えた。
「魔獣はもういない! だから、もういい!」
カズヤの言葉に、仮面の術士の詠唱が止まる。
「続けろ! 森林に隠れている魔獣も消し去れ!」
間宮が叫ぶと、仮面の術士は再び詠唱を始めた。その機械的な詠唱と、肩をつかまれているのに反応しない姿に、サヤカは背筋が凍る思いがして、ハヤトの腕をつかんでいる。
「変よ、あれ。まるで人形のようだわ」
仮面の術士の異様さは、ハヤトも感じていた。だから、何も言えずに見ているだけなのだ。アキラとメグミさえもが、ただ見ている事しかできない。
「ふざけるな!」
叫んだカズヤが、間宮を振り返っていた。
「こいつに何をした!」
「何を言っているのか、わからないが?」
首を振る間宮に、カズヤは詰め寄っている。
「結城カズヤ。良く生き残ったな。とっくに死んだと思っていたが……」
薄く笑みを浮かべる間宮に、カズヤを初めカズミやハヤトも、おかしなものを感じてしまう。
「生き残るとは、不憫な奴だ」
「どう言う事だ?」
「まったく、なぜ生きている?」
本気で不思議そうな間宮だった。
「なにを、言っている?」
「苦しんで、ボロボロになって、死ぬ事がおまえの運命なのに。まだ足りないとは驚いたな。まあいい、もっと苦しんで死ね」
「間宮!」
瞬間、カズミが拳を振るっている。剣士であるはずの間宮が、避ける事も出来ずに殴り飛ばされていた。追撃に動くカズミは、ハヤトに羽交い絞めで止められ、前からサヤカに押し止められる。
「きさまぁ! どういう了見だ!」
「そいつは、苦しんで苦しみ抜いて死ぬのさ」
地面に腰を落としたまま言う間宮に、カズミの全身に力が入った。
「ふっ、ふざけるな!」
「カズミさん。落ち着いて!」
必死に止めようとするハヤトとサヤカは、全力を出さなければならないほど、全身に力が入っている。
「そいつも……」
仮面の術士を間宮が見た。
「喉を潰そうが命を削ろうが、人形らしく使い捨てればいい……」
ゆらりと立ち上がった間宮は、薄い笑みを顔に貼り付けたままである。
「俺の妻と子は、そいつに殺された」
仮面の術士を見て言うと、今度はカズヤを見ていた。
「俺の妻と子は死んだのに、おまえは生きている……不公平だ」
「何を……言っている?」
戸惑いがカズミを止めた。ハヤトやサヤカでさえも同じ事を思ってしまう。
「思い出せ! 俺やおまえに、託されたものを! あの人が託したものを!」
カズヤは、自分の力の無さを口惜しく思っていた。
仮面の術士の詠唱が再び止まる。
口から出ているのは、嗚咽ともとれる呟きだった。
「逃げるな、ヘルガ!」
「あぁ……ああぁ……なあぁ……」
「ヘルガ、だって?」
ハヤトとサヤカが、仮面の術士を見てしまう。なぜここに、それも仮面などを付けているのか不思議に思った。いや、なぜ、カズヤだけが気が付いたのかわからない。
「俺とおまえがやらない事は、こんな事ではない。おまえがやるべき事は何だ! おまえが賭けるべき事は何だ!」
「わ……わた……」
「答えろ! ヘルガ・オルディス!」
ギリッとカズヤは奥歯を噛み締める。遅れた事が、ヘルガにこんな事をさせていると思っていた。
「俺達は!」
カズヤの声は、ヘルガの心に光を灯す。光の中に見えるのは、微笑む女性と、小さなカズヤだった。考える事が出来なかったヘルガが思考する。自分が何なのかを意識していた。
(違う……私がやらなくてならないのは……)
託されたものは二つと思い出す。
一つはセージクラスの知識。
もう一つは……目の前にあった。
「カズヤ!」
仮面の術士が叫んでいた。同時に仮面が剥がれ落ち、涙に濡れるヘルガの顔が現れる。
「私……」
「言わなくていい。俺とおまえは死ぬ事も、逃げる事も許されない」
瞬間、カズヤは振り返って長剣を受け止めていた。
「死ねよ」
薄笑いを浮かべた間宮が、ヘルガに向けて打ちかかっていたのである。長剣を引くよりも早く、ヘルガの長杖が間宮に突き入れられていた。
飛び下がって突きを避けると、すぐに間合を詰めてくる。その間にカズヤが、ヘルガの前に出ていた。
「間宮! 止めろ!」
カズミの静止を無視した間宮は、巧みな剣技でカズヤを翻弄するはずが、ことごとくをカズヤは受け止め、あるいは受け流して一歩も退かない。そればかりか、間宮を押し返し始めていた。
カズミ達が止めようにも、割って入り込む余地がなく、二人の剣戟を見ているだけしか出来ない。
剣戟を繰り返しながら、徐々に離れて行くカズヤと間宮を見ながらヘルガは、詠唱を始めた。
「ヘルガ!」
ギョッとしたカズミが、制止の声を上げる。
接近していたカズヤが間宮から間合を取ると、時をおかずに『雷』が間宮の眼の前に降って来た。足を止めた間宮に、カズヤが長杖を回して薙ぎ払う。手応えを感じなかったカズヤは、踵を返していた。
間宮がヘルガへ向かっていると、わかったのである。時間にして二拍以上の差は、取り返せないはずだった。
迫り来る間宮の長剣を前にしても、ヘルガは詠唱を止めなかった。
術技が発動するよりも、間宮の長剣がヘルガの身体を捕らえる事が、早いと誰が見てもわかっていた。
ハヤトやカズミが反射的に動いているが、それすら一歩間に合わない。
間宮の長剣がヘルガを捉えた瞬間、黒い影が入り込んで、長杖が下から跳ね上がってきた。
同時に、ヘルガの術技『呪縛』が発動する。
「ガァ……」
「私達の勝ちだ」
間宮が時を止めたように凍りついた。唯一動かせた目で、その影を愕然としたように見てしまう。
「なぜ、おまえが……」
「人が風に乗れば、このぐらいの芸当はできる」
「ばかな……」
間宮の思いはカズミ達も同じだった。
間に合うはずも無い距離を、瞬間的に詰める事など、身体強化を使っても不可能な事であり、また出来る事でもない。
「バカな事ではない」
ヘルガは微笑んでいた。
カズヤは必要なときには、間に合うはずのない距離を、間に合わせる神速の持ち主だと知っているから言える。
「カズヤは、あの人が『セイバー』と呼んだ人。だから、不思議な事ではないわ」
「間宮。あんたが六年前の被害者の一人なら、俺達の邪魔をするな」
静にカズヤは言った。
「そいつは、何万もの命を奪った。償う事もせず……」
固まったまま、間宮はニヤリと笑う。
「ヘルガ・オルディス。コマンド実行『バニッシュ』全てを消してしまえ」
「なに?」
疑問に思うよりも早く、ヘルガの詠唱が始まった。
「ヘルガ!」
振り返ったカズヤは、目を見開いたまま詠唱するヘルガを見てしまう。
「全てを消せばいい。おまえ自身も消し飛んでしまえ!」
笑みを張りつけたまま間宮は、勝ち誇ったように叫んでいた。
「暗示か!」
カズミが舌打ちする。
「止められないの?」
「無理だろう。自動的に詠唱するように暗示が掛かっていては……」
「『バニッシュ』なんて術技……あったかな?」
首を傾げるサヤカに、カズミは首を振っていた。
「私も知らないな」
「くっ、くっ、くっ。サカツキを消した術技だ。術士を殺さない限り止らない」
その言葉で動いたのは、そばにいた教官の一人だった。
いきなり抜刀してヘルガに打ちかかっている。それを止めたのは、またしてもカズヤの長杖であった。
「結城!」
「だめだ。ヘルガを殺しても意味はない!」
叫ぶカズヤの向こう側で他の教官が動きかけた時に、カズヤがヘルガを護るように周りに目を配った時に、カズミは腹を括る。長杖を回してヘルガの背を護るように動いていた。
「白川!」
教官達が足を止める。
「白川君、何をするつもりだね」
学院長が近づいて尋ねていた。
「動くなよ。私の速さは、知っているだろう」
「白川君。ヘルガ・オルディスには済まないが、このままでは全員が死ぬ。君も知っているはずだ。サカツキの事を」
「だから、ヘルガを見捨てるのか」
教官の長剣をはじき返したカズヤが、学院長を見て尋ねる。
「我々だけではない。ここで術技が発動すれば、多くの者が死ぬ事になる。『騎士』ならば、容認できるものではない」
「させるか。全てを救う!」
カズヤが吼えた。