第17話 候補生の長い一日
本日エピローグまで連続投稿します。
荒れ地を見下ろす丘の上に、学院の候補生達は整然と並んでいる。
荒れ地の先は森林になっており、敵―魔獣の姿はまだ見えてはいなかった。
中央に三期生、左翼に二期生、右翼に一期生、後方に本陣を置いている。本陣に残るのは、学院長と三期生のSOクラスと二期生のSOクラスで、全体の指揮を伝えるためにいる。教官達も各クラスの指揮官として、候補生達と一緒に戦線に出る事になっていた。
そして、中央の三期生と本陣の間に、ハヤト達SOクラスの七人はいた。
「待たせたな」
カズミが七人の元に近づいて来る。
「SOクラスを担当しろとさ」
「教官が、ですか?」
救護室の担当教官であるカズミが、戦線に出る事を不思議に思っていた。
「私も例外組だからだろ」
ニカッと笑うカズミは、気にはしていないようである。
「状況を伝える」
ハヤト達の顔が引き締まった。
「学院の候補生は現地点で魔獣を迎撃、殲滅する。魔獣の数は不明だが、気を抜かずに対処するように」
吐息らしきものをカズミはついている。
「まあ、どんなに多くの魔獣が来たとしても、殲滅しろと言う事だ」
「主力は三期生ですか?」
「実戦にある程度慣れているのは、三期生だからな。一期生は実戦訓練が始まったばかりで、集団戦は初めてだから不安がないとは言えない」
「それで大丈夫なのですか?」
「無理だろうな……」
相当数の被害が出る事が、わかっている声だった。
訓練とは違い、魔獣を倒してしまわない限り、終わりと言う事はないのが実戦である。そのうえ実戦だからこそ、何が起こるかわからない事もあった。上手く対処するには、一期生や二期生には経験が不足していると言える。
三期生のように、実戦慣れしていても、ほんの少しのミスで命を落とす事があった。一期生だけではなく、学院の候補生達にとっても厳しい戦いになる。
それが実戦だった。
「おまえ達には、伝えておく」
笑みを消した顔でカズミは告げる。
「援軍は来ない。現時点では、どこの地区も同じような状況下にあり、どこも援軍を出す余裕がない」
「まさか……」
各地区にいる騎士は、魔獣の討伐や調査をしているが、魔獣が増大した時など、その地区では対応しきれない場合に、援軍として各地区に派遣される。騎士の育成に時間をかけるのも、即戦力に繋げるためだった。
「本学院だけではない。他の地区でも候補生が借り出されている。まさに、総力戦と言える事態だ」
「各地でも同じ事が、起きているのか……」
呻くようなハヤトに、カズミは頷いている。サヤカやアキラ達でさえ、目を見張ってしまっていた。
「こんな事は、今まで無かった事だ。確実なのは、ここを抜かれると数十万の命が無くなると言う事だ。学院は候補生全てを失っても、魔獣を殲滅しなければならない」
「俺達に死ねと……」
顔を上げてハヤトは、カズミを睨む。
「そうだ。騎士を目指した時より覚悟はしているはず。ここで逃げれば、騎士を名乗る資格はない」
答えられなかった。
覚悟はしていたはずなのに、それはまだ先の事と思っていたのである。
いきなり現実を突きつけられても、納得も覚悟も出来るものでもなかった。それは、ここにいる全ての候補生達が、同じ事を思っているだろう。
「あえておまえ達に告げたのは、戦線が崩れた時に、立て直すための時間を稼いでもらいたいのだ」
「崩れる……」
「人は脆い。初めは実戦の興奮からいいかも知れないが、戦闘が長引けば、死傷者が増えれば援軍をとなる。その時、援軍が来ないとわかれば、恐怖が、見捨てられたと言う思いが、戦意を無くさせる」
カズミは全員の顔を見る。
「覚悟を決めろ。私もおまえ達と一緒に出る」
割り切れるものではないと、カズミは思っていた。
はいそうですか、覚悟を決めます。そう言える者などいない事は知っている。
それでも、今ここで決めなければならなかった。自分達の後ろには、数十万の戦えない人達がいる。退く事は、その命を失うと言う事である。騎士を目指す者なら、退く訳にはいかな事は理解しているはずだった。
「俺達に出来ると、思いますか」
不安を隠しきれないハヤトに、カズミは不敵に笑っていた。
「出来なければ、伝えていない」
そして、カズミはカズヤを見る。
「おまえのペアは、私がやる」
「教官が、なぜ?」
「おまえ達と出ると言ったはずだ。ああ、カズミでいい。光栄に思え、私の名を呼べる剣士は、今まで誰もいなかったからな」
いつもの、ニカッとした笑みを浮かべていた。
「それから、カズヤ。『アカツキの涙』は?」
「使います。実戦なら遠慮する必要はありませんから。それに俺は、まだ倒れるわけには行きません」
カズヤの答えを聞いたハヤトとサヤカが、眼を見張ってしまう。
なぜ『アカツキの涙』の名が出てくるのかわからなかった。
「ハヤト、サヤカ……」
眼を見張ったままの二人にカズミは言う。
「アキエの弟と妹分なら、乗り越えて見せろ」
「!」
声を出せない二人だった。
「やれやれ、忘れられていたとな……」
苦笑しているカズミである。
「まあ、おまえ達に会った頃は、まだ髪は短かったし、術士でなく剣士だったからな」
イメージが変わったぐらいで、わからなくなるとは情け無いな、とでも言うような顔で二人を見ているカズミである。
一方、不安を隠せないのは、右翼の一期生達であった。実戦は経験したとはいえ、まだ数回程度である。不安にならない方がおかしいと言えた。
緊張と不安から口数が少なくなる者や、饒舌になっている者もいる。全員が何かしらの方法で、不安と緊張感を紛らわそうとしていた。
「タケシ……」
「まいった。こんなにも落ち着かないとは……」
息を吐く、その度に心臓が早鐘のように鼓動している。自分が緊張していると、タケシは理解していた。そればかりか、手まで震えがおきている。
「見ろよ……」
サツキに自分の手を見せて、ぎこちない笑みを浮かべていた。
「あいつに、偉そうに言っていたのに……このザマだ」
「あたしも……」
サツキも手を持ち上げると、タケシと同じように震えている。
「怖くないと言えば嘘だ……恐ろしくて……鍛錬と同じようにすればと言うが……」
「しゅ……集団戦は、初めてだもんね……」
タケシの震える手が、サツキの震える手を取った。軽く力を込めて握ると、少し落ち着いてくる。騎士に憧れ強くなりたくて、ずーと一緒に鍛錬をしてきた。励ましあい、時には反発もしたが、常に横にいてくれたのである。
だが、現実は怖さが先にあった。憧れだけではどうにもならなく、サツキの手を取ったのだとわかってしまう。誰かにすがりたくなる弱さを、タケシは認めてしまった。
「そうか……俺は……」
不安そうで震えるサツキを、死なせるわけにはいかないと強く思い、何が何でも護る。その思いが強くなればなるほど、タケシの震えは治まって行った。だから気が付いたのかも知れない。自分に足りなかったものを。
「覚悟が、出来ていなかったのか……」
カズヤが諦めなかった理由。
思いだけでは何もならない。必要なのは覚悟だった。
カズヤはすでに覚悟を決めていたからこそ、ああだったのだ。
「あいつに、教えられるとは……な」
タケシの顔付きが、静かな落ち着いた顔に変わっていた。
「サツキ……」
顔を上げてくるサツキの瞳は、落ち着いていない。揺れる瞳と緊張した顔だった。タケシがサツキの手を両手で取る。
「サツキ、結婚しよう」
「はぁ?」
ぽかんとサツキが目を丸くした。そして、瞬間的に顔を朱に染め、慌てたように口を開く。
「なっ、なに言ってんの!」
その慌てようは、今までに見た事もなく、それが可笑しくてタケシは、楽しそうに声を上げて笑っていた。
「なっ、なに笑ってんのよ!」
顔を赤くしたまま、サツキが叫んでいる。
「サツキ、騎士に向かないのは、俺に方だった」
「なっ、なに?」
話が変わった事に戸惑うサツキに、タケシは晴れ晴れとした笑顔を向けていた。
「カズヤに遅れを取る訳にはいかない。俺は騎士だ」
「タケシ、何の事?」
「ん? たいした事じゃない。サツキは何も気にせずに、術技を放てばいい」
「でっ、出来る訳ないじゃない!」
「俺の動きに合わせて術技を放つ、いつもやっている事だ。簡単だろ?」
タケシは、笑みさえ浮かべている。
「いつもの事ができないのが、実戦でしょう」
「おまえなら大丈夫。簡単に出来る」
「あっさりと、言ってくれるわね……」
少し唸るように言いながら、サツキはタケシを見ていた。震えが治まっている事に、サツキは気がついていない。
(今は、これでいい……)
震えなければサツキは誰よりも頼りになり、いざとなればあっさりと、覚悟を決めてしまうだけの強さを持っている事を知っていた。
特にサツキが腹を括った時の強さは、並外れて強くなる事をタケシは知っている。
が、一期生の中でタケシ達のように、落ち着きを取り戻したのは少数だった。大半以上の者が、緊張して思いつめたような顔だったのである。
一番落ち着いていたのは、やはり三期生だった。実戦訓練といっても、ほとんど実戦とし言えない訓練の経験が、嫌というほどあった。場数を踏んでいる分、落ち着いていると言ってもよかった。
候補生達が陣形を組み上げてから、しばらくすると地響きと共に、荒れ地の向こう側に魔獣が姿を現した。
候補生達にとって幸運だったのは、荒れ地の向こう側が森林であった事である。
実質的な大軍を目の当たりにせず、士気を落とさずにすんだ。一面を埋め尽くす大軍を目にすれば、戦う以前に士気が落ちていたはずである。
先行するのは、二足歩行で腕が若干長めの『小鬼―ゴブリン―』と呼ばれる魔獣だった。飛ぶように駆ける姿と、手に持つ短剣がいやおうなく敏捷性が高いと主張している。
ゴブリン達が荒れ地の中ほどに到達した時、そこかしこで爆炎が連続で湧き上がった。
事前に仕掛けた爆薬を爆破したのである。相当数のゴブリン達が吹き飛ばされたが、魔獣の進軍は止まらなかった。屍や大穴を乗り越え、あるいは飛び越えて進んでくる。
戦線に到達する前、今度はゴブリン達の間で、小規模な爆炎が吹き荒れた。
術技『爆炎』である。
実戦慣れしていない一期生の負担を減らすため、数を減らした所で戦闘。つまり、接近戦に移る手はずだった。それは功を制しているはずなのは、見ていてわかっているにかかわらず、魔獣は途切れたようには見えなかった。
初めに戦闘に入ったのは、主力の三期生である。
術技の支援を受けた剣士達が、ゴブリン達と切り結んで足止めをしている間に、術士が更なる術技を発動させていた。
次に戦闘になったのは二期生である。さらに一拍遅れで、一期生が戦闘に入っていた。
「無理をするな!」
「一対一ではなく、二対一、三対一であたれ!」
「剣士同士、術士同士でフォローしろ!」
「負傷者は、一旦下がって!」
一期生達は戦闘経験の無さを、全員でフォローする事で無くそうとしていた。その中心はタケシ達SAのペアである。
一進一退の攻防の均衡が崩れてきたのは、三期生と二期生、一期生の戦闘力の差からだった。経験の無さが出てしまったのである。
初めは戦線が横並びであったが、時間が経つにつれ三期生が、突出するように戦線が押し上げられていた。その変化に気がついたのは、後方で待機を命じられていたハヤト達である。
遊軍として待機して戦線に向かわなかったため、僅かな変化にも気がついた。変化が大きくなるにつれ、ハヤトの目が細められて行く。
「まずいな……」
呟いたのはカズミだった。
三期生の前進する速度に一期生がついていけずに、押し込まれて行く形になっている。このまま一期生が押し込まれると、三期生が包囲殲滅の憂き目に会い、各個撃破の機会を魔獣達に与える事になってしまう。
今はまだもっているが、それが時間の問題でしかないのは、カズミもハヤトもわかっていた。経験の無さをフォローするにも限界があった。
「一期生のフォローに向かう」
指示が来る前に、カズミは決断する。八人程度増えた所で、戦線を押し上げる事は不可能であるが、押し込まれた戦線を止める事は出来ると踏んでいた。
そのための遊軍である。
カズミ達が到着する前に戦線の一端が崩れ、乱戦に様変わりしていた。一度崩れた一期生は、組織だった戦闘ができずに押し込まれて行く。
乱戦の経験が無い一期生は混乱して、打ち倒される者まで出始めていた。ピンポイントで術技を発動させるほど、術技の精度が高くない事も不利になっていたのである。
さらに、戦場ではゴブリンだけでなく、『犬男―コボルト―』や『豚男―オーク―』と言った小型魔獣の上位種まで入り込んでいた。
ハヤト達剣士がコボルトやオークを切り捨て、前線に突き進んで行くと、カズミ達術士が、周りのオーク達に術技『雷』や『炎』で、剣士達の周りに近づけないようにする。
戦線の崩れに気がついた三期生の一部が、一期生の戦線に移動して僅かながら戦線の崩壊が止まった。さらに、本陣で待機していたSAクラスが、戦線に到着すると完全に崩壊が止まる。
「負傷者は下がれ!」
「孤立するな!」
「目の前の敵に集中しろ!」
詠唱の合間にカズミは、声を張り上げていた。同じような声が、三期生やSAクラスの剣士達からも上がってくる。
落ち着け、慌てるな、と声を上げても意味はないと知っていた。むしろ逆効果であるとわかっている。そんな事よりも、確実で的確な指示を出す方が動けるのだ。
ハヤトとサヤカの二人は、確実に一体一体打ち倒して行き、アキラとメグミの二人は、背中合わせで端から薙ぎ倒している。マヤとアヤの二人は、負傷者の回復と後退の手助けをしていた。例外組みが、それぞれのやり方で一期生のフォローに奔走する。
ただ一人、カズヤだけが違っていた。
足を止めない剣技を駆使して一合でオークを打ち倒し、乱戦の中を駆け抜けて最前線へと到達している。そこで足を止めずに、更にオーク達の中へ進んでいた。
カズヤは孤立するつもりも、死にたい訳でもない。自分の剣技なら、周りに味方がいない方が効果があると思っていた。そして、自分と同じように動ける相棒は……いない。
相棒を取り戻すためにも、退くわけには行かなかった。
オーク達の真ん中で戦うカズヤに、カズミは気がついたが、今この場を離れる訳にはいかなかった。崩壊の止まった戦線が、再び崩れる恐れがある。
「バカものが……」
ギリッとカズミは奥歯を噛み締めた。
「なに考えてやがる」
「死ぬ気」
アキラとメグミは唸っている。
「急ぐわ」
マヤとアヤは冷静に判断した。
身体強化を使えないカズヤが、敵陣で孤立する事は死を意味すると思っていたのである。
ハヤトとサヤカは、カズミ達と違って口元に笑みを浮かべていた。
「口先だけではない、か」
「死なせる訳にはいかないね」
「ああ。まだ、やる事もある」
ヘルガの事をハヤトは言っていたのである。この戦闘が終われば、カズヤはヘルガを捜しに行くとわかっていた。その時は、ハヤトもサヤカも一緒に行くつもりだった。姉が残した二人、なにがなんでも連れ戻さないとならない。
『ジンライ』を振るうカズヤは、身体の変化に気がついていた。
(軽い……)
思うように身体が軽く動く。これが『アカツキの涙』によるものだとわかっていた。そして、身体強化を使えると言うのは、こう言う事かと納得する。カズミが『アカツキの涙』を、自分に託してくれた事を感謝した。
(これなら……いける)
力が足りない事は十分承知しているが、それでもこの時ばかりは無茶をする事ができる。それがカズヤに笑みを浮かべさせていた。
戦闘の最中、カズヤはふいに気が付く。
術士が剣士を抱えて地面に座り込み、迫ってくるオークを見ている事に。
間に合う距離ではないとわかっていたが、手を伸ばせば救えるのなら、手を伸ばす事を諦めないと決めていた。
だから、カズヤの足は術士に向かっている。