第15話 急変
実戦訓練が終って数日。カズヤとヘルガの謹慎はまだ解けていなかった。
骨休めとのんびりする気が無い二人は、毎日闘技場へと足を運んで鍛錬をしていたのである。
「相変わらず、訳の分からない剣士ね。カズヤは」
控え場に戻ったヘルガは、呆れたようにカズヤを見ていた。
「ひどい言われようだ」
「事実よ。術技はよけるわ、瞬間的に眼の前にくるわ、動きは止まらないわ、おまけに退かずに前に出て来る」
一つ一つあげて、ヘルガは溜め息を付く。
「本当に身体強化が使えないのか、疑いたくなるわ」
「ここまで出来るようになったのは、おまえがいたからだ」
カズヤがこんな事を言うとは思っていなく、ヘルガは驚いてしまった。
「俺一人では、正直ここまで出来るようになれたとは思えない。おまえとの鍛錬が、俺の力を引き上げたんだろうな。礼を言うよ」
頭を下げるカズヤに、嬉しそうにヘルガは微笑む。
そして、固まった。
(私……前にも、こうして……カズヤに微笑んだ事が……)
ふと、ヘルガは自分の手を見る。
「……約束……」
「ん?」
「……何でもないわ」
なぜ約束などと呟いたのか、ヘルガには思い出せない。その事がもどかしく思えた。
「そうか。ところで、ヘルガ」
「なに?」
「一つ、思い付いた事があるが、試してみないか?」
にやりとカズヤは笑う。
「試すって?」
「剣士術技『身体強化』があるだろう。それの術士版」
「はい?」
きょとんとするヘルガに、カズヤは苦笑した。
「だから、術士の『身体強化』だ。剣士にあって、術士に無いのはおかしいだろ」
「剣士術技だから、術士の使う術式にはないのよ」
「そうだろうな。まっ、組み上げてみるから、試してみてくれ」
「組み上げる? カズヤが?」
「ああ」
「待って、カズヤは剣士よ。それなのに術技を?」
「組み上げるだけなら、剣士でも問題はない」
ぽかんとカズヤを見上げたヘルガは、言葉を続けられない。
そんな問題ではないと思った。
剣士も術技の座学を受けるが、それは術技の種類を知るためであり、発動のタイミングを理解するためで、決して術技を組み上げるためではない。
眼の前に組み上がって行く術式を、ヘルガは反射的に考えるよりも先に、読み解こうとしていた。
初めの一音から重ねて行く術式は、そんなに難しいものではなく、術士クラスの錬度なら簡単に読み解ける。
読み解いていくうちにヘルガは、首を傾げそうになった。
(私……知っている。この術式……でも……)
読み解く事はできたが、ヘルガは身体が震えそうになるのを感じる。
(なぜ……)
知っている事が怖く思えてしまう。
「どうだ?」
尋ねてくるカズヤに、どんな顔をすればいいのかわからなかった。震えそうな身体を押さえつけてカズヤを見る。
「出来るわ……効果もある。でも……」
「でも?」
「どうして、カズヤがこの術式を?」
「剣士術技の応用だ。術技の効果は自分ではわからないから、上手く行くのかどうか心配だったが、ヘルガが効果あるというのなら使えるな」
聞きたい答えではなかったヘルガは、首を振ってしまった。そして、口を開いたが、溜め息のような声が聞こえてきて、何も言わずに閉じてしまう。
「謹慎を受けているのに、ここにいるとはな」
振り返ったカズヤとヘルガは、腕を組んで呆れた顔をするハヤトと、笑っているサヤカを見つけてしまった。その後ろには、アキラとメグミ、マヤとアヤまでもがいる。SOクラス全員が集まっている。
「ハヤトさん」
「やれやれ、おまえ達もやはり例外組みか」
「そうでなければ、ここにはいないでしょう」
笑って言うサヤカだった。
「で、今面白い事をやっていたな」
「術士用の『身体強化』です」
「ほう?」
「使えるの?」
「なに、なに?」
サヤカとメグミが、前に出てきた。アヤも滑るように近づいている。
ヘルガへとカズヤは振り返った。
「効果はあるけど、試してないので、どのくらいかはわからないわ。とりあえず、詠唱するので読み解いてみて」
ヘルガの詠唱が始まりサヤカ達術士は、組み上がっていく術式を読み解く事に集中する。
「あ、そんなに難しい術式じゃないんだ」
読み解いた術式に対してサヤカは呟いた。横でメグミも頷いている。
「へー、剣士術技の応用てわけね」
「そうです。術士程度の錬度があれば、簡単に読み解けるもの」
カズヤが答えているうちに、ヘルガは闘技場の中に向かっていた。
「試してみるわ。カズヤ、相手して」
「わかった」
答えたカズヤが闘技場へと足を踏み入れた途端、眼の前にヘルガの長杖が降ってくる。
「うわ!」
思い切りカズヤは横に飛んでいた。起き上がるよりも早く、長杖の二撃目が襲ってくる。受ける余裕も無く、慌ててカズヤは身体を投げ出していた。
必死で避けるカズヤに、ヘルガは追撃の手を緩めない。
「ちょっと待て!」
「待つと鍛錬にはならないでしょう」
「体勢も整えるまで待て」
「あら? 戦闘は突然始まる事もあるわ」
その通りと納得するが、逃げるだけでせいい一杯になっていた。
「しぶといわ」
楽しそうに舌打ちするヘルガである。
「カズヤが押されてるな」
「結構使えるわね。この術技」
カズヤとヘルガの追いかけっこのような鍛錬を見て、ハヤトとサヤカは頷いていた。
「学院の術士達に、広めた方がいいな」
「これがあれば、術士も助かるわ」
「おーい、カズヤ。この術技の名は?」
尋ねられてもカズヤに答える余裕は無い。全身の感覚を総動員して、ヘルガの動きを先読みしなければ叩きのめされる。
「しかし、良く避けられるな。カズヤは」
感心したようなアキラに、楽しそうな笑みを浮かべたメグミが言った。
「アキラもやってみる?」
「いい! やんなくてもいい!」
反射的にアキラは叫んでいる。ただでさえ剣士並みの実力あるメグミが、この術技を使えばどうなるかなどわかっていた。
カズヤの二の舞は、ごめんである。
「えー、やろうよ」
「おまえ、そんなに俺を叩きのめしたいのか?」
「うん」
大きく頷かれたアキラの肩が思い切り落ちた。
くすくすと笑ったサヤカは、ハヤトを見上げる。
「やる?」
「いいや」
笑ってハヤトは首を振っていた。
その間にカズヤが、ふらふらになって控え場に戻ってくる。後ろからヘルガが笑いながら戻ってきた。
「面白いわ」
「…………」
答える声も無く、カズヤはヘルガを見ている。
「で、カズヤ。術技の名は?」
「鬼嫁……でも、なんでも」
「あ、ひどい」
サヤカは笑って言うが、ハヤトやアキラは納得していた。ヘルガのようすと、カズヤのようすを見れば頷けるというものである。
その後、ハヤトの提案で術技の名は『強化』になった。術士のための『強化』は、まず三期生に伝えられ、二期生、一期生へと伝えられる。発案者の名は伏せられ、カズヤとヘルガの名が表に出る事は無かった。
また、有効であると証明された『強化』は、学院長を通じて『騎士院』に報告されて各地へと普及して行ったのである。
実戦訓練も二回、三回と続けられて一期生達が、それなりに自信が付いた頃になっても、カズヤ達は身体強化を使わない鍛錬を続けていた。
「やっぱりカズヤは、おかしいわ」
鍛錬の合間、ヘルガは毎度お馴染みになったフレーズを口にする。
「どかがだ?」
「身体強化を使えないくせに、強くなっている」
「それのどこがおかしい? 強くなるために鍛錬をしているんだろ」
「限界はあるわ。何にでも」
「だから?」
「カズヤは限界をとっくに超えているわ。身体強化を使わないで、私とここまで張り合えるわけが無い。本当に術技が使えないのか、疑いたくなるわ」
「あ、それ。あたしも同感」
長丈を肩に担いだメグミが頷いていた。
「身体強化を使わないアキラを、圧倒するもんね。アキラだって弱い方じゃないのに」
「誰が弱いんだ?」
聞きとめたアキラが近づいて来る。
「アキラ」
「おい!」
「カズヤに、負けてるじゃない」
「うっ……それはだな。武器の違いだ」
一瞬つまったアキラだったが、すぐに口を開いていた。
「太刀と大剣は手数の違うからな。おまえも知ってるだろ」
「で、防戦一方になるわけ?」
「あー……」
笑ったままメグミはカズヤに言う。
「あたしとペアを組もうよ」
「だめ!」
「おい!」
反射的にヘルガとアキラが叫んでいた。
「アキラより面白いと思ったんだけどな」
「その通りだから、だめ」
ヘルガの言葉にカズヤは、どんな顔をすればいいのか困ってしまう。
「あのな。それもひどくないか?」
「全然。カズヤは私の剣士だから、私が言う分にはいいの」
「…………」
答えられないカズヤのすぐ傍で、くすくすと笑う声が聞こえてきた。サツキとアマネが、タケシを連れて立っている。
「カズヤ。遊ばれてるね」
「うん。結城くん、前とは変わったわ。冗談が通じるんだもの。ヘルガさんもね」
「どこが?」
聞き返すヘルガに、サツキとアマネは顔を見合わせてから微笑んだ。
「可愛くなったところかな」
「前は冷たい人だと思っていたけど、今は自然な感じ」
うんうんと頷いているにはサツキで、タケシは肩を竦めて何も言わない。
「結城くんも、鍛錬しか頭に無いって感じだったけど、良く笑うようになったわ」
「そうそう。って、アマネってば良く見てるね」
「それはね……」
とアマネはニッコリと笑った。
「私の想い人だから」
照れる事も無く、さらりと言うアマネにアキラが口笛を吹く。固まったのはカズヤとヘルガの二人だった。
ゆっくりとカズヤに近づくアマネに、息を吹き返したヘルガが割り込んでいる。
「カズヤは渡さない。カズヤは私と……」
ヘルガの目が見開かれていた。瞬間的にカズヤを振り返っている。
「すごい剣士になったら……あたしと……」
ヘルガが小指を立てて、カズヤに差し出していた。
「約束……極東では……」
「なに?」
「私……私……」
小さなカズヤと交わした約束。
記憶が蘇ってきた。
大きな男の人が何か言っている。言葉は聞こえないが、口元に浮かぶ笑みが不快だった。
光の中で年上のお姉さんと、少し年上の男の子がいる。
男の子は頭から血を流して……不安そうにお姉さんを見ていた。
お姉さんは安心するように『大丈夫』と微笑んで……。
ヘルガの瞳がカズヤの額に向けられ、血を流す男の子の顔と重なった。
「……あああ……私……が……違う……」
身体が震え始め、視界が歪んでいく。
「のぞん……ない……私……」
「ヘルガ?」
異変に気が付いたカズヤが、ヘルガに手を伸ばした。肩に触れて揺さぶったが、ヘルガは何も見ていないようである。
「どうした?」
ハヤト達が集まってきた。
「わからない。ヘルガが……」
カズヤの両手からヘルガが抜け落ち、地面に膝を着くと、両腕で自分の身体を抱きしめていた。
(私が……起こした……私が……)
思い出すのは、自分がしてしまった事である。
それは恐怖でしかなかった。自分の意思ではなかったにせよ、事実は変わらない。心が軋むように身体の震えが大きくなっていた。
「ヘルガ!」
カズヤの声が遠くに聞こえる。歪む視界でヘルガはカズヤの姿を求めて顔を上げた。
涙を流すヘルガの姿に、カズヤは見覚えがあると感じた。
(前に……同じ事が……あれは……)
銀の髪にヘイゼルの瞳、銀の髪は昔から長かった事をカズヤは思い出す。サカツキを消した術技を放った女の子。
だが、その前に約束した。すごい剣士になって、ペアを組む術士を女の子に頼むと。
(ヘルガ……だったのか……)
あの人が作った障壁の中で泣いていた女の子。自分と同じようにあの人から、託されたはずの女の子である。
(俺は……ヘルガを……)
思い出した。あの時の前後の記憶はあやふやだったが、その全てを思い出す。
「カ……ズ……ヤ……」
突然、術式が組み上げられた。
詠唱も無く組み上がっていく術技に、全員が驚いて眼を見張ってしまう。
ヘルガの腕が、カズヤに向かって差し出された。
「私……」
反射的に手を差し伸べたカズヤの前で、術技が発動してヘルガの姿が掻き消える。差し伸べた手は、空をつかんでいた。
「移送……なぜ?」
「なにが?」
突然消えたヘルガに、周りがざわめき始める。
「黙れ!」
カズヤが叫んでいた。
片手を伸ばしたまま、ヘルガの消えた辺りを真剣に見つめ、顔つきがまでが険しくなっている。
(全てをかけても……俺はヘルガを……)
「カズヤ?」
答えないカズヤの指先が、何かをなぞるように動いていた。
「サヤカ、カズヤは何を?」
「あと」
短く答えたサヤカも、カズヤの指先辺りを凝視している。そればかりかメグミとアヤ、サツキとアマネまでが、サヤカと同じようにカズヤを見ていた。
「……距離……違う……イメージか」
カズヤの呟きか聞こえてくるが、ハヤトには何の事かわからなかった。
「ハヤトさん、何が起こってるんです?」
戸惑うようなアキラに、ハヤトは首を振っていた。
「……消えるな……もう少し……チッ」
舌打ちとともに、カズヤが拳を握りこんでいる。そして、ゆっくりと振り返ると、サヤカに尋ねていた。
「どこまで読めた?」
「イメージで跳んだようね……」
「そっちは?」
メグミとアヤにもカズヤは尋ねている。二人は同時に首を振って、読めなかったと伝えてきた。サツキとアマネも同じように首を振っている。
「ヘルガは術技を使って、跳んだ事はわかるが、何をしていたんだ?」
ハヤトの問いかけを、サヤカは片手を上げて止めた。術技を読み解く事のできるカズヤに尋ねたい事は多いが、その事を尋ねる前にやる事がある。
「詳しい事は聞かない。カズヤはどこまで読めたの?」
「サヤカさんと同じ。イメージで跳んだとかしか……」
「どんな、イメージだった?」
「光、荒野、そして女の人……」
ヘルガのイメージの中の『女の人』は、サヤカの良く知る人で、憧れとともに目指した姉のような人だった。
「私も同じ。どこかわかる?」
「……ヘルガの一番強烈な記憶だろう……」
カズヤは奥歯を噛み締め、唸るような声になっている。その場所は、カズヤにとっても忘れる事の出来ない場所だった。
今の今まで気が付かなかった事に、思い出せなかった事に、後悔よりも情けなさを思い知らされる。
「特定できているんでしょ」
「ああ……」
「サヤカ! 何の話だ」
焦れたようなハヤトを、サヤカは再び片手を上げて止めていた。
確認しなければならない事がある。姉のように思っていた人が救った男なら、きっと答えてくれると思いたかった。
だから、サヤカは真っ直ぐカズヤだけを見て尋ねる。
「どうする。結城カズヤ」
「行く」
「なぜ?」
「俺に救いを求めて手を差し出した……」
カズヤは右手を見て、拳を握るとサヤカを真っ直ぐに見た。
「俺は、つかみ損ねた」
それだけ聞けば十分である。
サヤカの心は決まっていた。思った通りの男で良かったと、そう思える事が嬉しく、それでこそ手を貸すかいがあると言うものである。
「うん、なら……」
サヤカはハヤトを振り返った。
「一緒に……」
「わかった」
来てという前に、ハヤトは頷いている。話が見えなくても即答するハヤトに、さすがは私の剣士とサヤカは微笑んでいた。
「跳べる?」
聞いたのはカズヤにである。
「最後が読み解けなかった。不完全な組み上げになる」
さらりと答えたカズヤに、誰もがぽかんとなった。
読み解ければ跳べると言っているのだと、気が付いてしまう。剣士であるカズヤに出来る事ではないはずだった。
「そう……じゃ、足が要るわね」
頷いたサヤカは、再びハヤトを振り返る。
「出せる?」
「まかせろ」
請合うハヤトにサヤカは微笑むと、カズヤに顔を戻した。
「ナイトクラスの剣士と、ソーサリークラスの術士が同行するわ」
「なぜだ?」
尋ねてしまうカズヤは、戸惑っている。ヘルガの事は自分が負う事だと思っていた。
「私達もヘルガとは、いえ違うわ。カズヤとヘルガとは無関係ではないわ。私とハヤトは、二人を手助けしないといけない」
「なんだ、それは?」
「知らなくていい。私とハヤトの事情だから」
「ちょっと待てよ」
話の流れに不穏を感じたタケシが割って入ってくる。
「いったい……」
《全候補生に告ぐ。コード『D―1』発令。候補生は、各担当教官の指揮に従って出撃準備せよ。繰り返す。コード『D―1』発令。候補生は、各担当教官の指揮に―――》
突然流れる放送に全員が戸惑い、お互いの顔を見合わせていた。
コード『D―1』は、騎士だけでは手が足りなくなった魔獣討伐に、候補生を戦力として投入する総力戦を意味する符号である。
学院に所属する剣士である限り、逃げる事はできなかった。
そして、コード『D―1』は、今まで一度も発令された事はない。
「こんな時に……」
唇を噛み締めるサヤカの肩に、ハヤトが手を乗せていた。そして、硬い顔のままカズヤを見る。
「ヘルガの事は、あとだ」
「…………」
答えらないカズヤは、奥歯を噛み締める事しかできなかった。候補生であるがため、発令された意味は十分に理解している。ましてカズヤは手を差し伸べる事に、救う事に命を懸けると公言していた。