第11話 カズヤとヘルガ2
カズヤとヘルガの模擬戦から一夜明けた教練室は、重苦しい沈黙が支配していた。
結局、昨日は鍛錬にはならないと判断したハヤトが、全員を帰らせたのである。あのまま続けても、何の意味もないとわかっていた。
憮然とした顔のカズヤと、肩を落としてうな垂れるヘルガ。反対側には怒りを隠そうとしないアキラとメグミが座っている。マヤとアヤの二人は、表情を消した顔でカズヤとヘルガを見ている。
溜め息を付いたハヤトは全員の顔を見て、再び溜め息を付いていた。
「ヘルガ・オルディス……」
ヘルガの顔が上がってハヤトを見る。
「六年前、欧州から極東へ渡ってきたが、初めの二年間は記録が無い。あるのは、ここ四年分で、その四年間にセージクラスの実力があると認められた。だだ、年齢的に若く未熟であるがため、資格は与えられていない。精神的、肉体的な未熟さを鍛錬させるために、本学院に編入する事になった……と」
ヘルガの顔が戸惑うようになった。
「まあ、いままでのヘルガを見たら、なるほどと頷ける事だな……」
今度は、カズヤを見るハヤトである。
「結城カズヤ。六年前の術技研での暴走事故に巻き込まれて『奇跡の生還』と言われ、爆心地に近い場所で発見された唯一の生き残り。当時、事情聴取されたはずの『騎士院』に記録が残っていない。その後、何かに憑り付かれたように鍛錬を繰り返し、本来なら入る事の出来ないはずの本学院に入った……」
溜め息が出そうなハヤトだった。
「最弱の剣士と言われているにもかかわらず、誰にも出来ない術技を避ける事をやってのける、訳の分からない剣士……と」
カズヤの顔もハヤトに向いている。そればかりか、サヤカを除く全員がハヤトを見てしまった。
「俺が手に入れた、おまえ達二人に関しての情報……」
ついにハヤトの口から、溜め息がもれる。
「まったく。昨日の事がなければ、俺も変わった奴らだと思っていただけだったが……」
「ハヤトさん、何を言っているんです?」
怒りよりも戸惑いを感じる声でアキラが尋ねていた。隣でメグミも首を傾げるようにしている。
「隠蔽されているのさ。ヘルガの二年間と、カズヤの『騎士院』での事がな。そうとしか思えない」
「隠蔽……って……」
「どこかの誰かにとっては、都合が悪いんだろう。で、俺達が知らない方がいい事なんだろうな。調べようにも、それ以上の記録がなかった」
ハヤトは頭をカリカリと掻いていた。
「ヘルガは、なぜ欧州から極東に来た? なぜ二年もの間の記録が無い? ヘルガの実力なら欧州は手元において育てたいはずだ。それに昨日の術技、あれは酷くヤバイしろものだろう」
ヘルガが俯いてしまう。
自分でもあの術技がとんでもないものと、わかっているようだった。
「カズヤにしてもそうだ。なぜ、騎士院での記録が無い? そして、術技に明るくないはずの剣士が、サヤカでさえ知らなかった術技を知っていた。知っていたから、おまえは止めたんだろ」
カズヤが顔を背ける。
「おまえ達には共通点が一つだけある。まったく接点がないようだったが、昨日の事で見つかった」
ハヤトは言葉を切ってから、カズヤとヘルガを見ていた。
「六年前、何があった?」
「ハヤトさん、どう言う事です?」
首を傾げそうなアキラに、サヤカは言う。
「カズヤとヘルガに共通するのは、六年前の事よ。だから、六年前に何か……」
「一つだ」
ハヤトが断言した。
「術技研の暴走事故。その場にカズヤとヘルガがいた」
「まさか……カズヤの事は、俺も『奇跡の生還』で知ってますが……あの時の生き残りにヘルガの名は無かったはずですよ」
「確かにな。だが、それでも俺はヘルガにも関わりがあると、思っている」
ハヤトはカズヤを見て言う。
「もう一度言う。六年前、何があった?」
溜め息を付いたのはカズヤだった。
「俺が術技を使えなくなったのは、六年前のあの事故からだった。日常的な『光』の術技さえ使えなくなって、一時期入院していた。その時に『騎士院』の事情聴取を受けたようなのだが、事故のショックからか記憶も混乱していて、何も覚えていない。それから、日常生活に戻れるまで一年かかった……」
カズヤは、自分の手を見て拳を握る。
「腑抜けだった俺を、タケシとサツキは無理矢理連れ出し、徹底的に叩きのめして鍛えてくれた。まともに相手ができるまで、一年はかかったよ。そして、俺がやるべき事は一つだと、思い出した」
「あの術技を、知っていたな」
問いかけでなく確認である。
「ああ、知っている。あれは事故の前に聞こえていた詠唱だ……」
カズヤは大事な事を思い出していなかった。後に、それを情けなく思う事になる。
「おまえが、あれを起こしたのか!」
カズヤはヘルガを掴みあげていた。
「知らない……私……知らない……」
掴み上げられたまま、首を振ってしまう。
「そんな事があるか!」
「わからない……わからない……」
「やめなさい。カズヤ」
サヤカが割って入った。カズヤの手を離させて、ヘルガを座らせていた。
「ヘルガはその時、八才のはずよ。覚えていても、思い出せないわ」
「俺は十才だ!」
「あなたも思い出せたのは、いつだった?」
「…………」
「もし、ヘルガがあの事故を引き起こしたのなら、今ここにはいないわ。それに八才の子供が、あれを起こしたのなら『騎士院』が黙ってはいない。ヘルガは騎士院に連れて行かれて、ここに来る事はないわ。あの事故は……それほどものよ」
サヤカはカズヤを見上げていた。
「カズヤも『奇跡の生還』と報じられるほど、生き残る事など不可能な状況下だった事は、知っているはずよ。だから。カズヤにもわかるはずだわ」
「奇跡でもなんでもない、俺は助けられた。だから、生きている」
自虐めいた笑みが、カズヤの顔に浮かんでくる。
「俺を助けなければ、今頃は有名な術士として名を馳せていたはずだ。今ならわかる。あの人が、どれほど凄い人だったのか」
「助けられた……おまえが?」
「十才の子供が、あんな爆発で生き延びれるはずが無い。思い出したのは、二年が過ぎる頃だった。散々悩んで、苦しんで……決めた」
顔を上げるカズヤの瞳は、揺るがない意思を秘めていた。
「誰がなんと言おうと、どんなに辛酸を舐めようと、命ある限り『騎士』として生きていく。諦めるのは死んでからでいい」
それは誰にでも出来る事ではない。
決して心を折らないと言っているようなものだ。人である限り、心が折れない事はない。折れない心を持つ事は、不可能に近いと言えるほど大変な事だった。
「おまえが退かないのは、そのためか……」
「ああ、生き残ったからには、そうしないと、あの人に答えられない」
「おまえを助けた術士は……どうなった?」
「死んだ。爆発の光の中に消えた。俺が覚えているのは、自分が死ぬとわかっているのに、怯え震える俺に向けて、優しい微笑を浮かべる顔だ」
「その術士の名は、聞いたのか?」
続けて尋ねるハヤトに、カズヤは違和感を覚える。
「いや、聞いてはいないが……」
「そ、そうか……」
肩を落とすハヤトにカズヤは尋ねていた。
「何を気にしているのか、わからないが……その術士が、いや、名前が知りたいのか?」
「気にするな。たいした事じゃない……」
首を振ったハヤトは、アキラを見る。
「悪いが、今日から身体強化を使わずに鍛錬をする。カズヤが諦めないなら、俺はカズヤを徹底的に鍛え、身体強化を使わない騎士にする」
「ハヤトさん?」
アキラが、不思議そうにハヤトを見ていた。
「気に入らないかもしれないが、協力してくれ」
「なぜ?」
今度はカズヤだった。
「俺の個人的都合だ」
「ヘルガはいいのかよ」
「今は、無理だろう。ヘルガの様子を見ていると、本当に覚えていないようだからな。思い出すまでは、何を言っても無駄だろう」
「いいのか、それで?」
「調べようが無い。だから、ヘルガも鍛える事にする」
「なぜ?」
「今のヘルガは、セージクラスの実力を持っていても、使いこなせていない。俺は使いこなせるように鍛える事にした」
「それでいいのか?」
「いいのさ。ヘルガは当分の間、術技なしで鍛える」
サカツキを消したのがヘルガとしても、八才の子供が生き残れるはずはないと思っていた。なにか、いや誰かが救ったのだろう。もしそうであれば、ハヤトには一人だけ思い当る者がいた。
「長杖で剣士に対抗するなら、メグミに教わった方が良い」
ヘルガの顔が上がり、ハヤトをみてからメグミを見た。
「メグミは術士だが剣士向きで、アキラと長杖で渡り合えるほどだからな。メグミ、ヘルガに長杖の技を教えてやってくれ」
「いいけど、ついてこれる?」
笑うメグミの顔は、獰猛にしか見えない。
「マヤとアヤも術技無しで頼む」
コクリと頷くと二人は、揃って立ち上がっていた。
「乱戦にするか……」
「あ、それ面白そう」
アキラとメグミは笑っている。
その後ろで大きく溜め息を付き、肩を竦めるマヤとアヤの動きが見事に揃っていた。
「カズヤ。身体強化が使えないなら、他の者を圧倒する力を手にしなければならない。それこそ、五人を相手に勝てるほどの。これからは、おまえとヘルガを鍛える事を重点にした鍛錬を繰り返す。泣き言は一切聞かない。一度でも心が折れたら『騎士』になる事は諦めろ。無駄に死ぬだけだ」
「断わったら?」
「おまえを助けた術士は、無駄に死ねといったのか?」
「!」
真逆だった。生きてと言われたのである。
「わかった。圧倒してみせる。どんなに時間がかかろうとも」
「三年だ。正確には二年半で出来るようになれ」
「…………」
「おまえに与えられている時間は、それだけだ」
「……了解」
先に出たアキラ達を追うように、カズヤも教練室を出て闘技場に向かう。
「……まいった……」
「ハヤト……」
片手で顔を押さえるハヤトに、サヤカが近づいて抱きしめた。
「カズヤを助けたのって……」
アキエ姉さんなの、と尋ねたかった。
「こんな偶然があるか……」
それは、カズヤを救ったのはアキエである、と言っている事に他ならない。
六年前、ハヤトの姉アキエは、サカツキの術技研究所にいた事はわかっていた。そして、あれだけの事故にあえば、姉なら誰かを救う事をやりかねない。その事はハヤトもサツキも、疑ってはいなかった。
その姉が救った少年が、六年後に騎士を目指して現れる。しかもその剣技は『アカツキ』を振るうために変化していた。偶然にしても、あまりにも出来すぎている。
『運命』と呼んでもおかしくはないものだった。
そう思ったからこそ、ハヤトはカズヤを鍛えて身体強化なしでも、騎士として生きていけるようにする事が、弟である自分の役目と考えたのである。
「皮肉なものだ。俺は『運命』など信じないのに『運命』としか思えない事を目にしてしまうとはな……」
「ハヤト……」
心配そうなサヤカに、ハヤトは苦笑してしまった。
「大丈夫だ、サヤカ。俺は『運命』であろうとなかろうと、カズヤを鍛えるさ。あいつが『アカツキ』を受け継ぐべき者なら、俺がやらないといけない事だから」
「私も協力するわ」
「あてにしているよ」
ハヤトは立ち上がると、サヤカと一緒に教練室を出て行く。