第10話 カズヤとヘルガ
闘技場から教練室に戻った八人は、サヤカの入れたコーヒーを前にしていた。首を傾げたのは、カズヤとヘルガの二人である。
「例外クラスと呼ばれているのは伊達じゃない。ある程度の自由は、俺達に与えられている。だからスペシャルアウトと、呼ばれるのさ」
「物になるか、ならないかはどちらでいい。と言う事ね」
肩を竦めて説明するハヤトとサヤカの二人に、カズヤとヘルガの首が更に傾いていた。
「実力はあっても、協調性が無い」
アキラがボソリと言うと、マヤが対するように呟く。
「実力があっても、粗暴すぎる」
「群れるのが性に合わない。と」
笑いながらサヤカがハヤトを見ていた。
「まあ、はみ出し者を集めて一纏めにしておけ。他の者に悪影響を与えないように、とまあ、そんなところだろう」
「アキラ達も一年前よりも、良くなったしね」
「ヒドイ、サヤカさん」
女三人が口を揃える。
「……否定できない……」
呟いたアキラだった。
さて、とハヤトはカズヤを見る。
「カズヤ、騎士になるのは諦めろ」
「なぜです?」
反対するのはカズヤだけだった。
「身体強化を使えない剣士は、役に立たない」
「それでも勝ちました」
「ヘルガがいたからだ。おまえだけなら、ここにいる者の誰にも勝てない」
「同感」
アキラが頷く。
「騎士として、同じ場所で戦う時に弱い奴から死んで行く。おまえはそうなる可能性が高すぎる。生きて戦うために身体強化がある」
「だから、諦めろと?」
「そうだ。死ぬつもりなら、もっと迷惑だ」
「俺は死ぬつもりも、諦めるつもりもない」
カズヤは立ち上がっていた。
「まだ、力が足りないのは十分理解している。足りなければ、補えばいい」
「術士にか? 今のおまえと組む術士はいないぞ」
「術士には頼らない。頼るようでは騎士とは言えない。身体強化を使えないなら、そのままで他の者と渡り合えるようにならなければ、意味はない」
教練室を出て行こうとするカズヤをハヤトが呼び止る。
「待て、どこに行く」
「諦めろと言う話なら、俺がここにいる意味はない」
「話は終わっていない」
「意味の無い話をする気はない。今の俺がやる事は一つ。騎士として、力をつける事だ」
「どんなに鍛錬しても無理でもか?」
「誰が決めた?」
振り返るカズヤの顔つきが変わっていた。静かな強い光を瞳に宿した戦う者の顔。候補生の誰もが見た事のないカズヤの一面だった。
「おまえ……」
「どんなに叩きのめされようとも、どんな言葉でも、俺を止める事はできない」
「そう、わかったわ。なら、私が引導を渡す」
ヘルガが立ち上がる。
これで倒れるようなら、自分の思い違いでしかないと思っていた。倒れないようであれば、見込みはある。だから、全力で叩く必要があった。
(見込み……? なぜそう思うの、私は……)
戸惑いが浮かんでくるが、ヘルガは無視してさらりと恐ろしい事を言う。
「手足の二、三本でも潰せば諦めがつくわ」
再び闘技場に戻ったカズヤ達は、早々に模擬戦を始める。
カズヤとヘルガの模擬戦は、見ている者達にとって、呆気に取られるようなものになっていた。
信じがたい事を、二人で起こしている。
ヘルガの術技を避けるカズヤに、どうやっているんだと聞きたくなる。ヘルガはヘルガで、短縮詠唱による連続術技を立て続けに放ち、これまたどうすればそこまで出来るのかと、尋ねたいほどだった。
術技を避けながらカズヤはヘルガに接近を試みているが、ヘルガの連続術技がカズヤの接近を許さない。
(なぜ、これが避けられる……基点とタイミングが、わかるとでも言うの……)
通常の術技なら、まだ信じられた。
短縮詠唱術技、それも連続で放っているにもかかわらず、避けてしまう剣士がいる事が信じられない。騎士でも高位のロードクラスの剣士なら、経験から可能かも知れないが、候補生クラスが出来る事ではないはずだった。
(最弱と言われていても、実力はロード以上……と言う事?)
身体強化が使えない、だから最弱というのは間違いである。
その事は、ずいぶん前から気が付いていたが、それを補って余る力をカズヤは持っているとヘルガは理解した。
カズヤが身体強化を使えれば、最高クラスの剣士になるはず。そう思ってしまうほど、カズヤは強いと思えた。
(冗談じゃない。ロードより上のクラスなんて……)
術技だけでは抑えきれないと感じたヘルガは、長杖を使い始める。術技を抜って接近するカズヤに、ヘルガは長杖を用いて対抗していた。
「チッ」
思わずカズヤが舌打ちしてしまう。
接近して打撃を与えても、長杖で打ち返され始めた。しかも、長杖を振り回しているにもかかわらず、ヘルガの詠唱は途切れていない。詠唱に剣技を混ぜたのか、剣技に詠唱を混ぜたのか、しだいにヘルガの動きが俊敏になってきていた。
追いついても、それだけでは同じ事だとカズヤは思う。追い抜くためには、それ以上の事をやらなければならなかった。
(まだ、遅い……もっと速く……もっと鋭く……)
思っていても、出来るのもでもない事は知っている。だが、思わなければ、先に進む事も出来ない事を知っていた。
剣士なら使える身体強化を使えない自分を何度嘆き、心を折りかけたことか。
だが、その度に思い出すのは、光の中に消えていった優しい微笑みだった。生きていれば、数多くの者を救えた術士になっていたはずである。
最後に伝えてきた言葉は、今もカズヤの心を支え続けていた。
義務や責任感からではない。
そうであれば、カズヤの心はとっくに折れていた。
そうならなかったのは、託されたものの大きさを知っていたからであり、受け継ぐ覚悟を持ったからである。そのために、どんなに辛く苦しい思いをする事も厭わなかった。術技が使えないとわかった時から、それは割り切っている。
二人の模擬戦を見ていたアキラが唸っていた。
「手を抜いていたのか、あいつら……」
「舐められたもんだわ」
メグミの長杖を持つ手に力が篭る。
アキラとメグミがそう思うほど、カズヤとヘルガの模擬戦は、激しい攻防を繰り広げていた。一進一退の攻防と言える。
「カズヤの動きが止まるか、ヘルガの詠唱が途切れるか……」
「終らないでしょうね……」
ハヤトとサヤカの感想は違っていた。
「それにしても……カズヤは武器の選択を間違えてるな……」
「?」
「カズヤの動きは、長剣には向かない」
長剣や大剣、長杖にはそれぞれ動きがある。同じ動きではなく、また重なる動きでも無かった。
カズヤの動きは、長剣のように直線的に振るう動きでも、大剣のように叩きつけるような動きでのない。その動きは、剣速を生かす事を主体とする動きで、長剣や大剣のような直刀よりも、反りのある太刀の方が威力を発揮するものだった。
「まったく……」
呆れるしかなかった。
剣士同士の模擬戦では、一方的に叩きのめされるだけであったのに、ペア戦の模擬戦では叩きのめされる事が無くなっている。表に出なかった才能が表に出てきた。あるいは、才能が開花したとも言うべきかとも思えるが、ハヤトにはどうしてもそうは思えないのである。
では何か、と言うとハヤトにもわからなかった。
「これでは、最弱とは言え無いな……」
「連続術技を避けるなんて、ハイナイトでも無理よ……」
呆れるような、溜め息混じりのサヤカである。
「お?」
下から掬い上げるように振るったカズヤの長剣が、長杖ごとヘルガを跳ね飛ばした。追撃に振るったカズヤの長剣は空を切る。
跳ね飛ばされた勢いを利用したヘルガが、大きく後方に跳んでいたのだった。
「どうした。手足の二、三本は潰すんじゃなかったのか」
「まだ!」
長杖を横に構えたヘルガは、口元に笑みを浮かべる。
ただ立っているだけのヘルガに、カズヤは迂闊に近づけなくなった。
ヘルガを中心に魔力と呼ばれる不思議な力が集まり始めている。詠唱する前に、こうも魔力が集まってくる事はないと言えた。
この感覚にカズヤは覚えがある。前に一度だけ、同じ事を感じたと思い出した。しかし、いつ、どこで受けたのかは思い出せなかった。
そして、詠唱が始まる。
聞いた事のない詠唱にサヤカが目を細めて、術技を読み解こうとしたが、複雑に絡み合う術式に、嫌な予感が膨れ上がっていくのを自覚した。
風のない闘技場でヘルガの髪が波打ち、衣服がはためきはじめている。
「ヤバイわ、あれ。止めないと、ヤバすぎる」
反射的にハヤトが飛び出している。が、ヘルガの手前で近づけなくなった。とてつもない魔力の集まりが、ハヤトの接近を拒んでいる。
「なんだ、この圧力は……ヘルガ! 止めろ!」
「ヘルガ!」
追いついたサヤカも叫んでいた。
それでも詠唱は止まらない。
「聞こえていないのか……」
ヘルガの顔を見たハヤトは呟いてしまった。瞳は真っ直ぐカズヤに向いているが、カズヤを見ているようには見えない。
そのカズヤも長剣をだらりとさせて、動いていなかった。そればかりか、驚愕が顔に張り付いている。
(まさか……これは……サカツキを消した……)
詠唱と魔力の集まりに、カズヤは思い出すが肝心な事を思い出していなかった。
(なぜ、ヘルガが……知っている?)
「カズヤ? おい、カズヤ!」
動かないカズヤに、ハヤトは近づくと肩を揺さぶり、頬を叩く。
「カズヤ?」
「……ざ……ける……な……」
「カズヤ。どうした?」
ハヤトが眼に入らないように、カズヤはヘルガを見ていた。
「ふざけるな!」
叫んだカズヤは、一足飛びでヘルガの前に立つ。
瞬間、カズヤの拳がヘルガの鳩尾に叩き込んだ。
呼気に合わされた打撃に、ヘルガの身体がくの字に折れて詠唱が止まる。
集まった魔力が一気に拡散し、爆風のような圧力がハヤトやサヤカ、離れていたアキラ達までも吹き飛ばした。
酸素を求めて喘ぐヘルガの胸倉をつかみ上げてカズヤは怒鳴る。
「なに考えてやがる!」
ヘルガの瞳が揺れて、カズヤと目が合わせられなかった。
(私……なにを……)
ただ強力な術技を、カズヤが避けられない術技をと思っただけなのに、自分が組み上げようとした術技は……なんだったのか理解できない。知っているようでもあり、深く考える事が怖いと思う。
その事にヘルガは怯えた。
「私……私……ちが……う……」
「なにが違う!」
「私……」
震える声が、ヘルガの口から漏れてくる。どうしようもなく、瞳に涙が溢れて零れ落ちた。怖いと言う思いと、カズヤにこんな顔をさせてしまっていると言う思いが、身体を震わせる。
吹き飛ばされたハヤトは、首を振りながら近づくと言った。
「あー、カズヤ。ヘルガを苛めるのはやめな」
「どこが!」
瞬間的に振り返って叫ぶ。
「泣いている女の胸倉をつかみ上げているのは。端から見るとな、苛めているとしか見えない」
溜め息混じりのハヤトに、カズヤは再び叫んでいた。
「ふざけるな!」
「別にふざけてはいない。が、おまえがヘルガに詰め寄っても、同じだ」
ハヤトの手がカズヤの腕に乗せられる。
それだけでカズヤの手が、ヘルガの胸倉から離れていた。力尽くではなかったにもかかわらず、カズヤは手を離した事に愕然としてしまう。
自分の手を見てカズヤは、さらに動けなくなった。小刻みに震え、自分のやった事が間違いだと主張しているように思えてしまう。そして、どうする事もできない激情が、そうさせてしまったと悟った。
「サヤカ、ヘルガを頼む」
座り込んでうな垂れるヘルガをサヤカに任せて、ハヤトは頭をガリガリと掻いてしまっていた。
「まいった……ヘルガといい……カズヤといい……訳ありか……」
自分の手に余りそうだと、ハヤトは感じ始めていたのである。