<4> ふたり姫 下(後)
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ぎぃん、と硬質な音が響いた。
火花が散る。
大塔の二層目で、奈由羅班はあやかしと戦っていた。
「このっ、馬鹿力めっ!」
「まあ、まあ、ばかだなんて」
「酷い事を言うのですね、人間のくせに」
「うるせぇ! さっさとくたばれ!」
口汚く罵り、奈由羅は太刀を薙いだ。
鋭い一閃は、しかし、亀姫の血刀に阻まれる。
一進一退の攻防、と言えば、聞こえは良いだろう。
だが、最も端的に言うならば、苦戦していた。
「杜狩、巳左匂! 左右から援護しろ!」
呼応して、奈由羅の背後から班員が飛び出す。
左から右へ太刀を振り抜く奈由羅の動きに合わせ、左側から杜狩の二組が、右側から巳左匂の三組が、あやかしたちに殺到した。
「あら、あら、無駄なこと」
幾条も突き出された刃金を掻い潜り、長壁姫の繊手が杜狩を迎撃する。
「ええ、ええ、おろかしい」
亀姫の手の太刀は、巳左匂の短槍を巧みに往なし、激しい剣戟となった。
「班長、退いてください! 邦頭様を!」
「ここは我々が受け持ちます!」
「……了解、頼んだぞ!」
総勢十人余りが、あやかしを抑え込もうと奮闘する。
奈由羅は、転瞬、踏み止まろうとして、けれど踵を返して上層を目指した。
躊躇う事は、危地を預かる部下への背信だ。班長である奈由羅は、部下を信じる義務がある。
二層目から三層目へ上がる階段は、基礎層から上がる階段の、ちょうど反対側に位置している。
入り組んだ構造は防衛上のものだと言う話を、奈由羅は聞いた事があった。
現在は縁遠いが、この城が造られた時代は、邦同士で激しい戦を繰り返していたと言う。おそらく、互いの城にまで攻め入る程の状況が、何度も有ったのだろう。でなければ、外敵の侵入を阻むような構造を、わざわざ造るはずが無い。
その複雑な構造が、此度のあやかしの蹂躙を、幾許かでも阻害していたのならば。
(……いや、仮にそうであっても、こんな状況じゃあな……)
結局の所、蛮行それ自体を阻止出来なかったのであれば、多少の遅延に大きな意味は無いのかも知れない。
血の海と化した廊下を駆けながら、奈由羅は益体も無い思考を打ち切った。
行く手を警戒しつつ、廊下の角を曲がる。階段は角のすぐ先だ。ぽちゃん、と粘っこい水音が立つ。
曲がり角で撥ねた足元の血が、隣の血溜りに飛び込んだのだ。
「……だ、れだ……」
水音と足音を聞き付けてか、上階から掠れた声が掛けられた。
それは奈由羅の良く知る、主の声。
「邦頭様!」
小さな赤い滝と大差無い階段を上がり、奈由羅は主を見付けた。
片足と両腕を失った、満身創痍の会予廼が、蒼白な顔で奈由羅を見返した。
「すぐに手当てを――」
「要らん。もう間に合わんだろう……」
「しかし!」
「奈由羅班長、あやかしは討ったのか?」
掠れた、弱々しい声ながら、会予廼の問いは明瞭だった。
「いま、部下が足止めをしています」
「討てるか?」
「外の応援が間に合ったとして、五分かと」
「そうか……」
対峙してみて悟った。
荒事向きではない奈由羅班では、あのあやかしたちを討つのは望み薄である。
荒事専門の季錐班なら討てるかも知れないが、生憎、彼らは城外の捜索に当たっている。召集し、突入するだけの時間の猶予は、奈由羅班では稼げぬだろう。
人々を守る衛士でありながら、あやかしという災厄を討てない。
自身の不甲斐無さを悔やみ、奈由羅は拳を握り込んだ。
もしも仮に、奈由羅班と季錐班の役割が逆だったなら、あのあやかしたちを討つ確率は上がっただろう。
けれどそれでは、この城に何が起こったのかを究明する事は出来ない。季錐班は荒事専門であって、調査に向いた技能は持ち合わせていないのだ。
隊長の連晴は、今後起こり得るかも知れない災厄への対策を、奈由羅班を使って探ろうとした。
現状が惨劇であるからと言って、それを悪手だとは言い切れない。
奈由羅班とて、極端に弱い訳では無いのだ。連晴隊が対処したあやかしの大半に、奈由羅班だけでも打ち勝てるだけの実力は持っている。
ただ此度は、相手が悪かった。
姫の名を持つあやかしは、大抵が厄介な相手であるが、それにしてもあの姉妹――長壁姫と亀姫――は、強過ぎた。
「確か、お前の班は、あやかしを調べていたのだな……」
「……はい」
「ならば、聞いておけ」
ひゅう、と喉を鳴らして、会予廼は言った。
「禿の方が、前の城と言っていた。新しく造ったこの城は、前の城よりも巧く出来た、と」
「前、の?」
「禿がそれだけ生きているなら、姉と名乗った女の方も、似た様なものだろう」
ひゅう、ひゅう、
会予廼の喉は、次第に喘鳴を漏らし始めていた。
蒼白な顔色を見るまでも無く、血を失い過ぎたのだ。もはや永くない。
「奈由羅班長、俺を右手の角に運んでくれ」
「……はい」
「気遣う必要は無い。じきに死ぬ身だ」
「……ッ」
言われるがまま、血みどろの主を運ぶ。
ずいぶんと、軽くなっていた。
「亀姫とやらが、この城を飾り立てた所で、ここは羽鉋の民の城だ。羽鉋の敵の手に渡す事は出来ん」
「……」
「そこの角の柱に、節穴がある。上向きに指を入れて引け」
床から一尺程度の辺りに、その節穴はあった。
節穴の内側には、小さな棒が仕込まれていた。
指を引けば、三寸四方程が扉の様に開く。
棒は留め金だったようだ。
「その棒を引っ張ると、鉄の玉が取れる。なに、錆びていても構わん」
留め金を外せば、胡桃大の鉄の玉が付属していた。
開いた小さな扉から、異臭が漂う。
「邦頭様、これはまさか……」
傷んだ卵に似た臭い。
「火薬だ。爆轟の仕掛けだよ」
城の柱や梁、基礎材などに沿って、火薬を仕込む。
築城の時点で城の爆破を意図した仕掛けを、爆轟と言う。
大量の火薬は、どこを基点としても全体に爆炎が行き渡る。そして、炎が鎮まっても、城の跡地には瘴気が残り、敵の占領を許さない。
まさに捨て身の最終手段だ。
「そこの床に玉を置いて、お前は衛士を外へ逃がせ」
「邦頭様は、どうされるおつもりですか」
「どうせ死ぬなら、羽鉋を守って死ぬさ。俺は、羽鉋の邦頭だ」
己が命で邦を購う、と言うのだ。
その覚悟と、手の施し様が無い重傷に、奈由羅は一度、頭を垂れた。
「お前達は生きろよ、奈由羅」
この人を救えなかった事が、ただ悔やまれた。
「……承りました」
そして立ち上がり、未だ奮闘を続けているだろう部下の許へ急ぐ。
会予廼に掛ける言葉は見付からなかった。
二層目の戦闘は、階段の近くまで動いていた。
手傷を負い、息を切らしつつも、班員たちはしぶとく粘っている。
「総員ッ! 北西の角から湖へ跳べ!!」
奈由羅は声を張り上げた。
会予廼は、爆轟の作動を待ちはしない。
奈由羅が叫ぶ指示の声、それを合図にするだろう。
「無茶です、班長!」
「いいから逃げるんだよ!」
あやかしたちは城に執着している。
執拗な攻撃は、人間を城から排除したいが為。
ならば、自ら外へ逃げようと言う人間を、積極的に追おうとはしない。
「ここで死ぬより、幾らかマシだ!」
あらあら、まあまあ、と姉妹は動きを止める。
人間の足掻きを嘲笑っているのだろう。
その高慢、その増長を、生き残る機と見るか。
「くすくす、おにげなさい」
「それも、無駄な事ですけれど」
床が震えた。
背に悪寒が走る。
奈由羅は、手近にいた班員を抱えて、北西の窓から身を躍らせた。
空気を叩く爆音が響いた。
――――――――――――
季陸醒と砂浪は、意識の無い少年を抱いて、大手門に戻ってきた。
他の衛士達は進路を変えず、捜索を続けている。
二人が戻ってきたのは、少年の素性を知るためだ。
断髪間もない髪型から、七歳の祝いを終えたばかりの男児だと分かっている。
子は七つまでは神のうち。
七歳になるまでは髪を切らず、男女とも項で括る。
七歳の祝いの際、男児は髪を短く切って一寸程に括り、女児は肩口で切り揃えて禿とする。
「隊長は、先月の七歳祝いに出席されていた。城の子なら、見覚えておられるかも知れない」
砂浪の言葉に、季陸醒は頷く。
少年が誰であるのか。それが分かれば、城内のどこに居たのかも察しが着く。
もしも大塔に居られたならば、何が起こったのかを見ているだろう。
「……思い出させるのは、酷かもしれませんけど」
「素性によりけりだが、お前が支えてやれ」
「俺で、役に立ちますか」
「歳が近いというのは、案外重要だぞ」
ぽつぽつと会話しながら、連晴の前に少年を降ろす。
季陸醒は、そっと慎重に降ろしたのだが、体勢の変化にか、或いは多少回復したのか、少年が目を開いた。
淡い鳶色の目が、正面に立つ連晴を見上げている。連晴もまた、まっすぐに少年を見ている。
「晴尋岐、だったか。怪我は無いか?」
連晴が尋ねた。
少年は、まばたきもせずに、連晴の顔を見詰める。
「覚えているか? 私は連晴だ」
連晴がしゃがみ込み、ゆっくりと問い掛けると、今度はこくりと頷いた。
「きみの名は、晴尋岐で間違いないな?」
――首肯。
「喋れるか?」
しばしの沈黙の後、ふるふると首を振る。
「そうか」
少年――晴尋岐の反応から何を汲み取ったか、連晴の表情は芳しくなかった。
それから連晴は季陸醒を傍に屈ませて、晴尋岐に話し掛ける。
「寒かっただろう。このお兄さんと一緒にいなさい。名前は季陸醒だ」
頑なに唇を閉ざしたまま、晴尋岐はじっと連晴を見詰めている。
その表情は、目を開けてからずっと動いていないが、間近で見た季陸醒には、どこか怯えている様に感じられた。
「怖い人ではない。きみのお父さんも、よく知っている。それに、きみを川から助けてくれたのも、この季陸醒だ」
連晴は晴尋岐を安心させようと、ことさら穏やかに話している。
それが、惨状を目の当たりにした晴尋岐への配慮だと察して、季陸醒は疑問を差し挟めなかった。
(この子の父親は、誰なんだ?)
連晴の口振りからして、晴尋岐の父は季陸醒の知っている人物なのだろう。
七歳の子供が居てもおかしくない年齢の男は、すぐに思い付くだけでも五十人以上いる。城に勤めている以上、男所帯であるのは仕方が無く、ざっと計算して三十から四十歳の男となれば中核だ。犇めくほど居る男達の一人を特定するには、まだ足りない情報が多すぎる。
「季陸醒」
「は、はいッ」
思索を中断され、季陸醒はぴしりと直立した。
「お前は晴尋岐の手当てをしろ。砂浪、季錐にそう伝えておけ」
「了解しました」
擦れ違い様に、季陸醒の肩を叩いて、連晴は素早く囁いた。
「奈由羅の息子だ」
季陸醒は息を呑んだ。
それならよく知っている人物だ。
班は違えど、新入りと言う事で何度か構ってもらった。稽古の中で手合わせをしてもらった事もある。時折、手隙の時間を見付けては、あの伝法な口調で色々な話をしてくれた。
季陸醒にとって、奈由羅とは「見た目は怖そうだけど良い人」だった。
直属の上司である砂浪や季錐と同じ様に、尊敬しているし、感謝もしている。
けれど、まさかその息子を、こんな状況で保護する事になるとは、予想する事など出来ようはずも無かった。
(……でも、この子の手当てを任されたのは俺だ。俺がしっかりしなきゃ、この子も不安になる)
初陣の新入りには荷が勝ちすぎるだろうが、大塔に突入するよりは、まだやりようも有る。
季陸醒がそう思った矢先、
不意に、爆音が轟いた。
その崩壊は、大塔から聞こえてくる。
「……そんな……」
轟音は幾重にも響いて已まず、次第に城は形を失くしていく。
季陸醒は、己の目に映る光景を嘘だと思った。
否、そう思いたかっただけだ。
羽鉋の要が落ちる、などと。
未だ帰らぬ奈由羅班は、大塔に居る。
晴尋岐の父親は、あの崩潰の只中に居るのだ。
――――――――――――
「人間は、あやかしのことを分かっていない」
「てんちのことわりにしたがわないのは、にんげんのほう」
「わたくしたちを悪者にして」
「よるのくらやみをいみきらって」
「昼の影にも怯えて、恐れて」
「よるにもひるにもこわがって、そのくせいばって、あやかしをころす」
「傲慢なのは人間のほう」
「ぶれいなのはにんげんのほう」
「天地の理を忘れて」
「てんちのことわりにさからって」
「だから、いもうとよ、間引きましょう、減らしましょう」
「ええ、おねえさま、ころしましょう、こわしましょう」
「「天地の理に従う生命として、傲慢な人間は滅ぼしましょう」」
――――――――――――
大塔から、もうもうと煙が立ち昇っている。
木材の多い城だった。それが今、巨大な篝火と化して燃えている。
大手門の足元で、少年が炎を見ていた。
呆然と炎を見詰める晴尋岐を、季陸醒はきつく抱き締めた。
「見なくていい。きみは、見なくていいんだ」
そう言う季陸醒の瞳には、炎の朱が反射していた。
空を焦がす火焔の中から、女の叫び声が聞こえた。
あとには灰と炭とが残るだけだった。
<補足>
※穀蔵虫は穀象虫+メイガ的な家庭害虫です。
※「爆轟」の本来の意味は「(大雑把に言って)爆発」です。詳しくはぐぐってください。
※衛士隊の構成
隊長(一名)→副長(二名)
↓
班長(三名)
↓
掌卒(各班五名)
↓
ヒラ衛士(各組五名)
基本的にはこの構成で一隊九十六名。この他に邦頭管轄のサポートメンバーがいたり、衛士の家族などが手伝ったりして、総員百二十名前後が衛士隊を動かしています。




