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あれは煉獄、炎の巷  作者: 陸戦型稲葉
煉獄の椿
2/8

<1> 狐火

2/27 誤字修正

5/20 ルビ修正

  あれは煉獄、骸の地獄 からころ乾いた風が吹く


  人とあやかし、あやかしと人 不和にして対、後ろの表


  巡る争い、士と死は(めぐ)る 争いは廻り、巡りて()まず


  一年(ひととせ)、数えて 骸を焼いて 一年、数えに (いく)さは已まず


  焼いて灼かれて、燒かれて焼いて 人とあやかし、皆々骸


  あれは煉獄、炎の巷 紅蓮に渦巻き降り積む地獄



――――――――――――



 いま、何刻だろう……


 男はちらりと疑問を抱いた。

 刻限が分からない。

 外の様子が見えないからだ。ここは暗い。洞穴と言ってもいいほどの、ここは谷間の木々の下だ。

 男は、手にした太刀を握り締める。

 じとりと湿った感触は、掌に滲む汗だろうか。返り血ではない。まだ斬っていない。

(ならば、汗だろう。具足の中が、いやに蒸れる)

 鉢金の下の額、帷子(かたびら)が覆う脇、糧食を負った背中、それに顎から首へと汗が浮いている。

 脂汗だろうか。否、ただ暑いだけだ。谷底の茂みには風が無い。

 季節は夏に差しかかり、風の無い日はどんよりと暑い。まさしく今日のように。そんな季節に具足を纏い、風絶える谷底で、男は抜き身の太刀を携えている。

 気がふれたのではない。常時であれば、男も夏に重たい具足など着たくはない。が、わけがあるのだ。

(ここに狐の巣がある、とは、確かなことだ)

 男は狐を探していた。

 否、正しく言うなれば、狐火を探している。

 あやしい狐が、この谷底に出入りしている、と聞いて、暑い最中に具足を着込んでやって来た。

「……忌まわしい妖怪(あやかし)め、この俺が退治してくれる」

 男は、あやかし退治にやって来たのだ。



 あやかし、とは。


 人ならざるもの、あやしきもの、の事である。

 火の気も無いのに煙が立ち、灯火が揺らめき、時には火事を引き起こす。

 人気も無いのに声が聞こえ、音が聞こえ、物が動いて消えたり隠れたり。有る筈のものが無く、無い筈のものが有る。

 おそろしきもの、災い為すもの、それがあやかしだ。

 男が探している狐火も、あやかしの類である。

 火の気の無い所に浮かぶ灯火。時にそれは列をなし、時にそれは人を惑わす。夜道の歩みを惑わされた、と男は聞いていた。


 あやかしは、よからぬものである。

 人を惑わすものは、よからぬものなのだ。

 よからぬものは滅するべし。

 ここは人の世、天と地の(あわい)には、人の世があるのだ。


 男は怒りを抱いていた。

 胸中の怒りは静かで、密やかだったが、腹の底を炙るように、苛立ちと不快とを呼び起こす。

 ここは人の世だ。人の世なのだ。

 あやかしなどに惑わされるべき世ではない。

 人の住まう世を侵された怒りは、男の中に、激情ではなく嫌悪と憎悪の名を以て燻っている。


「どこだ、ばけものめ。この俺が退治てくれよう!」


 男は声を張り上げた。

 ここは暗い。洞穴と言ってもいいほどの谷底だ。

 外の様子は見えず、空も見えない。いまが何刻であるか分からないほど、ここは暗い。先の見通せぬ暗がりで、あてもなく探す労苦がわずらわしい。

 あやかしを呼ばう男の声は、鬱蒼と覆いかぶさる木々に吸われて、谷の中へは響かない。


 ごそり、


 と、何かが身じろぐ音が聞こえた。

 頭上の木々の欠片だろうか、足元には枯葉と枯枝が積もっている。男の向く先、右の辺りで、何かが枯葉を踏んだのだろう。

 男は太刀を構えた。抜き打ちの技は使わない。木々に遮られて抜けなくなる前に、と、茂みの手前で抜刀していた。

 右手で握る柄に左手を添える。

 ここは狭い。洞穴と言ってもいいほどの茂みだ。太刀を大きく振る事は適わぬだろう。ゆえに、男は太刀を引きつける。振る事が適わずとも、突けばよいのだ。


「姿を現せ、忌々しいあやかしめ。こそこそ隠れるしか能が無いのか!」


 男は声を張り上げる。

 敵の姿は見えない。我から切り込んで行くのは無謀だ。挑発し、(そそのか)して、飛び出させるのだ。

 しかし、男の声に応えたのは、あやかしの姿ではなかった。


 ごそり、


 ごそ、ごそ、


 ごそり、


 ぱち、ぱち、


 男の耳に、鼻腔に、危険が囁く。

 火だ。

 男の向く先、枯葉を踏む何かは、火を点けたのだ。

 足元の枯葉、枯枝は、幾日幾月そうしてそこに在っただろうか。どんよりと暑い夏の日にも、それらはからころと乾いている。よく燃えることだろう。いままさに、男の足元を舐める様に、青白い火が這い寄って来る。

 男は、にじり寄る火を踏みつけた。水を掛けずとも、踏みつければ火は消える。青白い狐火とても同じことだ。相手が狐火と、草鞋(わらじ)ではなく革沓(かわぐつ)を履いて来た。それに、枯葉と枯枝はよく燃えるが、周囲は青々と茂る生木なのだ。生木は容易には燃えない。

「ばかめ、この俺が小火(ぼや)に怖気付くとでも思ったか!」

 男は嘲り、地を這う狐火を突いた。真っ当な炎と違い、あやかしの火は刀槍を以て斬ることが出来る。狐火は鋼色の太刀を恐れたか、ぱっと散って男から離れる。近付くのを躊躇う様に、輪の如く距離を置いてちろちろと揺れている。隙と見て男が踏み込む。切っ先は枯葉と枯枝と狐火の一部を裂いて、裂かれた青い火は軋むように呻いた。傷付いた狐の鳴き声にも似ている。さても狐火とはこれが由縁か、と男は思う。

 二度、三度と鋼が走った。

 二度、三度と狐火が散る。軋む呻きも絶え間ない。きいきいげえげえと、輪の如く男を囲む狐火は鳴いている。


 きいきい、


 ぎいぎい、


 ぐげげ、げげ、


 けけけけっ!


 不意に、男の周囲に火柱が立った。

 前後、左右、四方、八方、竹林よりも隙間なく火柱が林立する。

「な、なんだっ!」

 火柱は青い。青白い、あやかしの火だ。燃えない筈の生木が、ごうごうと燃えている。瞬きをするより早く、木々は炎上している。熱を持たないまやかしの狐火と違い、木々の纏う炎は赤く熱い。

 ――――熱いのだ。

 まやかしでも幻でもない()()()()炎が、男を取り囲んでいる。

 これは刃金では斬れない。革沓で踏んでも、背負った水筒の水を掛けても、まだ足りない。この炎を消すには、洪水か豪雨が必要だ。

 男は逃げ場を失った。



 その日、風の無い谷間の鬱蒼とした茂みが一つ、山火事によって焼失した。




――――――――――――




 狐火は思う。


 あのにんげんは、ばかだったなあ。


 狐火は、夜道を照らしながら、思う。


 おいらは、いたずらなんか、していないってのに。


 夜道の歩みを惑わしたのは、結果だ。

 その日、二股に分かれた道の、片方はひどいぬかるみで、もう片方は乾いていた。そのとき夜道を歩いていたのは、頭の毛の白い人間で、よくこの道を通っていた。近くの林が住処である狐火は、頭の毛の白い人間を覚えていた。

 人間は、いつも通る道を選ぼうとした。だけれどそちらは、ひどいぬかるみだったのだ。頭の毛の白い人間は、二本の足のほかに、木の棒をついて歩いていた。もたもたのろのろした歩き方で、きっと脚が弱いんだろう、と狐火は思っていた。

 だから、いつも通るぬかるんだ道を暗くして、乾いた道を照らしたのだ。どろどろのぬかるみを歩くのは、大変だろうから。


 それなのに、おいらの火をみて、おこりだすんだもの。


 頭の毛の白い人間は、狐火の青白い灯火を見て、それがあやかしだと気付いたのだ。

 おのれ、あやかしめ、その手には乗らんぞ。

 そんな事を言って、もたもたのろのろと、いつもの道を通った。そうしてぬかるみに嵌まって、わしを化かしたな、と怒鳴った。

 狐火は、気まぐれの親切を台無しにされて、ちょっぴり頭にきた。

 頭の毛の白い人間が、長い刀を持った人間を呼んだから、谷底に誘い出して焼いてやった。


 かたなのにんげんも、ばかだなあ。()()()とかいう、おもたいのなんか、きこんできてさ。

 おいらの火は、()()()なんて、すっかり焼いちまうってのに。

 あーあ、にんげんなんて、しんせつにするもんじゃないなあ。




 狐火は知らない。

 ぬかるみに嵌まった老人の事も、太刀を携えた男の事も。

 乾いた道の先に住むのが、老人の村から追い出された厄介者だという事も。

 そして、厄介者を追い出したのが老人である事も。

 老人は、乾いた道を選べなかった。いかに歩きやすくても、道の先の先に帰る村があっても、道端に住む厄介者に近付けなかった。どれほどの悪路でも、犬猿の仲である厄介者のいない道を選ぶしかなかった。

 厄介者はまだ若く、腕っ節が強くて、めっぽう喧嘩っ早い。村で何度も揉め事を起こして、幾人も怪我をする者が出て、ついに村八分となった。主導したのは、当時の伍長(むらおさ)である老人だった。

 老人は足腰が弱り、杖がなければ歩けない。杖があっても、その歩みは遅々として、気を付けなければ小石を踏んでも転んでしまう。そんな状態の老人は、彼に恨みを抱く厄介者の近くは通れなかった。


 狐火は知らない。頭の毛の白い人間が、乾いた道を選べない理由を。

 老人は知らない。狐火が夜道を照らしたのは、気まぐれだけれど本当の親切だったことを。



 谷底で焼け落ちた男は、何も知らない。



 そこには炭が残るだけだった。


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