序
栄廼理九年、鷹葉の邦、柳背緒にて。
その日、全てが燃え落ちた。
その日、一度世界は途切れて、生命たちは長い夢を見る。
積もり積もった灰と炭を。雲母の如く重なる骸を。
それら全てを焼き尽くした、紅蓮の炎と狂狼を。
誰もが忘れ、誰かは覚えて、生命たちは夢を見る。
炎の煉獄が終わる夢を。
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そこは、燃えていた。
「刃金を下ろせ、狼」
男は言った。
火焔の光に赤々と輝く双眸は、真っ直ぐに眼前の人物を見据えている。
睨み付ける程に鋭い視線を受けるのは、此方も男。
くすみ、澱んだ緋色の髪は、流された血の様に禍々しい。
「断る」
狼と呼ばれた緋髪の男は、言葉少なに応えた。
その手に携えられた太刀の先からは、ぽつりぽたりと雫が滴る。
赤い雫。男の髪色と同じ様な、それは血の色だ。
「ならば抑え付けるまでだ。俺は、否、俺達は、お前の凶行を止めねばならない」
白髪の青年が言葉を発する。
紅眸の男とは、緋髪の男を挟んで反対側に立っていた。
彼らはぐるりと焔に巻かれて、しかし互いに互いから目を逸らさない。
歳経た琥珀の色の双眸には、憤激ではなく悲哀が浮かぶ。
華やかな美貌を苦しげに歪めて、青年は手にした槍を狼に向けた。
「止めて、そして、どうするんだ?」
狼は、緋髪の剣士は、二人に挟まれながら、不敵に笑った。
狂狼に相応しかろう、苛烈な表情だ。
「おまえも、そっちのおまえも、綺麗事だけは一丁前だ。けどなぁ、お耳にやさしいキレイゴトじゃあ、なンにも変わりゃしねえんだよ」
紅眸の男が、左手に下げた野太刀を構える。
白髪の青年が、白銀の大身槍を構える。
緋髪の狼は、高らかに哄笑した。
「おれは、一つも、嘘は言わねえ」
凶狼の遠吠えに煽られたか、炎が轟轟と唸りを上げる。
「おまえも、おまえらも、ぜんぶ、おれが焼いて、終わらせてやる」
炎に囲まれた彼らは、ひりつくように争った。
焔に炙られた渇きを潤す、幻影の甘露を求めるが如く。
焰に焦がされた痛みを癒す、幻想の救いを掻き抱くにも似て。
黒い肌の少女は、作り物めいた無表情の中で、ただその黒瞳に哀願を滲ませて、炎の巷に踊るひとびとを見詰めていた。
あの狼は、最後は笑っていなかった。