Story 2;命のカケラ
二 命のカケラ
麻依六歳・朔斗七歳
歩未さんが植物状態になって二年…。あたしと朔斗は無事、私立大橋学院大学付属小に合格して入学した。まだ朔斗が七歳にならないのどかな五月のある日、あたしは家でお留守番をして、パパと麻友姉は、内緒で歩未さんのお見舞いに行こうとしてたんだ。
「じゃあ麻依、お留守番よろしくね!麻依の好きな春風堂のココアロールケーキ、買って来てあげるから!」
「ちゃんと宿題、やっとけよー?帰ってきたらみてやるから!ロールケーキはそれからだな!」
「えぇ―――――っっ!やだ!ロールケーキが先ぃっっ!」
「いいからいいから。じゃあいってくるからね!」
ところが、コレが最後の麻友姉との会話だったなんて、あたしには十六歳になった今でもまだ信じられない。家を出て数百メートルのところで、飲酒運転の車に轢かれて、パパと麻友姉は重症を負って、麻友姉は意識不明の重体になった。麻友姉は助手席に乗っていたためにパパより強く頭とかいろんな部位を打っていた。パパも心臓を強く打ってしまって、意識はあっても助かる見込みはなかった。
「もしもし、佐倉さんのお宅でしょうか?」
「はい、どなたですかぁ?」
「私、□□大学付属病院の石川と申しますが、佐倉麻依…さんですか?」
「はい…?病院、って…まさか…歩未さんのことで?」
「いえ、お宅のお父さん…湊さんと麻依さんのお姉さん、麻友さんが、交通事故に遭われて…。できる限りの処置は施していますが、もう助からない…もうすぐ、亡くなりそうなんです」
「…!」
とりあえず取り乱しそうになる心を六歳なりに押さえながら、震える指でタクシーを呼んだ。
あたしと同じようにパパのこと大好きだった麻友姉は、あたしをほったらかしてパパと一緒に死んじゃいそうになってるの…?そう思うとあたしは、タクシーに乗ってる間も涙が止まらなかった。
病院に着くと、もうパパの脈はなくなりかけて――――パパは、今まさに息絶えようとしていた。亡くなる直前、パパはあたしに言ってくれた。
「よく聞いて、麻依。パパは幸せ者なんだよ。歩未さん…朔斗くんのママはね…家族のみんなに…サヨナラって…言えないうちに死んじゃうでしょ…?歩未さんは…このまま…いつ亡くなるか分からない…朔斗くんも…そう…言われてるだろ…な。でも…パパは今…ここ…でね…麻依に『バイバイ麻依…パパと麻友…の…分まで…幸せに…生き…る…んだよ…』って…麻依に…言える…だから。…ね?今…思う存分泣いていいから。でも、パパと麻友が…死んじ・ゃ‥からは…麻依は絶対…泣いちゃダメだ。パパと麻友が心配す…から泣いちゃ…ダメ…」
「やだ、パパぁ、パパぁっ…死んだら麻依がゆるさないよぉ!麻友お姉ちゃんだって、死なせちゃダメだよ…やだっ…パパぁ…死んじゃ…だぁ…っ」
「…ご臨終、です…」
そう看護師さんが告げたとき、あたしはあまりの悲しみに涙が止まった。あたしの大大だーい好きなパパ、佐倉湊。まだ、働き盛りの三十四歳で、とても長いとは言えない一生を終えた。あたしはまだ、六歳だった。お母さんは麻友姉のほうに付き添っていたけど、ホントに最後に「ま…ゆ…幸せだっ…たよ…」って言ってパパが死んじゃう少し前に麻友姉は先に息を引き取った。お母さんは看護師さんに息を引き取ったことを告げられてもずっと、「ま…ゆ?麻友、麻友…目、覚まして…」と問いかけ続けていたらしい。
「麻依…麻依は幸せだよ。ちゃんと涙が出るんだもん。悲しすぎると涙ってね、出なくなっちゃうんだから。パパに言われたみたいにほら、麻依は麻依らしく笑ってなきゃダメ。じゃなきゃパパと麻友、麻依のこと心配で天国で幸せに暮らせないんだから、ね?」
「…パパと麻友お姉ちゃん、麻依が幸せに暮らしてれば天国に逝って幸せに暮らせるんだね…?」
「そうよ。ほら、麻依、笑って。そうだ、朔斗くんの家に行こうか?」
「行くっ…!」
「ふふっ、やっと笑った。麻依は朔斗くんの気持ちわかったんだね。勇気づけてあげるんだよ」
「はぁーいっ!麻依、朔斗のこと大好きだもん!パパが言ってたこと、朔斗にも教えてあげなきゃっ!」
その後、あたしは元気を取り戻して朔斗の家へ行った。そこにいた朔斗の姿は、まるで死んだように暗かった。あたしは思いっきり元気だったから、余計何かショックを受けた。
「麻依…僕…ママ…」
あのときの朔斗は泣き虫で、男の子だっていうのにボロボロ涙をこぼしてあたしにすがってきたんだ。
「えっ…?ウソでしょ?歩未ママ、死なせちゃうなんて…っ?」
「そうするんだって。パパが…。もう、お別れの準備はできてるよね、って言われた。僕、パパが考えてることわかんないっ…麻依、どうしよう。僕、まだママと別れたくないよ…。どうしたらいいの?麻依、僕どうしたらいいの…?」
「朔斗…泣いていーよ。パパが言ってたんだぁ。だから、歩未ママが死んじゃう前に思いっきり泣いて。今、歩未ママは苦しいから、朔斗が泣いてても気づけないけど、死んじゃったらずっと朔斗のそばにいるじゃん?朔斗が泣いてたら、歩未ママ悲しくて、幸せになれないって。パパ、死ぬ前にそういったの。だから泣いて。麻依、歩未ママの代わりに朔斗の涙受け止めるから。ね?」
「麻依…」
あのとき、あたしも泣いた。パパの言葉、自分で語っておきながらパパと麻友姉を思い出して泣いた。朔斗のつらさが、パパと麻友姉を亡くしたあたしのキズアトに染み込んできて、涙が止まらなかった。
誠斗さんの判断は本当に実行されて、歩未さんはその一週間後に亡くなった。
歩未さんのお葬式と同時にパパのお葬式は行われたけど、約束通りあたしも朔斗も泣かなかった。あれだけお互いを頼って、涙が涸れるまで泣いたから。
おかげでパパを亡くした悲しみは消えたし、あたしは髪を切ってショートにして、パパに思いっきり笑顔を見せられるようになった。
それなのに誠斗さんとお母さんは、色々相談があるんだ、なんて言って、家にはしょっちゅう誠斗さんが来るようになった。
「麻依―!今日朔斗くんと誠斗さんが来るから、部屋早く片付けなさい!」
「…っ…はぁい…」
そして時々お母さんもあたしを連れて朔斗の家へ行くようになっていった。
そのうち二人は同棲するようになって、もちろんあたしと朔斗も兄妹のように過ごすようになっていった。
どんなに朔斗といるのが楽しくても、つらかったんだ。自分のパパとママは、本当にお互いを好きじゃなかったのかなって思うと。
泣き顔をパパに見られないように、必死で布団に身を埋めながら泣いてた。時には朔斗の部屋へ行って、一緒に泣こうなんて言ったけど、歩未さんを亡くした頃より何倍も朔斗は強くなってた。あたしを精一杯慰めてくれる朔斗の姿が、あたしにとって何よりも心強かった。誰よりもカッコよかった。朔斗も傷ついてるのは痛いほど知ってた。だから余計――――だんだんあたしにとって、朔斗はとてつもなく大きな存在になっていったんだ。
知らなかったんだ、誠斗さんもお母さんも。たった六歳の小さい男の子と女の子が、そのことにどれだけショックを受けてたか。大好きだったパパを亡くしたあたし。大好きだったお母さんを亡くした朔斗…。朔斗と一緒にいられて、楽しくなかったわけじゃない。むしろ朔斗のことは大好きだから。だからお母さんも誠斗さんも全てがうまくいってるって思い込んでたんだろう。でも、たった一つの頼りがいだった本当の親に、あたしたちは裏切られたように感じていた。違う。感じてただけじゃない…裏切られたんだ。
お葬式のときも、お母さんは泣かなかった。歩未さんのお葬式が一緒だからって、誠斗さんが一緒にいることほど憎いことなんてなかった。朔斗も、あたしのお母さんに同じことを思っていたんだろう。自然とあたしはお母さんを、朔斗は誠斗さんを憎むようになってったんだ…。
二人が結婚したら、ただの幼なじみだったあたしと朔斗は兄妹になる。確かにお兄ちゃんみたいな感覚で接してる部分はあった。でも、あたしは間違いなくお兄ちゃんとしてじゃなく、恋人として朔斗がほしかった。そして今、十六歳のあたしにとって朔斗はお兄ちゃんじゃない。その話はもっと後で…。