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そして君が羽ばたくまで  作者: 琳谷陸
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そして君が羽ばたくまで

そして君が羽ばたくまで



 規則正しい日々。

 分刻みのように組まれたスケジュールはずっと物心ついたときから変わらない。

 人の上に立つための学問を学び、 人を惹きつけ多才を強調する芸事を身につける。 全て、 将来のための準備運動。

 将来、 この家の名を背負うものとして必要なもの。

「息苦しくは、 ありませんか?」

 ある日のこと、 いつも服を仕立て居る専属の仕立て屋が採寸の最中にぽつりと聞いてきた。

 彼の作る服はとても着心地が良くて、 サイズもぴったりだった。

 柔らかく、 教えられた通りに子供だが貴族の子息らしい落ち着きつつも微笑み「いいえ。そのようなことはありません」と答えた。

 本心だったから、 何の苦も無く言える。

 元々、 苦なんて感じた事はなかったのだが。

 その仕立て屋は、 その返答に不思議な笑みを返した。

 どこか困ったような、 悲しそうな、 今まで見たことも無い微笑。

 彼は少しの間だけその微笑のまま見つめてきたが、 やがて「そうですか」と頷いた。

 どうしてそんなことを聞くのだろう。

 そう思いつつ、 そんな些細ないつもと違う出来事はまた日常に埋没していく。





 変わらない毎日がいつまでも続くのだと思っていて、 僕はずっとそれを信じていた。





      ◆      ◇      ◆





「坊ちゃん、どのお色がお好きですか?」

 黒に近いような紫がかったブルネットの髪をゆるく一つに結わいた仕立て屋は、 のほほんと出来たばかりの服を試着している少年にそう問いかける。

 翠色の大きなおっとりと眦の下がった瞳を仕立て屋に向け、 15歳ほどの少年は小首を傾げた。

「もう仕立ての依頼は終わったのではないのですか?」

「ええ。 ご注文いただいたものは。 ふふ、 これは私から坊ちゃんへのサービスですよ。 お得意様へのささやかな感謝です」

「そうですか。 それでしたら父に伝えて」

「坊ちゃん。 私は、 貴方にお伺いしているのです。 貴方がどちらが良いか。 選ぶのはお父様ではありませんよ?」

 きゅっとタイを締め、 少年は仕立て屋を見た。

 にこにことしているのに、 何故か叱られたような気がする。

 この仕立て屋はいつもそうだ。

 些細ないつもと違うことを会うたびに日常に落としていく。

 それは、 本当に小さなことですぐに日常に埋没していくのに、 何故かいつまでも頭の片隅に残る。

 使用人が仮にも雇い主の子息にこんな対応や意見が許されるのかと頭を少しだけ過ぎるのだが、 不快には思わない。

 そんな些細な非日常。 別に狼藉でもなんでもない他愛ないことだからかもしれない。

 少年は少しの間を置いて、 自分の好きな色を答えた。

 仕立て屋はその答えに、 とても嬉しそうに笑って。

「はい、畏まりました。 では、 次回をお楽しみに」

「……サービスなら、 父に言った方が良いのではないのですか?」

「レファル様にはまた別のサービスをご用意しておりますので。 ふふ。 ああ、 よくお似合いですよ。 坊ちゃんも次の誕生日がきたら社交界デビュー。 早いものですね」

「そうですね」

 少年が貴族の令息らしい微笑みを浮かべ頷くのを仕立て屋はじっと見つめ、 少年が着替えの為に衝立の向こうに消えると仕事鞄から針と糸を取り出した。

 少年が再び現れ、 部屋を出て行こうとするそこに声をかける。

「坊ちゃん、 これをどうぞ」

 渡されたのは、 苺のマスコットだった。

 その意外さというか突拍子のなさに思わず固まり、 にこりと笑う仕立て屋の顔を凝視する。

「なんですか、 これ」

「マスコットです」

「いや、 まぁ、 それはわかりますが」

「苺です」

「…………」

「布とビーズで出来ております」

 聞きたいのはなんでマスコットなど渡してくるのか。

 ついで言うなら、 何故よりにもよって苺なのか、 なのだが。

 顔に出ていたのだろうか、 仕立て屋がクスッと笑う。

「以前、 好きなフルーツをお聞きしたら、 苺ということでしたね?」

 そういえば、 確かにそう答えた気がする。

 実際はあまり考えずに適当にその時旬だった果物を答えただけなのだが。

 これ、 どうすれば良いのだろうか……。

 そう悩み、 手のひらの上に置かれた赤い苺のマスコットを見つめる。

 と、 そこで仕立て屋が横を向いて吹き出し、 片手を口にあてがって腹を抱えるのが見えた。

「……アマランサス」

「は、 はい? クッ……ははっ……」

 胡乱げな目で仕立て屋を見てその名を呼んだ少年は、 このマスコットをその顔面に投げつけてやろうかとちらっと考えた。

「何でしょう?」

 にっこりと笑う仕立て屋。

 その顔を見ると、 なんだかこちらも気が抜けてしまう。

 少年はフッと息を吐き腕を組んだ。

「あなた、 良い度胸してますよね」

「お褒めに預かり光栄です」

「褒めてません」

「それは残念」

「……。 っは」

「ふふっ」

 少年と仕立て屋が顔を見合わせ、 そんなやり取りにどちらも笑いが堪えきれなくなり、 たまらず笑い出す。

「大成功」

「何がですか?」

「君が笑いました」

「それが、 何で……」

 なんで自分が笑うと成功なのか。

 何が成功なのか。

 そう訊ねようとした矢先、 仕立て屋は片手の人差し指を唇の前に立てて、 秘密、 のような仕草をした。

 けれど、 思い直したのかそのまま微笑み。

「坊ちゃん、 問題です。 わからなければ、 次回会うときまでの宿題です」

「……何?」

「どうして、 私が仕立て屋をしていると思いますか?」

「仕事だから、 でしょう?」

「まぁ、 そうですが……。 では、 質問を変えて。 この仕事、 何が一番楽しいと思います?」

 その問いかけに、 言葉が詰まる。

 沈黙した少年に、 仕立て屋は何処か寂しそうに微笑んだ。

「宿題です。 考えてみてください」

 楽しいという事を。 彼は、 そう言った。

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