conversation ①
沙綾との対話を決めた健吾。
だが不安が募る。女とはいえ、正体不明の相手にたった一人で大丈夫なのか?
沙綾の目的が今明かされる。
放課後すぐ、健吾は陸上部キャプテンの木口がいる3-Cを訪ねた。何はともあれ、ケータイショップに行かなければならない。部活が終わってから行ったのでは既に閉店しているの可能性が高い。どうしても一日だけは部活を休まなければならないのだ。ならば早い方がいいに決まっている。
事情を話すと問題無くOKが出た。元々 健吾は部活をサボる事が無かったし、今の高校生にとってケータイは生活に密着したツールだ。これが無ければ、日常生活で非常に不便を被る事になる。
「……まぁ仕方ないわな。でも、今日休む分は自主トレしといてくれ」
木口は天パー気味の髪を掻きながら、流石にキャプテンらしい事を言ってくる。
「ああ、分かってるって。スマンな」
「それよりもだ、何か今日は大変だったらしいな」
「……勘弁してくれ」
木口は特に噂好きというわけではない。だが、あれだけ目立つ行列を作って歩いていたのだ、幾ら何でも耳にしたらしい。ニヤニヤしながら話を振って来たのだが、健吾が本気でゲンナリしているのを見て気持ちを汲み取ったのだろう。表情が変わった。
「分かった。今日はゆっくり休むのも、ひとっ走りして嫌な事を忘れるのも、どちらもアリって事で」
「助かる」
嫌な事を説明しなくてもいいというのは、それだけで心の負担が幾らか軽くなる。いちいち言わなくても、自分の気持ちを察してくれるというのは本当に助かるものだ。特に苦しい時や辛い時に。こういう配慮や理解力が、木口がキャプテンたり得る理由の一つなのだろう。
健吾が軽く手を上げて教室を出ようとした時、守屋の姿を見かけた。彼とは小学校の頃からの付き合いだが、健吾が知る限りでは最も科学やミリタリー関係に詳しい男だ。スポーツはまるでやらないので、ややポッチャリ体型だが、その反動か研究者タイプだった。
丁度いいタイミングだったので、守屋にUFOの事を聞いてみる事にした。無論、昨夜目撃した飛行物体についてでは無い。一般論としてだ。迂闊に昨夜の事を話したら、変わり者扱いされるのがオチなのだから。
「守屋、ちょっといいか? お前に聞きたい事があるんだが」
「おう美作。なんだ、改まって」
「お前よ、UFOってあると思う?」
「あるよ」
「……ってお前、そんなにあっさりと」
面食らってしまう健吾。よりによって一番否定しそうな男が認めてしまうとは。
「まぁ根本的に誤解なんだよ。UFOって、単に『未確認飛行物体』ってだけの意味なんだ、これが」
「それは知ってるが……」
「知ってても理解はしてないみたいだな。いいか、例えばお前が尻から火を吹きながら岡山県上空を飛行しているとする」
「もう少しマシな例えは出来んのか……」
「出来ん」
きっぱりと言われてしまった。完全にギャグ漫画の世界だが、昔からこういう奴だったので諦めるしかない。シュールな飛び方をしている自分の姿を受け入れる事にした。
「分かった、それでいい。で?」
「うむ。そうやって空を飛んでいるお前を自衛隊のレーダーが捉える事になるな。この時点では全長約170cm、飛行速度は――仮に亜音速としようか。それだけしか分からない状態だ。で、この段階ではお前はUFOだ。『未確認』の飛行物体なんだから」
「……納得いくようないかんような話だな」
仮想の話とは言え、まさか自分がUFO扱いされる日が来ようとは。
「で、航空自衛隊がスクランブルをかける事になる。F-15JイーグルでもF-4EJファントムⅡでもF-2でも好きな機体で考えればばいい。あくまで『例えば』の話なんだから。で、基本的には二機一組で飛ばす事になってる。何かあっても対応出来る様にな。費用も数百万かかるよ、一回のスクランブルでな」
「えらい騒ぎになるんだな、俺が飛んだだけでも」
「ああ、だから迂闊に飛ぶなよ?」
「……飛べんから安心してくれ」
悪乗りが過ぎると言うか脱線が過ぎると言うか。だがこれが守屋にとってはいつものペースであり、長い付き合いで健吾もそこは良く分かっていた。
「話を戻すけど、スクランブルをかけてどうなるんだ?」
「接近して目視で確認する事になる。そうしたら人間だったってなるわな、飛行原理は置いとくとして。人間が尻から火を吹きながら飛んでいると。この時点でお前はUFOじゃなくなる。『確認』されたワケだから」
「……そういう事なのか?UFOって」
「そういう事」
何か拍子抜けしたような気もするが、守屋に対する信頼の方が遥かに勝った。だがそうすると、もう一つの疑問をぶつけておきたくなるのが人情というものだ。
「じゃ、異星人の乗り物って話は? と言うか異星人っているんだろうか?」
「そりゃいるだろうさ、『人』の定義にもよろうけど。この銀河系だけでも一千億個だか二千億個だかの恒星がある。そしてそんな銀河が二千億から三千億個はあるだろうって言われてる。当然惑星の数も嫌になるほどあるだろう。それだけあるのに、知的生命体が俺達だけしかいないって方が無理があるだろう? 確率論的にも。と言うか、科学者達の大半も、何らかの生命体が存在する事は間違いないと考えてるよ」
「そりゃそうだな……」
「ただ、そいつ等が地球まで来てるかどうかは別の話だ。本気で信じてる奴らには病院を紹介してやるべきだな。宇宙の大きさを舐め過ぎだっての。例えば地球を一円玉の大きさとすると……」
「すると?」
「はやぶさが行って来た小惑星イトカワが400m先にある事になるな」
「マジかよ……」
今更ながら驚く健吾に守屋が畳みかける。
「それが比較にならんほど遠い冥王星までが0.0006光年。いちばん近い恒星までがざっと4光年」
「もうイメージが湧かんな」
「それだけ宇宙は広いんだよ。どうやったって来れんよ、量的問題の桁がでか過ぎる」
「なるほどな。分かった、ありがとう」
守屋に礼を言いつつ、自分の教室に戻る。
「確かに守屋の主張は科学知識に基づいているし、常識的なものだろう。じゃぁ昨夜自分が見た者はなんだったんだ? 」
その思いが健吾の頭から離れなかった。――まさか異次元人とか地底人とか、そんなのだったりするのか?――そんな事まで考えながら教室に戻ると、沙綾が級友達と談笑していた。
「彼女が居ない連合」の面々もその輪の中に居るのだが、よく見ると直接沙綾と話してはいないようだった。ひたすら相槌を打つ者、ただ歓声を上げるだけの者、じっと沙綾を見つめているだけの者――相変わらず熱心なファンのようだが、昼休みの様子に比べるとかなり落ち着いている。時間が経ったからなのか、或いはあの時にした『何か』のせいなのか。
健吾には判断する術が無いが、当面は被害に遭う事も無さそうだと安心した。さっさとケータイショップに行かなくてはならないので、カバンを引っ掴んで下校する。彼女のくるみは既に部活に行っているハズだ。
彼女はテニス部のレギュラーである。正直な話、羨ましく思わないでもない。だが、それを表に出したくは無いし、健吾は人の成功を喜べる男でありたいと願っている。ましてや彼女なのだ、喜んでやれないようでは情けない――青臭いようにも思えるが、それが健吾なりの考え方だった。
ケータイショップに行くと、問題無くデータを復旧できた。水没した形跡も無く、一時的に強い磁気か電磁波を浴びたのだろうとの事だった。「また何か不具合がありましたら、すぐにお越しください」と言われて店を出る。
自転車を漕ぎながら「強い磁気か電磁波……かぁ」と一人呟いてしまう。思い当たる可能性は一つしか無い。あの飛行物体が起こした現象だ。自分の目で見てもそれが何なのかさっぱり分からないのだ、正しくUFOなのだろう。自宅に着き自室に入る。この時間はまだ、母はパートから帰っていないし、弟は中学で部活の時間だ。父は当然仕事。
今は自宅に一人。一人きりだった。
ベッドに寝転がり思い起こす。昨夜から立て続けに起こった様々な出来事。沙綾への疑念。たとえ女一人とは言え、自分がされた事と昼休みの出来事を考えると、今夜自分一人で行っても大丈夫なのか?
いや、誰かに話す事は出来ない。正直に話しても正気を疑われるだけだ。大体何人で行こうとも、「彼女がいない連合」をまとめて追い払っているのだ、きっと無駄だろう。そして今は直感が働いていない。働けばほとんどと言っていい程に的中するが、思い通りに発動できるわけではなかった。
もう一つ疑問なのは、昨夜の直感が命じた事は、果たして正しかったのかという事だ。その答えが今夜出るのか、それともまだまだ分らないのか。
――いくら考えても結論は出なかった。
そして
「疑念」はいとも容易く「不安」へと変わり、「不安」は僅かな時間で漠然とした「恐怖」へと成長する。
母が帰って来るまでの一時間余りが、健吾にはやけに長かった。その間は勉強などする気にもならず、マンガを読んでもテレビを見ても気分転換にならなかった。くるみに「ケータイが直った」とメールをしても、ほんの束の間の慰めにしかならなかった。部活が終わらなければ、返信も来ないのだから。
それだけに母が帰って来てドアを開ける音が聞こえた時は、心の底から安堵がこみ上げて来たのだった。
「母さんが帰って来て、こんなに安心するなんて……いつ以来なんだろうな」
母が居る台所に向かいながら、幼いころの事を思い出していた。世界の全てが未知と不思議に溢れていた頃の事を。
健吾は母にケータイの事情と仕方なく部活を休んだ事を話し、珍しく夕食を作る手伝いをする事にした。
息子の手伝いが嬉しかったのだろう、目を細めながら昔の記憶を手繰り寄せる母の姿があった。
「あんたが台所の手伝いをしてくれるなんて、小学校以来ねぇ」
「そんなにしてなかったっけ?」
場に暖かい空気が流れ、健吾はそれがやけに懐かしい物に感じた。ずっと忘れていた大切なものを手にした様な、壊れやすくて何時かは失ってしまう、そんな物を手にしている様な感覚。不思議と目頭が熱くなるのだった。
そうしているうちに弟が帰り、父も今日は早めに帰宅してきて、いつもよりも賑やかな夕餉となった。
一時の団欒が終わり、父と弟が順次風呂に向かう頃。健吾は自主トレの時間だ。トレーニングウェアに着替えてケータイを手に取ると、くるみから返信が来ていた。
「今日は大変だったみたいだね。明日話を聞かせてね!」
と、いつも通りシンプルな内容だったが、何故か信頼してくれている事が伝わる文面だった。好意的に過ぎる解釈かも知れないが、それでも心が落ち着くだけでも有難かったのだ。今の健吾にとっては。
「俺に何かするのが目的だったら、昨夜やってるわな。今更気にしても仕方ねぇ」
既に「何か」はされているのだが、本人は正確には知らないし、気にしても仕方がない。ケータイのアプリケーションを起動して走り出す。
今夜もいい月が出ていた。実感する事も出来ない程の長い年月にわたって、地球を見つめ続けて来た美しい月。銀色の輝きを放ち、夜の道に迷う人々を導いて来た太陰。その光で生まれた淡い影をパートナーとして自主トレをしてきた健吾だが、今夜は初めて影が自分を引き留めているかのように感じていた。
(行くな。これから何処へ行くつもりなのかは分かっている。俺はお前なんだから。行ったらもう引き返せなくなるんだぞ?)
影がそう語りかけて来る様な気がした。それでも健吾は走り続ける。いつものコースを、いつものペースで。
確かに逃げる事は簡単だ。行かなければいいだけなのだから。しかし、それが何になろう? 沙綾は「同じクラス」にいるのだ。行かなければ次はどんな手段で来るか分からないではないか。次は誰かを巻き込むかも知れない。被害が出るかも知れないのだ。
いや、それ以上にこのまま怯えるだけというワケにはいかなかった。健吾はこれまで幾つもの壁や困難にぶつかって来た。スポーツ、恋愛、勉強、ただの意地の張り合い。それらから逃げた事もある。立ち向かった事もある。そして――逃げても何も変わらないという事を経験的に知っていた。
月明かりを浴びながら、自分を引き留めようとする影を引き連れて走り続ける。そして、いつもとは違う角を曲がった。作山古墳に真っ直ぐ向かうコースになる。
「確かに怖い。でも、逃げても解決にゃならん。なら、さっさとカタをつけるしかねぇだろ!」
自分を励ましながら走り続け――約束した古墳に到着した。
この作山古墳は民家と隣接しているような状態なので、麓は「待ち合わせ」の場所としては不向きだった。しかも、この古墳のどこでとは決めていなかった事を思い出した。
「しまったな。けどなぁ、あの状況じゃ冷静な判断なんか無理だろ。……とにかく登ってみるか」
意を決して登って行く。本来は褒められた事ではないのだろうが、場合が場合だ。勘弁してもらうしかない。下草の香りが心地いいが、残念ながら今はそれどころでは無いのだ。頂上全体には松の木が生えていて、少し中央側に入れば周りからは中々気付かれない。
「きっと彼女はそれを考えて、ここを選んだんじゃねぇのか?」
漠然とそんな考えながら登って行く。前方後円墳は長さはあるが、高さはそうでもない。程無く後円部の頂上に辿り着いた。
何処にいるのかと周りを見渡そうとした途端
「早かったわね」
沙綾の声が上から聞こえた。
「……!!」
健吾は声も出せない程に驚き、反射的に後ずさる。上を見ると、古墳の上に数多く生えている松の木の枝に腰かけている沙綾が見えた。穏やかな笑顔を浮かべて健吾を眺めている。そしてその出で立ちは、昨夜遭遇した時と同じ、純白のものだった。
「……心臓に悪い真似は止めてもらえんか?」
「ごめんなさい、驚かすつもりはなかったの」
落ち着いた声でそう告げると、松の枝からゆっくりと舞い降りて来る。まるで純白の羽根が、風で舞っている様を思わせる軽やかさだった。
「身軽なんて次元じゃねぇな。どうやったんだ?」
「それも含めて説明するつもりよ。まずは私が何者なのか? 目的は何か? そこから話さないとね。ただ、どうしても言えない事もあるの。それは許してね」
「いきなり来たか……無駄な前置きは無しってわけだな、望むところだ。でも簡単に俺をどうこう出来ると思うなよ?」
威勢のいい事を言ったものの、いざとなったら健吾は――全力で逃げるつもりだった。陸上部である自分の唯一最大の武器である脚に賭ける以外にないのだ。逃げ切れるとは思っていなかったが、やれるだけの事はやる。そう決めていた。
そんな健吾の決意を知ってか知らずか、沙綾は腕を組み、右足を軽く外へ広げて語り始めた。
「私の本当の名前はヌアサ。この惑星の人間ではありません」
「……そうか」
「驚かないわね?」
「予想の範囲内だ。色々と聞きたい事があるが、まずはそちらの言う通りに目的を聞こうか」
「賢明な判断ね。話がゴチャゴチャしなくて助かるわ。――でもその前に一つだけ聞かせてもらえるかしら?」
――何で俺が質問されるんだ? ――そう言って要求を蹴る事は簡単だった。だがここで全てを反故にするのは、幾ら何でも短気過ぎる。それに、貸しを作っておくのも悪くない選択肢だろう。そう判断して、健吾は答える事にした。
「分かった。何だ?」
「君は現時点で――私の目的は何だと予想してるの?」
「……ありがちな予想で気恥かしいが、侵略の事前調査か――或いは戦争を止めない愚かな地球人類の監視ってところか?」
「……なるほど、確かにありがちね」
――余計な御世話だ! バカにされる為に来たんじゃねぇぞ!――
健吾の心の中で悪態が膨らんでいく。それを知ってか知らずか、沙綾は平然と話を進めていった。
「だけど安心して、どちらも違うの。いずれ分かる事だから先に言うけれど、私は移住可能な惑星を探す調査員なのよ」
これは健吾の予想外な答えだった。よくある侵略や監視とかではなく、移住だったとは。しかし、移住も方法次第では侵略に変わるのではないか? これが健吾の頭に浮かんだ疑問だった。
「ちょっと待ってくれ。簡単に言ってくれるが、そう単純な話でもないだろう? もし――いや、まず間違いなく揉めるはずだ。何人来るつもりなのか分からんが、その時 お前達はどうするんだ?」
「それもキチンと話すわ。落ち着いて聞いてね」
沙綾は組んだ腕をほどいて南へ――健吾の方へと歩き出した。
予定よりも長くなったので、一旦区切ります。
次回でしっかりとやりますので、お付き合いのほどを。
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