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流星ホノカ

作者: 瑠紗紅葉


 今年の流星群は、やけに近いところから降り注いでいるらしい。


 土手の上に立つ静香しずかには、落ちてくる光の一つ一つが野球ボール大に見え、それらが頭の上を横切ると、気のせいだろうが、微かに風を切る音が聞こえたような気がした。紫紺の夜空を裂く青白い尾の美しさに、ひとたび気が付いてしまえば、昼から考えていたちっぽけな願い事の内容など、思い出す時間すらもったいなく思えてしまう。


 そのうちの一筋がどうやら自分に向かっているようだと知った、次の瞬間には、激しい光を撒き散らしながら土手のすぐ下に墜落していた。勢い良く落ちたわりには、何の衝撃もなく、音さえしない。静香は好奇心を隠すことなく、一息に急斜面を駆け下りた。

 流れ星が落ちた所からは、消えかけの花火のように、青色の光がいくつも弾けては消え、弾けては消えを繰り返している。


 その中心で、光にくるまれた女の子が臥しているということは、少し近寄ればすぐに分かった。


 少女は服を身につけていなかった。肌は色白を通り越して星明かりのように青白く、それどころか、実際全身が仄かに発光しているように見える。この子こそが流れ星の正体なのだ、と心の中で嬉々として叫ぶ自分を抑えつけ、静香は小さな体を抱き起こした。

 冷たそうな印象に反し、その肌はとても暖かかった。


「しっかりして。大丈夫?」


 肩を揺すり、声をかければ、相手は瞼をゆっくりと持ち上げてこちらを見た。無数の光の粒が踊る大きな瞳はまるで二つの小宇宙のようで、思わず息を呑んでしまう。しかし長々と見つめ合う訳にもいかないので、どうにかこうにか言葉を続けた。


「いったいどうしたの。お父さんやお母さんは?」


 問いかけに答えようと、少女も口を小さく開いて声を出す。だがそれは到底、地上の人間に発音できるとは思えない話し方であった。やはり、この子は特別なのだ。そう確信すると、静香は夢でも見ている心持ちで、自然とこう持ちかけていた。


「うちに、来ない?」


 流れ星の少女を持ち帰るなんて、あってはならないことかもしれない。そんな背徳感に似た思いを抱きもしたが、これほどまでに美しく儚げなものを捨て置けるほど、静香は無欲な人間ではない。というよりも、日頃から一人で生活し、流星群さえ一人で見に来るような彼女にとっては、たとえ言葉が通じなくとも、ただ側に置いておける存在が欲しかったのである。


 家の中に連れ込んでも、少女が抵抗の動作を見せることはなかった。静香はその子をホノカと名付け、ひとまず自分の服を着せてみるも、背丈が違うためにサイズが大きすぎ、色合いやデザインも輝く肌には釣り合わず、ひどく劣って見えた。


 以後、静香は貯めた金でとびきり可愛らしい子供服を何着も買い、ホノカに与えた。服に合わせたヘアスタイルにしようと星色の髪をとかせば、かいだことのない清々しい香りが弾け、心を落ち着かせてくれる。

 まるで生きる着せ替え人形のごとく、静香は彼女を一心に愛でた。星の性なのか、ホノカは日の光を浴びるといつも、昼の間だけ姿が見えなくなった。服は変わらずそこに浮いているので、存在そのものが消えてしまうわけではないのだが、そのこともあり、もっぱら家の中だけで大切に養っていた。


 初めのうちは固い表情をしていたホノカも、着飾ることの喜びを知ってか、日に日に表情が豊かになっていく。新しい服を着せてやると、自ら姿見の前に立って嬉しそうにターンするほどだ。たくさん用意した服の中でも、フリルのたっぷり付いた白いワンピースは特に似合っていた。

 言葉が分からないのは相変わらずだったが、こちらの言うことならば少しは理解するようにもなった。


「はい、ごはんだよ。雲がなくて良かったね」


 そう言って、たっぷり水を注いだ黒塗りのお椀を手渡す。夜空を映した水しか口に含めないと知るまでには、並々ならぬ苦労があった。一時は何を摂取する必要もないものと勘違いしてしまい、危うく餓死寸前にまで追いやってしまったことがある。

 今やホノカの食事場はベランダが定位置となり、水に星が多く映れば映るほど、それを美味しそうに飲み干すのだった。


 ホノカとの生活にも大分馴染んできたある日のこと。その夜も雲のない、とびきり美しい星空が広がっていた。

 静香はいつものようにリビングの電気を消してホノカへお椀を渡し、ベランダに出してやる。そして自らはテーブルに夕食を並べ、ベランダが見える角度で食事を始めた。四方を闇に囲まれた中で、冷たくも柔らかい光を放ちながら椀を傾けるその幻想的な後ろ姿は、食べ飽きたおかずの味を何倍も美味しく感じさせてくれるのだ。


 ところが今夜は珍しいことに、ホノカが水を飲む手を途中で止め、ベランダの下の方をじっと見たまま、動かなくなってしまった。


「どうしたの」


 不安に思った静香が席を立ち、ベランダに出ようとしたときだ。


「ホノカ!」


 突然、ホノカの全身が、青く激しい炎に呑み込まれてしまった。動転し、燃え上がる双肩を慌てて掴んでも、そこには普段と変わらない、暖かな肌の感触しかない。

 静香の方へ向き直った彼女は、やはりじっと見据えるような目付きのまま、小さく口を動かした。


「し、ず、か、の、そ、ば、に」


 それが確かに発せられた声だったのか、はたまた口の動きでそう見えただけだったのか、今となってははっきりと思い出すことができない。


 しかしこれが、ホノカの口にした最初で最後の言葉となってしまったことだけは、忘れようもない事実である。


 青白い輪郭はやがて炎の色と同化して見えなくなり、燃え盛る中に最後まで残ったのは、星のきらめきを湛えた、二つの大きな瞳だった。その真っ直ぐな眼差しも、静香の胸に強烈な印象を刻み付けた後で徐々に青色へ溶け込んでいく。そしてついに、燃えた形跡のないワンピースを残して、ホノカは姿を消してしまった。

 突然の出来事にしばし呆然としていた静香であったが、ふと我にかえるや否や、美しい脱け殻のようなワンピースをかき抱くと、そのまま、一晩中むせび泣いたのだった。



 人生には、幸福と不幸が交互にやってくるという。静香は流星を拾うという類い稀なる幸福を手にし、また、それを唐突に失うという、多大な不幸を経験したのである。

 そしてそれから数年後、彼女は新たな幸福を得た。結婚をしたのである。夫は同じ会社に勤めていた人だが、出会ってから結婚するまでの期間は半年以内と短めだった。そうは言っても、運命に運命が度重なる夢のような期間であったのだから、仕方がないとも言える。


「そう言えば、妹さんは元気にしているのかい。結婚式には出てなかったようだけど」


 良く晴れた日の夜、二人で夕食を囲んでいると、夫が思い出したようにそう話し出した。不意を突かれた静香は首を傾げる。


「いもうと?」


「何年か前にさ、見たことがあるんだ。静香の住んでたアパートのベランダに立ってるとこ。まだちっちゃいのに綺麗な子だなと思ったよ」


「え」

「え?」


 静香の頭にはその瞬間、複数の疑問が過った。一人っ子の自分になぜ妹がいると思うのか。それはひょっとしてホノカのことか。その子を見たのはいつなのか。

 そしてなぜ夫が、結婚まで招いたこともない、あのアパートの場所と部屋を知っていたのか。

 静香の反応を見て、ようやく墓穴を掘ってしまったことに気付いたのだろう、彼は「あ」と声を漏らすと、とても気まずそうに顔を歪めた。


「……ごめん。今まで言わなかったけど俺、出会うもっと前から静香のことが気になってて。アパートの住所も知ってたんだ」


「それってまさか、ス」


「ち、違う違う。同じ会社とは言え、住所を調べたのは申し訳ないと思うよ。でも、本当にアパートの前を通ったのは一回だけなんだ。妹さんを見たのだってその時でさ」


 かなりまいった夫の様子に、静香はひとまず警戒心を解く。彼の長所である誠実さを、その言動から感じとることができたからだ。それに、出会う前から好意を寄せていたと告白されれば、あまり悪い気はしない。

 夫の方は、まだ罰が悪そうに話を続けた。


「そうそう。それでその子を見たときにやっぱりさ、決意したんだよ」


「なんて?」


「俺もいつかはあの子みたいに、静香のそばにいられる存在になりますように」


「『なりますように』って、それじゃあ決意じゃなくて願い事じゃない」


 そこまで言うと静香はハッと息を呑み、顔から笑顔を消し去ってしまう。


 『流れ星』と『願い事』、二つの歯車がかっちりと組み合わさり、回り出す音が聞こえた気がした。


「で、そう思ったとたんにさ、急にその子が俺の方を見たんだ。だから焦って帰っちゃってそれきりなんだけど……あの日も、今夜みたいに星が綺麗だったなあと思い出してね」


 もう、夫の言葉は静香の耳にほとんど入ってこなかった。

 代わりに胸の奥で脈打っているのは、かつての愛しい星の声。


──しずかのそばに


 流れては人の願いを乗せ、燃え尽きる星。


 願いを知らなかった流星の、辿り着く結末は、どこか。




ご覧下さり、まことにありがとうございます。


神秘的な少女に憧れて書いてみました。

やっぱり星新一大好きオーラが滲み出てしまいましたが、今後も勉強して自分なりの作品が出せるように頑張ります。

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