第1話「翌朝」
第1話「翌朝」
(眠いな)
登校中、あくびを噛み殺した。
昨夜、ことみの相手をしていたせいで少し寝不足だ。
校門の近くに、白河さんがいた。
(あ、いた)
横に並びがてら、声をかける。
「あ、おはようございます。白河さん」
白河さんがびくりと肩を跳ねさせた。
そのまま数秒、固まっている。
「……っ」
ようやく僕の方を見たが、唇が微かに震えていた。
何かを言いかけて、言葉が出てこないような、そんな顔だ。
「……おはよう、ございます。崎山さん」
一拍、遅い。
あからさまな「間」があった。
「寝不足ですか?」
(反応が遅いな)
顔を覗き込んでみる。
白河さんの顔が、耳まで一気に赤くなった。
そのまま一歩、後ずさる。
「いいえ。そんなことは……ございません」
「ならいいです。お疲れ様です」
僕はそれ以上気にせず、校舎へと歩き出した。
昨日、あんなに「心配」してくれたから、少しは距離が縮まったかと思ったが。
(よくわからん)
昇降口で靴を履き替えていると、外から話し声が聞こえた。
僕が通り過ぎた後、白河さんが誰かに呼び止められたらしい。
下駄箱の影から覗くと、田辺が白河さんの前に立っていた。
死んだ魚のような目で、白河さんをじっと見ている。
「白河」
「……田辺さん。何か御用ですか」
白河さんは、一瞬で隙のない顔に戻っていた。
でも、指先がわずかに制服の裾を握っている。
「崎山に、何した」
「……何、とは?」
「あいつ、今日、普通だったぞ」
田辺の声は低く、重い。
地面を這うような冷ややかさ。
「あいつが『普通』を出すのは、相手を信用してる時だけだ」
「……え?」
「……深入りするなら、慎重にやれよ。あいつを壊すな」
田辺はそれだけ言うと、白河さんの横をすり抜けていった。
一人、校門の近くで立ち尽くす白河さん。
彼女は、熱を持った自分の頬を、両手でぎゅっと押さえていた。
(何の話だ?)
田辺が白河さんに文句を言っているように見えた。
「壊すな」って、僕のことか。
そんなにヤワな自覚はないんだが。
(まあ、田辺も疲れてるんだろう)
僕は下駄箱に靴を突っ込んだ。
ふと外を見ると、白河さんがようやく歩き出していた。
その足取りはどこか落ち着かない。
(あ、笑った)
一瞬、彼女が何かを思い出したように口元を緩めた気がした。
でも、すぐにいつもの厳しい表情に戻る。
(見間違いか)
僕は窓から見える中庭の木々を、ぼんやりと眺めた。
今日は数学の小テストがある。
そんな「普通」の予定を頭の中で整理しながら、僕は階段を上り始めた。
背後から、慌ただしい足音が追いかけてくる。
それが白河さんのものだと気づかないふりをして、僕はいつも通りの歩調で教室へ向かった。




